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2015年11月

2015/11/29

テレクラの話

まだ20代後半くらいの頃だったと思いますが、前の夫と別居状態になっていた時期がありました。

結局、色々と努力したのですが、最終的には離婚になりました。

そんな、別居中の頃の話。

当時はテレクラ(テレホンクラブ)が流行っていて、男性がテレクラで電話がかかるのを待ち、話し相手を探している女性がそこへ電話をかけるというのがあったのです。
今ではスマホでインターネットができるから、そういうので話し相手が見つかりやすいと思いますが、20年前の田舎では、そんなことは不倫でもしない限り無理なことのように思えました。

親たちの住む大阪から遠く離れて、夫とも別居して、小さい子供と二人だけで団地の片隅に暮らしていた頃、私は孤独で孤独でたまりませんでした。

電話で話をするといっても大阪の家族だけですし、不倫なんかする勇気も気力もありませんでした。自分は子供の母親なんだという気持ちが、ブレーキをかけてくれたのかもしれません。

そんな時に、街角でもらったポケットティッシュに、テレクラの電話番号があったのでした。

「ちょっと、かけてみようかな?」と思いましたが、やっぱりやめました。

かけた瞬間に、今まで積み上げてきた魂のレベルが地に落ちて、一からやり直しになりそうな気がしたのです。

あの頃の私は今みたいにスピリチュアルな人でもなかったのに、何となく、そう思いました。

それは、悲しくて悲しくてたまらない瞬間に、一瞬心の中にみえたシリウスのような光のせいだったのかもしれません。

あの時の光は何だったのだろう?

あれは、私の中にある魂の光だったのではないだろうか?
普通はオーラとなって、体からはみ出して輝いている光が、あそこまで小さく萎縮していたんだろうか?

あの時に、微かに光っていなければ、今頃は生きていないかもしれないなと思います。

話は飛びますが、私は離婚の後、カウンセリングに通っていた頃に、自分が棺桶に入っている夢をみました。
棺桶に入っている自分を、赤ちゃんの自分をおんぶしながら見つめている夢です。

夢の中に自分が三人いるという、不思議な夢でした。

その夢をみた後から、自分の心の中の光がどんどん大きくなり、体からはみ出していくような感覚を味わいました。

新しく生まれ変わったような気がしました。

今思えば、テレクラに手を出そうとしていた頃、私の魂は死にかかっていて、離婚の後、カウンセリングを受けて、生まれ変わったのかもしれません。

これは、スピリチュアルの何かの本に、「生きながらの転生」というのがあると書いてあったので、あれのことかな?と私はそう思っています。

横道にそれましたが、寂しいからといって、安易に堕落しなくてよかったなというお話でした。

2015/11/28

心が静かになると鏡になる。

心が静かになると鏡になり、星が映って宇宙とひとつになる。

先日、ふとこんなことを思いました。

そういえば、月って鏡みたいだなぁ。太陽の光を映す鏡。

人の心も、昼間、忙しく働いている時は、心は太陽みたいに輝いていて、夜、静かになると月みたいな鏡になるのかなぁ。

そうすると、人の心って太陽と月が一緒に存在しているみたいなものなのかもしれない。

夜はなるべく心を静かにして、太陽はお休みして月になるといいのだな…

そんなことを考えています。

2015/11/23

自己責任論

私の言う自己責任とは、「自分の選択を人のせいにしない。」ということであり、新自由主義の人たちが言う、「福祉切り捨て」のことではありません。

いつも何か事があると、自分の選択の結果だということを認めたくない人がいて、誰かのせいにしたがる人が多いですが、この生き方だと、ジリ貧が待っていると思うのです。
それで、私は自己責任で生きるのが大切だと思っているのですが、同じようでいて正反対の自己責任論を唱える人たちがいます。
それは、新自由主義の人たちです。

新自由主義の考え方は、弱肉強食の世界を是としていて、能力の劣るものは切り捨てられても当たり前で、それは自己責任なのだと言います。
何事もコストが大切で、コスト削減命。

そんな新自由主義の世の中で、いつも人のせいにしてジリ貧の人が、自己責任の名において、福祉を切り捨てられたら…

新自由主義が好きな人たちは勝ち組で、負け組の人の気持ちなんか考えてくれません。
負け組は勝ち組の奴隷として安月給で働き、老後は爪に火を灯して暮らし、病気になったら、手術や保険のきかない薬で財産を没収してから、早めに死んでもらおうと思っているかもしれません。

そんなことに気がつかず、死ぬまで騙され続けて生きる善良な人たちがかわいそう…
私はそう思っているのです。
勝ち組の人たちは頭が良いから、負け組の人たちを丸め込むのは容易いでしょう。
テレビで流せばよいのです。

自分の番が来た時に、初めて気がつく仕組みですが、番が来た時には手遅れなのです。

空に豊かな人たちがのっているお盆があると想像したとすると、その縁からこぼれ落ちるのが、負け組の人たち。必死で縁をつかんでブラ下がる人たちは、自分よりも弱い人を蹴落とそうとするでしょう。蹴落とされた下には負け組の世界が広がっているのでしょう。それが新自由主義ではあからさまになるのだと感じます。

動物愛護とか人道支援のようなボランティアも商売のようになり、如何に負け組の人たちを丸め込んでお金を巻き上げるかに血道をあげるようになるかもしれません。

まぁ、私がブログでこんなことを言ったところで、新自由主義の候補者に票を入れてしまう、テレビしかみない負け組の人たちが大多数なので、今後、日本はますます住みにくい国になるでしょう。
一番身近な参考にできる国は韓国でしょう。

貧富の差は拡大し、経済的徴兵制で仕方なく自衛隊に入る人も出てくるかもしれません。

こわいのは、勝ち組のお盆から落ちそうな人が、まだまだ大丈夫だと思っていることです。そして、負け組の人たちをバカにしていたりします。
もうすぐ自分の番が来るのに…

2015/11/21

今生は前世での疑問の回答編のような気が

前にもブログに書きましたが、私には不思議な中国の記憶があって、これは前世のではないかと、常日頃思っております。

その記憶は、石でできた広い踊り場のようなところで、犬だらけになってしまって困っていて、どうすればいいのか、何故こうなってしまったのかと思案している記憶です。
他にも中国風の大きな寝台にペキニーズたちと寝ている記憶やら、広い宮殿のような部屋で漢方薬のたくさん載っているワゴンみたいな台を見ながら「今度生まれる時は医者がいいな。」と思っているとか、それらの断片を繋いだら、清の末期、西太后の記憶?と、勝手に思っているのです。

今の私の能力で、あの時代に王に代わって政治をしなければならなかったと考えたら、「そら、無理やでー。」と思いますが、もしもそんな感じで西太后が生きていたとしたなら、本当に大変辛くて苦しい人生だったのではないのかな?と思います。

犬たちに依存して癒されたいと思っても仕方がないような気もします。

あの記憶では、犬のことを本当に心配していたし、産児制限ができなくて増え続け、手に負えなくなって、餌も不足してきていたような感じなのです。

それに比べたら、今は安全な避妊去勢手術ができて、よかったなと思います。

何故そうなってしまったかの回答も、今の私なら知っています。
人間が文明を築き、自然からかけ離れた結果なのだと。

自然農法の福岡正信さんも言っていますが、一度人が手をかけたミカンの木は、最後まで手入れしてやらないとダメなんだそうです。
要するに、自然に任せているのが一番らしいのです。

犬も猫も、人と暮らしているから、産児制限をしなくては、増える一方になってしまう。

政治的には、あの頃の清は、西洋列強に侵食されて、「もうダメぽ」という感じだったのですが、侵食の意味と結果を、今の時代にみせられているのです。

今は政治と関わりなく、鍼灸師にもなって、犬猫と、動物好きな人たちに囲まれて暮らしています。
もしも西太后の生まれ変わりだとしたら、天国と言えるかもしれません。

家の掃除は、召使もいないし自分でしなくてはいけないけれど、概ね、幸せなんじゃないかと思います。清朝末期に比べたら。

そりゃあ、あんな苦労をした後は、幸せにならないとですね、バランスがとれませんって。といっても、今の人生も前半は苦労や悩みがありましたが…

というわけで、今の人生は、前に疑問がとけなかった答えを教えてもらっているような気がします。

色々罪滅ぼしもして、自分が前に落ちた穴に他の人が落ちないように、犬猫を助ける人を助けて、生きているような気がします。

2015/11/08

両極から攻めてるのか

「お金で縛る奴隷制度みたいな資本主義って、イヤだなぁ。」と思っていたところに、アナスタシアを読んだら、こちらは「国家が縛る社会主義」という世界もあったんだということで、ちょっと色々考えてました。

アナスタシアは、人々が創造性を忘れ、与えられるがままに自分で考えることをしなくなった時、神様が意図して作った地球ではなくなってしまうことを危惧していました。

でもそれって、資本主義の世界でも同じのような気がするんです。
社会主義の国に比べたら、緩い枠に見えるかもしれないけど、お金にしばられて、本当の自由なんてあるのかな?と。

自由にみえる私たちだけど、売れるか売れないかということが先決で、創造性を発揮しようと思っても、「売れるもの」だけしか作れないような気がするのです。
好きなように作品を作って、それがドンドン売れる人はいいのですが…

世界をお金で牛耳ろうとする勢力と、それに反対する勢力を作って、人々の支持が最終的にどっちに転んでも、マイナンバーのような番号で人々を管理するような社会に行き着くんじゃないか?要するに家畜として。

もしかして、人類の一番上にいる人間のその上に、宇宙人のような存在が糸を引いていて、管理社会が行き渡ったところで、トンビに油揚げ取られるみたいに、地球人の一番上の人から地球をかっさらうんじゃないか?とか、そんなことを考えています。

周りを見れば、そんなことだらけなんです。
いつも二大勢力に人々を振り分けて争わせている雰囲気。

アメリカ対ロシアとか、そんな感じで。

そうやって、人類が目の前の争いごとや金儲けに気を取られているうちに、悪い宇宙人が次の作戦を考えて、人類を支配しやすい方向に導いていたりして。

もしかして、宇宙人って肉体がショボくて、人類の肉体を欲しがっていたりして。
ここまで言うと妄想と言われそうですが…

SF小説やマンガのネタみたいなことが、実は現実だったりして。

または、地球を守りたい宇宙人の一派が、アホな地球人から地球を取り上げて、悪いことをさせないように、がんじがらめの規則で管理しようとしているとか。

そうなってしまったら、創造性のかけらもない星になってしまいそう…

そうならないためには、“意図の魔法”を使えるようになっていなくては。

アナスタシア曰く、言葉で創造することができるのは、地球の人間だけに与えられた特権で、他の星の地球人似の宇宙人にはできないことらしいから。

でも、私はプレアデス系のチャネリング本で意図の魔法を知ったのだから、アナスタシアが言うのは、この目に見える四次元までの宇宙において、それができるのは、地球人だけなのかな?と思ったりしています。
五次元以上の世界に音が存在するのかどうかも不明ですが、四次元で音を使って創造できるのは地球人だけなのではないでしょうか。

とにかく、私は次のことを意図します。「地球人が創造性を発揮して自分たちの星を守り、自分たちの創造性を維持できることを意図します。」

2015/11/01

アーリーが逝きました。




ウジのわいてる仔猫を捨てられて、その子達を治療して元気にしました。
そしたら家の中を走り回り出して、逃げようとしたアーリーちゃんは、腎不全で弱っていたから飛び上がれずに落下して、右の足が動かなくなりました。

その後は食欲がなくなり、やっと食べても舌を噛んでしまい、また食べなくなり…

仔猫たちを捨てた若い人は、仔猫を助けたかったかもしれない。悪い人ではないのかもしれない。でも、捨てられた側には様々な事情があって、そこに前からいた子が命を落としているなんて、考えもしないことなんだろうなと思います。

今頃は、ウジの仔猫のことも忘れて、のびのびと生きているんだろうな。

アーリーちゃんに申し訳ないことをしました。

アーリーちゃんは、有○さんから引き取ったのでアーリーちゃんでした。
以前は、ダンナが餌やりさんから仔猫を引き取っていた時代がありました。

鳴き声が、アルプスの少女ハイジに出てくる「ヤギのアトリ」みたいで、アーリーとアトリで似ているから、いつもハイジのアニメの挿入歌を歌ってあげてました。
「2人でヤギのアトリを〜助けたの〜ね〜」って。

私の家は、猫にとっては幸せな家ではありません。
二階はまだマシなのですが、一階は日が当たりません。外に出られず、一生を狭い部屋に閉じ込められて、飼い殺しなんです。

里親さんが見つからなければ、そうなってしまいます。
今、1匹残っている仔猫のフジコは、売れ残ったら、そうなってしまいます。

本当に可哀想で、何とか里親さんをみつけたいと思います。



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