文章教室
若い頃、朝日カルチャーセンターの「文章教室」という通信教育を受けていたことがありました。
新任教員だった頃の同僚で、定年退職後に講師として招かれていた数学の先生に誘われたのです。
(仮にS先生とします。)
新任教員で、心を打ち解けあえる同僚も少なかった私に、S先生は、「イチゴ狩りに行きませんか?」とか、「文章教室習いませんか?」と声をかけてくださっていました。
若い私が、孤独感から教師を投げ出さないように慮ってしてくれていたのかもしれません。
イチゴ狩りには、行けませんでした。
ゴールデンウイークで張り詰めていた気持ちが緩んだ途端に、熱を出して寝込んでしまったからなのです。
当時は、携帯電話も無くて、待ちぼうけになったS先生が、公衆電話から電話をしてきて、やっと行けない事を伝えられるような、そんなノンビリした時代でした。
イチゴ狩りに行けなかったので、次に何か誘われたら、絶対についていこうと思っていたら、次は「文章教室」のお誘いでした。
それも通信教育なので、別に一緒にどこかへ行くということもなく、コツコツと月に一回のペースで文章を書いては送るということを、やっていたのです。
結局一年で教師を辞めてしまった後も、しばらくは続けていました。
その時に、起承転結などの文章を作るコツを教わりました。
送り返されてきた文章には、丁寧に赤ペンで添削してあって、面白い表現などは褒めてくれました。褒められると嬉しくて、ボツボツとやっていました。
子育てに忙しくなって、やめてしまいましたが…
私が文章教室をやってみようと思ったのは、人が聞いたら笑うかもしれないですが、「子供の頃からの不思議な記憶を、いつか文章にして誰かに伝えたい。」と考えていたからです。
とりあえず国文科に行ったのも、そういう意図がありました。
「小説家」や「エッセイスト」にはなれませんでしたが、うまい具合にホームページやブログなどという便利なツールが出てきて、誰でも「エッセイストもどき」になれる時代が到来しました。
その記憶には、仲間を探す目的もあったような気がして、ずっと機会がある毎に、そのことをブログで発信しています。
不思議な記憶の中では、地球を見下ろしながら宇宙に浮かぶ私に、声が響き渡り、将来、世界中と瞬時に繋がれる道具が発明されることを教えてくれました。
子供の頃には、通信手段は電話と無線くらいしかありませんでしたが、今となっては、それはパソコンやスマホだったんだなぁと感慨深いです。
記憶では、今回の文明が最後のチャンスとのことでした。
地球人たちが宇宙的な視野を持てずに喧嘩したり、欲望に囚われて自分さえよければいいという生き方をしているので、「こんなにノンビリしてて、もう手遅れかも?」と心配になる今日この頃です。
何はともあれ、そんなことを発信できるように機会をくれた、S先生に感謝しています。
ありがとうございます。
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