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2017/09/26

だんだんと感じる秋の気配

実際、秋の気配も感じますが…

人生の秋の気配が、そこはかとなく漂ってきております。

あれほど、猫の世話が大変だと嘆いていた私ですが、猫無しでは生きられないということに、つい最近気がついたのでした。

私はすごい寂しがり屋なのに、こんなに強気で生きているのは猫のおかげなんだと。子供の頃から猫がいたら寂しくない私だった…

「終活」ということを視野に入れて生きるとなると、猫をたくさん残して死ねないから、おばあさんになった頃には1匹もいないくらい、猫の数を減らしておかないといけない=これから仔猫を家に入れることは絶対にダメ=最後の老猫が死んでしまったら、独りぼっちで取り残された気分になること必至。(あー寂しい)

あぁ、そうだった。
飼い猫を実家に残して北陸に嫁に行ってたあの頃の孤独感。寂しかったよなぁー…

最後の方には松枝浜の海岸で拾ったチロルに孤独死から救ってもらったような私だった。

思い出した。

それでも、これでもかというほど、猫を前に捨てられて、忙しくて里親探しもできない地獄の中にいた頃は、猫がいなくなる日を指折り数えていた日もあったのに、いざ数が少なくなってくると、今度は「いなくなったら寂しいだろうな」と思い出すなんて、なんて人間の心は勝手なんだろうと、我ながら感心してしまってます。

おばあさんになってから、捨て猫をみつけてしまったら、心を鬼にしないといけないなとか、そんな事を考えただけで、早くどこかへ逃げてしまいたくなるのです。

いつかの夢でみた、おじいさんとおばあさんになったダンナと私が、海辺をのんびり散歩している姿、捨て猫の悩みから離れて、ゆったりして過ごす老後というものに、やはり憧れてしまいます。

もうそろそろ、私の人生は秋になってたんだと、夏が終わって気がついた次第です。

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