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2012年8月

2012/08/29

心を転写する話

私が猫三昧の生活をするようになって約15年くらい経ちました。
今よりも15才若かったときにミルクを飲ませて育てた子は、気が荒かったです。
そして、15年経って、育てている仔猫はとても気が優しいのです。

15年前に育てた仔猫は気が荒く、嫉妬深く、しょっちゅうケンカを吹っかけてました。
今育てている仔猫は大人しくて、だれともケンカせず、いたわり合っているのです。

この結果を踏まえて、私はこう思います。
「はは~ん、どうやら自分の心が仔猫に転写しているようだ。」と。

まだ30代半ばだった頃の私は、おそらく喧嘩っ早くて嫉妬深かったのです。
そうすると、今の私はかなり穏やかになっていると考えられます。

それでも、自分の心の荒さが外に出てしまうことがあるのですが、心の綺麗な犬、猫、植物たちに、自分の汚れた心を転写しないようにと心がけるようになりました。

たとえば、エアコンの修理の兄さんが、私をただのクレーマー扱いした。腹が立つ。自分の不甲斐なさを棚に上げて!と、オーラが真っ赤になるくらい怒っても、そのお兄さんを叱りますが、動物たちに八つ当たりしたりしません。
自分の赤く焦げたオーラに、猫のエネルギー体が焼けただれて病気になったら大変だと考えます。

最初は、動物や植物だけだったのですが、最近は空気や雲や光など、人間以外のあらゆるものに、美しく綺麗だと感じるようになり、黙って自転車に乗っていると、景色が光り輝いて見えることがあります。

ところが、人間と関わると、この美しい景色が雲散霧消してしまいます。
人間は、とても業の深い生き物なんだなと思います。

私が人間の心の中にも光を見いだせる日はいつのことやら。
人間って、一石二鳥を狙って謀略を考えたり、他人をコントロールしようとします。
その様子を感じた瞬間、「ああ、この人の心は汚れているんだな。」と思います。その汚れた心が自分に転写されないようにとバリアーを張ってしまいます。

動物や植物には簡単なのに、人間相手だと、すごく難しい。
そして、自分の汚れを相手に転写しないように、日々修行なんだと思います。

死んだ祖母は、この辺のことがかなり出来ていたと思います。
孫たちの前で他人の悪口を言ったりは絶対にしませんでした。これはすなわち、悪い心を転写しなかったのです。
私が、わりと簡単に動物たちとうち解け合えるのは、これのお陰なのかも知れません。

と、いうわけで、自分より弱い立場の者に、自分の汚れた心を転写しないように、自分の心をしっかりと制御することを、私は仔猫から教わったという次第です。

2012/08/03

子供がかわいくない part2

私のブログは精神世界と犬猫の話題が多いのですが、なぜか検索キーワードで一番多いのは、「子供がかわいくない」なのです。

自分の子供がかわいくないと、真剣に悩んで検索をしている人が多いのが気になります。

以前にも一度、同じ題名で書いたことがありましたが、うわべだけの簡単な経験談でしたので、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。

子供を育てるときに私が一番感じたのは、「待つことの辛さ」でした。
ほしいものはわりと簡単に手に入る時代に、子供だけは、どうしようもなく育つのに時間がかかるのでした。
おまけに三度三度食事を作ったり、お風呂に入れたり洗濯をしたり。
「アレがほしい」と泣くし、べたべたした手で触ってくるし。

娘時代の、何もかも家の用事を祖母たちがしてくれて、自分は勉強だけしていれば良かったのとは大違いでした。
そのストレスたるや、大変なものでありました。
おまけに、嫁姑の問題や、子供っぽいダンナの所業などで悩まないといけません。

いっぺんに自分の人生が、「もう終わった」と思えたものです。
「おまけに」という言葉が二回も出てきましたが、本当に、子育てって「おまけに」の連続でした。

私は病弱という意味では親の手を煩わせたこともありましたが、そのほかの点ではほとんど親の手を煩わせない子供でした。
静かに本を読んだり、友達と遊んだり、テレビを見たり。
親に遊んでとねだったことも、ほとんどありませんでした。ピアノがあったらそれで満足。
ねだっていい相手は祖母であり、父や母は自分の問題に没頭していて、子供のことなど眼中になかったように、今は思えます。
親にとってみれば、放っておいても勝手に育つような子供だったのかも知れません。
私は親に構われたことがあまりなかったのでした。

息子が生まれたときも、「猿みたい」と思っていたし、「猫の方が可愛い」とか平然と言っていました。
それが、二年くらいたつと、世話も辛いけれど子供が可愛いと思えるように、だんだんとなりました。

それでも、まわりの家族の協力がないとか、夫が自分一人で遊ぶなどということがあると、自分だけ牢獄に閉じこめられている気分になりました。
独身時代はさんざん自由を謳歌していたのに、今の自分には子供という重しが足に繋がっているようで、息苦しかったのです。

よく「自分に与えられた幸せを楽しめばいい。」と言われます。
そんな達観には、とてもなれない若い自分でした。

昔は女の子は、子育てや嫁入りに耐えられるように、教育もさせてもらえず、「じっと我慢の子」の練習をして大きくなったようなところがありますが、今は男女同権を教えられて育ち、高い教育も受けています。
それなのに、子供を産んだ途端に、毎日地べたに這いつくばって生きることに、どうしてもなってしまう。
特に、核家族が多い今は、妻一人で何もかも抱え込まなければならない。
親と同居していても、親が自分の楽しみに夢中で、子育てに協力的ではないなどということになれば、もっとストレスは大きくなってしまう。
生活のために外に働きに出ないといけないとなると、人間関係のストレスや通勤のストレスもかかってくる。

子供がかわいくないと思ってしまう母親の気持ちは、本当によくわかります。
私だって、早く時間が経たないかなと思ったことでした。

長い長い我慢の時間を経て、今は、自分のしたいこともできるようになりました。
本当に修行だったと思います。

今、辛い方、時間は経ちます。
その時間を手抜きをしないで、どうか子供と遊んだり教えたりしてあげてください。
そのうち、子供が自分でどんどん学び始めます。
そうしたら、楽になれますから。

子供がいうことを聞かないと悩んでいる方、一方的に怒って命令調になっていませんか?
命令調ではなくて、面白がりそうな工夫をするといいです。
まずは自分が楽しそうに掃除をしたり料理をしたりするのです。最初は演技でも良いです。

そんなことをしているうちに、ダンナも子供も手のひらの上で転がせるような女狐になれるかもしれません。
そして女狐の後は、老獪なオババ様を目指しましょう。

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