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2015年7月

2015/07/29

職場の観葉植物

私が初めて今の職場に行った時、中に観葉植物がありました。
開業祝いに頂いたということで、育て方もわからず、たまに水をあげる程度の扱いだったようです。

本格的に仕事を手伝うようになっても、私は観葉植物の育て方を知らなかったし、あとから入ったので遠慮もあって、遠巻きにみていて、あまりにも乾いていたら水をあげるような関わり方をしていました。

後に、「家の前に置いてあげよう?このままだと可哀想…」と提案したことも何度かあったのですが、その都度、「開業祝いやしなぁ。」で終わってたのです。

そんなこんなで、何度も枯れかかりながら生き延びる観葉植物に、私も情が湧き、スタッフの人数も減ったこともあり、本格的に観葉植物に関わることに決めました。

家に持って帰ることはNGなので、とりあえず、室内ではヒョロヒョロ枝が伸びるばかりなのは日照不足と睨んで、思い切って外に出しました。
それと、水はけがよくなるように、植木鉢の受け皿を取り去りました。

冬に枯れるかもしれないと心配したのですが、何のことはない枯れもせず、春になると元気な新しい枝が二本も生えてきて、「何だ、足りないのは光だったんだ。」と思ったのでした。

結局、まわりの空気を読んで保身を図るあまり、何の罪もない観葉植物が20年近くも光の当たらない薄暗い待合室で、水もたまにしかかけてもらえず、苦しんでいたのでした。

それ以来、「空気を読む」ということが、とんでもなく罪を作るかもしれないと思っているのです。

「空気を読んで遠慮」とか、「空気を読んで見て見ぬふり」とか、この日本の国に蔓延していそうな気がします。

被害を被るのは、モノも言えない弱い生き物や人達です。

自分もやっていたのだから
人のことは言えない私ですが、今、自由に観葉植物の世話ができるようになって、自分も観葉植物も喜んで、喜びを分かち合っているのてす。


2015/07/16

もしかして宇宙人?

昼間に仕事に向かう途中で、不思議な人たちとすれ違いました。

一見、どこにでもいる大阪の普通のおじさんっぽいんですが。

おじさんたちは四人いて、前に車椅子のおじさんが一人と、後ろに歩いているおじさんが三人。

おじさんといっても、40代から50代くらいにみえました。

後ろのおじさんたちは、前の車椅子のおじさんを押すこともなく、フラーフラーと歩いていました。

私が1番不審に思ったのは、車椅子のおじさんです。
車椅子の足置きを使わずに、車椅子を動かすのに手で漕ぐこともせず、つま先で車椅子を漕いでいたのでした。
「足使えるやん…?」

もしかして、車椅子の使い方を知らない宇宙人が地球人の皮を被って地球観光してたりして!

そう思って後ろのおじさんたちを見ると、三人とも不思議な風情をしていました。
全員、身長が150センチくらい。全員、痩せていました。

なんだかな、ゼータベティクル星人が、地球人の皮を被ったら、こんなんなるやろうな…と、思いついて、顔が笑ってしまうのを必死にこらえて、仕事に向かったのでした。

ちなみにおじさんたちは大阪弁を話していました。
「きっと、翻訳コンニャクみたいな装置を持っているのかもしれない。」とかなんとか、妄想はとめどもなく膨らむのでありました。

2015/07/13

原発の被害農家が再生するエコビレッジシステム

原発事故で、何事もなかったかのように生活を営まざるをえないように、日本の政治は動いてきました。

特に農業は、土地に縛られているし、トラクターのローンとか、その他諸々の世の中の仕組みによって、がんじ絡めです。

それでも、汚染がひどくない新しい土地(日本中汚染されてるとは思いますが)で、やり直したいと思う人はいるかもしれません。

有機農業で頑張っていたのに台無しにされた方や、家族に体調不良が出て、移住をやむなしと考える人もいるかもしれない。

そんな人たちが、西日本の人口が少なくなって放棄された畑を、もう一度再生して暮らしていけるシステムがあったらいいなと思います。

村おこし的なことができる若者が残っていたら良いのですが、お年寄りばかりで、そんなことをする気力もない地域が、西日本中に存在しているのではないかと想像します。

そんな地域は、良い水源に恵まれていたりして、知らないうちに土地が外国の方の名義になっていたりするという話も聞いています。

これを、国を挙げて何とかすれば良いのにな…と私は思います。

農業以外の産業もあるから、放射能を認めることはなかなか難しくて、一番手っ取り早いのが、「何もないし起こらない。」と、しらばっくれていることだとは思いますが、いつまでもそれができる保証もないし、そのうちに、日本の人口が激減し出してからでは遅い気がします。

民間の仕組みができればマシですが、国の後押しがあるともっといいですね。

とりあえず、思いついたことを記しておきたいと思いました。

2015/07/12

四十を過ぎたら、腎陽を大切に

現代生活では、冷房があるし、外食では水に氷が入っているのが当たり前になっています。

お腹の内側を、冷飲食して冷やすと、内臓も冷えますが、腸腰筋が冷えて、足腰の痛みに繋がります。

最近、どうも股関節が痛くて歩き始めが老人のようだと思ったら、春になって朝のコーヒーを、冷蔵庫から出してきた豆乳コーヒーにしていたことに気がついて、きっぱりやめたら治ったのです。

想像してみてください。お腹の中に氷枕が入っているのを。

四十を過ぎたら、体の調整能力が減ってきて、簡単に回復できません。
ただでさえ、夏でも冷房が効いているのに、冷たいものを食べたり飲んだりして、内側からも冷やし続けるということは、自殺行為です。

妊婦は、同じように、体を冷やさないように気をつけないといけないのです。赤ちゃんが寒がります。
腹帯を巻くだけではなくて、食べ物も気をつけたほうが良いのです。
体を冷やす妊婦さんは逆子になりやすいと、東洋医学では言われています。
温の気は上に上がるので、足のほうは冷たいため、温かさを求めて赤ちゃんは上に行こうとする結果、逆子になると鍼灸の先生に習いました。
そんな時に足の指にあるツボにお灸をすえて、下半身が温かくなると戻ると教えてもらいました。
お灸でなくても、普段の生活を冷やさないように心がけるだけで、丈夫な赤ちゃんが生まれると思います。

話が逸れましたが、つまり人間は、体温を一定に保つために恒常性を持っていますが、その機能をいつもフル回転させていると、命を削っていくことになるのです。

「命の火=腎陽」を燃やして、冷やした体を温めているとしたら、それでも冷たいものを食べますか?

とまぁ、説教くさい話になりましたが、こんなことを書いておこうと思ったのは、ダンナがアイスクリームをやめられないからなのです。
体が冷えると鼻水や鼻づまりが止まらなくなり、呼吸ができなくて苦しんでいるのに、春になったらすぐにアイスクリームを食べ始めます。
アドバイスも聞いてくれません。
本当は治りたくないのかな?

でも、一年中、腰、股関節、膝などの痛みで苦しんでいる人や、呼吸器系の症状が止まらないという人は、一度自分の生活を振り返ってみて、もしも「冷え」が原因だと思えたら、試しに体を冷やさない工夫をしてみてください。

冷たいもの、汗が出るくらい熱いものを、一週間でも控えて体調の様子をみてみると良いと思います。

夏は、冷やしていない温度の水やお茶を飲み、スープや味噌汁は少し冷まして飲むと良いです。

まずはお試しあれ。

2015/07/07

男と女は種と畑

韓流ドラマをみていたら、未婚の母が「種泥棒」と言われるシーンがありました。

そういや、種と畑があって子供ができるんだなと改めて気づく私。

今は種と畑が出会うことが難しくなっていて、新しい芽を出すことさえ至難だと思ってしまう今日この頃です。

私も一粒種を生んだけれど、その種が次の命を繋げられるのかどうか、綱渡り的だなぁと思えます。

もしも畑になってくれる嫁さんが現れたら、大事にして逃げられないようにしないと…などと考えたりしています。

私はバツイチで、息子を連れて出たから、元の婚家からしたら、種泥棒になるのかな?とか諸々の想念が湧き上がってですね、落ち着きません。

これが、韓国のお金持ちの家だったら、訴訟を起こされて、息子を取り上げられかねない状況ですよね。

まぁ、庶民だし、そんなことはないとは思いつつ、韓流ドラマをみて、要らぬ妄想をしてしまいました。

そういえば、20年以上前に富山にいた頃、五箇山にお泊りに行った時、一緒に行った嫁さん連中の話が衝撃的でした。

「掃除は全て姑さんがやってくれる。」とか、そんな話のオンパレードでした。
今思えば、嫁さんという畑に逃げられないようにするために、あの頃からみんな頑張っていたんだなと思います。

私は嫁さんが来たら、「家の掃除が楽になるかな?」とか、「毎日晩御飯が家で食べられるようになるかな?」とか考えていたのですが、甘い考えだったなと、思った次第でごさいます。

2015/07/01

動物愛護を色々考えていて思うこと

動物愛護を、小さな範囲でしているうちは良いのだけれど、手を広げていくうちに、資金や場所や人手が足りなくなり、だんだんと規模が大きくなって、大々的に募金を募ったりするようになるのは、会社経営と同じのような気がします。

世の中の資本主義は、どんどん大きくなるのが良いことで、いつまでも小さいままなのは甲斐性がないように思われがちです。

けれど、大きくなっても潰れてしまう企業もたくさんあるしなぁと、思うのですよね。

動物愛護も大きくすると収拾がつかなくなるような気がして、私は小さい方が好きと思ってしまいます。
会社の経営も、小さい方が好きです。

それは、母があっという間に亡くなったのをみて、人間の一生の儚さを思い、自分が死ぬまでには家の猫をゼロにしておかないといけないし、残された者が困らないように遺品も今のうちから片付けて、借金も残さず、いつ死んでも良いように身軽に生きていたいと思うようになったからです。

何事にもコストがかかるので、動物愛護の世界にも「嘘や丸め込み」をして募金を募ったり里親に出す人が現れたりして、それを見習って、今度は犬猫を売って商売する人たちが動物愛護ビジネスを始めたりしています。
このビジネス、仕入れは引き取り料を取れて、里親からも引き渡し料を取れて、一挙両得であります。
ただ、売り上げを意識して営業している以上、どうしても余った分はどうなるのか心配です。
また、真面目に殺処分から救い出している善意のボランティアが苦労しそうです。
それに、どうやら行政やマスコミは、ビジネスでやっている動物愛護には親切です。

お金が支配するシステムであるアメリカでは、(ネットの記事8歳の少年が新聞社に送った手紙でみたのですが、)保健所に連れて行かれた自分の猫を引き出すのに、お金がかかるようです。
今の日本ではそんなことにはなっておらず、保健所に連れて行くときに支払う制度ですが、そのうち、自分の猫が誰かに捕獲されて保健所に連れて行かれた時、お金の無い人は、自分のペットを殺されても仕方がない日が、日本にも来るのかもしれません。

話がそれましたが、規模が大きくなると、何をするにもコストがかかるようになり、しまいには、規模を維持するために必死にならないといけないのが、現在の日本のシステムだということです。

死ぬ時には何も持っていけないのですから、生きているうちも、あまり欲望を持たずに過ごしたいものです。

そして、どうしてそんなことになってしまうのか、元を正さないと、この循環の輪は終わらないのでした。

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