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2016年2月

2016/02/29

民間の活力を生かすことは、公的機関を民営化することとは違う。

私は、以前から「民間の活力を活かす」ということは賛成でした。

例えば、自分たちがやっている、野良猫や多頭飼育の猫たちを不幸にしないために、避妊去勢手術を低価格で行うことが、その一例です。

一介の動物病院ですが、公的な活動でするよりも、数が多いです。

それは、公的な場合は、色々と規則があって、野良猫に餌をやっている人にとってハードルが高いということもあるようです。

可哀想な猫が外にいて、ついつい家の裏でご飯をあげたら居ついてしまったけれど、どうして良いかわからないという人が、自分で何とかできるように知識を広め、自分のしたことの結果に責任を持てるようにしてあげたかったです。

避妊去勢手術代が、数万円もするのでは、ほとんどの人が諦めて、何も行動しないと思います。
だからと言って、自治会を巻き込んだりするような行動力のある人は、とても少ないです。

外の猫に餌をあげていたら、誰かに怒られて、猫を家に連れて帰る人もいますが、これも手術料金が高いと、避妊去勢をしないまま、家の中で増えてしまって身動きが取れなくなります。

そんな人を助けたかったです。

私の民間の活力とは、こういうことであって、最近よく言われる民営化とは違います。

民営化って、元々みんなの税金で作ったものを、企業に格安で引き渡すことですよね。

民営化して民間の活力なんか生まれないと思います。

民営化で、公的な施設を買い取ろうと思うのは、高額な料金の動物病院と同じじゃないかと思うのです。

例えば、大阪市では水道を民営化しようとしているようです。

格安で大阪市の水道を買いに来る企業が、人々の安寧を願って買って出るでしょうか?
きっと、生活に欠かせないものを支配できるのだから、欲望に目がくらんでいる企業に決まっている気がします。

さすがに水道だけは、売らないでほしいと思います。

だから、私の「民間の活力」と、「公的機関の民営化」とは、ほぼ真逆な感じがします。

2016/02/25

文章教室

若い頃、朝日カルチャーセンターの「文章教室」という通信教育を受けていたことがありました。

新任教員だった頃の同僚で、定年退職後に講師として招かれていた数学の先生に誘われたのです。

(仮にS先生とします。)

新任教員で、心を打ち解けあえる同僚も少なかった私に、S先生は、「イチゴ狩りに行きませんか?」とか、「文章教室習いませんか?」と声をかけてくださっていました。

若い私が、孤独感から教師を投げ出さないように慮ってしてくれていたのかもしれません。

イチゴ狩りには、行けませんでした。
ゴールデンウイークで張り詰めていた気持ちが緩んだ途端に、熱を出して寝込んでしまったからなのです。
当時は、携帯電話も無くて、待ちぼうけになったS先生が、公衆電話から電話をしてきて、やっと行けない事を伝えられるような、そんなノンビリした時代でした。

イチゴ狩りに行けなかったので、次に何か誘われたら、絶対についていこうと思っていたら、次は「文章教室」のお誘いでした。

それも通信教育なので、別に一緒にどこかへ行くということもなく、コツコツと月に一回のペースで文章を書いては送るということを、やっていたのです。

結局一年で教師を辞めてしまった後も、しばらくは続けていました。

その時に、起承転結などの文章を作るコツを教わりました。

送り返されてきた文章には、丁寧に赤ペンで添削してあって、面白い表現などは褒めてくれました。褒められると嬉しくて、ボツボツとやっていました。
子育てに忙しくなって、やめてしまいましたが…

私が文章教室をやってみようと思ったのは、人が聞いたら笑うかもしれないですが、「子供の頃からの不思議な記憶を、いつか文章にして誰かに伝えたい。」と考えていたからです。
とりあえず国文科に行ったのも、そういう意図がありました。

「小説家」や「エッセイスト」にはなれませんでしたが、うまい具合にホームページやブログなどという便利なツールが出てきて、誰でも「エッセイストもどき」になれる時代が到来しました。

その記憶には、仲間を探す目的もあったような気がして、ずっと機会がある毎に、そのことをブログで発信しています。

不思議な記憶の中では、地球を見下ろしながら宇宙に浮かぶ私に、声が響き渡り、将来、世界中と瞬時に繋がれる道具が発明されることを教えてくれました。

子供の頃には、通信手段は電話と無線くらいしかありませんでしたが、今となっては、それはパソコンやスマホだったんだなぁと感慨深いです。

記憶では、今回の文明が最後のチャンスとのことでした。

地球人たちが宇宙的な視野を持てずに喧嘩したり、欲望に囚われて自分さえよければいいという生き方をしているので、「こんなにノンビリしてて、もう手遅れかも?」と心配になる今日この頃です。

何はともあれ、そんなことを発信できるように機会をくれた、S先生に感謝しています。

ありがとうございます。

2016/02/24

姪っ子のミトコンドリア

考えたら私は、男の子しか産まなかったから、私のミトコンドリア情報は、姪っ子にしか繋がっていないんですよね。

ミトコンドリアのDNAは、母系遺伝しかしないらしく、私は女の子を産まなかったので、私の母から来たミトコンドリア情報は寸止めになりました。

残るは私の妹が生んだ姪っ子だけなのです。

姪っ子が、女の子を産んでくれたら、また後世に引き継がれるのですが…

姪っ子は、どうも私に似ているところがあって、勝手に作った歌を口ずさんでいたりします。
その歌も、雰囲気がそっくりです。

だから、体を大切にして、良い人と巡り合って、元気な女の子を産んでくれたら、また私みたいな子が生まれるのにな…
そんなことを、徒然に思ってしまうわけなんです。

それが、体を大切どころか、私からみたらナンセンスなことばかりしています。

タバコを吸う(セシウムが!)
ヘソ出しルックをしていることがある(冷えますがな)
子宮頸がんワクチンを3回も受けたらしい(副作用あるらしいのに)→妹が連れて行ったらしい。アホか?

肉を食べたり、お菓子でお腹を膨らませたり、最近の若い人にありがちではありますが、子宮頸がんワクチンを3回も???

あの、不妊化ワクチンと噂されている、あのワクチンですよ。

あーあ。

タバコもやめてくれないし、なんだか期待薄な雰囲気です。

ワクチンやタバコの害を物ともせず、うまいこと、子孫を残してくれないかな…

そんなことを考えています。

2016/02/23

セクハラの担任

そういえば、思い出しました。

小学6年生の3学期に、私は転校したのです。
転校したクラスの担任の男の先生が、セクハラの担任だったことを。

どんなやり方かというと、名札を確認するふりをして、わざと名札を引っ張るのですが、その時、胸に触ります。

顎をつまんで顔を上に向けて、顔をジーッとみたりもしていたなぁ。

あれって、セクハラですよね?今更ですけど。

前の学校の担任の先生は、同年代の男の先生だったけど、家がお寺で、「お坊さん兼任」みたいな人だったし、セクハラとは無縁で、理科の実験をしょっ中してくれて教育熱心な先生だったので、そのギャップたるや、子供心に「えらいとこに来てしもたわ。」という感じでした。

転校先のクラスメイトの間では、様々な噂が飛び交っており、「若い女の先生とラブホテルから出てくるのを目撃した」だのという内容でした。
きっとセクハラ=エッチだと思われて、あらぬ噂も広がったのでしょう。

テストも、最初は緊張したのですが、少し仲良くなった友達が、「毎日の勉強」の問題がそのまま出るということを教えてくれて、その後、ほぼ100点を取れました。前の日に覚えた答えがそのままなんだから、当たり前ですよね。

私は転校して勉強が遅れていて必死だったから、テスト勉強も頑張ったので、テストで良い点を取ったのですが、他の子達はそんなに焦って勉強なんかしていなかったから、私が転校してきた当初、ボロボロだったのに、二週間くらいしたら高得点を連打するので、クラスメイトの中には快く思わない子達がいて、ある日、階段の1番上の屋上に上がる踊り場のようなところに呼び出されました。

今でいうイジメの始まりだったのかもしれません。

行ってみると、クラスのほとんどの子が集まっていて、私に「生意気」とかいうようなことを言うのです。

言っている子は数人で、あとは、自分がターゲットにならないために傍観者として集まっていたようです。

それで、私は、ここで舐められたら一生イジメにあいそうだと直感して、交感神経を研ぎ澄ませながら、言いました。

「毎日の勉強やってたら、100点取れるのに、なんで文句言うの?」
「私の両親は、この学校の斜め向かいのビルで働いてるけど、何かあったらすぐに呼びに行けるで。」などと、必死で思いつく限り、言いました。

私の様子を見て、「こんな口の達者な子はいじめるの無理。」と判断されたのかどうか、集会はお開きとなり、その後、何も言われなくなりました。

まぁ、とにかく、あの時の転校は、世間知らずな私には青天の霹靂みたいな出来事で、小学6年生がラブホテルの話とか、答えがわかっているテストで良い点を出すと怒られるとか、少し仲良くなったら、「お近づきの印に」と言ってプレゼントをくれたりして、ドロドロした世の中を垣間見た事件でした。

駅から5分と20分でこんなに違う世界が広がっているなんて、本当にびっくりしました。

それもこれも、担任の先生のヤル気がなかった原因もあるのかなぁ…と、そんなことを思い出しました。

チャカチャカ動く

10年くらい前、体が辛くて仕事も減らし、家で寝てばかりしていた時期には、洗濯物を干すのさえ、とても時間がかかり、大層なことでした。

洗濯物を、どの順番に並べて干したら、取り入れた時にサッとたためるか、なんとかシステム化したいと思うのに、なかなかそのアイデアも湧いてこず、「このままボケていくのだろうか?」と不安な日々でした。

今では、その洗濯物のシステム化も完了し、テキパキと時間短縮も実現しました。

ドラマ観たさに、全ての用事をチャカチャカ動いて早く済ませようとする私。

サイボーグ009の加速装置をカチャッと入れるみたいに、用事が始まるやいなや、私はチャカチャカ、チャカチャカ動くことにしているのです。

その時の掛け声というか、歌があって、「チャッチャカチャ、チャッチャカチャ、チャッチャカチャッチャカチャッチャカチャ。」を繰り返しながら動きます。
たまに、シューベルトの軍隊行進曲のメロディに乗せてチャッチャカチャを歌ったりしています。

そうして、加速装置を入れて動けるようになると、人の動きがノロノロとみえてくるのです。まるで、武術の達人みたいに…

普通に動いているダンナが亀に見えて困るというのが難点です。

「早よ、動きぃやー。」と、イラッときてしまうのですよね。

ダンナも早く鼻づまりを治して、加速装置をつけて動いてほしいなと思います。



2016/02/21

太陽の末裔

木内鶴彦さんの臨死体験の本の内容は、理屈を抜きにして、私にはしっくりくる内容です。

太陽系の惑星は、太陽が収縮する過程で、残った星間ガスが渦巻いて出来上がっていった説。

これ、しっくりきます。
つまり、中身は太陽と同じということで、収縮=出産のような感じもするし、太陽系の全ての存在が「太陽の一粒」ということになるので、私は気に入っています。

現代科学といっても、結局は多くに支持されている仮説なのだから、木内鶴彦さんの話だって仮説の一つと受け取れば、アリアリな話だと思うのですよね。

太陽収縮説からすると、私たち地球上の生き物も全て、元は太陽であったと言えるわけで、「父であり母である太陽」と思える点で、この説は気に入っています。

世界中に、太陽を擬人化した神様がいるのですが、男の神様だったり女の神様だったりして、私は、どうにも混乱していたのです。

日本の神話では天照大神で、女の神様ですよね。私は、これにも違和感があったのです。お日様に照らされていると、何だか「お父さん」的なイメージがして。

そんな時に、太陽収縮説は、「なーんだ、男も女もなかったのか。」というオチに落ち着くところがいいのです。

何の科学的根拠もないと言われる話かもしれませんが、そもそも、現代の天文学や歴史研究も、おおよそ推測の域を出ないものです。
本当のことは、タイムマシンにでも乗って、実際に見てみないとわからないことだと思います。

だから私的には、直感で全然OKなのです。

もしかしたら、この直感の方が、実は正確なアカシックレコードからの情報なのかもしれないと、私はそんなことを考えています。

2016/02/19

マルチーズのパーシーの話

これは知り合いから聞いた話。

昔、知り合いの知り合いで、雄のマルチーズを飼っている人がいたそうです。
その人は、そのマルチーズが可愛くないと言っていて、マルチーズは毛刈りもしてもらっていなくて、毛がもつれてボロボロだったそうです。

散歩も、自転車で引っ張って走らせるという感じだったそうです。
気に入らないと、足で蹴ったりすると言う話を聞いて、可哀想でたまらなくなり、夫婦で相談して、そのマルチーズをもらい受ける事にしたそうです。

マルチーズの名前はパーシーでした。

知り合いの家に来た時は、すでに三才くらいだということでした。

毛をきれいにしてあげて、散歩に連れて行きますと、引っ張る事もしなくて、とても従順で賢い子だったそうです。
「ここでトイレをしなさいよ。」と言うと、そこでしゃがんでするような子だったそうです。

そんなパーシーと21年も暮らしていたそうです。
いつも奥さんはパーシーと一緒で、寝る時も抱いて寝ていたそうです。

ある朝、夢見心地でパーシーを抱いて目が覚めた時、パーシーだと思って抱いていたのは、なんと半野良の猫さんで、パーシーがいなくなっていたそうです。

慌てて起きて、近所に聞いて回ると、「さっき一人で歩いて行ったよ、散歩かと思った。」という目撃者がいたそうです。猫の出入り口から出て行ったらしいのです。

抱いて寝ていた猫さんは、それまで一度も布団に入ってきた事がなかったのに、パーシーとすり替わって入っていたそうです。

保健所に届けて、近所中に聞いて回ったけれどもパーシーは見つかりませんでした。
誰かに保護されて、飼われたのかもしれないし、死にに行ったのかもしれない。とにかく忽然と消えてしまったそうです。

年齢にすると、すでに24才になっていたはずだそうです。

少し胸が痛くなり、少し不思議な気持ちになる話です。

私は、その話を聞いて、パーシーが半野良の猫さんに頼んで、布団に入ってもらったのかもしれないという気がしました。
「自分の死ぬところを見せて、奥さんを悲しませたくないから、おまえさん、ちょっとここへ入って身代わりになってくれないかね。」と。

いつか、奥さんが人生を終わる時には、きっと迎えに来てくれそうな、「マルチーズのパーシー」の話でした。

2016/02/16

言葉で表現しようとすると毒になる

人間って、自分の話は聞いてもらいたいけれど、他人の話は毒だと思っていたりするのかな?心の奥深くで。

若い時は、何も考えずに、人の愚痴も聞いたし、自分の愚痴も言ったりしていたけれど、この年になってくると、愚痴って毒かもしれないと思うようになってきました。

愚痴だけではなくて、話をする、そのこと自体が毒なのではないかと思えるのですよね。

テレパシーで、心の中をそのまま伝えられたら、毒にはならないのだと思います。「言葉の制約」の中で、思っていることを表現しようとすると、何とは無しに毒が混じるような気がする、今日この頃です。

そんなことを思うのは、ダンナや息子は、私に話を聞いてもらいたがりますが、「それでは次、私の番だから。」と思って話し出すと、ダンナは右の耳から左の耳で、息子は「アカン、毒入ってくるからやめて。」みたいなことになるので、言いたいことが伝わらず、たまに「今日は聞いてくれるなぁー。」と思っていたら、何か買って欲しいものがあったり、私の機嫌を取らないといけない事情のある時なんですよね。

色んな場面で、他の人たちとも、間を取り持とうとして気を使って話をする時もあるけれど、それが毒になるのであれば、そんなことはしないほうがいいなぁ…

うちの家族たちは特別デリケートで、少しの毒も感知するから、 私も毒を感知するようになって、「あ、今、毒が出たかも。」と止めるようになりました。

こんな風にして、だんだんと人はものを言わなくなり、年老いて仏さんに近づくのだろうか?そういえば、祖母が死ぬ前も、母が死ぬ前も、無口になってたよねぇ。疲れたり、病気のせいかと思っていたけど?

みんな自分のことを他の人にわかってもらいたいと思っている。
わかってもらいたいけれど、意見されるのは嫌だと思っている。
ただ聞いてくれる相手がいい。

ただ、聞いてくれる相手とは、つまりカウンセラーのような相手を、人は求めているのかもしれない。

それで人々は、ものを言わない仏像や十字架のイエス様に話しかけるのでしょうか?

「会話って、めんどくさいなぁ。テレパシーがあったら、どんなに楽かな。」と、最近そんなことを考えています。

2016/02/11

境界性パーソナリティ障害と正しいバチの当て方

先日、境界性人格障害のことを書いたブログ記事をみました。

「境界性パーソナリティ障害って何?」と思って読み進めるうちに、「そんな人、なんぼでもおるでぇー?」と思ったのです。

その特徴は、相手に一方的に耽溺して、機会をみて仲良くなり、そのうち相手の友人知人とも仲良くなりますが、相手が自分に冷たい態度をとったとか、裏切られたとか思った途端に、手のひら返しで復讐を始めるという特徴があるそうです。

復讐の仕方がとても知能犯で、相手の友人知人には自分を「良い人」と思わせておいて、復讐の相手が悪者になるように仕向けるそうです。

若い時、自分もしたことがあるし、自分もされたことがあるような気がするよ?

韓流ドラマの復讐劇なんか、まんま、これかもしれないし。

でも、よく読み進めると、その程度がひどいようです。

普通の人が復讐の鬼になるとしたら、堪忍袋の緒を何度も切られるくらいでないと、なかなか身を切るような復讐などはできないものですが、境界性パーソナリティ障害の人の閾値はとても低くて、すぐに「復讐開始」のハードルを超えてしまうようです。

私のブログの検索ワードのトップは、「正しいバチの当て方」なので、自分が「境界性パーソナリティ障害」のレッテルを貼られないように、復讐なんかに人生の時間を取られずに、自分の人生を楽しんで生きる方法を、みんなに知ってもらいたいと思います。

そして、現実には、復讐する人が一方的に悪いということでもなく、お互いにやり合っていることも多いものです。

復讐の仕合いで、お互いに疲れ果てて消耗する前に、サッと離れたほうが良いかもしれないし、修正がきくのなら、話し合ってルールを決めたりするのも良いと思います。

結婚していて子供がいたり、経済的に離れられない時に、こんな心理的な泥仕合を繰り返すと、今度は子供のパーソナリティが障害されてしまいますから。

相手が間違っているのを証明するかのように、自分の正しさを探し回る「自分が正しい病」になって、体がコリコリにならないためにも、つまらない復讐に人生を注ぎ込まず、有益なことに時間を使えるように、苦しんでいる人に読んでもらいたいです。






血虚瘀血と気滞瘀血

今となっては色々と自分の過去の体調に、「あー、あれはあれやったんやなぁ〜」と気づくことがあります。

私は若い頃は気滞瘀血だったと思います。
ストレスから気の流れが悪くなるタイプの瘀血。

緊張すると、血管が収縮して血液が順調に流れなくなるパターンだと思います。

気滞の時は、太極拳の準備体操的なスワイショウをすると、付随する様々な症状が緩和されました。

気滞の時、体は自然に溜め息をつかせます。よく、「仕事中に溜め息をつくな」と言う人がいますが、これは間違っています。溜め息は、滞った気を流そうとする体の作用で、これを止めると、本格的に気滞という状態に突入していきます。

若い時、慣れない動物病院の仕事の手伝いで、溜め息をついた時、ダンナが悪気なく「溜め息ついたらアカンのに〜」と言いました。
それ以来、私は溜め息を我慢するようになりましたが、その後、鼻づまりから歯痛で上顎洞の手術になるわ、腰痛がひどくて銭湯で真っ青になって倒れそうになるわ、大変でした。
「溜め息をついておけばよかったのにな…」と今は思うし、たまに思い出してはダンナに、「あの時、溜め息、させてもらえなかったよねぇー」と言ってやります。

今、ダンナが鼻づまりで苦しんでいるのは、溜め息を我慢しているからかもしれないと、今気づきました。教えてあげよう…

その後、私は仕事の量を減らしましたが、その頃から、今度は子宮筋腫が原因の月経過多になっていきました。

気滞瘀血の頃は、生理痛が尋常ではなく、お腹に石が詰まっている感じがしたり、熱が出たりしていましたが、月経過多で貧血がひどくなってくると、なぜか生理痛は軽減していきました。ただ、貧血のために少し用事をすると息がきれて仕方がありませんでした。

少し動くと休むようになり、そうすると足腰が弱るという連鎖に入りました。

これは、鍼灸の学校で、血虚瘀血の状態であると知りました。
血液が不足するあまり、全身に気が届かない状態だったのでした。

そんな時に、また動物病院を本格的に手伝わないといけない状況になり、認知症の母の面倒もみて、家の25匹くらいいる猫の世話もして…と、フル稼働になり、「あと一回、生理になったら死ぬかもしれない」と本気で思った途端に、生理が止まりました。

月経過多が終わったら、私はどんどん元気になり、まだ時々調子が悪かった鼻づまりも治ってしまい、足腰も丈夫になり、今に至ります。

容貌はすっかりおばあちゃんみたいになってしまいましたが、概ね元気です。

あと、就寝時間を早くして、睡眠時間を多くとれば、もっと若返ると思います。一昨年の冬にマンションオーナーの猫たちを引き取ってから、諸事情で出来ないのが辛いところです。
そのうち、良いアイデアがわくのを待つとしましょう。

2016/02/05

家族を犠牲にする話

誰かをどうしても助けたい時に、家族を犠牲にするのは致し方ないと考える人は、どれくらいいるだろうか?

この考え方は間違っていると思う人は、どれくらいいるだろうか?

「家族の犠牲」というのは、例えば、仕事中毒の父親のいる家庭。ボランティアに忙しい母親のいる家庭。他にもいろんなパターンがあるけれど、何かを助けることは善行なのに、そのために犠牲になっている家族がいる場合の話です。

自分が犠牲になって育った場合、自分が成長して大人になった時、形を変えて自分の子供を犠牲にしてしまうことがあります。
これをチェーン現象というらしいです。

ドラマでもよくあるような、妻子のある男性が可哀想な女の人を助けようとして不倫関係に…などなど。この場合は、妻子が犠牲となります。

アルコール依存性の人の家族が犠牲になる話は、有名ですが、「え?こんなことも?」というケースが世の中にはたくさんあるのです。

私も、育った家庭で、「犠牲になっていたよね。」と思えることがあって、「自分の子供だけは犠牲にすまい。」と思っていたにもかかわらず、気がつくと家が猫だらけで、息子は友達も呼べず、すっかり犠牲になりました。

形を変えて、チェーン現象は、やってくるのです。

私は職場に捨てられた猫を助けるために、息子を犠牲にしてしまったのでした。

それも、初めは、仔猫可愛さに喜んでいたのです。けれど、1年で15匹のペースで増えていって、数年で50匹を超えてしまったのでした。

慌てて監視カメラを設置しましたが、すでに家にいる猫たちの里親探しは、情がわいたり、仕事と掃除に忙殺されてできないまま、超過密状態で猫たちを飼い殺しにするようなことになりました。

本当に、一生の不覚だと思います。

今はサバイバルで生き残った長老猫たちのストレスを少しでも和らげてあげたいと思っています。

こんな暮らし方をしてきたから、自然と調和しない生き方が、どれほど間違っているかということは、確かに身にしみましたが、家族には迷惑をかけたなと、反省しています。

ダンナも共犯で、やはりダンナの育った家は、お父さんが、可哀想な人や、犬猫を助けようとして、家に連れて帰ってくる人だったようです。連れてきた人や犬猫の世話は、自分はせずに、ダンナのお母さんに丸投げされていたということです。

2人でやらかしたな…というのが、今となってはわかります。

「良いことをやっているのだから、家族が犠牲になるのは仕方がない。」と、もしも自分が考えてしまうのであれば、自分の育った環境を精査してみる必要があると思います。

なるべく、家族や周りの人たちに迷惑をかけないようにしながら、良いことをコツコツしていく「バランス感覚」が大切だなぁと思う、今日この頃です。




2016/02/04

植物は夜明けを待ちわびている。

私は、植物は南向きが良いと思っていたけれど、みんな東に向かって伸びていくんですよ。

以前、南向きに前栽がある家に住んでいた時、植木も花も、みんな東に向かって伸びていくのをみて、「次に住む家は東向きに前栽があるようにしようかな。」と思ったのですが、いざ東向きに植木鉢を置いてみると、一定方向に向かってみんな枝を伸ばすのです。

その方向は東南なのですが、しばらくして、その意味がわかりました。

家の東側は、道をはさんで二階建ての家が建っていて、朝日が当たらないのです。

それで、植物たちは、少しでも早く朝日に当たりたくて、枝を家の建っていない方向に向けていたのでした。

「せっかく東向きの家を買ったのに、アホなことをしたなぁ。」と、今は思います。

「どうせなら、屋上庭園を作れるような造りにしておけばよかったな…」と思ったりして。

そうすれば、ひょっとして、猫たちも日向ぼっこし放題だったかもしれないし。
まぁ、そんな家を建てる経済力が伴いませんが。(笑)

とにかく植物は、朝日を待ちわびていて、それは、人間が、お腹が空いたと思っている時みたいな気分なのかもしれないと、そんなことを考えています。





2016/02/02

息子が言った話から

もしも、コンピューターがとても精巧で人間よりも賢くなったら…という話を息子が言い出しました。

息子が言うには、最終的に、人間はこの世界から不要となり、完璧にプログラムされたロボットの世界になるかもな、と。

「それって、アナスタシアが1番嫌がっている世界の話だわー。」と私は思いました。

「天空の城ラピュタ」という映画の中に、ラピュタに住む小鳥や花を世話する優しいロボットがいました。

ある意味、今地球に住んで、環境を破壊している人間よりも、地球にとっては良い存在だと思います。

けれど、人間は、地球の世話をすると同時に、感情を味わったり、感動したり、助け合ったり、そういうことをするために存在するのではないかと思うのですよね。

人間とは、神様が地球を味わうために作った存在で、人間の奥底には、目には見えないけれど太陽のように輝く星(神の一粒)が入っていると。

確かに、I.QもE.Qも低すぎる人間が溢れかえっていて、「神の一粒」なんて入っていることも忘れて地球に害を及ぼしているから、そういう人間たちよりは、キッチリとプログラミングされたロボットの方がマシという気もしますが、そんな世界になってしまったら、神様がこの世界を味わうことはできなくなるのではないかと思った次第です。

「グランドファーザー」という異名を持つネイティヴアメリカンの長老は、山を歩きながら雑草やつる草を切り離して、山の自然を保全する歩き方を極めていたと本で読みました。

そんな生き方をしている人間は、少なくとも日本には数人もいないかもしれない。世界中でも1000人もいるかどうか?

けれど本当は、そんな生き方を選ぶ方が、良いのだと思えます。
私が普段着でエベレストに登るくらい難しい選択肢に思えますが…

ロボットに神の一粒が入るのなら話は別ですが、入るようには思えません。
ロボットは人間が作ったものだから。
周りを見渡しても、人間が作ったもので、自然と共存する素晴らしいものなんて、存在していないと思えるから。
全て、大自然を破壊した結果にできたものだから。

毎日、猫の手術を手伝いながら、「こんなんロボットみたいやわー、泳げ!たいやき君やわー」とボヤく低次の私と、「傷が早く治るように、心を込めてヒーリングしながらやろう」と思う高次の私。

ロボットは、低次の私に近いのではないか?
ヒーリングをできるロボットが想像できません。
できるかもしれないけど?
それほど、人間の技術は神に近づけるでしょうか?
これも、神様が仕組んだ遊びなのでしょうか?

そんなことを考えています。

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