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2007年2月

2007/02/28

近所の銭湯に行ってみようかな

いつも行っていた「天然温泉あびこYOU~ゆ~」が今日で閉店になってしまいます。

今夜は最後の天然温泉につかりに行き、それ以降は、これまた近所にあるお風呂屋さんに通おうかと思っています。

スーパー銭湯も考えていたのですが、若くて銭湯の入り方を知らない人が多く、アソコは洗い流さずに湯船につかるわ、シャワーをずっと出しっぱなしで体洗いや頭洗いをする人がいたり、小さい頃から銭湯に慣れ親しんできたオバサンには、過酷ともいえる「水の無駄遣い&不衛生」を辛抱しないといけません。

それなら、近所にある、お婆さんが出入りするような銭湯に行った方がマシかな・・・と思えるのです。

まあ、行ってみないとわからないのですが。

私がスーパー銭湯でイライラするみたいに、私の入り方を叱るお婆さんもいるかもしれないですけど。

一度広い湯船にゆったりとつかってしまったら、もう、家のお風呂に入る気がしません。猫様のお世話でどこにも行かない私のささやかな楽しみが、銭湯なのです。

ちなみに、私は週に二回しかお風呂に入りません。これを聞いて引く人がいるかもしれないけど、私の肌は乾燥肌なので、毎日洗うとカサカサになってしまい、アトピーになりそうになるのです。

色々と試してきましたが、オリーブの石けんで全身を洗い、クエン酸やリンゴ酢でリンスをするのが一番よく、回数も週に二回で十分なのです。夏場は猫の掃除を終えた後、汗をシャワーで流します。また、たまに手のひらで垢すりをすることもあります。これをしておくと、夏場に真菌にやられたりしません。

トイレにはウォシュレットが付いているし・・・

市販のシャンプーやリンスには数え切れないくらいの添加物が入っています。それで、毎日洗って、おまけに皮脂まで流してしまうなんて、私には自殺行為としか思えません。

ああ、話がそれてしまいました。

銭湯の話でした。

あびこYOU~ゆ~も、閉店すると聞いた人がたくさん来ています。「あ~あ~、もっと早くみんな行ってあげないから、つぶれたやん~。」と愚痴っても仕方ないですね。

さて、今日は用事を早く片づけて、「あびこYOU~ゆ~」の最後のお風呂に行ってきます。

2007/02/20

天使な猫

ロコタンは、病院の裏に出没する野良猫です。私の心のアイドルです。

天使のように純粋で、そのくせすばしっこくて賢いのです。

いつもはご飯をねだりに来るだけだったのに、今年は、どうやら住処だった文化住宅が取り壊されて、一緒に寝てくれていた人がいなくなったようで、夜、やたらに病院へ入りたがったのです。

それで、スタッフが段ボールの箱にバスタオルを入れて置いてみると、そこで寝ているということで、俄然張り切った私は、段ボールの周り全体を発泡スチロールで囲い、中にはフリースの古着を入れたりして、防寒体制を整えてみました。

思った通り、ロコタンはそこで毎晩過ごしてくれています。

ロコタンの残り物を期待してオスの野良猫が何匹も来るので、オシッコ臭くなってはイケナイと思い、去勢手術をするために捕獲器を仕掛けるのですが、ロコタンに頼んでおくと、必ず、目当てのオスが入っています。

言葉が通じているとしか思えません。

ロコタンは私には抱っこをさせてくれます。ロコタンを抱っこして、心の中を空っぽにしていると、とても癒されるのです。すれ違いで、ロコタンと何日も会えないときは、切なくて、恋人と会えないような気持になります。

ロコタンを家に連れて帰りたいけれど、「家にはたくさん猫たちがいるから・・・」と、思うとき、まるで不倫をしているような気分です。人間の不倫よりも余程純粋な悩みですけど。

それに、ロコタンの自由を奪うことは出来ないと思います。いつか、年を取って、ロコタンが助けてほしそうにしたら、連れて帰ろうと思います。

今日、ロコタンの面白い写真を撮りました。ひなたぼっこをしていたのですが、遠目にはそこにロコタンがいるとは思いません。保護色のように同化しています。こんな平凡な柄のロコタンですが、私には天使なのです。

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2007/02/18

神様の思し召し

神様の思し召しなどという、大それたお題ですが、今日、生まれたての仔猫を育てることになってしまいました。

鼻歌まじりに動物病院へ来てみると、小さな箱が置いてあり、ダンナがおそるおそる、「あのなあ、避妊手術してんけど、妊娠してて一匹息を吹き返したのがおるねん・・・」「安楽死も考えたんやけどなあ~。」

私が見たら、育てるといいだすのを期待して、安楽死はせずに待っていたようです。

実は、最近、夜更かしの癖が直らず、「ああ、仔猫でもミルク飲ませる仕事ができたら、仔猫のために規則正しく生きれそうやわ。」などと思っていたのです。

「顔を見れば病気がわかる」という本を読んでいると、私はまだ40代なのに腎が衰えてきていているということがわかりました。原因は、夜更かしです。

それで、そんなことを考えた翌日に、仔猫ですわ。

これも、神様の思し召しかもしれないな・・・と思う今日この頃です。

とりあえず、その仔猫を生んだお母さん猫も預かって、お乳を飲ませてみることになりました。

この仔猫、先日、15歳で亡くなったチコちゃんに、柄がそっくりで、「あれ、チコちゃん、もう生まれ変わったの?」と笑ってしまいました。

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2007/02/15

やっぱり病気でしょうか

私は本屋さんの得意先です。

きっとそうだと思います。

ダンナが株で損をするよりたくさん、実は本代に消えていたりします。(笑)

病気としか思えません。

昨日、中村天風さんの本を買ったばかりだったのに、今日また、四冊も買ってしまいました。

買った本は、健康オタクの私にふさわしく、

「顔を見れば病気がわかる」(草思社)、「免疫道場」(幻冬舎)、「長寿の謎を解く」(NHK知るを楽しむ)、「暮らしの中の古武術活用法」(NHKまる得マガジン)です。

合計4000円くらいかかりました。

でも、でも、面白そうでたまりません。本を手にすると、ワクワクしてくるのです。本屋で立ち読みをしていると、全部読みたくてたまらなくなるのです。

自分でも、「おかしいなあ~。」と思います。

病気の成り立ちを、斬新な視点で解明してくれる本とか、顔を見るだけで病気がわかったりするなんて、魅力的だと思いませんか?

こういう本を見つけてワクワクしているとき、もしかすると、私の後ろには、中医学とかやっていた人の霊が憑いているんではなかろうかと思うくらいです。

現代の西洋医学の本には、まったく興味が持てません。ただの対症療法には興味がないのです。根本的に病を治すことに私は惹かれるのです。

病を根本から治すことは良いことだと思うのですが、この本の買い方は、病気では無かろうかと思う今日この頃です。

ちなみに、本の買いすぎはイケナイことかもしれませんが、病気を治すという大義名分があるので、ダンナが株で損するよりたくさんお金を使っても、ちっとも悪いと思いません。それに、普段、ブランドもののバッグとか、そういうのをおねだりもせずに、猫様の病気を根本から治す試みをしている私は、獣医の妻の鏡ではないかと思います。

と、自己弁護をしてみたりして。


2007/02/14

枠をはずす 補足

昨日、母が、何気なく私のことを、「あんた、四角な枠に、がっちりはまってるからな。」と言いました。

私は、非常にカチンと来たのですが、母から見ると、私はとてもストイックな暮らしをしているために、そういう意味では枠にはまっていると言えるのです。

私が言っている「枠」とは、自分が固定観念で決めつけている「何か」です。母のいう「枠」とは性質が異なります。

たとえば、「私がお金持ちになれるわけがない」とか、「良い成績が取れるわけがない」とか、「奇跡的なヒーリングが出来るわけがない」など、そういう類のものです。また、他人と自分がまったく別で、通い合わない存在と思う心です。

決して、道徳的なたがをはずして、好き勝手なことをすることをいっているわけではないのです。

母は、野辺の花を手折りますが、私は、それを良しとしません。

誰かが悲しんだり、苦しんだりするのを想像も出来ないのに、心の枠ははずれないのです。他人、動物、植物、物においてさえ、感謝の気持をもてるようになってこそ、本当の意味で枠がはずれるのです。

そのことを一生懸命目指している私は、いかんせん、他から見ると、道徳的な枠にがっちりとはまっているように見えるということは、面白いなと思いました。

母から見ると、全然面白くもない生き方のようですが、私は宇宙の心理に一歩近づけて、とてもワクワクしているのです。私から見ると、母は、「あるべき姿」の枠にはまって身動き取れないように見えるのです。そんな母をかわいそうに思っているのに、あちらは私のことをかわいそうに思っているのです。

ものの見方一つで、一つの事象が、こんなにも違ってくることに驚きます。

ですから、物事をあるがままに見る練習というのをしていくのは良いのではないかと思います。一歩離れたところに自分をおいて、あるがままを観察する・・・自分の立場だけでなく、相手の立場からも観察する・・・自分でもなく、相手でもなく、もっと高い位置から観察する・・・そういうことを繰り返すうちに、人間関係のゴタゴタは無くなっていくでしょうし、枠もはずれると思うのです。

どんどん高い位置から見るようにしていたら、そのうち、地球を見下ろしていたりして。

その時にはきっと、日本人である自分の枠ははずれて、地球人になっているし、もっと離れたら、太陽系人、銀河系人、宇宙人・・・最後はやはり神でしょうか。

とまあ、大きなことを言いましたが、とりあえず、屋根の上くらいから見つめる練習から始める必要がある私です。

2007/02/10

E=NC2(二乗)

猫様のトイレ掃除をしていて、思いついたのです。NHKのハイビジョン番組でアインシュタインが出ていたこともヒントでした。

トイレ掃除の大変さを数式で表せないかと・・・

それで、導き出した答えが、E=NC2(二乗)です。

Eは、掃除の大変さを表す数値で、猫様1匹で「0.1」とします。大変さは、「1」を超えると、しんどくなっていく設定です。

Nは、「ニャンコ係数」で、0.1です。

Cは、猫様の数です。

それで、うちの猫様掃除の大変さは、計算すると、E=0.1×45×45=202.5です。

猫様三匹くらいが0.9となり、四匹だと1.6、10匹だと10・・・となるのです。

何故そういうことを考えたかというと、45匹を、31匹と14匹で一階と二階に分けてあるのですが、なぜか、一階の31匹の方が、二階の14匹の掃除に比べて、とても大変なのです。

二倍ではなくて、二乗な感じがするのです。

それで、こんな計算式を思いついたのです。一匹だけでヒイヒイ言っているうちの母などは、0.1くらいで泣いているということになるのです。

ちなみに、一階(31匹)を計算すると、96.1で、二階(14匹)を計算すると、19.6ということになり、私としては妥当な線だと思えます。

この式で行くと、猫様三匹くらいなら、余裕で飼えるという感じです。

さて、あなたの家の猫様掃除数はいくらになるでしょうか?

2007/02/07

ゴミは宝

「枠をはずす」で、ゴミの減量化の話が出たついでに、リサイクル問題について書いてみたいと思います。

私の家では、猫様のトイレに新聞紙を使っています。古新聞を集めておくのですが、ここ三ヶ月くらい、日経新聞と朝日新聞を取っていた妹が、日経だけになってしまい、私の家の猫様トイレ用新聞紙が不足するという事態になっていました。

その間、私は、燃えるゴミの日になると、ご近所から新聞紙のゴミは出ていないか、探すようになっていました。

私が新聞紙をねらって初めて気がついたのですが、古新聞のアナウンスをして通るトラックも、捨てられている新聞紙をねらっているのです。

トラックに乗せてもらった方が、新聞紙もリサイクルされて良いのですが、私の家も、トイレの砂にお金をそうそうかけられない事情がありますから、必死です。(つまらないことに必死になってすみません)

朝、「古新聞、古雑誌・・・」と聞こえていたら、もう手遅れです。トラックのおじさんたちもプロですから、見つけるのが早いこと早いこと。

そんなことをしているうちに、「あ~、古新聞って宝やってんな~。」と思うようになっていました。

アルミ缶はお金になるのは知っていましたが、古新聞も、そんなに貴重なものとは知りませんでした。

先日、どこかのマンションのゴミ捨て場に、古新聞が捨ててあり、喜んで拾って帰りましたら、すべての新聞にホッチキスが留めてありました。お店ではよく新聞紙がバラバラにならないように、ホッチキスで留めてありますが、そんなことを気にしたことはありませんでした。猫様のトイレに使うとき、とても不便で、いちいちはずさなくてはいけませんでした。こういうのを、リサイクルで使う場合はどうなるのだろうかと、心配になったりしました。

古新聞を猫様トイレに使うことによって、私は、読売、朝日、産経、日経の四紙を読みながらトイレ掃除をしています。すると、けっこう博識になってきたりします。

新聞によって、同じ記事でも表現が違うこともわかりますし、一つの新聞だけを読んでいたときよりも、賢くなれた気がします。

それもこれも、すべて猫様のおかげ・・・と思えなくもありません。

枠をはずす

先日、ノンジャッジメントということを考えていたときに、「他人をジャッジすることは、反面、自分を枠にがっちりはめている」という見解が出てきました。

それで、ふと、思ったことは、

「もしかして、枠をはずすということと、神を信じるということは、同義語かも知れない。」ということでした。

大昔、人々が、既成概念の枠にはまって身動き取れない時代にイエスキリストが現れて、奇跡を見せました。

イエス様は、治るはずがないような病を治しましたが、もしかして、イエス様には「枠」が無かったのではないのだろうか・・・そんな気がしてきました。当時の人々に、そのことをわかりやすく伝えようと思ったら、「神を信じなさい」という言葉に凝縮されたのではないのでしょうか。

様々な精神世界の本を読んできましたが、どの本も、言いたいことは、「枠をはずす」ということだったのではないかと思えます。

そういえば、ネットワーク地球村の高木さんも、「ものさしを捨てる」というような表現をされていました。

人間関係のいざこざのことから、果ては、大宇宙の神秘まで、私たち人間は、こまごました枠に自分たちを押し込めて、長い間苦しんできました。

自分たちで作った「鏡の迷宮」の出口を探し求めて来ました。

そして、答えがだんだんとわかりかけてきました。

枠をはずせば奇跡は起こるのです。迷宮から出られるのです。

ただ、「枠をはずす」と簡単に言っても、そうは生やさしいものではなくて、深い慈愛の心を持てるような人格に成長して初めて、枠をはずし、奇跡を起こせるのではないだろうかと、うすぼんやりながら、思うのです。

他人の言うことにいちいち腹を立てたり、戦争をしていたり、平気でゴミを捨てたり、か弱い生き物を殺したり、そんなことをしているうちは、とても枠は、はずれません。

そこを乗り越えて、真に隣人を愛することができるようになったとき、すでに枠がはずれており、思いはすぐに現実化し、人々が奇跡と思える現象が起こるような気がします。

と、まあ、精神世界オタクのつぶやきなんですけど・・・

今後の私の目標は、「枠をはずして、奇跡を起こし、みんなをアッといわせることかしら」などと言ってみたりする今日この頃です。

とりあえず、ゴミの減量化くらいから始めなくてはいけない私です。(..;)

2007/02/03

ノンジャッジメント

この頃、全てのことにおいて、「ノンジャッジメント」を試されている気がします。

本当に些細なことでも、けっこう自分の固定観念から判断しているものなのです。

ヒーリングの本を読んだりしても、精神世界系のブログを訪れても、今、「ノンジャッジメント」の大切さを説かれているのです。

ヒーリングでいうと、たとえば、レイキのような手かざしのヒーリングをするときでも、「自分が治してあげる」というような心があると、真のエナジーは私の中を通りません。ただ、手をかざして、ただの通り道に徹した方が、癒しの気づきが起こりやすい・・・そのようなことが、今読んでいる「リコネクション」という本に書かれてありました。

その本を読んでから、遠隔ヒーリングをお休みしています。私の心が落ち着くまでは、やっても意味がないと思うからです。

また、人と話をしていると、相手の人が、自分の観念に基づいて誰かのことを判断して決めつけているなということを感じる事件が、ちょくちょく起こります。

一つの事件を紹介すると、先日、うちの息子が、「働きもせず絵ばかり描いている放蕩息子」のレッテルを、よく行くレストランの奥さんに貼られて、悲しんでおりました。いつもひいきにしており、週に一回は浮気をせずに、食べに行くようにしていたらしいのですが、平日の昼間から1500円のランチなどを注文する19歳の男子は、一般の人からは、放蕩息子に映るのでしょう。

以前より、「自分の時だけ、笑顔ではなくて、むっつりとした顔で注文を取りに来る」といぶかっていましたので、色々と慰めておりましたが、決定的な事件があり、「もうあのお店には行かない」と言い出してしまいました。

もともと引きこもりのようになっていましたし、食いしん坊なのでランチを食べに行くことによって、元気になってきた息子です。大学に行っていたら、ランチ代だけで済まないですし、経済的には親孝行なのですが。

学校という固定観念を植え付ける教育を受けていない分、考え方も柔らかいです。おまけに、株式のことにも詳しいし、知能レベルはかなり高い方だと思います。

若いからと言って、大人の無理な言い分を聞き分けることはしません。納得がいくまで食い下がります。融通が利きませんが、私のように、無理な言い分を聞きすぎて心身症になるようなことはないでしょう。

親の私と、他人とでは、同じ息子を見る目がこんなにも違います。

ですから、何事も、ノンジャッジメントが大切で、「ただ、観察する」という姿勢を、求められている気がする今日この頃です。


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