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2016年5月

2016/05/30

韓流ドラマの陪審員制度

日本にも裁判員制度ってあったけど、どうなったっけ?

もしも順番が来ても、予約がギッシリの私たちには無理よね〜と言っていた、あの裁判員制度。

この前、韓流ドラマを観ていたら、韓国でも陪審員制度があるらしい。

いつも小さな島のことや歴史問題でグズグズ言っている国同士なのに、政治や司法の構造が、とても似ているのは何でだろう?

アメリカ様にそうしろ!って命令されたんだろうか?

お互い、仲良くした方が絶対に得なのに、嫌韓嫌日の人たちがいたり、親韓親日の人たちがいたり、まぁ、それぞれなんだろうけど…

そうそう、陪審員制度の話だった。
ドラマでは国民の陪審員が、法的には救えない無実の人を救う設定だったけど、現実的には無理だろうなぁ。

弁護人にしろ検事にしろ、素人たちを、うまく誘導できた方の勝ちだと思うけど、進んで陪審員になりたがるのは「人を裁きたい人」だと思うし、仮にそんな人でない場合でも、気を強く持って被告人を庇うなんて、できっこなさそう。

それに、感情に任せて無実の人に、重い刑を課してしまったりする可能性だってあるよね。

何よりこわいのは、みんな法律には素人というところ。

これって、衆愚政治の司法版かも知れないな…と、ちょっとドラマを観ていて考えました。

ちなみにドラマは面白かったです。

2016/05/25

ゴラァと言われて

最近、自分でも「仏さんみたいになってきたな」と思っていた矢先、地元の駅近くの銀行の前で、50絡みのオジさんに、ゴラァと言われたんですよ、小さな声で。
「えっ?」と思って周りを見渡すと、私がオジさんの進行方向に立っていて、そんな所にいたのは、自転車置き場の空きを探していたんですよね。

ちょっと、「スンマソーン」とか言えば済む話なのに「ゴラァ」と言われて私も咄嗟にブチ切れました。

ダンナにも言われたことない口汚ない言葉を、なんでチビで禿げ散らかしてるアンタに言われなあかんの?」という気持ちになり、過ぎ去っていくオジさんに「死ねっ」と小さな声で罵ってしまいました。

あぁ、もうあのオジさんは死ぬかもしれないな…

些細なことだったのに、死ね死ね光線を送ってしまうなんて、ダンナが入院中なのに、イカンイカン…

私に猫の世話を押し付けて、前に私が鼻の手術をした時も、ほとんど手伝わなかったダンナは、今回、手術の後に大量の鼻血が出て、貧血でフラフラになって、術後の痛みと貧血の苦しみを同時に味わって、「バチあたったわー」と深く反省してました。あの時は、猫がたくさんいて、私は入院もできず、日帰り手術をしたんだった。

だから私に意地悪をしたらバチが当たるのにな、何にも知らないでゴラァなんか言うから。

世が世なら尻叩き10回は免れぬ、下手すると斬首ではないか。(前世の時ならね)

こんな小さなことでも心にトゲが生えてしまうから、そりゃぁ、この世から戦争は無くならないよ…

あのオジさんも、家に帰ったら犬を可愛がったり、近所の人に一肌脱いだりしているかもしれないのにな。

なんだかちょっと、振り出しに戻った気がした、5月の終わりです。

2016/05/22

ブログを読み返して思う「チャネリングしてるのか?」と

実際の私という人間は、韓流ドラマの俳優に惚れたり、仕事や家事を休んでサボりたい人だし、そんなに大したことないのに、いつもふと思いついて書くブログの内容は、なんだかとても高尚なんですよね。

twitterで呟いているのをみてもらったらわかると思います。

私のブログは、私のハイヤーセルフが書いているのかもしれないし、高いレベルの生命体の考えをチャネリングしてるのかもしれない。

そんなことを、たまに考えています。

ブログを書いていると、次々と書きたいことが浮かんできて、多少、文章の構成は考えますが、出来上がってみたら、自分が書いたとは思えないような内容だったりするのです。

確かに、いつも地球の心配をしているし、心のあり方を探しているのですが…

願いはただ1つ、地球を美しいまま残したい。

地球って、一人の女の人だと想定してみてください。
一部の子供達がやりたい放題して汚しても、こんなに辛抱強く待っていてくれている。
そのせいで、この頃病気になってきている地球。それでもまだ信じていてくれているとしたら…

そんなことさえ気がついていない子供達がほとんどであるというのに。

私のブログを読んだ若い人が、どうか受け継いで、地球のために自分のできることを、何か一つコツコツと続け、その人数が倍々に増えていってほしい。ただ、その気持ちだけで生きている気もします。

とにかく生き残っておババになって、光の方向に向かえるように、私はこれからも頑張りたいと思います。

2016/05/19

音姫を考えた人、good jobです

まだ若い頃、冬になると3回は長野県までバスでスキーをしに行っていた私。

トイレ休憩の時、ある変化を感じたのです。

トイレで小をする音を気にして、水を流しながらする人はいなかったのに、ある時から、徐々に、流しながらする人が増えていったんです。

大学を卒業する頃には、ほとんどの人が、オシッコをするあいだ、ずっとトイレのペダルを押し続けるという事態になってました。

「水、もったいないよね…」と思っていたけど、みんなが自分の音を隠すために水を流しているのに、うら若い自分が音を出すのも憚られ、ついつい流しながらする始末。

そんなことが10年近く続いたでしょうか?

久々に高速道路のサービスエリアのトイレに入ったら、「音姫」なる機器が、トイレの壁についており、ボタンを押すと、「ジャー」という音が。



最初は、音が小さい気がして、水を流しながらしてしまってましたが、最近では機器も進歩して、本物に近い音がなるので、安心して音姫を鳴らしながら、水を節約する私。

これを考えた人、good jobです。

音姫のおかげで、日本中のトイレの水が無駄遣いされずに済んでいます。

考えた人は誰なのかな?男の人?女の人?
とにかく、これができて、本当に良かったと、私は思っているのです。

トイレ用擬音装置

2016/05/14

カラスの行水

2年くらい前になりますか、犬の散歩の帰り道、家を遠くから眺めていると、三階の雨樋の水が溜まるところから、雨樋に流れずに外へ溢れ出たような茶色のシミを見つけたのです。

「雨樋が詰まってるのかな?」と思いつつ、どんどん月日が過ぎていき、半年くらいそのままにしてました。

三階は息子の部屋で、息子に確認するように言ってもなかなか確認しないし、「まぁ、いいか。」と思っていたところ、ある晴れた日に、息子が反射光がキラキラ光っているのを発見し、「もしかして水?」という懸念が生じて、背の高い脚立を購入し、確認をすることになったのです。

三階の息子の部屋の屋根部分は、一部平面になっていて、30㎝くらいの高さがあり、雨が降ると排水口から流れていく仕組みになっているのです。

最初は屋上みたいな感じで、「ここで青空見ながら昼寝できる〜」と喜んでいたのが、キラキラと波のような光が反射してるし、なんかカラスがいつも縁に座ってる…「なんか嫌な予感するな。」と言いつつ、脚立を立てて覗いてみたら。

そこはカラス様のプールになっていたのです。





どうしてそんなことになったのかと思って、排水口を調べると、ガムのボトルがキッチリと排水口にはまっており、水がほぼ完全に流れなくなっていたのです。
大雨が降ると、プールから溢れ出た水が、雨樋を通らずにピチャピチャと滴り落ちて、道理で雨の日は「シトシトピッチャン」と、普通より大きい音がしてたのです。

このまま放っておくと、天井が腐って息子の上に落ちていたかもしれない状況でした。雨漏りするまで放っておかなくて、あーよかった。

ガムのボトルがそんなところにあったのは、隣のマンションの窓から誰かが捨てたようでした。
中学生くらいの子供がいる家庭があり、少し非行に走っていたのか、当時、マンション側の下はゴミだらけでした。
タバコの吸い殻や、お菓子の袋やペットボトルなど。
おそらくは、その時に捨てたものの中にガムのボトルがあったようです。

お母さん、働きに行っていて、目が届かなかったのかな?

兎にも角にも、排水口の栓を発見して、すぐに抜いたのですが、すごい勢いで水が溢れて、隣の家にかかるし雨樋が壊れそうだしで、もう一度栓をして少しずらして、ゆっくり落ちるようにしたところ、無事にカラス様のプールは空になりました。

カラス様、がっかりしたかもしれないなぁ、ごめんね。

2016/05/11

便秘の話

次の用事を考えると引っ込んでいってしまう…
トイレに行ったのに、残念な思いで出てくる私。

アラフィフくらいになってくると、どうも腸の平滑筋が硬くなっているのではないかと思える感じで、食べ過ぎると堪えるようになってきてます。

特に、出るものが出ないと、一日中苦しむ羽目になるのですよね。

子育て専業主婦時代というのが私にもあって、それはワガママを言って三世代同居から離脱して、団地に住んでいた3年間ほどの間なのですが、その間、私は便秘と無縁でした。

高校生くらいから、便秘で悩んでいたのに、団地に住んでいた3年間は、全くと言っていいほどでした。

それで、よーく観察してみると、次の用事で気が急いているとか、人間関係のことでいつも頭が一杯とか、他の家族がトイレに来るかもしれないとソワソワするとか、そんな時に私は便秘だったのです。

それと、今はスマホをいじる人が多いですが、私もご多分にもれずいじりまわしており、これも、頭がリラックスできない一因に思います。

自分の時間があって、リラックスできていたら、便秘にならないということが、50年生きてきてわかりました。便秘で悩んでいる人が、自分の生活を見直して元気になれるヒントになるかもしれないと思い、書き残しておきます。

2016/05/07

清朝末期の支配層が前世なら

まぁ、妄想の類と思われても仕方がありませんが、前世は清朝末期の西太后だと思っています。

それで、ですね、前世では何を思っていたかというと、「今度生まれ変わったら、富や権力に振り回されない人生がよい。」と思ってました。たぶん…

たぶん…というのは、実際にタイムマシンに乗って確認したわけでもなく、これまでにみてきた夢や不思議な世界の記憶を顧みると、そういう場面があるので、「たぶんそうなんだろうな。」と思っているのです。

前世では、「では、何をするのが良いか?」とかいうことを、散歩したりしながら考えてました。

富や権力を持っていると、それを狙ったり当てにしてくる人が後をたたず、命まで狙われるし、護身のためのつまらない画策に人生の大切な時間を取られっぱなし。

癒しのために飼った犬は、数が増えるのを制御できなくて、増えっぱなし。

「もうイヤ!こんな生活!」と、思っていたのですよ、たぶん…(同、前述)

それで、今は富や権力に対する執着はほとんど無いのです。あっても重荷になるだけだとわかっているから。
でも、猫と住める家だけは確保したいとか、植木鉢に植えてある木を地植えにしたいという欲は、まだ持っています。(これがあるから現世とつながっていると、先日もブログに書きました)

前世で贅を尽くした暮らしをしていたので、現世で贅沢できる人を羨ましいとも思いません。
それなりに苦労があるのを知っているから。
それと、あまり欲しいと思いません。お墓に持っていけないから。(西太后は墓を暴かれて、みんな盗まれたんだとか)
ただ、切に切に、猫と植木が生き延びることが願いです。

生活の糧を得るために、何を仕事にしようかなと、考えていた記憶もありますが、「医者」だったのです。清朝末期なので当然、東洋医で鍼灸や漢方薬を扱う人になりたかったのです。あの時は鍼灸よりも漢方薬好きだったと思います。刺されるのが怖かったという気がします。

そして今は刺さない鍼の鍉鍼で一生やっていこうと思う人です。

大学の薬学科を志望していたけれど、犬の解剖をするのが嫌で国文科にしたし、その頃には肉を食べていて不思議能力もなくなっていたから、迷い道をクネクネしてしまいました。

最後にたどりついたのが、刺さない鍼の鍼灸師で、授業では東洋医学も学べて、死ぬ前に前世からの夢が叶って良かったなと思います。

前世からの記憶があるというスタンスで世の中をみてみると、世の中が俯瞰できて面白いというお話でした。


2016/05/06

体情報

情報というと、インターネット情報とかテレビ情報とか新聞や本の情報と思うのが普通だと思います。でも、私が一番重視しているのは、体情報です。

以前、「体に聞いて心を整える」という本を読みました。自分の心の動きと体の状態が連動しているということが書いてあったと思います。この内容は、私にはピタッときたので、取り入れました。

「今していることが、心的にどうなの?」と思うときには、体のどこかが緊張したり、痛くなったりしていないか、チェックするようにしています。

ずっとそんなことをしていたら、達人みたいになってきて、最近では、地球の動きと自分の体が連動しているかもしれないと思って、地震と体感の研究なんかやったりしています。

そんな私だから、人の噂、インターネット、新聞、テレビなどの情報も、決して鵜呑みにはしなくて、自分の体と心に聞いて判断しています。

ちょっと、普通の人とは違う、変なおばさんです。

魔女の宅急便で、森の奥に住んでいるカラスと友達のお姉さんがいたけれど、そっち系かなと思います。

でも、今の私は、体情報を無視して生きています。

体を労らないで、夜遅くまで起きているし。(韓流ドラマを観たいという心がブレーキをかけてくれません)
血をみると、全身の力が抜けてしまう子だったのに、手術を手伝っているので緊張して、手袋の中が汗でびっしょりになっているけれど、それを止めることができないし。

とにかく、私の体情報の結果は、人間社会のシステムが欲望とお金の上に成り立っているからダメなんだと、教えてくれています。

韓流ドラマも欲望なんだよね〜。

「欲望=生きること」だとも思うし、全部欲望を捨てたら、死ぬしかないかもしれないし。

心と体のバランスを上手くとるのって、難しいです。

けれど、「体情報」という選択肢があるということを、みんなに知っておいてもらいたいと思って、今日は書きました。

2016/05/03

なんでこーなるの?

猫が好きで、猫を助けたくて。

そうしたら、家が狭くなって、広い家が欲しくなって。

そうしたら、家のローンに追われるようになって、働かないといけなくなって。

そうしたら、古新聞で済ませていた猫のトイレが、猫砂にしないと掃除が間に合わなくなって。

家で料理が作る時間がなくなって、外食が増えて、その分をまた働いて。

最初は、猫を助けたいと思っただけだったのに。

答えは、二つあった。
人間が自然から離れているからというのと、何をするのもお金がかかるということ。

人は、自然から隔離されて輪の中を走っているハムスターと同じです。

2016/05/02

夜、明るいのがキライです

夜、明るいのがキライです。

大阪市内の街灯は、時代の流れとともに増え続けて、「暗闇」というものが、ほぼ皆無になりました。

おまけに、少し前までは蛍光灯の小さい街灯だったのが、高速道路のオレンジ色の背が高くて遠くまで照らすタイプに変わり、その他に、白くて強い光(LED?)を出すものが登場してきて、夜になって開ききった瞳孔に、何だかとても負担を感じるのは私だけでしょうか?

街灯が増えたのは、原発で発電した電気が夜余るからだとか聞いたことがあります。
正直、夜に余るような発電はしなくても良いのじゃないかと思う私です。

夜、犬の散歩をする時に、「サングラスをかけようかな?」とか冗談で言ってしまいます。

こんなに夜の光が嫌いになったのは、遅くまで韓流ドラマを観て、テレビの光をみているし、スマホの光もみているし、寝るのが明け方になっている現状なので、暗闇率が1日のうちでほとんどなくなっているから、私の脳のメラトニンを作るところが、「光、イヤやわ!」と言っているのかもしれないなどと、思ってしまう今日この頃です。

街路樹や、庭の木々も、夜明るいのが嫌だと思うのですが、お隣は門灯をつけっぱなしだし、うちの家の前には去年から防犯カメラと連動するLEDのライトがついて、夜中でも誰かが近づくとパッと光るので、申し訳なく思っています。
今年、ナニワイバラが1つしか咲かなかったのは、きっとそのせいだと思います。
仔猫さえ捨てられなかったら、カメラは付けなくていいのにな…

普通の人が、そろそろ寝ようかなと思う時間まで仕事をしないといけない私の環境が、悲しくなります。

いつか、夜ゆっくりと眠れて、こぼれるような星空をみられたら、いいな。そんな日々を過ごせたらいいな。
そんなことを考えています。

死んだら仏さん

祖母が亡くなった後は、祖母が生きていた時の気持ちを考えることが多く、祖母の味方的な私でした。

今度は母が亡くなって、母が生きていた時の気持ちを考えて、母の味方的になっているかもしれない。

そうしたら、最後に生き残っている父の圧倒的不利ではないかと、ふと思いました。

死んだもの勝ち。
死んだら仏さん。

こんな言葉が浮かびます。

生きている間に、あんなこと、こんなことがあって、あの時、こうなってああなって、運命の糸がもつれたよねーっ、でも、今なら何であの時あんなことしてしまったか、わかるよー、だから許す、みたいな。

死んでから許すというのは手遅れなのだから、生きている間に許して、仲良く生きていけばいいじゃないかと思います。

私は、割と生きているうちから許すタイプで、根に持たない方です。というか、忘れっぽいと言い換えることもできますが。

これは、家族の中で誰に似たのかわりません。祖母なのかな?

父は私をわりと可愛がってくれたから、私の中ではあまり悪者にならないので、得をしています。
それは、5歳で亡くなった兄が関係しているのですが、その話は、前にしたっけ?

話戻りますが、親しい関係の人が亡くなると、残された家族は、亡くなった人のことを、しょっちゅう考えて、許して、だんだんと忘れていくものなのですね。

そんなことがやっとわかってきた私です。

2016/05/01

月ではなく太陽になる

毎朝、仏壇にお水を供えて手を合わせる私。だけど、いつも疑問がつきまとうのです。
なぜ、私は手を合わせているのだろう?曼陀羅に向かって拝むことになんの意味があるのだろう?
先祖が成仏したら、この星は平和になるのだろうか?
人々を救おうとして宗教ができるけれど、すぐに悪用されて、政治や戦争に利用されてしまう。
これは、どうしてかな?と常々考えているのです。

そして、「人々が月」で「宗祖が太陽」みたいな関係になっているからなのではないかと、ふと思いました。

よく、スピリチュアル系の本には、「自分の中に神がいる」日月神示だと、「自分の中にゝがある」と言われていたりします。

これを見失っていると、自分の光に気がつかず、他所からの光に照らされて、その反射で光るという生き方になるのではないかと思います。

本当のところは、イエス様もお釈迦様も、自分が輝く光であることを教えたかったのに、人々が、宗祖を当てにして鏡のような存在であり続けるので、悪魔のような悪い存在に、宗教自体を政治や戦争に利用されてしまって、世の中ちっともよくならないのじゃないかな?と思うのです。

大勢の迷える子羊が、良い方向に大移動したら、この地球は、平和で美しい星になれるのに、そうしようと思って起こした宗教が悪用されて、悪い方向に大移動ばかりするので、戦争は無くならないし、政治も一部の人たちの良いようにされてしまって。

これをやめたいなと思ったら、どうすればいいのかなと考えました。

1、自分の光に気づく。
2、他人の意見は聞くけれど、惑わされない。
3、強欲を捨てる。
4、自分が月になっていないか、チェック。

全てのことにおいて、これをやっていれば、だんだんよくなっていきそうな気がします。

世界規模のことから、日本の政治や日常のこまごましたことまで。

2番の惑わされないというのは、テレビやインターネットや隣人の噂話に至るまで、適用されます。選挙権を簡単に放棄したり、頼まれるままに投票するようなこともしなくなると思います。

選挙権の問題は、優しくて誠実な人には難しい課題です。普段親しい人から頼まれると断りづらいし、嘘もつけなくて。
でも、私は、自分の選挙権を守るためには、少し嘘をついても仕方がないかなと、最近思います。
投票する人を指定して頼む方が悪いと思いますから。

3番の強欲を捨てるというのは、お金の話だけではなくて、無理をしてまで何かを助けようとしてしまうことなども含まれます。なぜかというと、現在のお金で全て動く世の中だと、結局は金銭的な欲望を持つようになってしまうからです。執着というのもこれに含まれるかもしれない。

それと、金銭的な欲望を、みんなが捨てたら、お金で動くシステムを壊せるかもしれないのです。

今の時代は、宗祖が人々を救うために作り出した宗教が、どうも悪用されているのではないか?と、私はふと思い、悪用されないためには、月ではなく太陽になる必要があると、そんな風に思い至りました。








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