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2016年4月

2016/04/26

花橘の香りがすごい

家の近所には、みかんの木が、なぜか沢山あるのです。

隣の家に八朔の木、近くの畑に柚子、夏みかんなど、数本植わっています。きっと畑の持ち主も、香りが好きなのかな?

うちにもあるのだけど、どれも植木鉢に植えてあって、金柑以外は花が咲いたり実をつけたことがないのですが、地植えのみかんの木々は、毎年今頃になると、たくさん花を咲かせて、盛大に良い匂いを漂わすのです。

今朝も、家の前で用事をしていたら、通りがかりのおばさんの一行に声をかけられて、ひとしきり、「ここら辺はなぜかみかんの木がたくさんある」件を説明していて、仕事に行く時間がギリギリになるという、アホなことになりました。

毎日そんな調子ですが、みかんの木のお陰で、私は全然知らない人とでも仲良く話ができているのです。

隣の八朔は、姪っ子が給食で食べた八朔が美味しかったからと、家に種を持ち帰り、空いていた植木鉢に植えておいたところ、芽が出て、ある程度大きくなった時に地植えにしてもらってから大きく成長し、今では私の身長の1.5倍は背が高く、水やり以外、何の世話もされていないのに、毎年たくさんの実をつけるのです。

その実が、小さいけれど、ずっと木になったままのせいか、とんでもなく甘く、「こんなおいしい八朔初めてやわ!」と驚いたくらいです。

古典の授業で、平安時代の文学の中には、「花橘」という言葉が出てきますが、昔の人もこの匂いを嗅いでたんだなぁ。そして、春を感じて恋をしたり歌を詠んたりしたんだなぁ。

人の世は変わっていくけれど、花の香りは変わらない。香りがタイムワープさせてくれたような気がする今日この頃です。

そうそう、昔、「家の庭に実の成る木を植えると縁起悪い」と誰かが言っているのを聞いたことがありますが、「八百屋の陰謀」だと思うのは私だけでしょうか…


2016/04/19

都会に自然を感じさせる猫の話

子供の頃、辺りを見回して様子を意識できるようになった時、とてもつまらない世界にガックリきてました。

多分、3歳を過ぎた頃から、この世界を意識するようになったと思うのですが、なんだか空気がどんよりとしていて、ドブから臭い匂いがするし、人々は自分と自分の家族のことだけ大切だし、「なんだかな。」という印象で、「やっぱり生まれてこなければ良かったな。」と思ったものでした。(生まれたくなかったんです)

家庭の事情で昼間は押し入れに寝かされていたから、曇りの日しか目を開けていられなくて、余計にどんよりした印象なのかもしれません。

そして、「大きくなるために食べないといけないから。」と言われて、たくさんの目玉のついた生き物が料理されて出てくる毎日。
一番大きい目玉は目玉焼き…一番小さいけどたくさんあるのはチリメンジャコ…
給食の牛乳も嫌でした。あんな白い色した口の中がネバネバになって変なにおいのする飲み物を、美味しいという周りの子供達が信じられない…

それでキュウリとご飯とマヨネーズだけをなるべく食べていた子供の頃。(マヨネーズに卵が入っていると知らずに)

早く病気になって死にたかったような気がします。

そんな私に、一条の光が差し込んだのは、自由に生きる野良猫の存在だったかもしれないなと、ふと思いました。

モフモフした毛並み、ピンとなった髭、素早い身のこなし、能ある猫は爪を隠している様子。

野良猫が自然を感じさせてくれたから、もう少し生きてみようという気持ちになったのだとしたら、私は、富山で生きるのが辛かった時にチロルと名付けた仔猫を拾い、生きる気力が湧いたのと同じことが、すでに3歳くらいで起こっていたのだということに気がつきました。

「猫を家で飼いたい。」という欲が出たために、この現世につながるきっかけになったと思います。

猫は、少ない自然とつながる何かを持っている気がします。

ただ、今の暮らしは、家の中での完全室内飼いで、猫を自然から切り離す暮らしをしているので、まあ、「恩を仇で返している状態」とも言えるわけで、「本当は昔みたいに自然に生きられるように、この世界を変えていかないといけないのになあ…」と、何もできていない自分が情けないです。

仕事も、猫の遺伝子を断ち切ることばかりやっているし。

そんな私なのに、毎日頬ずりをしてくれたり、私の履いているスリッパで爪を研いで甘える猫たちのために、少しでも長生きをして守ってあげたいと思うようになりました。

年をとって、最後に1人になってしまったらと思うと、今から恐々とします。私は猫のお陰でこの世に生き残れたのに、いなくなってしまったら、さぞかし寂しいのだろうなぁ。

母は晩年、飼い猫のチャチャを死なせて、立て続けにウサギのウサコも死なせてしまった後、とても悲しんでいたけれど、わかる気がします。

最後に少しだけ、私の家で同居した時に、元々部屋にいた猫のアマちゃんが最後まで母に寄り添ってくれたから、その点は羨ましいなと思います。

私も最後まで猫といられたらいいな。

そんなことを考えています。

蛇足ですが、中学生くらいになると、ハンバーグや焼き肉も食べるようになってしまい、霊感のような感覚の鋭さもなくなり、凡庸な時間を20年くらい続けた後、鼻づまりから逃れたいのと動物ボランティア をやっているのに肉を食べる矛盾から、また肉をなるべく口にしなくなりました。

40代で、ひどい貧血になって、医者から肉を食べるよう説得されましたが、ベジタリアンだからだと思っていた貧血は、子宮筋腫のための月経過多が原因だったとわかってからは、努力して食べていた肉をまただんだんと食べなくなりました。

話は逸れてしまいましたが、都会で生き辛い人が、猫のお陰で生きる気力が出るのは、猫が自然を感じさせてくれるからで、そんな人たちは、本当は、少しでも都会から自然がなくならないように何かしないといけなくて、ただ猫から野生を奪い、そばに置いて自然を感じているだけなのは、猫の生き血を啜っているのと同じことなんじゃないか?と、私は、そう思うのです。










2016/04/17

何でテレビを100%信じているの?

熊本に、祖母の親友がいて、家族もそこに住んでいるのです。
私自身はもう、お付き合いはしていないのだけれど、父は時折り連絡を取っているのを知っていたので、震度7の地震のニュースを知ったとき、真っ先に父に電話したけれど、「テレビで観てるけど大したことなさそうや。」と言って取り合ってくれなかったのです。

翌日には、「お前の言うた通りやー」と訂正の電話が入ったけれど…

私が言いたいのは、震度7とか、マグニチュード6超えているとか聞いただけで、「相当の被害が出るかもしれない」と予測できないとダメで、テレビでやってないからと言ってボーッと指をくわえているのは、バカじゃないですか?ということなのです。

私だったら、若い人たちだけでも落ち着くまで大阪に呼び寄せるのにな…

先日、NHKのブラタモリという番組を観ていたら、熊本が取り上げられていました。
火山の火砕流から出来た軽石の上に出来ている街で、そのお陰で地下水も豊富だとか言っていたので、「マグニチュード大きい=火山の連動を考慮する必要」ということを思いつかないといけないと思うのです。

あの時にみた熊本城が見納めになりそうなくらいに、強い余震が長く続いています。

織田信長は、「一を聞いて十を知る」と言われていたとか。
戦国時代なら、彼は稀な天才だったかもしれないですが、現代の私たちは、子供のときから教育を受けて、知りたいことは何でもインターネットで知ることができる先進国の住民です。
いつでも「一を聞いて十を知る」ことができる可能性を秘めているのです。

自分で何も考えずに、テレビの言うことを鵜呑みとか、選挙のときは誰かに頼まれたから投票するとか、そんなアホなことしてて大丈夫ですか?と私は思うのです。

とにかく、早く、少しでも安全な場所に、一旦逃げた方が良いと思うのは、私だけでしょうか。

役場の駐車場にブルーシート敷いて座らせていたらダメでしょう…

そんな事を考えています。









2016/04/11

子供は自走式に育てました

息子が小さい時、私はいつも質問攻めにあいました。

「あれはどうしてああなってるの?」的な質問を、次々にしてきました。

保育園では物知り博士の異名を持っていたそうです。(保育士さん談)

保育園とか小学校の頃までは、私も答えを教えていたら良かったのですが、だんだんと、本当にその答えで合っているかどうか、私も自信の持てない質問が増えてきました。

それで、自分で調べる方法を教えることにしました。
自分で調べて自分で考えるように仕向けたのです。
今ではインターネットがあるので、とても便利でした。

私が子供の頃は、まわりの大人に何か質問しても、「大人になったらわかる。」とか、「そんなことわからんでも生きていける。」といった返事で、子供の私はもどかしく、学校の図書館で借りてきた「なぜだろう?なぜかしら?」という本を読んだりしていました。

そういう事があったから、息子にはできるだけ何でも教えてあげようとしていましたが、中学生の頃に、教えた事が間違っていたことがあって、「お母さんの言う通りに信じてたら、赤っ恥かいたで。」などと言われるようになってしまい、「もうダメかな…」と思い、「自走式の子供」というコンセプトで育てることにしたのです。

結果なのですが、「生き字引」みたいな子になりました。

ただし、得意分野だけです。私と同じで数学がからっきしダメみたいです。
英語は、ネトゲ廃人になっていた時に、世界を相手にゲームをしていたとかで、何となく意味くらいはわかるらしいです。しゃべられたら良かったのになぁ。

自走式なので、学校にも行かなくなってしまい、自分の進みたいようにしか生きようとしないので、無難に大学まで行く安全な道を歩いてくれなくなりました。

元々、小さい時から、強制的なことをさせられたり叱られると、オネショをしたり、チックが出るような子だったので、正直、仕方がないような気もしました。

自分を振り返っても、模擬テストで、得意分野の理科は偏差値が高いのに英語は50以下だったし、きっと私の頭の遺伝かもしれないと、何となく諦めが早かったです。

もしも、自分の子が、何かを強制されるのをとても嫌って、学校にも行けないということで悩んでいる方がいたら、その子が興味を持って情熱を注げるのは何か、探ってみてもいいかなと思います。

早々に精神科に連れて行ってしまい、強い精神科の薬で変になる前に、一度試されると良いと思います。





2016/04/08

みどりばあちゃんの思い出

富山に住んでいた時に、80歳のおばあちゃんと同居していました。

「みどりばあちゃん」と、ひ孫たちから呼ばれていました。

彼女は若くして夫を亡くしました。家を守るために、夫の弟と再婚するという、今では考えられないような経験をしてきた人です。

弟であった、おじいちゃんも、私は少し一緒に過ごしたことがあって、過去を振り返りながら、話をしてくれたことがあります。
当時住んでいた北海道に好きな人がいて、結婚を申し込もうとしていたところに、急に実家に戻って兄の嫁と結婚するように言われて、仕方なく諦めて帰ってきたというようなことを言っていました。

そんな経過だから、最初から恋人気分で打ち解ける事もなかったかもしれないと、想像します。

みどりばあちゃんは、その後、商売に情熱を注ぎ、使用人の女の子に嫁入り道具をもたせて店を卒業させてあげたりして、情のある生き方をしたらしいです。

そのみどりばあちゃんが言っていたのですが、商売のコツを私に、たまに教えてくれることがありました。

曰く、「苦手だと思う相手には、さらに親切丁寧にすること。こちらが苦手だと思う相手は、向こうも苦手だと思っている。」
「商売をしていて値引きをせがまれることがあるけれど、ある一線を決めておいて、それ以下には絶対にしないこと。取引が決別したとしても、それは仕方がない。自分を投げ打って相手のいいなりになる事は、商売人が一番してはいけないこと。後で禍根を残すから。」
「相手に喜んでもらって自分も生かしてもらうのが、商売。」

そんなことを教えてくれました。

今、みどりばあちゃんの商売を、私が引き継いでいないことは心苦しいのですが、みどりばあちゃんの心は引き継いでいこうと思って頑張っています。

私は、明治大正のおばあちゃん二人に、色んなことを教わって、生き方もみられて幸せです。

昭和の最後の年に生まれた息子にも、折に触れて彼女たちの思い出話をしています。
少しでも、受け継がれていくように…

みどりばあちゃんは、マロンという老犬をとても可愛がっていました。
毎日マロンのごはんを手作りするのが生き甲斐でした。
旅行の時に、私が作り方を習って代理で作りました。
鍋に水を少しとキャベツの千切りを入れて、その上にごはんをのせて、その上に赤身の牛肉をのせて、フタをして弱火で鍋底がパチパチ音がするまで火にかける…
若かったから、今でも覚えています。

縁側で庭をみながら、何となく寂しそうにマロンと並んで座っている後ろ姿が、今でも思い出されます。

みどりばあちゃんが亡くなった時、マロンはお通夜の間、ずっとそばにいたようでした。
そして、しばらくしてマロンも亡くなりました。

今頃、天国で、みどりばあちゃんとマロンは、仲良く下界を見守っているのかな?

子孫たちが頑張って、心意気を継いでいけますように。

2016/04/04

猫は食客だったと思う話

太平洋戦争前までは、猫って「食客」的な扱いだったように思います。

蔵に隠してある米をネズミに食べられないように、警備員として、屋根を貸す形で共生していたんですよね。

猫は、概ね食べ物を自力で調達できるから、人間たちは適当にご飯に鰹節をまぶした「ねこまんま」を少し与えて、家に居着いてもらえるようにしていたんだと思います。

だから猫は自由で束縛を嫌い、冬の寒さからは守られて、人と共生してきましたが、戦後からだんだんと人間側の環境が様変わりして、どんどん自然から離れていくのにつれて、猫も自然から離れてしまい、今や狩りができる猫は、都会にはほとんどいないと思われます。

私が大学を卒業する頃までは、大阪市の外れはまだ田舎で、飼い猫のフラウボウは、毎日狩りをしていたのに。

だから、ほとんどフラウボウのフードを心配することも無かったし、トイレも草むらでしてくるから要らなかった。

でも、あれから30年経ってみると、野良猫でさえ、誰かに食べ物をもらわないと生きていけなくて、トイレにできる空き地もなくなって、「あぁ、昔が懐かしいなぁ。」と、思うのですよね。

猫が食客だった頃、テレビもスマホも無かったけど、幸せだったなぁ。

15年くらい前に、まだ田んぼを持っている農家のおばあちゃんが、「狩りのできる猫の里親になりたい。」と言ってきたことがありました。
長年警備員をしていた猫が高齢で亡くなり、新しい警備員を探しているとのことでした。
猫がいなくなった途端に、米蔵にネズミが住み着いて困っているとのこと。
早速、野良猫出身の若いメス猫を紹介したところ、猫の声を聞いた途端にネズミがいなくなったと喜んでもらえました。

こんな、のどかな話が聞けたのは、もしかしてあれが最後かもしれないと思う今日この頃。
あの時の猫さんも、老齢になって引退したのだろうか?
当時は放し飼いをされるのが嫌だと思っていたけれど、蔵付き庭付き田んぼ付きの家にもらわれて自由にさせてもらえるなんて、今思うと玉の輿だったかもしれない。

少しでもそんなのどかな風景が長く残ってもらいたいと、私は願っています。

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