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2007年4月

2007/04/24

エネルギーバンパイア

自分で光を見つけられない人は、時に、エネルギーバンパイアになってしまいます。

私も、昔そうだったから、よくわかるのですが、自分の精神エネルギーを、誰かに依存しているのです。

だいたいにおいて、アルコールとか、ニコチンとか、パチンコとか、何かの依存症の場合が多いような気がします。そういう人を支えることに生き甲斐を見いだしている共依存の場合もあるかも知れません。

人生の中で、平凡に輝くことが出来ず、何かイベントとかを常に求めています。

今、苦しいのは、原因を自分が作ったから、それを自分で変えていかないと苦しみは終わらないということがわかっていないので、誰か救世主が現れるのを常に待っているし、現れないことを恨んでいたりもします。

そういう人に仏心を出して、救いの手を出そうものなら、骨の髄までしゃぶられそうになるのです。生半可な救いの手は、その人の学びのチャンスを奪うことになります。溺れる者は藁をも掴むということで、がっしりとしがみつかれて自分まで倒れることになりかねません。

現代人は、そういうタイプがとても多いように思います。

自分がそうだったから、よけいにわかるのです。

そういう人をみていると、「ああ、こうやった方が良いのにな。」とか教えてあげたいと思いますが、仮に、教えてあげようとしても、聞く耳持たないことが多いのです。

人間は、やはり、どうしても自分で頭を打って、降参しないことには学ばないらしいのです。

一旦、一番下のどん底まで落ちないと、浮き上がれないのかもしれません。

そんなどん底を経験するのもまた、人生のおもしろさで、死ぬときには面白い人生劇場を見終わったような感覚があるのではないかと思います。

ただ、今現在苦しんでいる人に、手をさしのべてはいけないし見守るだけでいるというのは、かなり辛抱が要ります。

「心の中で応援しつつ、見て見ぬふりをする。そして、自分は平凡に輝いている。平凡に輝いて、いつかお手本となれるように努力する。」これが出来るようになったら、現代のシャーマンのおばば様になれるかもしれないですね。


2007/04/20

猫の神様 犬の神様

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絶対いるとおもうんですよ。猫の神様と犬の神様。

そういうことを思ったきっかけは、栗ちゃんと名付けた仔猫と、リカちゃんという迷子のアメショーを保護したときからです。

それまでは、何となく、そんな気がしていたのですが、確信には至りませんでした。

日頃の心がけを良くしておくこと。神様に良い点をもらおうとして取り繕うのではなくて、本当に良心に恥じないように生きること。これを実行していると、何となく良い里親さんが現れるな・・・そういう程度だったのです。

私の近所の神社は「大よさみ神社」です。私はそこに生えているご神木の楠と仲良しなんです。(勝手にそう思っているだけですが)

私は近所で栗ちゃんを保護しました。

リカちゃんを保護した長居公園には木がたくさん生えています。

栗ちゃんをもらっていただいた里親さんの近くには、やはり木下神社というのがあり、そこには杉のような木がたくさん生えていました。

どうして、木なのか・・・というのは、ただ単に私の直感的な主観的なひらめきです。神社の神様たちは、木を媒介にして意志を伝え合っているとしか、私には思えないのです。

たとえば、こんなフィクションはどうでしょうか。

栗ちゃんを拾った私は、良い里親さんが見つかるように、猫の神様に祈っていました。

迷子になったリカちゃんは、ボロボロになりながらも、けなげに助けを待っていました。

長居公園の木々たちは、リカちゃんを不憫に思い、この近くに住んでいる人間で、リカちゃんを助けられそうな人間はいないか、近隣の木々たちにテレパシーで呼びかけました。

すると、大よさみ神社の楠が、「おうおう、それなら一人ちょうどええのがおるけれど、今、仔猫拾ってるからなあ。」と言いました。「だれか、この仔猫をもらってくれる人がいたら、リカちゃんを飼ってもらえるかもしれんぞ。仔猫をほしがっている人はおらんかのう。」と呼びかけました。

すると、木下神社の杉が答えました。「それならここにおるぞ。」と。

それで、とんとん拍子に栗ちゃんの里親さんが決まり、私はめでたくリカちゃんを保護できた・・・

そういうふうになったとしか思えない、偶然の一致がたくさんあったのです。

おまけに、初めて行った場所なのに、木下神社は、若い頃に夢で見たことがある場所でした。ダンナまでが、「ここ、夢で来たことあるわ~。」と言っていました。

それ以来、猫の神様にお祈りすると、すぐに叶うことがたくさんあるのです。

今日、黒い中くらいの猫を拾ってしまいました。

動物病院の帰りに、自転車に乗って買い物に行こうとしていたら、急に飛び出してきて、私の足にまとわりつくのです。猫オバサンと間違ったのかも知れません。猫たちは猫好きのオーラがわかりますから。

その時は、「ごめんな、うち、猫だらけやし、連れて帰られへんのよ。」とその黒猫に断って、買い物に行きました。

買い物が終わってから、そっとその場所を見に行くと、まだそこでニャーニャー鳴いていました。

「あ~あ、しゃあないな~。」

とりあえず、抱っこして動物病院に連れて帰り、エイズと白血病の検査をしました。マイナスでした。抱っこしても怖がらず、その上自転車をこいでいるのに逃げないのでした。

「これは、もう、猫の神様が、助けてやれって言っているんやろな・・・」

もう、確信していますから、助けますとも。

ちょうど、和室で隔離していた三毛猫親子が、明日、素敵な里親様にお嫁入りです。

間髪を入れない神様の采配に、脱帽でございます。

2007/04/19

K-パックス

K-パックスという本を読んでいます。

これは、ずいぶん前に映画になっていたから、見た方もいると思います。

私もその時見たのですが、最近になって、TVで途中までみてしまい、用事があってどうしても続きが見られなかったので、急に原作本を読みたくなったという次第です。

K-パックス星では家畜がいないし、肉食もしないし、戦争もないし、仕事もない・・・小さな宇宙人アミの故郷の星もそうだったと思うけど、読みながら、「あ~、行ってみたいわ~。」と思ってしまうのでした。

「正常と異常というのは、私たちが何気なく思いこみで決めつけているのかも知れない。」と、この本を読んでいると、思います。

まあ、とにかく、自分は宇宙人の魂を持つはずだと思う人や、星にあこがれを抱く人、SF大好きな人は、読んで損はありません。ワクワクしながら読み進めてしまいます。

2007/04/18

すき焼き

昨日、息子があまりにも「すき焼き」を食べたがるので、嫌々ながら、晩ご飯をすき焼きにしたのです。

お肉は食べず、白菜とか、お豆腐とかをより分けて食べていたにもかかわらず、案の定、鼻がダダ詰まりです。

だいたい、私が肉食を断ったのは、お肉を食べると鼻が詰まるからでした。

動物ボランティアをしていることでもあり、犬や猫はかわいそうと言いつつ、牛や豚を平気で殺して食べているのもおかしいと思っていたので、鼻が詰まるというのはちょうど良い口実でもありました。

人に、「私は肉食をやめました。」と言うと、不審がられるし、ましてや動物ボランティアをしているので、相手を責めているように受け取られてしまい、なかなか言いにくいことでしたが、「鼻が詰まるんです。眠れなくなるんです、息が出来なくて。」と言うと、「それはお気の毒に。」と言ってもらえるし、楽だったのです。

息子にねだられて、しぶしぶすき焼きをしましたが、まだ少し、ひのきの花粉が飛んでいて、鼻の状態が不安定なときに、肉のエキスが体に入ったことで、私のアレルギーは勃発してしまったようです。

今、大阪では、冬に戻ったみたいに寒くて、ひのきの花粉は少ないはずなのに、鼻が詰まってしまって、息が出来ません。悲しいことです。

食後、胃がもたれて、午前三時になっても胃の中が気持ち悪くなってしまいました。

最近、食べる量がちょっと多いと、なかなか消化できなくて苦しかったのですが、昨日の気持ち悪さはたまりませんでした。

今後は、私なりの食べ方を模索していこうと思います。

まずは、子供の頃に戻していく予定です。ごはんと、野菜と、ほんの少しの塩鮭くらいでちょうど良いはずです。

現在の栄養学では、ごはんを少なめにして、おかずを30品目食べないといけないとかいいますが、私は、無農薬有機野菜と豆製品とごはんでいけそうな気がしてきています。

まあ、自分なりの感覚なので、他の人がして良いかどうかはわかりません。

食べ過ぎると、気持が悪いのは、プラーナで生きていけるようになってきたからというのだったら良いのにな・・・と思う今日この頃です。

その話は、「地球へのラブレター(2) 次元の鍵編」で読んだのですが、その本を読む少し前から、胃腸の調子が変調を来していて、「食べる量を減らさないと腸が渋滞になっている~~。」と思っていたところだったので、読んだとき、「なんか、同じ症状のような気がするな。」と思ったのです。

ああ、それだったらいいな。食べなくても生きられるようになりたいな。


2007/04/14

なんですって?

「なんですって?」

と、シャーリー・マクレーンは、小説「アウト・オン・ア・リム」の中でよく言っていた・・・と記憶しています。

もう10年以上前に読んだから、一回だけかも知れないし、何回も言っていたかも知れませんが・・・

自分の既成概念を覆されるような出来事を体験して、「なんですって?」と自問するシャーリー。物語は、真実を織り交ぜたフィクションだったと思うのですが、その本を読んでからの私も実は、「なんですって?」と、言い続けてきました。

精神世界の本を読んでいくうちに、子供の頃から記憶していた夢のような記憶の断片が、だんだんとつなぎ合わさっていくたびに、「なんですって?」とつぶやく私。

いえいえ、私は、猫をたくさん飼っている猫キチで、ごくごく平凡な経験をしながら生きているオバサンなんですけどね。

天使とか、宇宙人とか、存在していてくれると嬉しいけど、心のそこからは信じることができない私なのに・・・

でも、人生で経験する出来事は、自分の既成概念が間違っていたのではないかと思えることばかりなのでした。

お金に執着して生きなければならないと思っていたときは貧乏で、猫のためにどんどんお金を使うようになったら、人並みの生活が出来るようになったり、何事も心配して気苦労をしないと上手くいかないと思って、いつも気を揉んでいたときは上手くいった試しがなくて、気苦労するのをやめたらとんとん拍子に進んだりして・・・あ、猫の里親さんのことですけど。

病気を治すのはお医者さんだと思っていたけど、自分の体が治すんだと思ったら、急に健康になってきたりして。

子供の頃の夢の記憶の断片と、読んだ本の情報をつなぎ合わせると、短くまとめると、以下のようになるのです。

「私は、たくさんの青い光として、この地球上に転生してきた魂の一つで、その青い光たちは、この時代に、どこにいようとも、思いがけない方法で再開し、協力し合うことになっている。何を協力するのかというと、地球を助けるために、地球と、地球に生きるすべての存在を癒すため、導くためである。そのことに気がつくために私に渡されたヒントの鍵は、『エリック・パール』という人の名前。」

そして、最近、エリック・パールという人が書いた本を、偶然手に入れてしまいました。それは、ヒーリングの本でした。その本の名前は、「リコネクション」といいます。

「なんですって?」

私は、猫キチの平凡なおばさんなんですってば~~~!

と、いうことに、今なっています。

私は、誰かに重要な記憶を思い出させるためのスイッチかも知れません。夢を覚えている特技があったから。

もしも、あまり誰も読んでいないはずの、このブログを偶然見つけてしまったあなた。あなたは青い光だった記憶はないですか?

お仲間かも知れませんよ・・・(^_^;


2007/04/08

特異体質?

考えてみると、子供の頃から、私は病気がちだったのに、医者と相性が悪かったなと思います。

まず一つ目は、幼稚園になる前から、しょっちゅう熱を出したので、かかりつけのお医者さんは、熱が出るたびにお尻に注射をしてくれました。「熱冷まし」だったのか、「抗生物質」だったのか、「ビタミン剤」だったのかは、今となってはわかりませんが、その後遺症で、私は長い間、右足がつるので正座が出来ませんでした。

なぜ、後遺症だとわかったかというと、その後、「お尻や太ももに小さい頃に注射をされた子供たちが、痛みで正座が出来ない後遺症になっている」と書いた新聞記事を読んだからなのです。

それを読んだのが、中学生になった頃だと思いますが、後遺症だと知って、私は毎日、無理矢理正座をして右足が正座の形に曲がるように訓練しました。おかげで、今では普通に正座が出来るようになっています。

二つ目は、毎年、学校でインフルエンザの予防注射をしたのですが、注射をした翌日から、私はインフルエンザにかかりました。

予防注射の予想が外れた年などは、結局二回、インフルエンザになってしまった年もあったかと記憶しています。

三つ目、上顎洞の手術を二回していますが、一回目は途中で麻酔が覚めてきてしまっただけだったのですが、二回目は麻酔が効いていないのに筋弛緩剤だけ効いてしまい、死を覚悟したということと、その後、体中に薬疹が出て、手術室から何時間も出ることが出来なかったということもありました。

四つ目、献血をしたときに、成分献血を勧められて、したのはいいのですが、終わったときに血圧が測れないほど低下して、お医者様も驚いていたことがありました。一年後くらいに、「全血の献血なら時間も短いし、大丈夫だろう。」と挑みましたが、半分もたまっていないときに、気分が悪くなり、冷や汗は出るわ動悸がするわで、途中でギブアップしてしまいました。その時は、看護師の女性に「そんな血抜かれるのん、怖いんやったら献血なんか来んかったらええのに!」と、文句を言われて帰ってきました。

ショック状態になったと思うんですけど、大丈夫かと聞いてくれるどころか、叱られてしまって、とても嫌な感じがしました。200mlはたまってたけど、使ってくれたのかな・・・と今でも思うことがあります。

五つ目、腰椎のヘルニアになったとき、整形外科でリハビリをしても治りませんでした。お医者さんは、「注射したろか」と言いますので、子供の頃に注射で苦労をしたことを思い出し、自力で治すことを決心し、毎晩寝る前に柔軟体操をしていたら、治ってしまったということもありました。

家族に起こった出来事など、もっと細かく数えたら、書くことはたくさんあるのですが、これだけ書いたら、私が現代医学を斜に構えて見るようになってしまうのもわかるような気がします。

でも、私が斜に構えて見る人だったので、ダンナは助かったと思います。ステロイドを使わずに猫の口内炎を治せるようになりましたし。安易にステロイドを使うと、私に藪医者扱いをされるので、ステロイドをなるべく使わない獣医として生きざるを得ないことになってしまいました。

「全国ステロイドを使わない動物病院ランキング」などというものがあったら、けっこう上位に食い込むのではないでしょうか。

私の特異体質は、「自分の体は自分で治す」ということを教えてくれている体なのかも知れません。

いつかは、自分の体で学んだことを、誰かを助けるために使うときが来るのかも知れません。

あ、すでに家の猫様たちには使っていたのでした。そのうち、人間にも応用できるようになりたいものです。

猫おばさんのねがい

今朝の読売新聞に、ハート出版の広告があって、そこに「猫おばさんのねがい」(中川智保子著)という本が出ていたのです。

それで、ちょうど、近くの紀伊国屋に行ったので、検索してみると「在庫あり」と出たので、早速読んでみることにしたのです。

最初は立ち読みで済ませようかと思ったのですが、一ページ読んだとたんに涙が出そうになってしまい、紀伊国屋で立ち読みして泣くオバサンというのも情けないと思い、購入して帰ってきた次第です。

家で、読みながら、また泣いてしまいました。

だって、猫様のことを私と同じくらいにわかっているんですよ、このオバサンは。毎日、雨が降っても風が吹いても野良猫たちに食べ物を持って行っているので、私よりも偉いんです。

文体も、野良猫のさんちゃんが話している設定なので、オバサンが何かを力説しているお説教ではなくて、猫の気持というものを本当によく表現してくれているのです。

「そうそう!そんなことあるある!」てな感じで読み進んでいます。

「全国の猫オバサンに捧ぐ」と、本の表紙を折り込んだところに書いてあります。

「自分は猫オバサンだ」「自分は猫お姉さんだ」と自覚している全ての人たちに、読んでもらいたいなと思います。そして、一緒に泣けたらいいな・・・そう思った一日でした。

2007/04/01

祖母の思い出

祖母は、学校に通ったことがなかったので、字が書けませんでした。

先日、マインドマップという本を読んでいたら、祖母が書いていたメモとそっくりなのに気がつきました。祖母は、字が書けないので、メモを取るのも、自分が考え出した特殊なペイズリー柄の絵で表現していたのです。

他の者が見てもわかりませんが、祖母には、その絵を見ると、内職で売っていた化粧品販売の売上金額や、誰に何を売ったのか、一目でわかるらしいのです。

私は、さっぱり意味がわからず、眺めているだけでしたが、今考えてみると、そのペイズリー柄は、まるでフラクタルな図形のようでもあり、マインドマップのようでもあるのです。

祖母は、知識はないけど知恵があるタイプで、今思えば、困ったことがあると仏壇の前にすわり、祈っていました。祈りがあるために、祖母は身に降りかかる不幸の愚痴をこぼすことなく、淡々と、自分の人生を生きるような人でした。

子供の頃、夕方薄暗い部屋で、料理の支度を終わってタバコを一服する祖母の姿が、アメリカ先住民族の男性に見えることがありました。頭に羽根飾りを付けた、肌の浅黒い感じの初老の男性に見えるのでした。

見間違いかと思って、一つ年下の妹に聞いてみますと、妹も、時々そのように見えると言っていました。

きっといつかの前世で、一緒にいたことがあるのだと思います。

今、マインドマップという本を読んで、私も祖母のような、メモを取り始めました。文盲で、家族の中で一番アホだと思われていた祖母が、一番賢かったんだな・・・と思いながら。

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