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2015年10月

2015/10/30

もしも流通が止まったら

もしも流通が止まったらペットたちはどうなるか、考えてみました。

まず、フードが無くなってきます。
人間の食料も無くなってくるので、ペットは食料として真っ先に狙われるかもしれません。

飼い主は、ギリギリまで頑張ろうとするでしょうが、「犬や猫を飼っている」ことを知っている近隣の人々で、飢えている人たちは、略奪していくかもしれない。

人間同士も殺し合いになるかもしれないのに、犬や猫が無事というのも考えにくい。

(日本人はおとなしいから、みんなで飢える?)

フードが買えない人たちの中には、飼うのを諦めて、野に放つ人も現れるかもしれない。
犬も猫も野良化して、それを狩る人たちもいたりして。

(日本人はそんなことしないかな?)

他人に狩られたくなくて、家に隠し続け、最後は自分を食べさせてしまう飼い主だっているかもしれない。
けれど、飼い主の体が無くなったら、ペットの運もそこまでとなってしまう。

こんな極端な話は無いに越したことがないのですが、今後、どんどん食料を輸入に頼る日本が、何かの拍子に供給を断たれたら、最悪こうなるかもしれないということは、覚えておいた方が良いし、覚悟しないといけないことだと思います。

ところで、どうして日本の偉い人たちは、自国の食料自給率を高くしようとしないのでしょう。
こんな島国なのに…

答えは粗方わかってますが、ここでは書きません。

ただ、流通が止まったら怖いなということは覚えておいた方が良さそうです。

2015/10/25

住吉区庭井の伝承②

大阪市住吉区庭井にある大依羅神社には、数十年前は土俵があり、近隣の村々から力自慢の猛者が集って相撲大会をしていたそうです。
庭井には横綱がいて、名前は「ミヤコドリ〔都鳥?〕」といったそうです。

また、お祭りの時には曳山があったそうで、大変賑やかなお祭りだったそうです。
今は太鼓もなりませんし、お祭りをやっているのかやっていないのかサッパリ分からず、気がついたときには終わっているお祭りですが、そんな時代もあったそうです。

私の家の前にある道は、もともとは畑で、土地区画整理事業のために農家から供出されて、道路になったそうです。

「庭」と人々が呼んでいる村の中に入るには、斜めに通る一本道しかなくて、一本道の北側には東西に疏水が流れていたそうです。
大雨が降ると疏水が溢れて、辺りは水浸しになったそうです。
今は下水道が完備されて、水浸しはありませんが、そういう過去があったことを、忘れてはいけないなと思います。

グーグルアースでみると、大依羅神社のところだけ、天然の森が残っているのがわかります。
大阪市の南の方では、もう森と言える場所はここだけです。
どうか、末長く残りますように。



2015/10/18

私の宗教観

私の宗教観ってどんなだろう?
はっきり言って、宗教を信じていないんじゃないかな?
子供の頃から今までに、自分が住んだ家には4つの宗派の仏壇がありました。
何となく、言われた通りに手を合わせたりしましたが、あまり意味がわからなかったのです。

例えば、直系の家族たちは供えたりしないお水やご飯を、先祖の顔も知らない嫁が供えたりしますが、私もそうでした。

手を合わせながら、無理にご先祖様のことを想像しようとしても、ご先祖様が成仏できていないようでもあるし、「何だかなぁ〜」の気分が否めないという、複雑な感じがつきまとうのでした。
離婚して再婚したら、宗派が変わってるし、母の葬儀の時なんて、母の実家の宗派のお坊さんに来てもらったし、その他いろいろ、「宗教ってなんなんやろな?」と思う私。

そうそう、幼稚園はキリスト教だった。在園中は、木琴泥棒にされそうになったり、小学生になってから、その幼稚園でやっていたピアノ教室で、先生が私の作った曲を友達に教えて、それがNHKで流れて、子供の作ったものを盗作するとか、まあ、宗教に関してロクな思い出がないのです。

私はスピ系な人に思われていそうだけど、この地球上で、もしも神と言える存在があるとすれば、太陽くらいしか思いつかないです。

だから、自分が死ぬまでに、家にある仏壇を片付けたくて仕方がないのです。

なんて罰当たりな人なんだろうと思われるかもしれないけれど、私が死んだ後に、「毎日お供えをしないと母親が成仏できない」と、死んでから息子を縛りつけたくないのです。

それこそ千の風になって、散歩の時などに息子の頬に爽やかに感じてもらいたいのです。

お墓もいらないと思います。山肌を削ってお墓を作ったりしていますが、山は山のままで残してあげてほしいです。

よく韓流ドラマで、景色のいいところで、お骨を撒いてますが、日本でもあれをやらせてくれたらいいのになと思います。
最近ではあちらでもロッカーみたいなお骨置き場?そんな感じの納骨ビルみたいなのがあるようですが…
私は撒く方が好きです。
お金儲けが基本の世の中だと、死んでからでも遺族からお金を集めるシステムとしか思えない私。

人間の宗教の神様の存在を強く感じることができないけれど、神的な存在は感じます。グレイトスピリットという感じの何かです。
東洋医学で言う「気」と関係ある何か?

太陽と地球の大自然が神様。
そう思うと、少し楽になるし、一番近い気がします。

以上の考察から、とりあえず、私は人間の作った宗教において、無神論者だと言わざるをえないという結論に至りました。

2015/10/15

隣の雑草

隣の家の、昔はベンジャミンのような木が植わってたのが、今は土だけ入った植木鉢に、何かの芽が出ていたんです。

梅雨時には調子よく成長して、だんだんと木のようになってくるので、てっきりお隣さんが種を蒔いたのだと思ってました。

夏の盛りになると、私は自分の植木たちに、朝晩水やりをしていましたが、隣の植木鉢には、お隣さんは水やりをしませんでした。
雨が降った時だけ、水にありつけるのでした。

カンカン照りの日の夕方などは、私が自分の植木たちに水をやっておりますと、隣の植木鉢の植物がですね、なんとも羨ましそうにしな垂れているのです。

その時はなんの木だろう?と思いつつ、お水のおすそ分けをしてあげたら、翌日には復活するというのを繰り返したのです。

秋になって、いよいよ植木鉢の植物の正体がハッキリしてきました。どう見ても、植木屋さんで売っていそうな類の植物ではありませんでした。
多分、イノコヅチではないかと思います。

そのうち、植木鉢が、うちから少し離れたところに移動していました。
枯れるのを待っていたのに、私が水をあげるから?

水はおすそ分けできないこともありませんでしたが、ワザとらしくなるし、お天道様に祈るしかありませんでした。
そうしたら雨が降って、イノコヅチは助かりました。

助かったのですが、イノコヅチの命運はそこまででした。
連休中に、外出から戻ってふと見ると、イノコヅチは跡形もなく消えてしまってました。
ひっこ抜かれ て捨てられたようでした。

こんな出来事がある度に、「あぁ、生き辛い世の中だな。」と、私は思うのです。雑草の1本や2本、秋まで生かしてあげたらいいのになと思います。
人間がアスファルトだらけにしたために、自由に根も生やせない地上において、やっと育つことができたのになぁ。

アスファルトの隙間から芽を出した雑草には除草剤を撒いている人もいるし、そういうのを見るたびに、もう人類はいなくなった方がいいのかな?と思ってしまいます。

少しの隙間さえ、生きることを許してもらえない。
人間の生きる世界では、作物と家畜以外は存在不可なんですよね。

大津波が太平洋側にまた来るかもしれないと、皆さん怖がってますが、どうせ来るなら、人類の文明が滅びるくらいのが来た方が、地球のためになるのではないか?と、ふと思ってしまいます。

そんなことになる前に、人間一人一人がもっと賢くなって、地球の世話係にレベルアップしてもらいたいと、願っています。

宇宙空間から地球を見下ろしているビジョンが子供の頃からある私は、どこか人間と離れた場所から観察している気がします。


2015/10/04

理想の猫との暮らし方

今の日本では絶対無理かもしれない。

猫とは一緒に寝る。
猫は自分の食べ物は自分で、人の見ていない時に調達して済ます。
人は気まぐれに食べ物を与える。
お互い干渉しないけど、親友の関係。

私が高校生の頃は、まだそんな飼い方で大丈夫でした。
猫は放し飼いが普通で、とりあえず避妊手術だけしてあげたら、幸せに暮らすことができました。
飼っていたフラウボウは、一回だけ出産しました。
子育ては、自分が育ててもらった通りに上手にやりました。
生まれた仔猫は三匹ともオスで、大人になってきた頃に、フラウボウは「シャーッ」と威嚇して、家から追い出してしまいました。

毎日、一匹ずつ小さなネズミをとって食べていました。
その時は、とても野性的で、普段のフラウボウと違って見えました。
仔猫たちにも狩りを教えていました。

トイレも、国鉄の貨物線の草むらで済ませていたから、トイレ掃除に苦労したこともありませんでした。
トイレの砂も買わなくてよかったし、フードも買わず、ご飯に鰹節の猫まんまをあげるだけ。

私の前ではゴロゴロと甘えて、ノミを取ってあげるのが日課でした。
私はノミキラーでした。

あの頃の暮らし方が、一番理想に近かったなと思います。

あれから30年。
フード代と猫砂代で毎月数万円かかっています。
猫たちは私に依存しきっているから、親友の関係とはほど遠い。
毎日掃除と餌やりに明け暮れていている私。

なんでこうなるの?
30年でなんでこうなるの?
あの頃が懐かしい。

猫と親友になりたい。
これが、私の理想の猫との暮らし方です。

本当にやりたいこと

高校生の頃、将来の職業はどうしようかと考えたことがありました。

本当にやりたいことは何だろう?
実際、今でもわからないのです。

自分は猫が好きだから、猫と関わる仕事がいいなと思っても、当時は今のように動物病院も多くなかったし、ペットショップで売るのは嫌だし、生き物だから日曜祝日関係なさそう…と思っていました。

今になってみれば、猫と関われてよかったと思いますが、都会で給料をもらって生きていこうとしたら、本当にやりたい、生き甲斐を感じる仕事って、ほとんどないと思うのです。

考えれば考えるほど、どれも詐欺のように思えてしまいます。 自然を壊したり、安い材料で高く売ったり、一生懸命やっていても、空回りしているだけの茶番だったり。

それは、高校生の頃からずっとそう思えていて、「仕事をしないで猫と遊んで暮らす」というのが、私の理想の人生なんだろうなと思ったりします。

「専業主婦で猫を飼っている」という人がいたら、私からみると王族の暮らしだなぁ。
でも、そんな専業主婦の旦那さんは、外で必死で働いているんですよね。突き詰めると詐欺みたいな仕事で。(都会の仕事はどれも詐欺と思う私)

詐欺にならないように仕事をして生きていこうと思ったら、お金持ちにはなれない。
とにかくお金儲けには、「人を丸め込んで高いお金を払わせる」というのがセットになっているから。
今の日本は、丸め込んだもの勝ちの世界になっているから、丸め込めない正直な人は生きにくい世の中になっていると思います。

本当にやりたいことって何だろう?

お金という縛りが入ると、とても難しくて、今でもモラトリアム気分です。

宇宙からの視点のシミュレーション

どんどん地球を登って行った時、何が見えるだろうか?

ジョンレノンのイマジンを頭の中で流しながら、シューッと空に昇っていく私。
神社の木立がどんどん小さくなっていく。
グーグルアースで見慣れているから簡単に想像できる。

日本列島を下に見ながら更に登ると、丸い地球が薄い大気の膜に守られて宇宙に浮かんでいる。

もっと地球から離れていくと、地球の周りを回る月が太陽の光を浴びて地球と一緒に輝いている。

更に離れていくと、太陽系の惑星たちも見えてくる。

「遠くから見て思い起こせば、地球って貴重な星だな、空気はあんなに少ししか無いのか、だったら汚さないようにしないとな。国境なんか宇宙から見たら全く関係ないよね。」

そんなことを考えたりするのでしょうか。

この、宇宙からの視点とイマジンのセット、世界に広まってほしいな。





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