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大阪市住吉区庭井の伝承

2025/07/04

庭井公園の隣のおっちゃんに聞いた話

大依羅神社にお参りしたら、久しぶりに近くに住むおじさん(と言ってもおじいちゃん)に会えて話ができたのでメモっときます。

昔は街灯が少なくて、不思議体験をした方がたくさんいました。

1  あびこの駅の近辺には昭和40年頃にはタクシー会社が4つもあり、堺方面に行ったタクシーで、幽霊を乗せた経験をした運転手がたくさんいたらしい。

堺にお墓がたくさんあり、墓の前までと言われて着いたら客がいなくなってるということがよくあったらしい。

2 あびこから遠里小野に行く道は、JRが高架になる前は踏切があり、そこでよく子供がはねられて亡くなっているとのこと。元々墓場だったところを電車が通ったので、幽霊が引っ張るのか、高架になった後も事故が絶えないらしい。そういえば、その先の南海線の高架の下にもお地蔵さんがある。

3  吾孫子観音寺の横の道路は昔小川が流れていて、その小川が杉本町を左に曲がって庭井の辺りまで繋がっていた。

4  朝汐という相撲取りのお嫁さんは、スーパーコノミヤの娘さんで、コノミヤが大きいところに移転した時の工事でお地蔵さんを撤去したあと、人夫で工事していたおっちゃんの顔にサンダーが飛んできて、口の横を切って大出血した。

ちなみにコノミヤはコンビニくらいの大きさのスーパーだったのが、今のように展開して行った。車で通った時に、ここは朝潮の嫁さんの実家のスーパーだと、説明してくれる人がいたので有名だったのだろう。

5  墓場を撤去して道路になったところでは事後が多く、おっちゃんの知り合いもそういう場所で事故で亡くなってる。

6  昔、大依羅神社が火事になったのは、放火ではなく隕石の落下ではないかと思っている。

たまに近所の人と会話をすると、面白い話が聞けたのでした。

 

 

 

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2017/01/22

庭井人の見分け方

私が住んでいるところは、代々古くからこの地で育った人たちと、外から引越しなどで入ってきた人たちが混在しています。

ここにかれこれ腰を据えて20年くらい経つと、地の人たちとも仲良くなって、挨拶をして普通に雑談などもするようになりました。

それで、地の人かそうでないかを見極めようとする時、目安になる言葉があるのに気がつきました。

それは、とても寒い日に、普通だったら「寒いですねー。」と、いう場面で、庭井人は、「冷たいですねー。」と言うことです。

仕事でいろんな人と会いますが、冷たいですねーと言う人は、この辺りでは庭井人しかいないような気がします。

「冷たいですね」というのは、外の地域ではどちらかというと、人間性に対して言うのが普通ですが、庭井人は気候に対して言ってます。敢えて外の地域の人が言うとしたら、「風が」という言葉を前に付けるでしょう。

大和川の付け替え工事で村が分断されて、お上に見捨てられたおかげで、現代の大阪市に残された貴重なガラパゴスである庭井という地が、永遠に続きますようにと願う私です。

2015/10/25

住吉区庭井の伝承②

大阪市住吉区庭井にある大依羅神社には、数十年前は土俵があり、近隣の村々から力自慢の猛者が集って相撲大会をしていたそうです。
庭井には横綱がいて、名前は「ミヤコドリ〔都鳥?〕」といったそうです。

また、お祭りの時には曳山があったそうで、大変賑やかなお祭りだったそうです。
今は太鼓もなりませんし、お祭りをやっているのかやっていないのかサッパリ分からず、気がついたときには終わっているお祭りですが、そんな時代もあったそうです。

私の家の前にある道は、もともとは畑で、土地区画整理事業のために農家から供出されて、道路になったそうです。

「庭」と人々が呼んでいる村の中に入るには、斜めに通る一本道しかなくて、一本道の北側には東西に疏水が流れていたそうです。
大雨が降ると疏水が溢れて、辺りは水浸しになったそうです。
今は下水道が完備されて、水浸しはありませんが、そういう過去があったことを、忘れてはいけないなと思います。

グーグルアースでみると、大依羅神社のところだけ、天然の森が残っているのがわかります。
大阪市の南の方では、もう森と言える場所はここだけです。
どうか、末長く残りますように。



2013/10/07

大阪市住吉区庭井の伝承 ①

最近、近所のお年寄りと交流する機会があり、聞いた話を埋もれさせるのはもったいないと思うことも多く、覚えているうちに書き残したいと思います。

今、近所にある「大よさみ神社(大依羅神社)」は、昔は「よさみ神社」だったとのこと。
近隣の小さな神社を統合して、大という字がついたということです。

大よさみ神社の中にはたくさんの小さな祠のような神様がありますが、その中の白龍の社では健康祈願をすると良いそうです。なんとか大明神と言っておられたのですが、ごめんなさい、記憶力が悪くて覚えていません。白滝大明神と仰っていたかもしれません。

もう一つ龍神様の祠があって、こちらは阪南高校を作る際に移動しようとした工事関係者が次々と怪我や病気になり、誰もさわろうとしなかったため、今でもグランドに突き出した位置にあります。

大よさみ神社は、南側に鳥居があって、桜並木を歩いて中に入ることになっていたのですが、ある日神殿が放火で火事に遭い消失したため、立て直すことになりましたが、その時に元の場所に建てずに南にずれたところに新築されました。今、駐車場になっているところが元の神殿跡だそうです。
その時に、神社の入り口も北側に移動したとのこと。

神社の北側に桜が24本ほど植わっていて、桜の名所となっていましたが、神殿の新築費用を捻出するために土地が売りに出され、植わっていた桜は神社の南側の参道に植え替えられました。
(その桜も、今は青息吐息の様相で、しかも高校のグランドにはみ出た枝をざっくり切られていました。切った人に祟りがでないよう祈るばかり・・・)

今は無き「よあみ池」は大和川が付け替えられたときに、池をそのまま川として利用されてしまったそうです。
大阪府南部にある狭山池よりも大きかったそうです。
川で村が分断されて、残された小さな池を、よさみ池と呼ぶようになったとのこと。

今の阪南高校のグランドは、よさみ池があったところでした。
昔は神社からまっすぐ庭井の方の先祖代々のお墓がある庭井霊園まで道が繋がっていたのですが、よさみ池を埋め立てた際に道も付け替えられてしまい、道があった場所はグランドに吸収され、グランドの縁を遠回りして歩いて行かないと墓参りが出来なくなって不便だと、嘆いておられました。

「よさみ」という地名は、すぐそばに断崖絶壁の海があったために、漁をする人が住んでおり、「よせ網」が「よさみ」となったということです。

庭井にも太平洋戦争中に爆撃機が到来し、何発かの爆弾を落としていったということです。
その話は、当時、中学生だったというお年寄り二名から聞くことが出来ました。

そのうちの一名が、今年の猛暑でお亡くなりになり、残る一名には長生きをしていただきたいと願っています。

大よさみ神社は住吉大社よりも古い神社で、神功皇后が新羅に攻め入る際に、武運を祈願したということが古事記に出ているとのことです。

私見を言えば、神社にあるトイレの位置を別の場所にしてもらえないかと思います。神様の神殿の近くで異臭を放つトイレなど、前代未聞ではないかと思えるのは、私だけではないと思います。

とまあ、今回で終了になるのか、まだ続くのかわかりませんが、とにかく記録を残しておきたい一心です。
神社の桜を守ったり、落ち葉を掃除したり、いつかはお手伝い出来たらなあと思っているのですが、住宅ローンと猫まみれ状態に追われて一日中コマネズミ状態なので、取り急ぎ、神様には、これを何とかしてくださいと祈りたいところではあります。