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2011年9月

2011/09/27

奇跡を起こす 見えないものを見る力 木村 秋則 著

「奇跡を起こす 見えないものを見る力」という本を読んでいます。著者の木村秋則さんは、龍を見たり、宇宙人を見たり、UFOを見たり、ちょっと私と似たところがある人だなあと、いつも思っていて、新しい本の題名が気に入って、またまた購入してみました。

不思議体験は、うかつにしゃべると統合失調症みたいに言われたり、見間違いだと笑われたりするので、みんなうっかりと人に言えないと思います。
木村秋則さんも、最初はそうだったようですが、無農薬リンゴが成功して、世の中の人が認めてくれるようになって、少しずつ、不思議な世界や見えないものを見る力が意外と大切なんだということを、話し始めるようになったようです。

私も子供の頃から、ちょっとかわった体験やUFO目撃などをしていますから、余計に親しみが湧く上に、自然の心を汲んだ農業の展開を広めておられる、とてつもなく尊敬する方のお一人です。

この世界の農業が、すべて無農薬になり、地球を痛めずに、おいしい食べ物が作れるというのなら、それに越したことはありません。

人は、「木」といえば、幹や葉を想像しますが、実は同じくらいのものが地下に「根」として繋がっています。この、見えないものに気づく力が大切だと。
根っこと同じように、この世界には、人の目には見えない不思議な世界が広がっているかもしれない。たしかに自分はそれを見たと、木村秋則さんは言っているのです。

犬や猫を飼っている人は、霊感が強くなくても、何となくそのことがわかると思います。何も見えないのに、犬猫が何かを目で追ったり、急に吠え出したりすることは、犬猫飼いの誰もが経験していることです。
お花が好きな人は、切り花に話しかけたりしていると、根っこが伸びてきて、そのまま土に植えると大きく育つなんていう経験をしたことがあるかもしれません。

私は鍼灸を勉強しているから、目には見えない「気」を扱うことになるのです。
それで、余計に興味深く、この本を買いましたが、面白くて2時間で2/3を読んでしまいました。

まあ、普段から龍神さんとお友達とかいっているし、雀と蝶々と仲良しで、不思議ちゃんなので、面白いのも仕方ありません。

もしも、お近くの方や、私と会う機会がある方にはお貸ししますし、おこずかいに余裕のある方は買ってみてください。きっと人生にとってプラスになることが書いてあると思います。

2011/09/20

公共的なシェルター建設についての構想

以下、関西動物友の会に寄稿した文章です。

東日本大震災で、多くの方も家を失い避難所生活を続けておられます。飼っていた犬や猫たちの消息も不明のまま、探そうにも探せない状況が長く続きました。現在でも進行中です。
いち早く、他府県より多くの動物ボランティアも集結し、放浪している犬や猫を保護し、ボランティアの地元に連れて帰って飼い主を探す活動も活発に行われています。大変、喜ばしいことでもありますが、個々に犬や猫が連れて行かれた場合に、元の飼い主が自分の犬や猫をさがすのが、大変難しくなってくると私は考えます。

遠方に連れて行ってしまうと、飼い主を探すのは主にインターネットなどの媒体や、ポスター掲示程度になってしまうと思われますが、多くの被災した方たちがインターネットに接続できる環境にない場合は、消息不明のままとなることは明白で、飼い主が高齢者の場合は尚更です。結局、飼い主が見つからずに里親をさがすこととなり、遠方まで助けに行ったボランティアの負担も増えてしまいます。

関西動物友の会では、被災地の一つである石巻動物救護センターに、物資を送る支援をしておりますが、こちらでは、できるだけ保護情報を一局に集約できるように努力されているようです。
個別のボランティアがそれぞれに地元に迷子の犬や猫を連れて帰ってしまうと、被災した飼い主が自力で探すことが非常に困難になると思います。

我々の地元に立ち戻りますと、公共的なシェルターは皆無、動物管理センターとは、迷子の犬猫を預かって三日ほどで殺処分するところという具合です。

災害時に、動物たちが生き延びる公共的な場所を、大阪市や大阪府が作ってくれたなら、いざというときに困らないのではないでしょうか。もちろん運営はボランティアと共同で、財政負担にはできるだけならないように工夫をすることも大切です。
災害時に活躍するだけでなく、普段から、里親探しや迷子の犬猫の保護ができれば、殺処分数を減らすことが可能になってくると思います。

また、殺処分が減ってくれば、殺処分に対して雇用していた人員をこちらにまわし、雇用が減るということもありません。要は、殺処分に使われていた税金を、生かす方へ回すということです。
そのためには、命を大切にする啓蒙活動なども行う必要があります。こちらは公的機関にも、ポスター掲示等、大いに協力していただけることと思います。

大阪市では近年、公園猫サポーター制度ができましたが、捨てられた犬猫を見つけた場合に、警察へ送り、飼い主が見つからない場合は動物管理センターにて殺処分という道筋を受け入れられないボランティアの場合は、自分が保護することとなり、多頭飼育崩壊の危険や、時間的経済的負担も多く、サポーター制度自体の存続が危ぶまれます。こんなときに、一時保護できる施設があれば、多くの命を救うことができると私は考えます。

2011/09/05

虹の戦士

地球をどうしたら癒せるかを考え続けて、やはり人類がインディアンみたいに暮らすのが一番良いんだろうなということは、わかっていたんです。

でも、私はいつも説得力が無くて、まわりの人には不思議ちゃん扱いで終わってしまうところがあって、少し説得力を身につけたいし、再度インデアンの生き方を学んでおこうと思い、購入した本がこれです。

折しも原発事故や自然災害などが頻発して、いよいよ地球が変だということが誰の目にも明らかになる日が近づいてきている気もします。

読んでみると、インディアンたちは、「地球を生きている存在として全ての生命の母として見、全ての生命あるものを兄弟姉妹と見る」とあとがきにあります。
アメリカインディアンの予言には、灰の詰まったひょうたんが二回地球を震わせたあと、遠からずして浄化の時がはじまり、ホピと純粋な心を持ったインディアンたちが力を合わせて、世界をよりよいとこへとつくりかえていく。」というのがあり、胚の詰まったひょうたんは広島長崎の原爆のことであると、まえがきにあります。

動物ボランティアに関わる、都会に住む人たちは、もしかすると、アメリカインディアンだった過去生があり、今の現状を見ていられなくて、どうしようもない衝動にかり出されてボランティアを始めてしまった人がたくさんいるのかも知れないと、思えてくる一冊です。

もしも、都会で木や動物たちの扱いがひどすぎる、かわいそうと思うことがあったなら、きっとあなたの心の中にはインディアンのスピリットが入っていて、末期的な地球を救うために、かわいそうな生き物たちを助けるために、勇気を振り絞って大都会に生まれてきているのかもしれません。

本当を言うと、インディアンのスピリットを持っていたら、大都会の暮らしなんて、嫌でしようがないはずなんです。私がそうです。でも、助けるものがいなければ、生き物たちはどうなってしまうのかと考えると、逃げ出すことができません。

最後まで残って生き物たちを助け、同時に地球を助けるようなシステムを作りに来たんだと、この本を読んでいたら思えます。

読んで思ったのですが、この本、たぶん10年位前に読んだことがあるような・・・(笑)
でも、まだ読んだことのない皆さんは、ぜひ、読んでみてください。
私と直接会える方、近くの方には貸し出しもOKです。一時間あったら読めます。

2011/09/03

ブラジャーが嫌い

私、ブラジャーが大嫌いです。
特に40才を過ぎた頃から、体の血の巡りがイマイチで、ブラジャーをすると、乳房に血流が行かないのです。
おそらくはリンパの流れも悪くなっているものと思われ、脇が腫れてくることもしばしばでした。

それで、母から作務衣をもらったこともあって、思い切ってブラジャーをはずして作務衣生活にしたら、快適快適。

重力に負けて、垂れてくることは覚悟の上。
リンパの流れを悪くして乳がんになったりするよりはマシかなと思っています。

私は、4年前には、かなりひどい貧血で、立ち仕事を30分したら、30分寝ないといけないような人だったので、尚更ブラジャーが苦しかったのだと思います。

困る点が一つ。
ブラジャーもしないけど、化粧もしないため、少し遠出をするときも、ノーメイクしか受け付けないようになってしまってます。さすがに結婚式とかにはするんだけど、「なんで化粧せなアカンの?」と、しきたりにもの申すような人になってしまいました。
結婚式にもお葬式にも、どちらも出たくないですわ。

もう一つは、やはり、洋服を着ないといけないかな・・・と思っても、流行遅れの洋服をみるにつけ、違和感を覚え、どこへ行くにも作務衣になってしまいます。

作務衣のよそ行きを用意しなくてはいけないと思ったり、着物の着付けを習おうかなとも思います。
二部式の着物が良いなあ。どうせなら楽なのがいい。

ということで、最近は、自分の身を構うことが、面倒で仕方がありません。
この前習った、リハリビリテーションの講義では、日常生活動作の「整容」ができないと、問題らしいのですが。

ブラジャーもやめて化粧もやめて洋服も着なくなったら、巷にいる若者の格好をしているオジサンオバサンにも違和感を感じてしまいます。髪の毛が茶髪とか。

まあ、向こうから見たら、私の方が違和感だらけな人に違いないことは確かです。

2011/09/02

悲しい犬の思い出

私、一年だけ中学の教師をやっていました。

そのときの中学校に、檻に入れられた犬が2頭くらいいて、誰も世話をせず糞尿垂れ流しで、毛もボサボサ、エサだけ与えられている状態だったことを、思い出しました。辺りには動物園みたいなニオイが立ちこめていました。

私は毎日、その犬たちがどうしてそんなところで飼い殺しになっているのか不思議に思いながらも、当時、子供時代に犬に手を噛まれたトラウマが残っていて、こわくて近づけず、そのまま退職となってしまったので、ずっと忘れ去っていたのです。

最近、福島の置き去りにされた動物たちの写真を見たりして、そういえば・・・と思い出した次第です。

当時、ずっと以前から勤めていた同僚の先生に聞いたところ、その犬たちは、学校に捨てられた仔犬だったらしいこと、番犬になるので、そのまま飼うことになり、けっこう広い檻(犬小屋というよりも広い檻のようでした)も作ってもらい、用務員さんが世話をしてかわいがっていたそうです。

ところが、数年の内に時代は進み、警備会社の装置によって警備が可能となり、夜中に動き回る犬がいては困るためと、用務員さんの退職により、それまで活躍していた犬たちが、檻に閉じ込められたままになってしまったそうです。

勤めている先生方も、自分が家に連れて帰るようなことは思いつかなかったというか、そんな感じでした。
もちろん、私も犬がコワイ人でしたし、父が飼いだした柴犬が1匹いて、そんなこと思いつきもしませんでした。

あのときに、刺さった心の棘が、今、見つかってしまいました。
何とかして助けてあげたら良かったのにと、今頃思っても後の祭り。もう、20年以上経っています。

それにしても、学校の動物に対する思いやりのなさは、どうでしょう。
おまけに、自分の無神経さにもあきれてしまいます。
私は、自分の苦しみにおぼれることに必死で、他の動物が苦しんでいることを何とも思わなかったのです。

今後の人生は、鍼灸で人を癒すことと平行して、動物たちが殺処分や不当な苦しみを受けない環境を作っていくことを、遅々とした歩みではあっても実現させていきたいと思います。

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