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2007年6月

2007/06/29

エライことになってきてませんか?

最近のお天気というか、気候が、エライ事になってきていると思います。

本当に、ヤバイ感じがします。

「レジ袋要らないです。」と言ったり、ゴミを分別するくらいでは、もう間に合わないのではないかと、思ったりします。

それでも、焼け石に水かも知れないけど何かしたいと思うので、遅ればせながら動物病院の受付に、ポスターを作って貼ってみました。

「地球環境保護のため、レジ袋が不要の方は受付時にお伝えください。」みたいな内容で作りました。

大阪では梅雨だけど雨があまり降らないし、急に寒くなったり暑くなったりしていつもより不安定です。世界では、山火事だとか洪水だとか言ってます。

ここら辺で気づいてあげないと、地球が可哀想ですよね。

地球も、私たちのことを愛してくれているから、今まで我慢してきたけど、もう現界ってところなのでしょう。

とりあえず、PCを長いことONにしていることも、これからは控えないといけない気がします。

私よりも若い世代の人たちに、ゴミの分別や冷房の設定温度や暖房の設定温度のことなどを、ぜひしていってもらいたいのですが、贅沢に育ってしまった世代だから、なかなか嫌がってしてくれません。生まれたときから家にクーラーがあったような世代です。

自分たちが生きられなくなるのになあ・・・

そう思うのですが。

先日、ネットワーク地球村から送られてきた、TEAM GOGO! 2007  豪快な号外「30秒で世界をかえちゃう新聞」を、動物病院内に置こうと思っていたら、今日、誰かが、「置かせてください。」と二部持ってきてくれたらしいです。

「そんなことを真剣に考えている人が、あびこにもいるんだな~。」と、嬉しくなりました。

2007/06/27

母のトラウマ

私の兄は、もうすぐ5才になるという年頃に、交通事故で亡くなっています。

とても妹思いの兄で、幼稚園から帰ると、鞄を放り出して、生まれて間もなかった私を抱っこして放さなかったそうです。

この前、母が私の家に遊びに来たときに、兄の死に関するトラウマを私に語り、泣き出してしまいました。兄の死は、自分のせいかもしれないと、ずっと心の痛みを抱えて生きてきたようでした。

兄は、ダンプカーにはねられましたが、なぜそんなことになったかというと、近所の少し年上の男の子に、道ばたに積んであった材木の上から、ダンプカーが来るギリギリのところに飛び出して、逃げて帰れるかどうか、焚きつけられたというのでした。

まだ幼稚園だった兄は、材木の上から飛び出して、逃げ遅れて死んだのです。

近所の子は、兄をずっといじめていました。

いつも泣いて帰る兄を可哀想に思い、まだ26才の若かった母は、兄のためを思って、その子の家に行き、その子のお母さんに、兄をいじめないように申し入れました。

すると、その子のお母さんは、突然履いていたつっかけを手に持ち、その子の頭を思いっきり叩いたのだそうです。

その子は泣きました。母は、その子が日常的に親からそういう仕打ちを受けていることを初めて知りました。

そのあとから、いじめは陰湿化していったと母は言います。

それで、危ないことをそそのかしてさせたりしたのだろうと、母は言うのです。自分があの時、苦情を言いに行かなかったら、兄の命を危険にさらすことは無かったろうにと、泣くのです。

母は、今でも、その子のことを憎んでいます。「私の息子を殺しておいて、のうのうと生きているなんて。」と言って泣くのです。

その子は、兄の事故から五年ほど経った頃、その子の母親とともに、私の家に遊びに来ました。兄の仏壇にお参りして、私や妹と遊んでくれました。

母は仕事に行っていていませんでした。母は、その子たちを家に入れた祖母のことも怒っていました。

私が会ったその子は、もう六年生になっていて、私たちに折り紙を教えてくれました。その時は優しい子になっていました。

でも、母の心は、兄が死んだときから凍ったままのようなのです。

そのことを、ゆうべ、寝る前に思い出したら、なんだか母が可哀想で、眠れなくなりました。しまいには、新聞配達の音が聞こえてきて、よけいに眠れませんでした。

兄は、母に毎日、「お母ちゃん、僕が大人になったら、二階建ての家たてたるからな。」と言っていたそうです。「そやけど、あの子は、死んで、運転手からもらったお金で、あんたが育った家を建ててくれてんやで。」と泣いている母。お陰で私は車の通らない郊外で、レンゲを摘んで育つことが出来ました。

なんとか、母の心が癒されますように、祈るしかありません。

2007/06/26

ハナちゃんとロコタン

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ハナちゃんは、動物病院のスタッフの自宅の前で放浪しているところを保護された、迷子犬なのです。

歳もいっているし、きっと可愛がっていた人がいて、探しているだろうと思って、スタッフは警察に届けました。最近は、警察に届けたら、必ず二週間預けないといけないということで、ハナちゃんは一旦警察で保護されることになりました。

預けてから十日たっても飼い主は現れませんでした。警察では水とドライフードをあてがわれるだけで、適切な治療などは一切ありませんでしたから、ハナちゃんはだんだんと弱り、立てなくなるくらいになっていきました。

警察の担当の人によると、もう長く生きられないと判断した場合は、二週間たっていなくても動物管理センターへ送られて殺処分となるということでした。

スタッフの自宅は借家で、一匹だけ犬を飼っても良いことになっていて、すでに一匹飼っていました。

私もダンナも、実はハナちゃんがかわいそうで、何とかしてあげたいと思っていました。せっかく保護されても、何も手当をしてもらえずに、食べにくいドライフードばかりあてがわれても、回復できるはずがありませんでした。

ちょうど、動物病院で居候していた犬様が逝去してから何ヶ月かたったところでした。それで、ハナちゃんを動物病院の警備担当として来てもらうことにしました。スタッフも泣いて喜んでいるし、私たちも幸せでした。

平日はスタッフたちが交代でハナちゃんのお散歩に出かけます。日曜日はみんないないので、ハナちゃんはお散歩無しだったのですが、たまたま私が動物病院に両替をしに行ったとき、ハナちゃんが散歩をしたそうにしているので、「めんどくさいな~。」と思いながら散歩に行くことにしました。

ハナちゃんは首の鈴をりんりん鳴らして、まるでサンタのトナカイのように、不思議な飛び跳ね方をして、駆け出しました。

やってきたときは歩けないほど衰弱していたけれど、今はよたよたしながらも、お散歩ができるまでになったのです。走るときは飛び上がったみたいにひょこひょこ走るのです。

動物病院から出て、マンションの角を曲がろうとしていたら、後ろから「ニャ~!」という声がして、ロコタンが走ってついてきました。

ロコタンは、ハナちゃんの足下を一緒に歩いて、ずっとお散歩についてくるのです。時々先に行ったり後になったりしながら、動物病院の周りをぐるっと一回りします。知らない人が来たらさっと植え込みに隠れますが、ミエミエです。

ハナちゃんとロコタンがうれしそうに私についてきてくれて、私もうれしくなって、「あ~、生まれてきて良かったわ~、こんな幸せを経験できるなんて~。」などと思いました。

「これは、毎週お散歩をしないと損だな・・・」と、思います。

天国って、こんなに身近にあるのですね。∈^0^∋

2007/06/21

ギャップ

瞑想していると、入り込んでいく世界があるらしいのです。

これをギャップというということです。顕在意識と潜在意識の隙間のようなところとでもいうのでしょうか。最近、知りました。

このギャップに、私は子供の頃、好きなときに入り込めたと思うのです。

やり方は、リラックスしながら横になり、目を開けたまま天井の一点だけを見続けて、何も考えないようにするのです。

すると、目の前に映像が繰り広げられて、私が時々書いたりする中間世の話や、将来のパートナー像、「エリック・パールという名前を覚えておくように。」なんていうのを見るわけなんです。

夢と違うのは、カラーであることくらいで、ほとんど夢みたいなものなのでしょうが、その記憶が35年後くらいに現実になったりするのを目の当たりにすると、やはりあれは、瞑想を知らぬ間にしていたのだなと思うわけなんです。

今となっては、夢日記を書いてても、「しょーもない夢やな~」というのが多いので、ちょっとは子供の頃に帰りたい気分です。

最近の夢は、どうも、幽現界のようなところにいて、死んだのにあの世へいけない人と交流しているような夢ばかりです。

それも、すごくたくさん人がいるんですよね。なんか、私はボランティアをしているみたいです。起きているときは猫ボランティアで、寝ているときは死人ボランティア・・・

まあ、いいんですけどね。

2007/06/12

夢の中の曲

毎朝、目覚めの時に聞こえている曲があるのです。目覚まし時計代わりになっています。

調べてみると、たぶん、「ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331~第1楽章 アンダンテ・グラツィオーソ 」だと思うのです。

自分のMP3の中には、これが見つからず、どこで覚えて聞いたのか、わかりません。

でも、簡単なメロディなので、ピアノで弾こうと思えば弾けるのです。

「高校の時のチャイムの音だったかな~。」などと、思ったりするのですが・・・

それで、色々と検索をして調べることにしました。何かのメッセージかも知れないと思って。

「ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331~第1楽章 アンダンテ・グラツィオーソ 」と、もう一つよく似た名前の「ピアノ・ソナタ第11番イ短調「トルコ行進曲付き」K.331~第3楽章 トルコ風(トルコ行進曲)アレグレット 」が入った「アマデウス」~映画のなかのモーツァルト というCDがあるのを見つけました。

それによると、「ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331~第1楽章 アンダンテ・グラツィオーソ 」は、「ビューティフル・マインド」という映画に使われていて、「ピアノ・ソナタ第11番イ短調「トルコ行進曲付き」K.331~第3楽章 トルコ風(トルコ行進曲)アレグレット 」は、「トゥルーマン・ショー」という映画に使われていることがわかりました。

とりあえず、この映画を見て、メッセージがあるかどうか確認してみたいと思いました。

もう一つ、私は夢の中でよく服を着替えようとしているのですが、似合う服がなかったり、服が小さすぎたり、夏なのに冬服しかなかったりという夢を見ます。これも、何かのメッセージだと思うので、調べてみたいと思います。


2007/06/11

薬の話

以前、私は薬大好き人間でした。

若い頃から、アレルギー性鼻炎から来る蓄膿症を持っていたので、毎日パセトシンという抗生剤を飲んでいました。

飲んでいたけれども、なかなか治りませんでした。何ヶ月も飲んでいたかも知れません。

治ったと思っても、花粉の季節になったり、体調を崩すと、すぐに元の木阿弥だったのです。

色々と紆余曲折を経た今は、私は薬を飲むことにとても慎重になっています。

それは、猫たちにも言えることで、自分は薬を控えるようになっていても、猫たちには抗生剤を飲ませ続けていましたが、やっとこの頃、猫たちにも慎重に投与するようになりました。

家で、猫風邪が流行ったりすると、以前は毎日抗生剤を注射していました。粉薬を食事に混ぜるときもありました。猫たちは否が応でも抗生剤を投与されていました。

抗生剤を飲まないと、風邪引きも口内炎も治らないと信じていました。

けれども、考えが変わりました。

猫の口内炎が、アロエベラジュースを与えているだけで治ってしまったり、フードをふやかしてアロエベラジュースを混ぜたものを食べさせていると、オシッコ詰まりの病気になる猫がいなくなってしまったからです。

そして、アロエベラジュースだけでは時々調子が悪くなる老齢の猫たちには、定期的にプロバイオテックという、生きたまま腸に届く乳酸菌類のお薬を飲ませると、次の日から、食欲が出てきたりするのです。

抗生剤はまったく家では使わなくなってしまいました。

そんなことがあってから、ふと、最近思うのですが、猫・人間に使う抗生剤といものは、体に良い菌まで根こそぎ殺してしまいますから、地球に置き換えてみると、核爆弾のようなものなのかも知れないなと思うわけです。癌治療における放射線や、抗ガン剤などもこの手の類です。

そんなものをしょっちゅう使って、健康な細胞や有益な菌類を殺してしまっていては、一旦は治ったかのように見えていても、体自体が弱って衰えていくことは、目に見えています。

病気になるということは、何らかのバランスが崩れているという前提で、原因を探ったり、バランスを取る方法を、まず試してみてから、どうしてもという時に、薬を使うと良いと思うのです。

そんな風に考えると、私たちの体も地球も同じなのだな・・・と思う今日この頃です。

2007/06/09

迷える子羊

父と母のことを考えると、「ああ、迷える子羊だったんだなあ。」と思うのです。

父と母が家庭を壊してしまったのは、今の私と同じ頃でした。

今の私が愛人を作ったり、子供をおいて家出をしたりすることは、考えられません。今の私から見ると、幼いとしかいいようがない行動を、私の両親は取っていたことがわかります。

今の私なら、父と母のことを、迷える子羊だったのだと許せるのですが、家庭崩壊の憂き目にあっていた、まだ高校生だった当時は、そんなことはとても思えませんでした。

自分がモデルとすべき大人たちが、手本にならないという絶望感とか、自分の力で何とかしようとしたけど、どうすることもできなかった無力感で、毎日悲しくて悲しくて大変でした。

でも、そんなことがあったから、反面教師として、そんなことにはならないようにしようという心が芽生えていたのも確かです。

頑張ったけれど、結局どうしていいかわからず、バツイチになってしまい、息子に迷惑をかけてしまったりもしました。

遅ればせながら、やっと、今頃になって、迷える子羊だった父と母を許し、おだやかに暮らす自分がいます。

もしも、家庭の事情で辛くて辛くて仕方ない若い方が、この文章を読んでくれたならば、絶望の日々は永遠ではないことを伝えたいのです。

親と同じ歳になってみて、自分がその当時の親よりは精神的に成長していると気づくと、当時の親たちが今の自分よりも、深く迷いの森にはまりこんで苦しんでいたのだとわかります。

親を尊敬できないと悩んだ日々も、「今は昔」ということになり、かわいそうな人生を歩んできた両親を愛おしく思えます。

とりあえず、途中で投げ出してしまわずに、生きていて良かったなと思います。

2007/06/04

未来世療法 運命は変えられる

ブライアン・L・ワイス著の未来世療法を読み終えました。

本屋で見かけたときは、「前著の前世療法関係の本を三冊も読んだし、もう、催眠療法はいいや。」と思っていたのです。

でも、この頃、すばらしい未来の幻影でもいいから見てみたいという欲求から、ちょくちょく買おうかどうしようかと迷っている本でありました。

ある時、「ねこおたぶろぐ」を読んでくださっている方(nekotamaさんです)から、「未来世療法はもう読みましたか?」と尋ねられたのを機会に、本格的に読んでみようと、購入しました。

読んでみたら、まさに、私に必要なことがたくさん書いてありました。

中でも、SF好きの青年の話なんかは、自分のことではないのかしらんと思えるほどでした。

この頃、寝入りばなに、前世の記憶かも知れない映像がパッと現れることがあって、その映像が、動物の皮を生きたまま剥いでいる自分だったり、衝動的に立ったまま切腹した武士の息の根を止めるために、これまた咄嗟に首を切っている自分だったりするわけなんです。

今の自分からは考えられないですが、もしも、前世でそういうことをしていたとしたら、今、こうして猫様のために生きているのも、平和を祈っているのも、前世の罪滅ぼしとしては当然かも知れないとも思えます。

未来世療法の本によると、過去世も未来世も今も、宇宙の中では同時に存在するのであり、今をどう生きるかで、過去世も未来世も変わってくるらしいことが書かれています。

人生の中で現れる選択肢の中で、何を選択するかによって、今の運命も変わっていくし、未来世にも影響があるのです。

本に書かれていることが、今、自分の体験していることに重なって、真実味がありました。

よき未来を望まれている方々に、ぜひご一読をお勧めします。

2007/06/02

地球ってすごい

地球ってすごいと、日々実感しているのです。

すごいのは当たり前なんですけど、私の場合は、猫のトイレを掃除していて思うのです。

家の中で猫を飼っている、それも46匹。となると、私の多くのエネルギーは、家の掃除や猫様のトイレ掃除に注がれているわけです。それがあるために、私にはほとんど自由になる時間もないし、体力も残らないのです。

けれど、これが地球だったら、お茶の子さいさいで、きれいに片づけてくれるんです。

地球の大地があれば、雨と風と太陽の光と微生物たちの働きで、日々排泄されるウンチたちは浄化され、また新たに植物たちの栄養となって還元されていくのです。

それなのに、私のしていることといったら、大量の新聞紙を使ってウンチを始末し、ビニール袋に入れてゴミに出しているんです。出されたゴミは、大量の酸素を使い二酸化炭素を排出しながら焼却されています。

床にはバイ菌が繁殖しないように、毎日、オレンジXなんかで拭き掃除をし、たくさん落ちている猫様の毛も、自然に還元されることなく、ゴミ箱行きです。

毎日毎日、これの繰り返しです。

そういうことをしていると、人間の存在がいかにちっぽけかということがわかるし、自然の偉大さがわかるのです。

家を新築したばかりでこんなことをいうのは、感謝の心が足りないと思います。「私に、掃除のしやすい家を与えてくださった大いなるものに、もっと感謝しなければ・・・」と思う反面、いつかは、こういう暮らしにピリオドを打ち、自然と共生する生活を、この人生が終わるまでに実現したいと、切に思うのです。

都会で自然と切り離されて生きるのが、若い頃から嫌でした。

けれども、地方にお嫁に行っては見たけれど、自分の心が育っていないと、どこで暮らしてもモノクロ写真のような景色にしか見えなかったことも確かです。今は、こんな都会に暮らしていても、道ばたの小さな花がとても光り輝いて見えます。見えるけれども、やはり、今度こそは、自然と共生する暮らしをしたいと願う自分がいます。

今から10年くらい心の修行をして、家のローンも払って十分に準備が出来たら、ぜひ、エコビレッジの小さいのでいいから作ってみたいと思います。きっとまた、いつもみたいに奇跡が起こるのを期待して。

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