高校生くらいの時、私は、親たちや周りの大人が尊敬できないのだということに気がついて、毎日悲しくて泣いてばかりいました。
何故、娘の同級生が同じ学年にいると知っていて、その子の父親を誘惑して家族を捨てさせるのか。
何故、父はよその母子家庭に入れ込んで、自分の子供を捨てるのか。
そして、何故、傷ついた母は、辛い思いをしている子供を残して家を出て行ってしまうのか。
残ったのは祖母だけだった。祖母は、「自分しかお前たちを守る人間がいない。自分の息子がしたことだから、自分が責任を持つ。」と言って、毎日お弁当を作ってくれて、家を清潔に保ち続けた。
幸い、今よりも景気が良い時代だったから、父は二家族を養えた。
ただし、贅沢は元母子家庭の方が享受したと、私は思っている。
ロールスロイスやベンツの助手席に座るのは母ではなかった。私たちでもなかった。あの時に家庭を奪われなかったら、その席には母が座っていたはずだったから、母は悔しさから心を病んで安定剤を飲み始め、早くに認知症を発症した。
母は今の私から見ても、善良な日本人のお手本みたいなお人よしな人だったから、その母の心が怒りでドロドロに汚れていくのを見るのが辛かったです。
今の歳になった私は、父を誘惑した人も、自分の子供をお金の苦労なしに育てたかったのだろうと思います。
その望みと、自分が母子家庭で苦労したことから、多大な同情心を持つ父の心と合致したのだと思います。
彼女もまさかこんなふうになるとは思っていなかったのかもしれません。
狙ったとは今も思いたくない私です。
お通夜の始まる前に、歯肉癌で顔の形が変わってしまった死に顔で横たわる母の元に父が来て、一言「すまんかったな。」と言って帰りました。
お葬式には来ませんでした。母の親類が集まるところに来られなかったのです。
生きている時に、その言葉をかけてほしかったと、その時は思いました。
その父も、仕事をリタイアして家にいるようになった、ある正月に、長年暮らした彼女が、酔って失言したのか、私に「もうお父さん返してあげる。」と言いました。
その時の父の寂しそうな顔が私は忘れられません。
私は認知症で歯肉癌の母を世話していたから即答できませんでした。少し考えてから、「お母ちゃんが死んでからならいいよ。」と、精一杯の答えでした。
母のことを「死んでから」と言った自分も嫌でしたし、それくらいしか父に思いやりをかけてあげることができないのも悲しかったです。
思えば、人生って悲しいものです。
それでも私は猫がいたから生きて来られたと思うのです。
ピアノを弾こうが歌を歌おうが本を読もうが、心は満たされず、猫と遊ぶ時だけは童心に帰れて幸せでした。
猫は嘘をつきません。
神様が作った最高傑作だと思います。
その純真な心を見せてもらって、私の傷ついた心の鏡も綺麗に癒されていくのです。
高校生の頃、大人が尊敬できませんでした。今の私は大人ですが、中身はほぼ子供です。
そうか、大人は子供だったのか、と、やっと気がついた今日この頃です。
最近のコメント