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2014年4月

2014/04/26

徳島での幽霊体験

まあ、幽霊と言っても姿はみていないのです。
音だけの幽霊でした。

私は当時中学生で、脊柱側彎症になっていました。
徳島大学付属病院の整形外科で画期的なコルセットが発明されたとかなんとかで、新聞記事を読んだ母に連れられて、徳島までフェリーに乗って行った時の話です。

いつもながら行き当たりばったりが好きな母は、徳島のホテルを予約するでもなく、「行ったらどこかに泊まれるはずや。」などという安易な考えの元、夕方のフェリーに乗り、着いたのは午後8時ごろ...

まずは何か食べるぞと料理屋に入り、焼き魚定食などを食べた後、午後9時ごろから泊まるところを探し出す始末。
ところが、徳島の駅前に当時ホテルはそんなになくて、数件のホテルを回りましたが、すべて満室と断られました。
もしかすると、家出親子とか思われてたのかもしれません。

最後に入った旅館と名のつく5〜6階建てのホテルに、一つだけ空いていると言って通された部屋での出来事。

その旅館は、玄関を入ってロビーのようなところの向こう側に吹き抜けの階段があり、そこを登って三階の部屋が私たちの部屋でした。
6畳一間で押入れがありました。押入れは奥行きが三角形でした。部屋の入り口からみて左側に押入れがあり、入り口の真正面に窓があり、窓には障子が閉められていました。

部屋に入ってすぐに押入れからネズミが走り回るようなドタドタっという音がなり、嫌な予感がしました。でも、古い旅館だから、ネズミがいるのだろうと母と話しあって、寝ることになりました。
洋服を脱いで旅館の浴衣を着て布団に入り、電灯を消してしばらくしてからのことです。
窓の外から、人の話し声がするのです。
三階なのに、人が窓のすぐ横で話しているような感じで聞こえてくるのです。
「変だな〜。」と思いながら、ビルの反射で何処かの声が跳ね返って聞こえているのかもしれないと思い直し、また寝ることにしました。
ところが、話し声の人数がどんどん増えていくのです。
最初は2人くらいだったのが、最終的には10人くらいがワイワイガヤガヤ...

それで、思いきって、障子をガラッと開けて外をみました。窓の下は道路で、人っ子一人いませんでした。向かい側にも誰もいませんでした。
その瞬間、声はピタッとやみ、朝まで聞こえませんでした。

朝、旅館を出る時にロビーで清算をしていましたら、なぜか従業員が3〜4人、奥から出てきて別に挨拶をするでもなく、私たち親子をジーッとみていました。なにか不気味なものをみるような感じで。
こちらの方が不気味でしたが。

そのあと徳島大学付属病院に行きましたが、私は熱を出し、診察を終えて夕方、フラフラの状態でフェリーに乗って帰ってきたという...

2014/04/22

幽霊がいると思える事件二つ

幽霊っているよねー。そう思う事件が、息子の小さい時と姪っ子の小さい時にありました。
まだ肌寒いですが、さらに肌寒くしてしまうかもしれませんが、悪しからず…

息子が3歳くらいの時、私は日本海側のとある地域に住んでおり、当時の夫がバンド活動を趣味にしていたので、その練習を子供連れで見学したことがありました。
20数年前、田舎には練習できるスタジオも一つくらいしかなくて、予約が取れなかったり、お金がなかったりという事情から、周りに家がない空き家などを借りて練習することがあったのです。
海辺の崖際の道路沿いにある一軒家で、その事件は起きました。
玄関を入って階段を上がると、左側はベニヤ板の壁で、右側に練習する部屋がありました。
練習部屋は広くて海が見えて、昼に来たらなかなかの絶景だろうなというところです。
練習が始まってしばらくすると、横に座っていた息子が、「ママー、階段のところから、おっちゃんとおばちゃんとお兄ちゃんとお姉ちゃんが、おいでおいでってしてるー。一緒に遊ぼうって言うてるー。」と、言い出したのです。息子が言うには壁の向こうに呼ばれているらしいのです。
みても壁しかありません。
変だなーと思って、その家を探して来たギター担当に尋ねると、「やっぱり出たかー、実はそこの壁、向こうに部屋があって、気持ち悪いから僕がベニヤ板貼ってふさいどいたのよー。」と言う。
なんでも一家心中があった家だったらしい。
もう二度と行きたくないのに、私はその家に財布を落として帰ってしまい、自分は怖くて行けず、翌日、無神論者の元夫に取りに行ってもらったという…^^;

もう一つの話は、母の住んでいたマンションでの出来事。
姪っ子が3〜4歳頃で、保育園を休んだ時に母が姪っ子を自宅で預かっていたことがありました。
ある日、姪っ子が玄関先を指差して、「あーちゃん、玄関のとこにお姉ちゃんが立っていて、一緒に遊ぼうっておいでおいでするから遊んできてもいい?」と聞いたのだそうです。
玄関はドアが閉まっていて、もちろん誰も立っていませんでした。
それで、「誰もいてないよー。」と返事をして、なんとなくそのまま終わってしまい、姪っ子は無事に帰宅したそうです。
しばらくたったある日、ことの真相がはっきりしてきました。
そのマンションで、数年前に6年生の女の子が、勉強を苦になのか、いじめが原因なのか、はっきりわかりませんが、とにかく母の部屋の横にある非常階段の踊り場から飛び降り自殺をしたことがあったらしいのです。
マンションの住人ではなく、一階にあった塾に通う生徒さんだったそうです。
ちなみに母の部屋は6階でした。
あの時に、姪っ子がうっかりついて行ってしまったら、どうなっていたのかと思うと...

まあ、そんなこんなで、死んでも終わりじゃないんだな、と私は思います。

おいでおいでをしていた幽霊たちが、光の方へ導かれますように。

2014/04/08

母の生活習慣から考察できること

母が歯肉ガンになって、数ヶ月が経ちました。
悪性度が高く、あっという間に広がっていってます。
どんな生活をしていたら、そんな風になるのだろうか?
母のしてきたことを明らかにしてみたいと思います。

40代の初めに高血圧症と診断されて、ずっと降圧剤を飲んでいました。
その他にも、利尿剤、抗コレステロール剤、精神安定剤、睡眠薬なども出ていたようです。
それを飲まないと脳溢血や脳梗塞で早死にすると医者に言われて信じていました。

※向精神薬は、認知症になるのを早めた気がします。

母の家に行くと、いつも昼間でもカーテンがしてあって、薄暗かったです。
「どうしてカーテンを開けないの?」と尋ねると、西日が眩しいからということでした。
逆に、夜は電気をつけていないと怖くて眠れないらしいのです。
私はその時のことを思い出して、自分の家を建てる時は、リビングを東向きに作りましたが、夜と昼の明るさが逆の方が心地よいと感じる母の感覚が不思議でした。

※考察するに、昼間の日光を少しも浴びていないと、ビタミンDが不足します。ビタミンDは抗ガンの働きをするらしいと日経サイエンスで読んだことがあります。
※夜に明るい部屋で寝ると、脳内のホルモンの出が悪くなるということも最近知られてきています。夜は真っ暗な部屋で寝るのが良いらしいです。それも夜11時から夜中の2時ごろまでに熟睡するのが良いらしいです。

母の年代の人に多いのですが、薄着が好きでした。
今は病気のせいか寒いと感じるらしく、春になってもセーターを二枚重ねて着たりしていますが、少し前までは、寒い日に平気で薄着でいました。
手を握ってみると氷のように冷たかったです。布団も冬に夏用のシーツで寝ていたりしました。認知症のせいなのか、寒く感じないせいなのか、わかりません。

※考察するに、ただでさえ降圧剤で血圧が下がり、血流が悪いのに、薄着で体を冷やして、ますます血流を悪くしていたということは疑いの余地がなさそうです。

熱いものを急いで飲み込むと食道癌ができるということを知り、熱いものを口に入れた後、しばらく口の中で冷やしてから飲んでいたようです。それでは口の中にガンができるということが、今となっては明白です。

水分の補給をあまりしません。
これも、血液がドロドロになりそうな要素です。

※東洋医学では瘀血という考え方がありますが、瘀血は前癌物質です。さぞかし前癌物質の生成に役立ったことでしょう。飲酒をする人は特に水分補給を忘れてはいけないです。

認知症が悪くなってきてから、家で料理を作らなくなり、スーパーで買ってきた値下がりしたお弁当を食べることが増えていたようです。産地も不明ですし、肉類が多く、あれほど毎日たくさん食べていた野菜をほとんど食べなくなっていたようです。

そんなこんなで、母はガンになりました。
ガンになりたくない人は、母がしていたことと反対のことを心がければ良いと思います。

母の生き方が他の人の役に立てれば、死んで閻魔様に会った時に、少しは弁解ができて良いのではないかと思います。^^;


2014/04/01

今を生きるために認知症になるのか

母と同居することになって、母を観察しています。
母は、割と過去や未来を思い煩うタイプのように思います。
その母が認知症になりました。
そうすると、過去の悔しい思いも未来への心配事もみんな忘れてしまい、みたところ、今を生きています。

洗濯物をたたみたいと思ったら何があってもたたむし、今したいことを最優先に生きている感じです。
それを邪魔されると、拗ねます。子供みたいです。
濡れているものをたたまれると困るので、干し直すと拗ねるのです。

株にハマり、新聞の株式市場の細かい字を毎日追っていたこともありましたが、今は昔のこととなり、今興味あることを今しているようです。

そんな姿をみていると、人間、死ぬ前に「今を生きる時間」を作ってこなかった場合に、もしかして、最後のチャンスとして認知症という「今を生きる」時間」を与えられるのではないだろうか?と思えてきます。

死ぬ前に今を生きるなんて手遅れ感が満載で、少し母が可哀想ですが、救いの手があったかもしれないけれど無神論者だったし、母の時代には精神世界の本などもなかったし、あるのはカルトみたいな新興宗教ばかりだし、本当に可哀想だなあと思います。

もっと好きなことに打ち込んだり、のめりこんだらよかったのに、どうしてこんなことになってしまったんだろうと、思います。

だから、自分はなるべく今を生きることを心がけたいと思っています。
お手本は、家にいる動物たちです。
動物たちは完全に今を生きていますから・・・

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