Bコース 避妊・去勢分院について (2)
取り急ぎ、ご報告します。
分院の形を保つために、しばらくは院長が執刀することになりました。
数も今までのようには行きませんし、手術方法なども、変更の場合がありますので、今後は、「あびこ動物病院」のホームページにて、ご確認をお願いします。
今は時間がないので、情報不足ですが、よろしくお願いします。
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取り急ぎ、ご報告します。
分院の形を保つために、しばらくは院長が執刀することになりました。
数も今までのようには行きませんし、手術方法なども、変更の場合がありますので、今後は、「あびこ動物病院」のホームページにて、ご確認をお願いします。
今は時間がないので、情報不足ですが、よろしくお願いします。
急な話なのですが、今年の6月13日をもって、手術を専門にしてくださっていた先生が退職されることになりました。
それで、景気も悪いし、スタッフの数も減らさないといけないかも知れないし、分院のフォローも続けられるかどうかわからないので、猫ダンナは分院を閉鎖したがっています。
私も、ついこの前まで、閉鎖しようと思っていました。
もう、しんどいことはやめて、市民農園が当たったことだし、農作業でもして暮らそうかなと思っていました。
どうしてそんなことを思ったかというと、春になると今にも生まれそうなお腹がパンパンのメス猫を手術しないといけないからです。
何度お願いしても、そういうメス猫を連れてくる人があとを絶ちません。
分院は最初、経費節減のために自宅でやっていたのですが、自分の家で毎日繰り広げられる堕胎について、私はいたたまれなくなり、猫ダンナのフォローもしやすいことや送り迎えの手間も省けるということで、経費はかかりますが、本院の隣があいたので引っ越しをしたという経緯があります。
私は自分の双子を、生まれても生きられない心臓奇形が発覚したために、中期中絶したことがあるのです。
そのトラウマがあるのに、毎日自分の家で、蘇生したら生き返りそうな仔猫を殺し続けるのを、見て見ぬふりしているなんて、当時貧血で半病人でもあった自分には、負担が大きすぎました。
そういうことなどもあり、Bコースの分院は、他にも志ある先生もいるみたいだし、大阪市の公園猫や地域猫の避妊手術もできたことだし、もういいかなと思っていました。
それが、ついこないだの金曜日に、嫌な話を聞いてしまいました。
遠方に実家がある若いクラスメイトがいるのですが、実家で仔猫が生まれ、その仔猫が三匹とも雌で、それぞれお腹がふくらんで、二匹は出産し、もう一匹は臨月で、仔猫の里親は見つからないし、避妊手術代が当地では1匹二万円で、10匹以上になると思われる費用が出せないので、「お母さんが山に捨てに行くって言ってるんです。」と言われてしまいました。
2年前から相談を受けるたびに避妊手術を勧めてきましたが、どうもお母さんが避妊手術に抵抗があるらしく、ついにこんなことになってしまったのです。
今時、捨てるのは罰金50万円なのに!と思いつつ、山陰地方ではまだそんなことを言っているのかとがっかりもし、もしもBコース分院が無くなってしまえば、また、大阪も以前のように元の木阿弥になってしまうのではないだろうかと思い始めています。
分院としての存在は無くなっても、ボランティア主体の避妊去勢病院として残せないかと思うのです。
市長がかわって、公園猫や地域猫の活動も、どうなっていくのか先が見えなくなってます。
せめて、落ち着きを見せるまで、存続できないか。
でも、仕事の内容は、手術だけではなく、電話の受付、説明、手術の受付、同意書の説明、キャリーが汚れていた場合には洗浄することもあるし、お迎えの説明、精算、経理事務と、今、本院のスタッフがフォローしている部分を、ボランティアがフォローしていかないといけません。
良い獣医師を見つけることも課題となります。
そんなことが果たして可能なのか。
もちろん、私は協力していきますが、呆けかけの母のこともあるし、全力とはいきません。
あと2ヶ月しかありませんが、良い知恵がでればいいのですが・・・
何でも意見を出し合えればと思って、ブログに書きました。コメント、よろしくお願いします。
三年間東洋医学を習って、だんだんと自分の体の状態というのがわかってきました。
時期を追って、私の体がどうなっていったのかを、少しずつ見ていこうと思います。
癒しを業とする方にも何らかの参考になるかもしれません・・・
10年前から、だんだんと体調が崩れだしたので、10年前の38才のところから振り返りたいと思います。
38才頃、動物病院に捨てられた仔猫を家に連れて帰ったはいいものの、里親探しが下手で、大変な数を世話することになって、私はフル回転して働かないといけませんでした。
動物病院でも、看護師としても経理担当としても働いていました。銀行へ行ったりお弁当を買ってくる雑用まで、ほとんど私の仕事になっていて、おまけに息子が不登校になり、動物病院の休憩時間には家に様子を見にいくついでに家の猫の世話をする毎日。
動物病院の前に安易に猫を捨てる人がいなくなるように、他の人の里親探しの手伝いもその頃に始めました。
今思うと、あんなことがよくできたなと思う日々でしたが、だんだんと調子が悪くなってきていました。
その1
足が、午後になると浮腫むようになってきた。靴が窮屈で履いていられない感じ。
指輪も夜中に抜けなくなるとこわいので、つけられなくなりました。
原因
ストレスから帰宅後にビールを2本くらい飲むのが常態となっていき、冷飲食によって体が冷え、東洋医学で言うところの陽虚証になっていた。詳しくは脾陽虚です。
その2
急に大便がしたくなり、したくなると、どうにも我慢ができなくなることがあった。
原因
自律神経の調節ができなくなっていた。
東洋医学的には陰陽のバランスが悪く、陽が不足するために、余った陰を排出しようとしていたのかと思う。特に脾虚証は水分のアンバランスを来しやすい。
40才頃、あいかわらず全力疾走中。
その3
突然左側の上の奥歯が痛み出し、いてもたってもいられないくらいに痛みました。
歯医者に行っても虫歯はないということで、上顎洞の方だろうということで手術をしました。
ちょうどその頃、腰痛も尋常ではないくらいになっており、受付で立っているのが辛くなってきていました。
時々のどに何か詰まったような感じがしていました。
原因
気の巡りが悪くなり、肝気が欝結して滞り、若い頃に一度手術をしたことのある左の上顎洞の弱いところに噴出していたのだと思います。肝の気は筋肉に影響が出ることが多く、腰痛も筋肉がカチカチに凝り固まったことにより、椎間板が狭められて、起こっていたものと推測しています。
その4
股関節の辺りが急に痛み出し、立ち上がるとしばらく歩けない状態が続きました。ある日、突然治りました。
原因
股関節に異常があるのかもしれませんが、腸腰筋が硬くなってしまった結果、ソケイ靱帯の筋裂孔を腸腰筋が通るときに窮屈になっていて、その部分で摩擦があるために痛みが発生したと推察しています。
こちらも、東洋医学的には肝の気と関係が深かったのではないかと思います。
柔軟体操をすることで楽になりました。
その5
生理の時に、必ず下痢をするようになりました。この頃、生理痛はまだひどくなく、下痢がメインの症状でした。
原因
陽虚証であるための下痢と、気が少なくなっていくことで、生理の時には下痢を留めておこうとする腎気が減ってしまったため、とめどなく下痢が続いたのだと思います。
42才頃
仕事量を減らし、なるべく家の用事をメインに切り替えました。肉食をやめようとしていましたが、正しいベジタリアンにはなれず、ただの偏食をしていました。これは、数年後に血液検査で極度の貧血が発見されるまで続きました。
その6
生理痛がだんだんとひどくなっていき、しまいには発熱するようになりました。生理の後半にはお腹に石が詰まったような痛みにかわり、食事を取るとひどくなりました。
原因
元々、妊娠5ヶ月後半で流産をしていてお乳を赤ちゃんに飲ませていないために、血流が悪くなる血瘀証になっており、貧血になったことで、血虚証になり、血が足りないために更に血流が悪くなるのとが重なって、かなり重症の血瘀証になっていたと思われます。
朝起きたときにお水を飲むようにするとマシにはなりました。
とりあえず、42才まで考えました。続きはまたいつか。
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