https://youtu.be/Ytikv9IcIU4
これは前にブログかホームページに書いたものと思っていたのですが、探しても見当たらないので、もしかして自分的にはものすごい黒歴史だと思ってて、書けなかった話かもしれません。
中学2年の時に、黒白の仔猫を拾いました。拾ったのは友達で、その子の家では飼えないからと、引き取ったような気がします。
家に連れて帰ってきて、飼いたい飼いたいとねだって、一応飼うことになりました。
名前は当時織田信長が好きだったので、そのお嫁さんの「お濃」という名前に決めました。
お濃は、耳を痒がったので、近くの簡単な治療だけしてくれる獣医さんに診てもらったところ、耳ダニがいるとのことで、当時は耳ダニの治療は耳掃除を毎日するくらいしかなくて、なかなか治らず、耳の中は真っ黒でした。
その頃住んでいたのはマンションの一階で、もちろんペット不可でした。父の仕事の関係で、そのマンションの管理人をしていたので、管理人が猫をマンションで飼うのはいかがなものかということになり、お濃はマンションの外のテラスに猫小屋を置いて、そこで寝起きしてもらうことになってしまいました。
結局、無責任な放し飼いになってしまいました。
お濃が生後6ヶ月くらいになっていたある日、祖母が買い物から帰ってくるなり、「お濃死んでるで。」と言いました。
大急ぎで外に出てみると、マンションの隣の塾の前で、お濃は横たわっていました。
車にはねられたのか、よくわかりませんでした。鼻血が少し出ているだけでした。道路にオシッコが流れていました。
私はお濃を抱き上げ、泣きながら獣医の元に走りました。尻尾がぶらんぶらんして、子供ながらにもうダメだと思いながら、一縷の望みを持って走りました。
獣医さんは、泣いている私に、「瞳孔が開ききっているし、もう死んでいます。」と言いました。
私と妹は大泣きしつつ、お濃を猫小屋に寝かせてロウソクとお線香をあげました。
猫をまともに飼えない自分の不甲斐なさが腹立たしくて嫌でした。
それから大人になるにつれ、お濃は祖母にマンションの上から落とされたんじゃないかと、ふと思うようになりました。
祖母の「お濃死んでるで。」の言い方が、何か胡散臭い感じを持ってました。
塾の子達が、「あの猫どうなったかなぁ。」と話しながら歩いていた時に、目撃情報を問いただしておけばよかったのに、気の弱い私は聞けないまま、祖母に疑いを持ちました。
今まで飼ってきた猫は、メス猫の場合、ほとんど生後6ヶ月くらいになると、死んだりいなくなったりしてました。
小学1年生の頃に死んだ三毛猫は、祖母によると大きな猫が来て首を噛んで殺したと言ってましたが、そんなこと、未だに見たことがありません。
私はその三毛猫の死体を埋めた場所を何度も掘り返して、ウジがわいていても掘り返して、最後に近所の薬局屋のおばさんに叱られるまでやめませんでした。
それが1番目の猫で、そのあとは行方不明です。死なすと私が墓を掘り返すから捨てに行ってるのかな?と子供心に不信感を募らせていました。
高校生になり、避妊手術をすれば増えることもないし、さかりがついて大きな声で鳴いて歩くこともなくなると、「猫の飼い方」の本で知り、高校生の頃から飼い始めたフラウボウは、一回だけ子供を産んだあとは避妊手術をさせました。さすがに高校生の私を騙せないと思ったのか、お金は出してもらえました。
大好きな祖母でしたが、猫に関してはずっと疑惑を持っていました。おそらく、父も母も共犯だったと思っていました。
親に食べさせてもらっている不甲斐ない立場では、本当に無力で何もできませんでした。
でもよく考えると、その原因は私にありました。猫が成長したあとに色んな不具合が発生することは、全く頭になくて、世話もほとんどせず祖母任せにして、私は学校から帰って憂さ晴らしに猫と遊ぶだけ。
猫の数を増やすわけにはいかず、当時は手術をしてくれる動物病院もなくて、避妊手術の知識もなかった祖母たちは、増えてから捨てるのもできずに、そんな手段に出てしまったのではないだろうかと。
今思えば、猫の避妊去勢を格安で頑張ったりしているのも、お濃たちへの鎮魂なのかもしれないと思います。
それと、長い間の祖母に対しての疑惑の原因は自分だったのだと、今回、深く考えて思い至りました。
祖母は汚れ仕事をさせられていたんだと思います。
そんな人を作らないためにも、体が動く間は動物のために頑張るつもりです。
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