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2015年3月

2015/03/24

にゃあの思い出が今の私を突き動かしている

昔、小学生のころ、にゃあと名付けた野良猫がいました。

黒と白の雌猫でした。
ホームページにも書いたことがあるのですが、あの時のトラウマが私を突き動かしている気がします。

あの時、今みたいにTNRができたら、にゃあは苦労しないで済んだのに・・・
動物病院なんて近所になかったし、野良猫にお金をかけるなんてという時代でしたし、食べ物を与えることさえしにくかったです。

私は、偶然にも、野良猫に心を砕く人を助けることができる立場にいます。

あの時に、にゃあをTNRしてあげていたら、地域猫としてかわいがられていたなら、どんなにかよかっただろうと思うのです。
それで、野良猫を助けている人を見ると、私も嬉しくなり、少しでも役に立てることがあるのならと思ってしまうのです。

道を行くと、野良猫に話しかけたり手を差し伸べている人をたくさん見かけます。
いい時代だなと思います。
こんな時代が長く続いてくれたらいいのに。

一つだけ、猫を世話している人にお願いがあるとすれば、メス猫の避妊手術は生後4か月頃に済ませてあげてほしいと思います。
妊娠して生まれそうになっている子がギリギリに手術をすると、仔猫を堕胎することになりますし、傷口が大きくなり、回復が遅れます。
うちの動物病院では、技術を磨いて、1㎝の穴をあけて、そこから子宮と卵巣を切除します。
妊娠していると、その技術を使うことができません。仔猫が出せませんから・・・

究極に考えたら、何をするのも人間のエゴということになりますが、堕胎はエゴの極みだと思うのです。
都会で生きるということは、人も猫もエゴの渦の中でぐるぐる回っているようなものですが、少しでも、猫の体に負荷がかからないようにしてあげることは、よいことだと思います。

そんなことを考えながら、手術を手伝っています。

ハトが殺されていた?

3日ほど前に、夜遅く犬の散歩をしていた時のこと。

いつも通り抜ける公園の中ほどに、首のないハトの死体がありました。
動物に襲われたのだとしたら羽が飛び散らかっているはずなのに、きれいな羽のまま、首から上の頭だけがないのです。

昔飼っていたフラウボウは、毎日のように狩りをしていましたから、猫が襲った場合には頭だけ食べてあとは残すというようなことはしないと思うし、まるで鋭利な刃物でスパッと切ったような感じだったので、どうせ動かないんだろうなと迷いましたが警察に通報しました。

けれど、案の定、環境事業局の電話番号を教えようとするし、猫がやったんでしょう?とかいうし、なかなか聞いてくれようとはしませんでした。

それで、「大事件につながるかもしれないから通報したんですよ。」とねばったら、住所とか名前を聞いてきました。普通の人ならここであきらめるのでしょうが、私はあきらめず、名前も住所も伝えて、朝になったらカラスにつつかれたりすると思うから、「夜中の間に派出所のお巡りさんが巡回するついでに見るようにお願いしておいてください。」と言いました。

夜中の間に、お巡りさんは来なかったらしく、朝、公園には人だかりができていて、お巡りさんがハトの散らかった羽を掃除していたそうです。

まあ、目撃したことでも、人って簡単には信じてくれないんですよね。
浮気現場を目撃しても見間違いだと言われるのが世の常ですしね。(笑)

結局、重大事件が発生して、後の祭りになることが往々にしてあるのです。

ご近所では、バラの花が切り裂かれて捨てられていたり、神社の裏に犬のウンコ入り袋をいくつも整列させて捨ててあるし、別のご近所は週に一度犬のウンコ入り袋を庭に投げ捨てられているし、なんだか不穏な雰囲気が漂う今日この頃なのでした。

2015/03/14

空気を読む話

「空気読め!」とか、「KY」(ケーワイ 空気読めない)という流行語が、数年前に流行りました。

それで、その場の空気を察して気を回すことができる人が偉い人のように、語られていました。
日本では、それ以来、空気読む練習をずいぶんしてきました。

もともと、日本人は空気を読むのが得意な方です。
それで相手の気持ちを察して、望むサービスをしたり、製品を作るから、良い面も確かにあります。

けれど、それが行き過ぎると、「NOと言えない」ことになっていくのではないかと思います。
はっきり伝えないといけない場面で、相手が自分の気持ちを察してくれるのを待つようになり、しまいには相手を逆恨みするなどということが起こってくるのではないでしょうか?

自分が空気を読み、相手にも空気を読むように求める姿勢は、国際的、政治的なお付き合いにも影響が出て、本当は避けられるいざこざを招いている気がします。

たとえばこんな話です。

職場でわりとできる人がいたとします。
でも、はっきりとものが言えなくて、空気を読むし、相手も空気を読んでくれると思っているとします。

自分は、相手を察してあげて、一生懸命相手を補佐してあげるのに、相手はちっとも自分の必要を察してくれなくて、いつもしてもらってばっかり。
そんな関係が同僚の中で出来上がったらどうでしょう。

みんな「あの人がしてくれるから。」と言って仕事をさぼるようになるでしょう。
でも、みんなに「もっと働いてほしい。」と言えなかったら。
「こんなに髪を振り乱して働いているんだから、少しは察しろよ!」と、しまいには怒りが爆発してしまうのではないでしょうか?
おまけにそのことに気が付かない上司にも怒りがこみあげてくると思います。

たとえば、原発のことや政治のことは、空気を読むと、話をしてはいけないことのように感じます。
それで、なかったことにして見て見ぬふりをするうちに、自分の首を絞めていることに気が付いている人はどれくらいいるのでしょう。

小規模経営の社長が必死になって働いていて、従業員にももっと頑張ってほしいと思っていても、口に出して言えなくて、「こんだけ経営者が必死になってるのに察しろよ!」と思っていても、従業員は働くでしょうか?

社長はそんな従業員は辞めさせて、いつでもクビにできる派遣社員を雇おうと思うでしょうか?

従業員は言われないことはしないのです。
給料をもらって働いている以上、なるべく少ない仕事で満額の給料をもらいたいと思うのが人情です。
仕事をダラダラやって、残業代を稼ごうと思っているかもしれません。
社長がかわいそうだから、サービス残業でもなんでもして助けようなんて言う人は、もう今の日本にはいないと思います。

このような状況なので、派遣社員の会社は大繁盛です。

逆に、ブラック企業なんていうのもありますが、これは社長と社員の立場が逆転していて、社長が「おまえ空気読めよ。」と強く出ていることになるでしょう。

ということで、空気を読みすぎるということは、「百害あって一利なし。」ということなのです。

言うべき時には言うことが大切です。

2015/03/07

意図の魔法を使うしか方法がなくなってきた

なんだか最近、思うんですけど。
選挙とか、デモとか、何らかの行動でこの世界を変えることはできないのではないかと・・・

選挙では結果をねつ造されているかもしれないし、デモをしたって何にも変わらない。
政治はどんどん安倍さんの行きたい方向へ進んで行っている感じだし。

こうなったら、意図の魔法をつかってみようということで、ちょっと思いついたことを書いてみたいと思います。

昨日の夜、うたた寝をしていた時に、ふと声が聞こえたんです、たぶん夢を見ていたんだと思います。
「長い間、よく辛抱強く待ちましたね。ずっと見ていましたよ。」という女の人の声がしたのです。

ダンナのことを辛抱強く待ったことをほめられたのか、息子のことを辛抱強く待ったことをほめられたのか?と思いましたが、世界の動きから考えて、子供の頃からの不思議な記憶を紐解いて、発動せよというゴーサインかもしれないと、ちょっと思ってしまったのです。

それで、ついに「意図の魔法」の話をここで話す時が来たのかもしれないと思ったのです。

意図の魔法とは、プレアデスのチャネリングの本で知った言葉です。
もう、20年近く前に読んだから、魔法と言っていたかどうか忘れてしまいましたが、その後、私は「意図の魔法」と呼んでいるのです。

どうするかというと、自分の希望を、肯定形で言葉にして、最後に「意図します。」をつけるのです。

昔、まだ本を読んだばかりの頃に、これを試して実現した不思議な経験があります。
「引越しの日のお話」という題で、2002年にHPに書いています。
単なる偶然と片付けるか片付けないかは自分次第なので、私はミラクルだと思うことにしている経験談です。

子供のころの記憶とは、HPにもちょくちょく書いてますが、子供のころに、昼間ボーっと天井を見ているうちに入り込んでいく夢の世界のような場所があって、これはゲリーボーネルさんが言うアカシャの殿堂と同じ場所かもしれないのですが、地球の未来を見ていました。

私は、そんな記憶がいつもあるから、将来、医療ができなくなったり食料がなくなったりした時に備えて、若い時から「食べられる野草」などという本を買ったり、鍼灸師の資格を取ったりしてきたのです。
まだ23歳くらいの時に、「食べられる野草」の本を買うということ自体、ふつうはないと思うのです。

これは、人々が意図の魔法を使えなくて、世界が終末的な状況になった時の保険として使おうと思って準備してきたのです。
と言っても、結局、本は持っているだけで、都会にはそういう野草がなかなか無いために、経験を積むことができないのですが・・・
鍼灸は役に立ちそうです。少しくらいの体調不良には。

話がそれましたが、意図の魔法を理解して、使える人を増やしたいのです。
悪いほうに使う人がいると困るので、今まで言い出せませんでした。

今から悪いほうを使う人を封じ込める意図の魔法を使っておきます。

「この地球と全生物を滅ぼす意図を使う人はいなくなることを意図します。」

とまあ、こんな風に使います。
自分のエゴで使うと、鏡のように跳ね返ってきて危ないですから、宇宙とか地球を守る願いを意図したらよいと思います。

「私は、地球が平和で安全で、全生物が共生できる星になることを意図します。」

皆様、よろしくお願いします。



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