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2015年9月

2015/09/26

神様目線の話

猫と遊んでいると童心に帰ります。
猫って人間の童心を蘇らせる天才だなぁと思います。

童心を忘れていない大人は欠陥人間でしょうか?
先日、ブログ上で通りすがりの人から人格攻撃を受けました。
猫に関わる人間が、育ってきた環境のせいで精神異常の境界にいるような内容でしたが、この世から遊び心がなくなったら、とてもつまらないと思うんです。
私は遊び心(=童心)って大事だと思っていて、創造性にもつながるし、うつ病にもなりにくいと思うんですよね。

猫と関わると、何をするにもゴミが出たり、汚水が出たり、お金が必要だったりするのが如実に感じられて、如何に自分が不自然に暮らしているのかが、ハッキリとわかります。
私などは毎日このことに悩んでいて、どうしたら自然に帰る方向に行けるのか、そんなことばかり考えてしまいます。

そんな私のような人が、世の中にたくさんいるということを、動物病院で働いて知りました。

昔は、自分のような変わり者は他にはいないと思って、コソコソしていたんですが、動物病院には、「道端で仔猫を拾ったけどどうしよう?」などという人がしょっちゅう来ますし、「庭先にガリガリに痩せた猫がやってきて、可哀想に思ってご飯をあげていたら、居ついてしまった。子供を産んで増えたら困るから、手術したい。」という人もたくさん来ます。

みんな優しいな、私と似ているな、なんとか力になってあげたいな….と思います。

中には無責任な餌やりをする人がいて、猫の数を増やしてしまって他の人の迷惑になってしまうこともあります。
また、外の猫を連れ帰ったはいいけれど、家の中で増えてしまい、身動きとれなくなってしまった人もいます。
そんな人たちに、迷惑にならないようにする方法や多頭飼育崩壊にならない方法を教えてあげるのが、私の使命かなと思っています。

都会では、猫の存在をとても嫌がる人がいて、猫好きと猫嫌いのバトルになることもあるみたいです。
でも、地球は人間だけのものではないし、ある程度、猫を生かしてもらってもいいのでは?と思います。
でも、迷惑になるほど数が増えることはNGです。

人間と食用の家畜だけの地球って、面白くないですよね。
だから私は、ヤジロベエのように真ん中で調整しようとしています。ちなみにほぼベジタリアンです。(外食で混入するため)

人間という生き物は、地球の目と手足になって、地球の生き物を愛でて管理する役目があるのだと、私は思っているのです。
そう思う人が増えますように。

宇宙空間に自分が浮かんでいることを想像してみてください。
地球が10円玉くらいにみえるところに自分がいるとしたら、この小さな星の上で、いがみ合ったり戦争をしたりしていることがバカらしくなるでしょう。
これを神様目線だとしたら、この視点を持つ人が増えることによって、世界も平和になり、地球は天国のような星になるのではないかと思っているのです。

2015/09/19

次世代に繋ぐって大事

植木鉢の植木たちも、私が死んだら終わりかもしれない。
家の猫たちも、私が死んだら終わりかもしれない。
今やっていることも、私が死んだら終わりかもしれない。

そう思ったら、1日でも生きて、植木たち猫たちの世話をしたいと思う。
動物病院で、自分の納得のいく低価格の猫の避妊去勢を続けたい。

これも、後を継ぐ人がいなければ終わり。

よくドラマで、跡継ぎ問題で大騒ぎしているのをみるけれど、「大袈裟やな。」くらいにしか思っていませんでした。
それは、私がまだ若くて先はまだまだ長いと思っていたからだったんだと、最近思います。

母があっけなく死んでいったのを見て、自分もいつそうなるかわからないから、なるべく後片付けが残らないようにしないと…と思ってはみたものの、生き物たちのことに関しては、どうなってしまうのかわからないと思えます。

マンションオーナーのおばあさんの猫たちを5匹、去年の年末に引き取ったけれど、取り壊される予定のマンションの屋上には、たくさんの植木がありました。

おそらくは、マンション共々、廃棄物として処分されるのだろうなと、下から見上げて思ったのでした。

都会で植木を自分の庭に植えても、人間の1世代か2世代生かしてもらえたらありがたい方で、本当は何百年生きられる木でも、家が取り壊されるとか売られたとか、そんなことで無情にも処分されてしまうのが、現実なのです。

そういえば、駅の近くに庭付きの大きな家があって、桜が大木に成長して毎年花を咲かせていたのに、マンションに建て直されることになり、伐採されてしまいました。
その庭には、今では珍しい棗の大木もあったのに。

見渡すと、土が残っているところが本当に少なくて、ああ、ここはコンクリートジャングルだったんだなと改めて思います。

裸足で地面に立つと健康になれるという「アーシング」という本を注文しましたが、考えたら、裸足で立てる地面が、公園くらいしか残っていないのです。
これでは、健康になれるはずがないかもしれないと思いつつ、本が届くのを待っています。
そういえば、昔、とても孤独で辛かった時に、裸足で砂浜や草むらにたっている夢を何度もみました。
あれは、自分を癒そうとしていたのだなと思います。

話が逸れてしまいましたが、私の植木たち、息子が後を継いでくれないかなと思います。
跡継ぎって、大事ですね。


2015/09/12

ヘッドホンをして歩く

今から30年前、私が20歳くらいの時から、ヘッドホンをして歩くのが流行りだしました。

私もやってました。
だって、都会の外は車の音や工事の音や、その他、聞きたくない音であふれていたから。

好きな音楽が自分の中に溢れるように入ってくると、色んな人とすれ違ったり、景色を通り過ぎたりするけど、自分は別の世界にいるような不思議な感覚がありました。

五感の中の聴覚だけが別世界に入っている浮遊感とでも言うのか、あの感覚は快感でもあるけれど、「今ここで生きている」という実感からは離れてしまっていたなぁと、思います。

だけど、確かに脳内伝達物質は出てくる気はするので、一度癖になったら、なかなかやめられません。

イヤホンをつけて手ぶらで自転車こぎながら喋りまくってる人がいたり、人に聞こえるような大きな声で歌っている人もいて、昔だったら精神病かと思われそうな事例も見受けます。

最初はそんな風に訝っていた私ですが、すっかり慣れて、最近はiPhoneを公私ともに使いまくり、自転車こぎながら音楽を聴きながら、仕事の電話にも出たりして、使いまくりんちょんです。人の目も気にならなくなって、慣れとはすごいものですね。

でも、自分を取り巻く環境の音を聞くことも大切なことだと思います。それをしないと、今を生きることから離れていってしまいそうです。
いつもフワフワと雲の上を歩いているように生きてしまったら人生が無駄になりそうで、なるべくイヤホンはしないように気をつけています。

昼間は猫たちの異常を感知しないといけないし、夜は夜道で襲われたりしないように。

そのうちにヘッドホンさえワイヤレスが良いということになり、それさえ邪魔だし、お風呂の中でも聞いていたいという人が現れる頃、脳内に埋め込み型の端末が登場するのかもしれません。
そうなったら、人間はアンドロイドに?まるでSFのような話に発展してしまいましたが、埋め込み型はやめておいたほうが良いでしょうね。






2015/09/01

相手の力を利用する太極拳

太極拳では、自分の力をなるべく使わずに、相手の力を利用して相手を倒すというのが基本であると、25年くらい前に、太極拳の先生に習いました。

先生は、太極拳を習いに中国にしばらく住んだそうです。
当時としては、まだ草分け的な存在の先生だったと思います。

太極拳の型が、いくつもありますが、多くは、無駄な動きを省き、相手の力を自分の力にすり替えるような動きが多いです。

自分の動きに無駄が多いと、エネルギーをたくさん使ってバテるので、省エネで勝つ方法を昔の人は色々考えていたのですね。

今は健康法くらいに思われている太極拳ですが、奥が深いのです。

急にこんなことを、なぜ思い出したかというと、もしかして、この手法、政治の世界でも使っているのかな?と思ったからなのです。

例えば、政治に怒っている国民の怒りエネルギーの方向をちょっと変えて、最終的には政府が得するような、そんな手法。

よくあるのは、国内政治に怒りを向けさせないように、隣国の方に国民の目を向けさせる話。
これは、けっこうどこでもやっているみたいですよね。

最近では安保法案とか戦争法案とか。
国会前で13万人も集まったデモとかありましたが、そのエネルギーをふっと別の方向へ持って行かれないか、私は、太極拳を思い出して、少し心配しているのです。

上の方でコントロールしている人たちは、とても賢いから、如何に無駄なことをせずに自分が得するかを考えている気がします。

ただの杞憂で終わりますように。



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