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2013年2月

2013/02/21

母のこと

母は最近、とみに呆け症状が悪化してきたようで、先日も妹の犬の散歩をしていているときに、自転車の通行人を犬が噛んだのに、「大丈夫?」くらいのことは聞いたらしいのですが、そのあと、どさくさに紛れて謝らずに家に帰ってしまっていたことが発覚しました。

商店街のお店の人が私の母であることを知っていたので、私のところに連絡が来て、私が平謝りに謝って許しを請いました。
幸い、相手が悪い人ではなくて助かったのですが、母には社会的な判断力というものがもう無いのだということを、思い知った次第です。

でも、私はちょっと想像してみました。
母が、大阪という大都会に住んでいなくて、のどかな山奥の村で暮らしている年寄りだとしたら。
幼稚園の頃に疎開していた四国の山奥だったら、もしかすると母は、今でも普通に暮らせるのではないだろうかと。

疎開先では、小川でお米をといでいたそうで、母はまだ5才くらいなのに小川にお米をとぎに行かされ、お米を流してしまってひどく叱られて、祖母から折檻を受けたということを、よく話していました。
だから、田舎暮らしはまっぴらだという風に語っていましたが、子供の頃に身につけたライフスタイルで生きられるのなら、もしかすると、もう少しマシな状況になっていたのではないだろうかと思うのです。

都会では、空気を読んだり、礼儀作法があったり、色々大変なことも多くて、母は窮屈で仕方なさそうです。
もう、母には空気を読むことなど、とうてい不可能だからです。
母は今、疎開していた5才くらいの少女にもどっている感じがします。

5才なのに、かじかんだ手で大家族のお米をとぐのは、どんなに大変だったか。
それを川に流してしまい、祖母から叩かれて叱られたことも、どんなに辛かったろうかと思うと、可哀想になってきます。

そんなトラウマを抱えたまま大人になり、自分も子供を産んで母親となったけれど、きっと小さい頃に傷が付いてしまった心は、今まで癒されることがなかったのではないかと思います。

家に一緒に住もうと誘っても、うんと言ってくれません。
自分から家出をしたことも後ろめたいし、さんざん自由を謳歌してきたから、今から窮屈な暮らしはできないと、残された正常な部分が邪魔をします。

私も専業主婦ではないから、ずっと母に付いていることも出来ません。
やはり、挙げ句の果ては施設行きになるのかと考えると、私自身もこの世界にがんじがらめに縛り付けられている気がしてきて苦しいです。

今度生まれるときは、絶対に大都会はパスしたいです。
というか、地球に住むところが残っているか心配ですが・・・

2013/02/03

ブライトの話

私が高校三年生か大学の一年生だった頃、父の会社の事務員さんが、公園で仔猫を4匹ほど拾いました。

当時のマンションはペット可の物件がほとんどなかったので、事務員さんは、犬と猫を飼っている私の父に泣きついて、1匹だけでももらってほしいと頼んできたそうです。

父が家に帰ってきて、そのことを私たち家族に持ちかけました。
けれども、私には溺愛しているフラウボウという仔猫がいたので、フラウボウよりも1ヶ月くらい月齢が上の猫をもらい受ける気にはなりませんでした。

それで、私は断り続けていたのですが、ある日学校から帰ってみると、シャム系の綺麗なオスの中猫が家にいたのです。
祖母に尋ねると、事務員さんが最後に残った仔猫が大きくなってきて、どうしても里親さんが見つからないので、仕方なく父がもらって帰ってきたということでした。

フラウボウが萎縮しないか心配しましたが、もらってきた中猫は、自分の立場をよくわきまえて、フラウボウをいじめたりすることもなく、かえってフラウボウがよその猫にいじめられたら、助けに行く優しいお兄ちゃん猫になりました。

私は、フラウボウもガンダムからつけたし、この猫もガンダムからつけることにして、ブライトと命名しました。

ここで、その当時、私が置かれていた立場を説明しないといけません。
父が浮気をしたために、母が怒って二年前に家を出ていました。
家には祖母と私たち子供が置き去りにされた状態でした。
父は、私だけには何故か優しかったので、父に何か用事があるときは、家族中が私をアテにしていました。
家出をしている母の生活費も、私が父に頼んで工面する状況でした。
学校はお嬢様学校で、毎日幸せそうな級友たちをみて暮らしていました。
登校拒否をしようとしましたが、当時は昼間に家にいてもすることがなく、病気のフリをして寝て生きるのも大変疲れるために、泣く泣く学校に通い続けていました。

そんなある日、ブライトが私の晩ご飯のおかずである焼きたてのサンマを、丸ごとくわえて逃げました。
今思うと、猫の世話はほとんど、猫が嫌いな祖母が嫌々していたので、あまりお腹いっぱいに食べてなかったのだと思います。
独立心旺盛なフラウボウは毎日ネズミを捕ってきて栄養を補給していましたが、ブライトはお腹がすいていたのだと思います。
でも私は、自分のストレスと空腹に我慢が出来なくて、サンマを口から取り外した勢いで、ブライトを投げつけてしまいました。
猫にそんなことをしてしまって、その後何十年も後悔し続けて、そのうち私は猫を助けるボランティアになりました。

当時は、猫の避妊去勢は、あまり周知されていなくて、ブライトも去勢されていなかったから、一歳くらいになると外に遊びに出てケンカをして帰るようになりました。
電車か車に、綺麗で長い尻尾を切られて帰り、夜中に獣医さんの家に駆け込んだこともありました。それ以来、ボブテイルでした。

ある時、他の猫に噛まれた傷が化膿して、ブライトが辛そうにしていました。
私は学校に行く前、ブライトに、「今日帰ってきたら、かならず獣医さんに連れて行ってあげるから、待ってるんやで。」と言い聞かせて登校しました。
でも、家に帰ってみると、ブライトはいませんでした。
祖母に聞くと、昼に出て行ったきり、帰ってこないと言います。
「死にに行ったんとちゃうか。」と祖母は言いましたが、今思うと、祖母がどこか遠いところに捨ててしまったのではないかと思っています。
猫に治療費を払うのが、猫嫌いの祖母からしたら無駄に思えたのではないかと思うのです。

まあ、そんなことはさておき、それ以来ブライトはいなくなりました。
優しい青い目をしたブライトの面影が、今も私の心に、棘になって刺さったままなのです。

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