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2015年2月

2015/02/27

指示待ち人間と濡れ落ち葉

定年退職後の男性が、「濡れ落ち葉」となり、奥さんに疎まれて離婚の憂き目にあってしまうという話を聞いたことがあります。

人生のほとんどを仕事に捧げて、家族を守ってきたつもりなのに、定年退職後に離婚されてしまうなんて、本当に可哀想・・・

でも、奥さんの気持ちもわかると思ってしまう私。

たとえば、定年くらいの年齢になると、奥さんだって家でボーっとしていないことが多い。
介護を必要とする家族がいたり、老体にムチ打ってパートに出たりしていて、その合間に家事をこなすから、忙しいし、泣きたい気分の時だってあると思う。

そんな時、普段は仕事人間のご主人から、優しいいたわりの言葉やプレゼントがあるならまだしも、声もかけてもらえない上に退職後に、自分の番は終わったとばかりに家でテレビをボケ―ッとみられたら。
そのうえ、「お茶!」「めし!」「寝る!」と偉そうにされたら、奥さんはどんな気持ちがするだろうか?
ましてや、退職後に不摂生からくる病気が発覚し、数年後には介護が必要かもしれないなどとわかったら。

やっと自分の親や夫の親の介護から解放されたばかりだったりしたら、奥さんは鬱病になりそうにならないだろうか?
自分を愛してくれていない、家政婦くらいにしか思ってくれていないとわかったら、一緒にいることが、まるで自分のソケットに電源コードを刺されてエネルギーを抜かれている気分になる。

ああ、わかるわかる!と思ってしまう私。

日本の男性は、感謝の気持ちを普段から伝えたりしないと、昔からよく聞くけれど・・・
心が伴わない言葉は虚しいとわかってはいるけれど・・・
テレパシーを使わない現代人である妻が夫の心を知るには、やはり言葉か態度から推察するしかないと思うのです。

言葉が恥ずかしいのであれば、せめて態度で表すことが必要ではないかと思えます。

態度って?
それは、食後にお皿を片付けるのを手伝うとか、「洗濯物は一緒にたたむから、たたみかたを教えて。」と言ってみるとか、拾い集めたら些細なことでも、たくさん見つかると思います。
一緒に散歩に行こうと誘ってみるとか、犬や猫を一緒にかわいがるとか、心の交流をしていこうとすることが、妻のいる男性の老後にとっては重要なことではないかと思うのです。

長年、会社員として指示待ち人間で生きてきたから濡れ落ち葉になるのでしょうか?
だったら、指示待ち人間をやめて、自分で行動を起こしていかないといけないと思います。もう退職したのだから。

最近、ちょっと小耳にはさんだ話から、私なりに考えてみました。
このブログは女性がよく読んでいるようだけれど、もし男性が読んだなら、少し心に留めておいてほしいと思います。

2015/02/14

偶然の一致から引き寄せられる心配事

偶然の一致から、心配事が引き寄せられてしまいました。

動物病院へ猫の避妊手術に来たお年寄りなのですが、偶然にも、同じ名字の方とカルテ番号が同じになったのです。
その方の名字は珍しい名前で、数少ないそんな名前の方同士、10000枚くらいあるカルテで番号が一致するなんて、奇跡なのです。

その方は、80歳くらいのおばあさんで、猫の避妊手術で来院されました。
もう一匹メスの猫がいて、若いと思っていたけれど、もうシーズンが来てしまっていると連絡をもらい、その後、キャンセルが出たので、少しでも早い日に変更しようと連絡をしたのが、心配事の始まりです。

すれ違いが続き、連絡が取れないまま、何日か過ぎて、しまいには電話がつながらなくなってしまいました。

地域包括支援センターの方に見に行ってもらいましたが、インターホンが無くて、ドアを叩いても出てこられないので、名刺を入れてきたとのこと。

おばあさん、少し認知症?と思える頼りなさがあり、付き添いの男性がいたのですが、親切を絵に描いたような雰囲気で、「赤の他人なのに偉いなぁ。」と最初は思っていたのです。でも、連絡が取れなくなってからは、「実はヤクザの手先で、おばあさんの家屋敷とか財産を狙っている悪いヤツだったりして。猫で安心させて近づいてきたんじゃあるまいか?」と思ったりしてしまう今日この頃です。地域包括支援センターの方によると、以前、おばあさんが、鳩に餌をまいたり、花に水をやったりしているのを見かけたことがあるそうです。

住所を検索したら、ストリートビューを見ることができました。
おばあさんの家は駅に近い広い道路の交差点脇にあり、おばあさんの家の裏は立ち退きになって更地になってました。
ますます怪しい…
おばあさんの家は、雨樋に草が生えていて、他に世話をする家族もいなさそう。

あの付き添いの男性の指が揃っているか、見ておけばよかったな。とか、これはもう妄想入ってますが、カルテ番号の一致と、動植物が好きで、私と似ている点からして、猫の神様か鳥の神様が知らせているのではないかと思っています。

地域包括支援センターの方は、他の職員にも気を配るように伝えると言ってくださったので、少し安心ですが、予約の4/21に来なかったら…という心配事が増えてしまいました。

早く4月になって、おばあさんと再会できますように!

2015/02/05

壊れたCDプレイヤーみたいな世界

真冬なのに全然息が白くならない。
本当にこの世界は現実なのだろうか?もしかして、もう死んでいて、死後の世界で以前のままに暮らしていたりして…と思ってしまう私。

今年は大阪は暖冬だと思っているのは私だけでしょうか?

私とダンナは、「ここは前にも来たことがある」とか、「同じことをした記憶がある」とか、よく言うことがあって、もしかするとこの世は、壊れたCDプレイヤーみたいになっていて、最後の方に行くと前に戻るを繰り返しているのかもしれない…と考えたりするのですよね。

私の子供の頃からある不思議な記憶では、今回が最後のチャンスということだから、今回、最後まで行ったら、このCDプレイヤーは壊れて動かなくなるのかもしれない。
チャンスというからには、CDプレイヤーを直す方法もあるのではないだろうか?そんなことを、この頃考えています。

私たちのいる次元は、すでに崩壊の一歩手前にあって、それを防ぐ鍵は、地球と共生できる人類に進化することであり、そのためには世界平和は当然なのですが、世界平和のためには、偽らない心で生きざるを得ない状況が必須でしょう。
それは、テレパシーなのかもしれない…などと、空想たくましい今日この頃です。

世の中が、だんだんとギスギスしています。今回が最後のチャンスなのに、どうしようもないのでしょうか。
このまま、the endかもしれないと思うと残念です。

2015/02/04

なにかのせいにする癖と、アレルギー

昔、鼻アレルギーがひどかった時、私は被害者意識がひどかったかもしれないと思う今日この頃。
家が猫だらけなのは、無責任に捨てていく人がいたからで、私たち夫婦は被害者なのですが、密かに、ダンナのせいだと思っていたと思います。

結婚して間なしの頃は、言いたいことも言えず、だんだんと尽くされるのに慣れて当たり前になっていくダンナに騙された感を感じていました。
仕事が忙しくて猫の世話を丸投げで、少しも手伝わなくなって、動物病院に捨てられた猫を全て持ち帰って私に預けるダンナ。
私は仕事もフルタイムで手伝いながら、猫の世話と掃除に明け暮れていて、息子は不登校になるわ、周りからは親の教育が悪いと責められるわで、ストレス満載状態だったのでした。
猫地獄。
そんなネーミングがピッタリな感じです。
いくら好きな食べ物でも、満腹なのに無理に口にねじ込まれるような感じで猫が家に増えていく、まさに地獄のように感じたこともあったのです。
そんな時に、鼻アレルギーはどんどん悪化して、苦しくて仕方ない毎日だったのです。
あまりにも苦しいから、色々と原因を考えて、空気清浄機を入れてみたり、何だかんだとやってみましたが、一番効果があったことを書いておこうと思います。

それは、被害者意識を手放すことでした。
そして、体に、「花粉や猫の毛は、ウィルスじゃありませんよー。」と、言い聞かすことでした。

言い聞かす話は妹から聞いていて、半信半疑だったのですが、私の場合は言い聞かすだけでは治らず、私の中に居座る被害者意識に気がついて、それを手放したら、ほとんど気にならないくらいに症状が軽減したのです。

被害者意識を手放すというのは、はっきり言って「諦める」ということがまずあって、改善できることは改善していこうと、自分の置かれた環境の改善に行動を起こすことでした。
1.なるべく愚痴を言いたくなる気分にならないこと。
2.ダンナを恨まない。
3.猫を捨てられないように監視カメラをつけたりする。
4.ダンナに頼らなくても生きられるような資格を取る。
などなど。

この世には色んなストレスがあって、今も苦しんでいる人たちがたくさんいますが、少しでもヒントになれば良いかなと思って書いてみました。
今、ダンナがひどい鼻アレルギーで苦しんでいますが、ひょっとして、被害者意識を持っているのかしらん?それって誰に?私?^^;
まぁ、本人が気がついて、治るまで気長に待つつもりです。


2015/02/03

ネクストワールド

NHKの未来予測の番組をみたのです。ネクストワールド

番組では、2050年にはコンピューターが色々と予測して、危険を回避したりアドバイスをしてくれるので、失敗がなくなり、寿命も延びて云々…ということが、ドラマ仕立てで語られていたのです。

腕時計のような端末が、コンピューター(AI)と繋がっていて、道を歩いていても、「転ばぬ先の杖」的な指示をしてくれるのです。

「私が、この端末を付けたらどうだろう?」と、ドラマを観ながら考えました。
道端に仔猫がいたら?
小鳥たちに食べ物をねだられたら?
木に話しかけたりしたら?

たちまちAIに「仔猫を拾うと、将来経済的に圧迫する確率が20%アップします」とか言われそう…

AIにあれこれ指図されて、その通りに行動してばかりだと、創造性がなくなって、人間もロボット同然、猫も拾えなくなりそうな予感満載。

そもそも、そんな時代に、仔猫も小鳥も木も、自然にはいなさそう…

だいたい、私は人からとやかく言われるのが大嫌いで、放っておいてもらえると、面白いアイデアを出すタイプなのですよね。

コンピューターの言うことを大人しく聞くなんて真っ平御免だと思ってしまいました。

ということで、この件に関しては、私は保守派ということになりそうです。

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