この世界はシャボン玉 ミラーモードとクリアモード
以前にもシャボン玉の考察をブログに書いていた。
https://nekoota.tea-nifty.com/akubineko/2017/11/post-25a6.html
一人一人はシャボン玉の泡のような存在。シャボン玉の中で見たいものを見て生きている。それを「ミラーモード」と私は名付けた。
我の強い人は、他人に自分と同じ映像を共有したがるかもしれない。
1900年代に発明されたラジオやテレビは、まさにそれができてしまうツールになった。
その機器によって送られたものの考え方や見方を、それを見た人たちは自分の考えや見方として受け入れるようになった。
SNSもできるようになって、いつのまにか人々は、自分でシャボン玉のミラーモードに他人の映像を映すようになってしまった。もしくは、自分のミラーモードに映る映像を簡単に他人と共有できるようになった。
以前にもそういうことはあった。
宗教がそうだった。それがいつしか拝金教に変わったのは、何をするにもお金が必要なシステムを採用しているから。その拝金教が、テレビのCMなどを使って人々の欲望を煽り、ついには地球上を自分たちが住めないような環境にしていっている。
増えすぎた人口を減らす手立てが早急に必要になってきている。
欲望を制御できれば削減しなくても済むのだが。
なぜこんなことになったのか。
シャボン玉のミラーモードしか知らない人が多いのではないか?
「心を静かにしていると見えてくる真実」のクリアモードになるにはどうしたら良いのか。
SNSは便利なツールで、世の中にはクリアモードになれた人がかなりいることもわかった。
けれど、その人たちはクリアモードで悟っている分、自分の考えを人々のミラーモードに移植することはほとんどしない。
つまり、クリアモードになれない我欲の強い人が自分のミラーモードの色を移植し放題なのが現実とも言える。
私は諸悪の根源は、お金のシステムつまり拝金教なのではないかと思っている。
丸め込んだ者勝ちの世の中になってしまい、人々は欲望を掻き立てられて、クリアモードがあったことをますます忘れてしまう。
そして自分の世界「ミラーモード」に閉じこもってしまっている。
クリアモードになって、高い空から色とりどりのシャボン玉が浮かんでいるのを思い描こう。
みんなシャボン玉の内側だけをみて、他のシャボン玉に気が付かず、自分の悩みや楽しみや推しのことを写して生きている。そうこうしている間にシャボン玉を受け入れて生かしてくれているこの惑星が毒まみれになって死にかけているのに気がつかない。
これも私のミラーモードが映しているだけであれば良いのだけど。



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