宗教とか信条って、わだちのようなもの
昨日、自転車に乗っていたら、道路の端っこのところが少し段になっていたのか、ハンドルが効きませんでした。
わだちにはまったみたいに、行きたい方向に進めなかったのです。
それで、その時ハッとして、「宗教とか信条って、わだちみたいなもんなんやな。」と思いました。
わだちに沿って進んで行く先は、自分が行きたいところなのだろうか?
先人たちや、頭の良い人たちが考えてくれた思想や信条や宗教の言う通りにするのは、私にはとても息苦しいのです。
わだちって、自分の足を上げてまたげばすぐに上がれるものなのだから、わだちから出て、自分の歩きたいところを歩けばいいのだろうな、そんなことを思いました。
« 着る服がない | トップページ | 条虫退治ばかりのおじさん »
「精神世界」カテゴリの記事
- 日本の女に生まれてよかったわぁ(2026.08.11)
- 運をいただきます(2026.07.13)
- 前世が大金持ちだったと思うなら(2026.05.12)
- 祖母は最後は滅私だったことを思い出した(2026.04.28)
- 妖精さんのイタズラと思いたい件(2026.04.09)


コメント