2026年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012/06/24

地球環境と動物愛護

もうだいぶ前になりますが、私が動物愛護に目覚めてかけ出しだった頃、同時に地球環境保護にも目覚めていたのです。
ネットワーク地球村の会員になるのと同時に、関西動物友の会の会員にもなっていました。

私は、都会で動物と共に暮らすと、地球環境保護とは反対の事になってしまう矛盾に悩んでいました。

ある日、私はネットワーク地球村の講演会を聞きに行き、講演会の後に代表の高木善之さんに握手を求めました。
その時に、自分の悩みを少し打ち明けました。
高木さんは、「いつか自分で答えが出せるよ。」と言ってくれましたが、簡単には答えを教えてくれないのかと、ガッカリしました。

あれから、かれこれ15年くらい経ちましたが、やっと答えが出かかっています。
要するに、ペットを飼うということ自体が自然からかけ離れているために、そこから矛盾が生じているのです。
こんな簡単なことがわかるのに、15年もかかってしまいました。

15年の間には、猫を次々と捨てられて家が猫だらけになって、その掃除に明け暮れたり、里親探しに明け暮れたり、生きるために働いてばかりいて、時間がどんどん過ぎていってしまったのです。

その間、地球環境保護は、なおざりになってしまい、猫たちの部屋のエアコンは付けっぱなしだし、汚い水は流すし、ゴミはどんどん出すしということが、どんどんエスカレートしていったのです。
何しろ、最高60匹も家にいたのです。敷地面積たった12坪くらいの家に。
地球環境どころではありませんでした。

今、猫の数は10才以上の成猫が21匹となり、今度は病気で次から次と、どんどん死んでいきます。
死んでいく猫に対して思うことは、たくさんの猫たちを、狭くて日のあまり当たらない部屋に閉じこめて、死ぬまで幽閉してしまったことの後悔です。

都会では仕方がない、猫は外に出なくても大丈夫。
一理あるのですが、私はどうしても猫たちに申し訳がなくて、毎日謝ってばかりいます。

そして、15年ぶりにやっとわかったこと。
それが、ペットを飼うということ自体が自然からかけ離れているために、そこから矛盾が生じているということだったのです。
人間自体も自然からかけ離れているので、それに合わせようとすると、動物も自然から切り離さざるを得ない。
本当に、動物を愛護しようと思ったら、人間が自然に帰るしか方法が無いということがわかってきたのです。

究極の答えは、人間が自然から離れてしまっていることを修正しないことには、真の動物愛護は成り立たないということだったのです。

今更、文明生活を捨てられるわけもないですので、折衷案として、人々が分散して暮らし、大都会に集まりすぎないような暮らし方を模索するのが良いのではないかと思います。
そして、猫は昔のように放し飼いで、人の家の軒を借りて共生していくような、そんな世界はできないのかなと、私は思います。

簡単には答えを教えずに、自分で考えさせてくれたネットワーク地球村の高木代表に、今は感謝をしています。

2012/06/20

なかったことにしたい気持ちはわかる

原発事故があってから、そこで商売をしている人たち、電力会社の系列で働いていた人たちと、色々いると思うけど、経済が潤滑に回るためには、「原発事故で放射能が播き散らかされた現実」はない方が望ましいと思います。

仮に、そこで診療をしている開業医だったとすると、病気を「放射能の疑い」なんてカルテに書いてしまうと、大変なことになります。
人々は逃げ出して自分の病院にきてくれる患者がいなくなるのは困るからです。
だって、開業するときに、大借金をしているんですよ。
歯医者でさえも、レントゲンや診療用のベッドをそろえたりするのに、一億くらいお金がかかると、友人に聞いたことがあります。これが、超音波画像診断装置や、CTスキャンなどをそろえていたりしたらどうなるか・・・

そりゃ、なかったことにしたいですよね。

商売だってそうです。
買ってくれる人が住んでいないと、売れないんですから、事業資金も返せないし、家のローンも返せなくなる。

平和が一番。

電力会社に賠償請求がたくさん来て、倒産したらどうなるでしょう。
関連企業の社員たちは戦々恐々としているのではないでしょうか?

だから、なるべく、住んでいる人全員が、「放射能なんてないんだ、病気は単なる偶然か、運が悪かったんだ」と思ってくれるのが一番です。

事故から一年たって、「ほら何もなかったじゃないか」という人がいますけど、直接あびた放射能ではないので、結果がすぐには出ないんですよ。

5~20年かかる場合もあるんです。

そのときになって、慌てても後の祭りだということを、政府や関係者はよく知ってます。
後の祭りになるのを狙っていると思います。
証拠がないと認めてもらえませんが、体調不良で訪れた開業医が20年後に開業しているかわかりませんし、開業していたとしてもカルテを保存してあるかどうか保証はありません。

タバコを吸う人はタバコのせいにされるでしょう。
とにかく、原発との因果関係を切り離す方向へと持っていかれるでしょう。

うまく証拠を取り揃えられて、賠償金をもらえる人は、ホンの一握りになるでしょう。
より賠償請求を複雑にするために、膨大な量の書類に目を通さなくてはいけません。

20年後にあなたは何歳になっていますか?
私は68歳です。
今、74歳の母を見ていても、とてもそんな難しい芸当をやってのけられそうにありません。
泣き寝入りになるのはほぼ確実です。

もしも、福井の原発で事故が起こったら、大阪もそうなります。
その時、やはりみんな、何事もなかったようにしてしまうのでしょうね。
何事かあれば大変。
従業員に給料も払えなくなる。
テレビを見て笑い、風呂上がりに冷たいビールをグイッと一杯なんてこともできなくなる。
だから、いつも通りを装うしかない。

でも、結果はでます。
そういうことをして、次に生まれた世代は知能が普通より低いかもしれない。
そうなってきたら、年老いて子供に面倒を見てもらうどころか、一生子供の世話に明け暮れないといけないかもしれない。

まあ、そんな風に生まれてくるのは、孫の代で、自分は楽できてラッキーと思う人には何を言ってもダメですが、もしもそんなの嫌だと思う人は、脱原発のお手伝いをしてください。

庶民の戦い方は、「圧倒的な数」と「口伝え」です。
どうぞ、体制側であるテレビと大新聞が伝えない真実を、野火が広がるように伝えてください。
そして、選挙の時は、票集めの嘘つきではない脱原発の候補者に投票しましょう。

2012/06/07

私たちは一つ一つのシャボン玉なんだけど本当は全員、空なんです

この頃、「そうかあ、見ている世界が違うんだなあ。」と思える出来事がたくさんありました。
それは、あの原発事故から、確実に始まったと思います。
それまでも何となく思っていたのですが、この頃確信を持ちはじめました。

この、生きている現実だと思っている世界で、私たちは、各々の夢を見ているのだということを。

原発事故で、急に環境保護や反原発に目覚めた人。(これ私など)
いつも通りにお笑い番組を見たり、スポーツを観戦して暮らす人。(これダンナなど)
趣味の世界に生きる人。(これ息子など)
犬猫助けに奔走する人(仕事で出会う多くの犬猫ボランティアさんなど)

放射能を拡散させないようにしたいのに、周りの人と話をしていると、何事もなかったかのような反応だったりするし、放射能もこわいけど、自分が没頭していることが頓挫する方がもっとこわいと思っているような反応が多くて。

私の場合は、惚けた母が毎日家にやってきて、「年金をもらってないから手続きしてくる。」という話をしてくるという日常が繰り広げられていて。

母のみている夢は「お金」なんだなあ、とか、思ったりします。

みんな、311の前までは、好きな夢を見られていたんだと思います。
思いっきり、自分の夢の中に没頭していて良かった。
でも、私はあれ以来、ちょっと目がさめかかってパニック映画のように慌ただしい夢になりつつあります。

なんというか、シャボン玉ってあるじゃないですか。
シャボン玉って、空が映りますよね。空が映ってきれいでしょう?
私たちは、一つ一つのシャボン玉なんだけど、本当は、全員、空なんです。
そして、空がしたいこと、見てみたいことを、自分に映して見せているのではないかと思います。

となりのシャボン玉に、同じものを映せと言っても、なかなか映してくれないのは、もちろん、角度も変われば映る景色も違うでしょうし、そのシャボン玉は与えられた使命を全うしようとしているんだと思います。
あるいは、空に見せていることをすっかり忘れて、自分が映った景色に見とれてしまっているのでしょう。

私は311の事故を見て以来、まあ、それまでにも色々な不思議体験もありましたから、半分目がさめかかっていて、シャボン玉が割れそうになっているのです。

でも、なんとか、地球を守る夢にしがみついているような状態なのではないかと思います。

そんな状態なので、私は熱く生きられなくて、テレビでスポーツ観戦をして「よっしゃあ~」とか言っているダンナをみると、白けてしまって仕方がありません。
みんな何で、前と同じ日常を生きられるのかが、わからなくなってきているのです。

あんな事故、無かったことにしたい。電気もダバダバ使って、世界中の食べ物を食べて、今まで通りの何も心配せずに暮らしていた世界にもどりたい。みんなそう思っていると思います。
放射能以外のことだったら、それができた。

どんな辛いことも、無かったことにして忘れたようにして暮らすことはできるけど、放射能が体をむしばむ現実は、無かったことにできなかった。私には。

でも、無かったことにして生きている人たちがたくさんいて、そのことに私は驚いていて、しかも、自分自身も半分あきらめて、日本でとれた食品を食べていたりしている。

夢はずっとみたいたいのに、半分、さめかけている、でもまだ起きたくない。
そういうことになっているみたいです。

そんな日常の中で、「そうかあ、みんな各々の夢をみているんだなあ。」とつくづく感じている今日この頃なのでした。

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »