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2016年3月

2016/03/26

淀屋橋のホームレスのおばあさんの事から考えたこと

あのおばあさんは、人が助けようとしても、拒んでしまうらしいという話を息子にしたら、「おばあさんは、ホームレスが好きでやっているかもしれないし。」と言われたので、はたと、そうかもしれないと、思ったのでした。

人からの布施だけで生きる究極の乞食(こつじき)。

外面からは想像もできないほど、心は幸せで満たされているのかもしれない。

私の幸せのモノサシに合わないからといって、おばあさんが不幸かどうかは判断できないかもしれない。

でも、逆に、「誰か助けてくれないかな。」と思っているかもしれない。

とにかく、「おばあさんが納得のいく、一番良い方向に向かいますように。」と、空に向かって祈っておくことにしました。

2016/03/25

淀屋橋のホームレスのおばあさん

大阪の地下鉄淀屋橋のエスカレーターを上がったところに、一人のおばあさんが寝転んでいます。

多分ホームレスになってしまったんだと思います。

大阪都構想でドンチャンやっている頃にもみかけました。
その時は何もできずに帰ってきて、後で後悔したのも束の間、すぐに忘れていたんです。

今日、また市役所に行く用事があって、そこを通りがかったら、寒いのにおばあさんが縮こまって寝ていました。

市役所で用事のついでに職員さんに尋ねたところ、何度かお巡りさんが来たりして、助けようとしたことがあったらしいのですが、おばあさんが動かないということでした。

「おばあさん、誰か待っているのかな?」
そんなことを考えました。

「用事を済ませた帰りに、おばあさんに少しだけお金を渡そう。」
そう思って財布を見たら、千円札しかなくて、「おばあさんが寝てたら風で飛びそうやな。」と思っていたところ、淀屋橋の橋のところにビックイシューを売っているおじさんがいたので、ビックイシューを買って、そのお釣りの650円を握りしめておばあさんのところに行きました。

「おばあちゃん、なんでそんなとこで寝てるのん?」と声をかけたら、おばあさんがハッとした顔をして、起き上がりました。

おばあさんの手に、小銭を握らせて、「これで何か買うてな。」と言いました。
それくらいしかできない後ろめたさで、私は急いで地下鉄の階段を下りました。

帰りの地下鉄に乗りながら、いろんな事を考えました。

「やっぱり、おばあさん、誰かを待っているのかな?」
「おばあちゃん、家に帰ろう。と言って誘ったら、そのまま連れて帰れるかな?。」
「犬猫と違って、人間を拾って帰るって、ハードル高いな。」
「連れて帰ったら怒られるやろうな。」
「"淀屋橋のおばあちゃん救出作戦"という名のクラウドファウンディングを立ち上げて資金集めたら、人も集まるかな?」
「あんな風になってしまうまでに、一体何が起こったんやろう?」
などなど。

それにしても、都構想の市民投票って、去年の春?その時からずっとあそこにいるのに、助けることができないなんて、日本の国ってどうなっているのだろう。

マザーテレサの「死に行く人々の家」だったっけ?そんな家でもいいからあったらいいのに…

そんなことを考えた、久々の外出でした。

2016/03/24

動物病院の値段が上がっている話

ここ数年のうちに、じわじわと、動物病院の値段設定が上がった気がします。

10年くらい前だったら、メス猫の避妊手術は18000円、オス猫の去勢手術は12000円で、追加料金は無いところが多かったのですが、最近、基本料金はそのままでも、血液検査やワクチンや入院代といった付加価値をつけて、全部でメス猫だったら3〜4万円みたいなことになっているらしいのです。

私は他の動物病院に行かないから、予約の電話受けの時に話を聞くだけなのですが、多頭飼育の場合、1匹目で挫折してしまっていたり、料金の安いオス猫だけ去勢して、メス猫はしないために、シーズン中は喧しくて不眠症になりそうだとか、そんな話を聞くのです。

「どうして料金がそんなに高くなっているのか?」と、ずっと考えていたのですが、もしかしてペット保険が普及してきたせいかなと、ふと思ったのです。

避妊去勢手術は、保険がきかないと思いますが、病気の場合は保険がききます。

この、病気で手術したりする場合の値段設定を高めにしておいた方が、得をするのではないかと思います。

どうせ、保険でおりるのだから、高くしておいた方が良いに決まってます。

保険に入っている人は良いのですが、入っていない人はどうなるかというと、高い料金を請求されます。
これに懲りて保険に入ったらどうですか?と勧誘して成功すれば、成功報酬も入るかもしれません。

保険に入っていなくても高い料金を払える人はペットに治療をしてあげることができますが、お金のない人は、諦めないといけないかもしれません。

そんなことが、最近、私の身近なところで起こっているようなのです。

多くの獣医さんは、獣医の数が増えてきて売上が頭打ちだったのが、世の中の動きの波に乗って、「保険でガッポリ」をみんなでやっているのではないか?

他の診療費が高い設定なのに避妊去勢手術だけ安いと、バランスが悪いというのもあるし、他の儲けより少ないとバカらしいというのもあるかもしれない。

うちみたいな、顧客が高齢者とか保険のことを知らない人たちがたくさん来る動物病院では、そんなガッポリができないし、そういう人たちを助ける意味でも、少しでも長く動物病院を続けていけたらな…そう思います。

(保険でガッポリができたら、楽なんだけどなぁ〜。でも、わかっててやったら、死んだ時に閻魔様の前で恥ずかしいしな…)以上、独り言。

こんな話からも、日本はこれからどうなるのだろう?と心配になります。
今、何も考えずに暮らしている若い人たちが、年をとってきた時に、「開けてビックリ玉手箱」となってしまうのでしょうか。

「こんな流れで生きていたくない人にとっての生き延びる道を、何か考えないとな。」
そんなことを考えています。



2016/03/22

すってんてんになりたくない話

会社の偉いさんが、仏教とかキリスト教の信者で、生き方の本を出したりしてることがありますよね。
本屋さんで、自己啓発本の棚に並んでいたりします。

一度、それに騙されたかな?という経験があります。
あれは、人を信用させるための罠だったかも?という話です。

社長は本当にいい人だったのに、性悪の社員が利用しているのかもしれないですが…

私の場合は銀行です。

一番偉い人が良いことを言っている本を出しているからと、まるっきり信用してしまったことがあります。

営業の人が借りて借りてというので、可哀想に思ったダンナが借りてあげたのです。
営業の人は、団体信用の保険のことを黙っていて、保険なしで借りてしまったのです。
あとで気がついて、入りたい旨申し出ましたが、「手続きが進んでいるのでダメ」と言われて泣き寝入りしました。

私は迂闊にも、借り入れの手続きをダンナ一人に任せてしまったのです。
普通だったら、ダンナの番犬である私は、横で目を光らせているのに…
ダンナにも本の事を言って信用させてしまったのでした。

前に取引していた信用組合とかだったら、必ず団信を勧めてくれていたので、安心しきっていて失敗しました。

その時の借入金を返すまでは、気が気ではありません。
家のローンは、保険に入っているから、ダンナに、もしものことがあっても大丈夫ですが、その銀行のローンが残っていたら、全額返済できない時は、家を売って返さないといけないと思うのです。
家は、猫たちがいるので売るわけにはいかないのが現状なので、このことを思い出すと、不安がよぎります。
家を残すために、私の貯金で返済したら、私はすってんてんになってしまいます。(涙)

まさか、家を狙って団信に入らせずに貸し付けたんじゃ?とか、邪推してしまいます。

数百万の返済が滞った途端に、数千万の家を取るとか、まさか銀行が狙ったりしないと思うのですが、最初に団信を勧めずにこっそりと事を進めたことの不信感が、そんな風に思ってしまうのです。

だいたい、父も、バブルの時に、銀行の営業の人が借りて借りてと頼むので、借金したくないのに可哀想に思って借りた挙句に、バブルがはじけて、とんでもない苦労をしたんだったっけ。

銀行の営業マンに同情なんかしたら命取りだという教訓が、活かされなかったのが残念です。

ブログを読んだ方は、活かしてほしいと思います。

2016/03/18

高岡の大工さんの思い出

富山県の高岡市に住んでいたことがあって、そこに小さい家を建てたことがあります。

一階は倉庫で、上の階に住居を作りました。

その時の大工さんが、とても素晴らしい方でした。

「手抜きをしない」がモットーで、柱に釘をガンガン打つなどはもっての外、ましてや釘打ち機などは論外でした。

木に亀裂が入らないように、まずドリルで穴を開けて、ネジで止めておられました。

その当時で60代くらいになっておられたから、今は80歳を超えているかもしれません。元気で生きておられたらいいのですが…
今となっては、会いに行くことも確かめることもできないので、思い出の中にいる人です。

大工さんは、60絡みなのに、とても澄んだ目をしていました。
そのキラキラした目で、「如何に木を大切に扱って、長持ちする家を作るか」ということを、見物していた私に、ポツポツと話をしながら仕事をしていました。

私も、なんで大工さんのところにいて、そんな話を聞いたのか、思い出せないのですが、当時小さかった息子に、大工さんの仕事を見せてあげたかったような気がします。実は私は、「男に生まれていたら、大工さんになりたかった」と思っていたのです。

そうそう、家がほぼ出来上がった頃に、階段に手すりを付けてほしいと頼んだので、後から来て作ってくれるのを横で見ていたんだっけ。多分、その時に聞いたのだと思います。

階段の手すりは、大工さんが柱に使うような材木を、ノコギリで切って、カンナで削って、とても立派なものが出来上がりました。
まるで神社仏閣のものみたいな無垢の木でできた手すりでした。

諸事情で、その家には少ししか住みませんでしたが、あの時の大工さんの気概を受け継いで行こうという気持ちで、ずっと生きてきました。

今は、猫の避妊去勢手術の手伝いをしていますが、手抜きをせずに、長生きができるようにと、工夫を重ねてやってます。

高岡時代には、もう一人、私に影響を与えたおばあちゃんがいますが、その話はまた今度。


2016/03/15

フィンランドの畑の鳥の話

だいぶ前にNHKの番組で、世界里山紀行という番組があって、「フィンランドの妖精と森」という回がありました。
その中で、畑を耕しているトラクターが、畑を丸く耕していて、真ん中を避けている場面があって、なぜかと思ってみていると、それは、鳥の卵を踏まないようにしていたということだったのです。

なぜ、鳥の卵を守っていたかというと、鳥がいなくなると、害虫が発生するという因果関係を知って、農薬を使うよりは鳥と共生した方がマシということで、フィンランドではそんな風に作物を育てていたのです。

あれをみて、スズメが畑にいるのは良いことだなと思ったのでした。

妹が飼っていたクマ吉のおじやを食べに来ていたスズメが、クマ吉が亡くなった後にもおねだりをして、私は困っていました。
私になつくスズメたちが、どんどん住むところを無くしていくことを危惧していたのですが、私に心を許したスズメは、世渡り上手になって、最近、「あちこちにスポンサーを持つようになったかも?」と思える風景をみるようになりました。

街猫ならぬ街スズメ。

先日、街の小さな畑の片隅に、小鳥の雨宿りができる餌台を設置しているのを発見しました。

もしかして、設置した人は、あのフィンランドの番組をみたのかもしれないと、私は思いました。

そんな風に、自然と共生したいと思う人の数が、1人でも増えたらいいなと、私は、そんなことを考えています。

同じように番組をみていた方で、ブログに書いてくださっているのを、みつけました。

タマラの世界

この方も、何だか同類かもしれない。私は嬉しくなりました。

2016/03/10

いつも後でわかる

若い時、花嫁に憧れていたけれど、いざ自分がそうなってみると、現実というものが身に染みてわかるということを経験しました。

大海に港から出て行く小舟のような気分でした。

晴れていた景色が、急に曇ってきて、気がつくと雨が降り出しそうな曇り空…そんな気分です。

中学生になった時にも感じた気分です。

それまで、自分の環境に満足も感謝もしたことがなかったけれど、実は恵まれていたんだなと思うことが、曇り空の日々には待っていました。

ゴミ袋を持って、家中のゴミ箱からゴミを集めている時、「大人って大変なんだな。」と思いました。
そんなこと、したことが無かった私。
家の雑用は全て祖母がやってくれていて、お弁当だって就職してからも作ってもらっていた私。
猫は可愛がるけれど、ごはんのことや掃除のことは、夏休み以外手伝ったことがなかった私。
洗濯物をたたむことだけ手伝ってました。私の部屋にベランダがあったから。

それが、「嫁」という立場になると、一気に「お手伝いさん」的な扱いになってしまったのですから、晴天の霹靂でした。

それは、大人の世界では普通だったけれど、中身は子供のままの私には、大変なことでした。

そういうこともわかっていて、祖母は、黙って「今のうちだけでも楽をさせてあげよう。」と思っていてくれていたんだな…そう思います。

祖母と妹と私しか家にいなかった時期、私は、「幸せな家庭」や「優しい父母」など、自分には手に入らないものに執着していて、自分が手にしていた「幸せ」に気がつきませんでした。

今から思うと、家事を全くせずに、出入り自由にして飼っている猫を、1匹だけ可愛がって抱いて寝る生活は、天国だったではないか?と思います。

きっと、嫁の時にも、その時なりの良いことは沢山あったはずで、不満の数を数えて生きていたから、幸せじゃなかったのかな?と思います。

婚家のおばあちゃんが、いつも「感謝して生きないとダメですよ。」と言っていました。
説教くさいし、不満だらけの私の耳には当時は入ってきませんでした。

でも、確かに、あの頃の私は感謝の心が足りなかったなと思います。

今も、「猫たちを閉じ込めて飼い殺しにしている。」と、辛い気持ちになることはありますが、逆に、「こんなに猫たちに慕われて幸せ。」と、思うようにした方がいいのかもしれません。
今いる猫たちには、感謝の気持ちを表して、謝罪ばかりしない方がいいのかもしれない。
これ以上増やさないようにはするけれど…

そんなことを、ふと思いました。

せっかく後悔ばかりして生きてきたのですから、それを生かして生きないと、と思います。

2016/03/09

良い羊飼いの話

普通の人たちを「羊」だと仮定したら、頭の良い人は、「羊飼い」ということになるのだと思います。

頭が良い人は、世の中の仕組みを若いうちから理解して、うまく波に乗って世渡りをしていけることと思います。

だから、良い大学を卒業して、国の機関に勤めたり、大企業に就職したり、起業したり、有名人になってテレビに出たり、色々、人の上に立つようになると思います。
少なくとも、人から「先生」と呼ばれる人は、羊飼いのカテゴリーに分類されると私は思います。

普通の人々は、世の中の仕組みもあまりわからないままに年を取り、時代の波に翻弄されることが多いように思います。

私もボケーッとこの年になるまで翻弄され続けていたのだと思います。

要するに、「羊」の人生。
お上の言うことを信じてついて行く、そんな人生。

頭が賢い人は、「良い羊飼い」になってほしいと思います。
最近になって、うすらぼんやりとわかってきたことは、この世に「良い羊飼い」があまりいないんじゃないのかな?ということなのです。

お金という縛りがあるし、楽をして生きたいし、難しいことは沢山あると思います。
上には上がいて、「良い羊飼い」になろうとしても、出る杭は打たれて、息をひそめないといけないかもしれません。

でも、頭の賢い人は、「悪い羊飼い」にはならないでほしいと思うのです。

それは、要するに「悪魔の使い」と同じ意味だと思います。
ただの羊飼いでも良いですが、良い羊飼いになろうと努力することに、人生の意義があり、楽をして悪い羊飼いを選択することは、イコール「悪魔に魂を売り渡す」結果になるのだと、私は思います。

今の日本は、お金という縛りで、魂を売り渡すことを、知らず知らずのうちに強要されているのではないかと、思えるのです。

悪魔に魂を売り渡さずに(悪い羊飼いにならずに)、普通の羊飼いだけれども、少しでも良い羊飼いを目指す。
これは、豆から発芽した芽が光の方に向いて伸びるように、人間の魂にとって、「光に向かうこと」であると、私は思います。



2016/03/08

人間に地球の代わりはできない話

壊れた自然の中で苦労する生き物を、何とか楽に暮らせるように保護をするけれど、結局飼い殺しになるということを、家の中だけで猫を飼っていると、嫌というほど思い知らされるのでした。

「人間は地球の代わりはできない。」
「壊れた自然を、これ以上壊さないようにするしかない。」
「人間も、自然に近づいて生きる道を模索したほうがいい。」

こんなことを、毎日考えています。

大自然の中では、猫のウンコやオシッコは大地に吸収されたり、バクテリアが分解したりして、土になってしまいます。
そしてそれを肥やしにして、また草が生えてということで、共生関係なんですよね。

これを人間が家の中だけで真似をすると、それはそれは大変なんです。

掃除が大変。
砂代が大変。
ストレスが大変。

大変だらけです。
1匹くらい飼っているだけではわからないのです。私みたいに20匹以上飼っていたら、すぐに気が付きます。

猫のことに限らず、現在では、人間が生活すると、全てのことにおいてゴミが出て、自然環境が破壊されてしまうのですよね。

それをなんとかしようとして、あれこれ便利なものを考え出すけれど、結局、嘘が雪だるま式に膨らんで収拾つかなくなるみたいになって、破壊ばかりが進む、人間の世界。

そう、今の人間の世界って、基本、「嘘」なんですよね。

土台から、「人間は万物の霊長」という勘違いとも言える「嘘」から始まっている。
人間なんて、心の美しい動物たちに比べたら、ちっとも偉くもなんともないと、私には思えます。

こんなことを言うと、動物に興味のない人からは馬鹿にされるし、犬や猫を助けたりしていると、幼稚に見えてしまうのかもしれませんが、だからこそ、難易度が高い学びなのだなと思ったりします。

そんな人間の中でも、何も気づかずに地球に迷惑をかけ、生き物たちを踏みにじって生きている人間よりは、生き物たちを助けようと苦しんでいる人間の方が、魂のレベルとしては上なんだろうなと思います。

そうは思いますが、お金が全ての世の中で、地球の真似事をするのにも限界があります。
もっと、根本的に何かを変えていかないと、ダメだなと思います。

対症療法ではなく、本当に治す治療法を探さないといけない時期が来ているように思います。


2016/03/06

首を曲げてスマホ

夫婦は「相克関係」と、いいますが、私からダンナに色々アドバイスすることを、ダンナはことごとく無視します。

前に私が使っていたiphoneを、ダンナが使うようになってから、ダンナの鼻は悪化の一途をたどっていたので、ひょっとして、iphoneをいじる時の姿勢が関係しているのかと思って、何度も「やめた方がいい」と言ってきたのですが、私の言うことは、なぜか聞いてもらえなかったのです。

iphoneを片手に持ち、首をギューっと曲げて、スマホのゲームをしたり、インターネットをみたりしているのですが、スマホの字が小さいから、近視のダンナは、眼鏡を外してスマホを目に近づけて、その姿勢でずっとスマホをいじっているのですから、異変が起きない方がおかしいというものです。

先日、Twitterで、頭と首に関するtweetが流れてきて、それによると、

「成人の頭と首の平均重量の和は5.98kg。正面を向いた直立姿勢でも頸椎には4~5kgほどの負荷がかかっているが、携帯電話の普及により不自然な前傾姿勢を強いられるようになった現代人においては、前傾15度で12kg、30度で18kg、45度で22kg、60度ではなんと27kgになる。」

ということだったので、早速ダンナにメッセージで教えてあげたところ、これだったら腑に落ちたらしく、少しはやめようと思っているみたいです。

こんなすごい重量がかかっていて、普通にリンパ液や血流が、流れるわけがないということを、ピンとこないのだったら、流石に「あとはもう知りません状態」になるところでした。

先日、「愛は祈りという意味がわかった」という記事を書きましたが、これは、90%くらいはダンナのことです。

相克関係である夫婦というものは、良かれと思って言うことも、口うるさく聞こえるものなのかもしれません。

スマホで首を曲げるのをやめたら、もしかして鼻茸も、自然治癒したりして…

そんなことを期待してしまう、最近の私です。

2016/03/04

まだ手放せない三つのこと

私たち夫婦も、だんだん年を取っていくから、将来のことを考えていかないとな…と思うようになってきました。

ダンナはひどいアレルギー性鼻炎で、鼻茸ができて息が苦しくて、最近、元気がありません。

私からスピリチュアル的にみると、自分の置かれた環境に息が詰まっているのを体が表現しているのかな?と思えたりもするのです。

それは、10年前の自分の姿を見るようでもあります。

今動いている動物病院のシステムは、3つのことを守るために、当分変えることは難しいのです。

それは、高額な医療費を払えない飼い主さんたちの診療が一つ目、野良猫や多頭飼育の方を助けることが二つ目、今いるスタッフの生活を守ってあげるのが三つ目。

いつかは、このどれかを諦めないといけない日が来ると思うのですが、今のところ、どれも諦められなくて、ヒイヒイ言いながら頑張っています。

死ぬときは、すべて手放さないといけませんけどね。

一つ目の、飼い主応援をやめられないのはダンナです。
二つ目の、野良猫や多頭飼育応援をやめられないのは、私です。
三つ目のスタッフを守るのは、二人ともです。

私の願いは、野良猫や多頭飼育と言えども、高額な料金を取る動物病院と遜色のないレベルの手術を、低価格でする獣医さんが増えることです。
そんな獣医さんが増えたら、私は安心してバトンをタッチできると思います。

けれども、動物病院に遺棄された猫たちを飼うために広い家が必要になり、建てた家のローンを、まだまだ払わないといけないから、バトンタッチしたくてもできない現状でもあります。

息子が、「家のローンは任せといて。」と言ってくれるようになったら、バトンタッチできるかな?

私の願いである、清潔で安全な避妊去勢手術は、世話をしている飼い主さんが、動物病院に各自、問い合わせをすることで、改善されていくと思います。

「野良猫だから」「低価格だから」と言って、高温高圧滅菌(オートクレーブ)をしないとか、副作用の可能性が高い糸を使うのを、私は我慢できません。

「私の老後のためにも、私が安心してあの世へ行けるためにも、みんなでそうしていってもらえないかな…」と、かすかな願いを猫の神様にお願いしておきたいと思います。







2016/03/03

シリウスをみて、少し思いついたこと

犬の散歩中に、「シリウスは冬の星座だから、もうすぐ会えなくなるなぁ…」と感慨にふけっていたのですが、よく考えたら、シリウスって、太陽から8光年離れたところにいつもいるんですよね。

そして、会えないわけは、“夏は昼間に出ているから”なんですよ。

地球人の欠けている視点はここだなと。

たまに、地球を出た宇宙飛行士や、臨死体験して魂が宇宙に出た人が、新しい視点を得て、地球から離れて見る視点で本を出したりしています。みな口を揃えて「地球を大切に」「地球に国境は無い」というようなことを言っています。これって、実際に体験しないと、なかなか難しいのかな?

例えば立体映像が見えるゴーグルが開発されているようですが、あれが普及して、宇宙空間に浮かぶスペースシップから、太陽や地球やその他の星座などを、本当に見ているみたいに体験できたら、多くの人が宇宙飛行士と気持ちを共有できるのではないかと思います。

正に、シリウスが冬しかみられないと思い込んでいる状態は、「重力に魂を引かれた者」という感じかな?と、思った次第です。

ゴーグルが無くても、今まで観てきたアニメや映画を参考に、地球から離れてどんどん遠ざかり、10円玉くらいの大きさの地球や、冬の星座も夏の星座もいっぺんに見えるところを想像してみるだけでも、何だかワンランク上の魂レベルになったような気がします。

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