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2006年11月

2006/11/30

喫茶店で

「チャングムの誓い」というNHKの番組があと少しで終わりという頃のお話しです。

私は、近所のバイクショップでオイル交換してもらっているあいだ、すぐとなりの喫茶店でお昼ご飯を食べていました。

カウンターには常連と思しきオジサンとオバサンがいて、四方山話をしています。

昼間からビールを飲んでいるオジサンが、「ワシは、これが薬やねん。お医者の先生も、そない言うとった。毎日飲まな、体こわすねん。」などと、無茶なことを言っておりました。

すると、オバサンが、「そんなアホな。」と間髪を入れずに突っ込んでいたりします。

「そんな昼間から飲んで、給料、ちゃんと奥さんに渡してんのんか?」とオバサンが言うと、オジサンは、「ワシの給料は全部、飲み代や~、わはは~。」と言っています。

オバサンは、「あのな、給料というものは、もらったその日に奥さんに生活費として渡さなアカンよ。それが夫婦円満に行くコツやねんで。」と、蕩々と説教しています。

私は、心の中で、「そうやそうや!オバチャン、もっと言ってやれ!」と応援していました。

するとオジサンは、「あ、そうや、帰って、昨日のチャングムの誓い見な。ビデオに撮ってあるねん。」と言い出しました。オジサンは説教が苦手なのでした。(笑)

オバサンは、「や!チャングムの誓い見てるのん?私も、アレ好きやったわ~。NHKのBSで見てたわ~。」と言いました。

私は、最初は、酒飲みのオジサンのことをよく思っていなかったのに、チャングムファンだと知って、急に親近感が湧いてきました。オバサンにも、同じように、親近感が湧きました。でも、その後が・・・

オバサンは、勢いづいて、「そのあと、どうなるか、教えたろか?聞きたいやろ聞きたいやろ??」とオジサンに言い出しました。オジサンは、きっと聞きたくなかったと思いますが、「う、うん。」と返事をしてしまう始末。

私は、心の中で、「うわ~、聞きたない聞きたない!聞いたら、おもしろないやんかあ~(涙)」と思っていましたが、オバサンの口からは、またも蕩々と、その後のチャングムの誓いのストーリーが・・・(゜◇゜)ガーン

耳をふさぐわけにもいかず、仕方なく、一緒に聞いてしまいました。

やはり、私のチャングムの誓いに注ぐ情熱は、ちょっと落ちてしまいました。

最終回の時などは、妙に冷静な私がいて、ドラマの中に出てきた畑を耕してた牛は、チャングムたちがいなくなった後、どうなってしまったのだろうかとか、あの鶏はどうなるのだとか、そんなことばかり、気になってしまいました。

私は、ああいう時代に生まれていなくて良かったわ~と思いました。

「今すぐ、来い。」とか「今すぐ逃げろ。」と言われたら、無理ですもん。

「猫様をどうするのよ!」というところで躓いて、死刑になってしまいそうです。(^_^;

2006/11/21

教科書ガイド

小学校の六年生の終わりに転校をしたときに、私ははじめて「教科書ガイド」という存在を知りました。

それと、「毎日の勉強」という問題集も知りました。

転校先の学校は、勉強が進んでいたので、私は一生懸命みんなについていこうと思って、放課後、家で今までしたことがない自習をしたのです。

新しいクラスメートが、「毎勉」をやってたら、テストに同じ問題が出るから大丈夫だと教えてくれたので、私はその通りしました。本当に、同じ問題が出ていて、中身はわからないのに点数だけは良い点が取れるという感じでした。

教科書ガイドの解答をそのまま書き写せば、宿題もすぐに済みました。

便利だけど、実になったかというと疑問でした。だから、中学校に入ってから、勉強についていけなくて、苦労しました。

私は、このブログの精神世界のカテゴリーの中で、自分が発見した色んなことを書いてきましたが、もしかして、それは他の人にとっては「教科書ガイドもどき」になってしまっているのではないかと思えてきました。

私のように長い間暗闇を経験しなくとも、光を見つけてほしいと思う心から発したことですが、よけいなお世話なのだと思うようになってきました。

自分で光を見つけられてこそ、生きる醍醐味を味わえるというものです。

でも、いじめを受けて自殺をしそうな学生さんが、「正しいバチの当て方」「正しいバチの当て方Part2」なんかを読んで、ダメモトで試して、本当に相手にバチが当たるのを見て、胸のつかえがなくなって、生きる気力が出てくれたらなあ・・・なんて、思ってしまうのでした。

若い頃、JRの線路に息子を抱いて飛び込んだら、楽になれるだろうなあ・・・なんて考えていたこともありました。でも、今は、生きていて良かったと思います。だから、簡単に死を選ばないで、環境を変えてみたり、誰かに相談したり、そういう色んなことを、まず試してみてほしいのです。

こんな、マイナーなブログを見つけること自体、奇跡です。もし、死にたいと思っている人で、これを読んでしまった方は、きっと何かが守ってくれているのです。

あ、また、おせっかいなことを書いています。教科書ガイドもどきです。この性格、治りませんねえ。(^_^;

それにしても、若い頃の私って、息子に迷惑かけっぱなしです。息子の人生まで犠牲になるところでした。くわばらくわばら。

2006/11/20

お前はもうすでに死んでいる

この頃、思いが実現するスピードが速くて、なんだか以前のような三次元の世界ではないような気がするのです。

「もしかして、私は、去年、手術で呼吸停止したときに死んでいて、今いるのは死後の世界だったりして・・・」

などという、妄想をしてしまいます。そのことを、ダンナに言うと、「ワシが生きてるんやから、ここは死後の世界とちゃうで。」と言いますが、死後の世界で夢を見ていても、登場人物はそう言うのではなかろうかと、複雑なことを考えてしまいました。(^_^;

どうも、地に足がついていない気がして、もっと、地道に自分が直接自分の目や耳で見たり聞いたりする範囲で、生きてみる必要があると思います。

ちょっとこの頃、ネットにはまりすぎて、情報過多になっているし。

この前も、mixiで、「収穫後のジャガイモなどに放射能をかけて、芽が出ないようにしたり、寄生虫を殺したりするのを一般に広く行なうようにと働きかけている、核廃棄物を抱えている団体があるらしい」などということを知ってしまったわけです。

そうなると、「政府が安全だと言っても私には信用できないし、困った困った・・・」と一つ悩みが増えてしまいました。

知らぬが仏と言いますが、こういう事は、知ってしまったら、やはり阻止するしかないと思えます。猫様で忙しいのに。

そんなときに、元スタッフの結婚式に出席し、なんて言うか、人間模様の中に埋没することも、魂を磨くのに大切なことだと思ったのでした。若い二人がケンカをしたりしながら成長していく姿を見て、刺激を受けたのかも知れません。

この頃の私は、「見るべきものは見た」みたいな心境で、ちょっとお月さんから地球を見ているような感覚になっているのです。「人間模様のドロドロは、もうええわ。」という感じで、お腹いっぱい。もう、若くないという感じです。

他の人におせっかいな助言もしなくなり、「ああ、この人、迷い道クネクネやわ。」と心の中で思いつつ、「早く、光を見つけますように。」と思うだけ。

お疲れモードなのかしら?

とりあえず、頭から生えているアンテナの数を減らしたほうがよいと思ったのでした。

2006/11/18

祈りの意味

大した宗教もやっていない私がいうのもアレなんですが、猫様にかかわって悟ったことがあります。

それは、

「祈りとは、願い事を並べ立てることではなくて、「自分の心の軸がぶれませんように」と思い、そのように行動すること。

なのではないかということです。

独楽(こま)は、回っているときに軸がぶれると倒れて止まってしまいます。軸をまっすぐに保っていると、長いこと回れます。

生きているということは、独楽みたいなものなのかな・・・と思うのです。

活動せずに、ヤジロベエのようにじっと平衡感覚を保つというのもあるのでしょうが、私のように、あれもしたいこれもしたいと動き回っているタイプには、独楽のイメージが合っているような気がします。

年を取って、動き回らなくなったときにヤジロベエになるのかも知れません。

「心の軸をまっすぐにすること」は、簡単そうで、意外と難しいです。

嫌なことを言われたら、すぐに気になって、そのことばかりに考えが集中したりしますし、相手のことを悪く考えてしまいます。そのような場合でも、心の軸をまっすぐにしてみると、「これも経験、あれも経験」みたいなことになってきます。

仕事の上でも、誠実に、嘘をつかない、人の手本となるように生きていこう・・・

そういうことを心がけることが「心の軸がぶれない生き方」であり、それは、祈りであると思うのです。

そんなことを考えていたら、今朝、目が覚める前に見た夢に、神々しいような白い衣装を着た西洋の尼僧が出てきました。白人のかたと、あと、インド系のような顔立ちのかたと、もう一人、私の後にもいたような気がします。

あまりにも美しいので、私は手を合わせていました。そして、そのまま目が覚めると、実際に手を合わせていたので笑ってしまいました。

2006/11/09

裸足で歩く女の子 その後(3)

実は先日、児童相談所に電話をしていました。

名前もわからない、近所だということだけわかる、そのような曖昧な相談事なので、最初は、児童相談所は相手にしてくれませんでした。

でも、私は粘りまくり、「兄弟が9人いるので、小学校に聞けばすぐわかる」とか、住んでいる場所のだいたいの住所などを、言いました。

「発達が遅れているし、洋服も着替えさせてもらっていないし、裸足で歩いている」と切々と訴えました。

根負けした児童相談所の係の人は仕方なく、「小学校に尋ねて調査する」と言ってくれました。

「夕方、仕事が終わりかけの時間に面倒な仕事が舞い込んだなあ・・・」と、そういうふうに思っているような声でした。(笑)

けれど、裸足の子たちにとって幸運だったのは、翌日に京都で三歳児が虐待死したことでした。他の子の死が、別の子の幸運となってしまった形です。

早急に、児童相談所は動いてくれたようです。

裸足の子は、この頃、靴を履いて歩いていて、昨日からは長袖の服を着せてもらっていました。その下の弟にも、家族の誰か(だいたいは兄弟姉妹)が付き添うようになりました。

祖母が送り迎えを毎日するようになり、小さな子供だけで歩いていることは、少なくなりました。

これが今だけではないことを祈りたいと思います。

あの子たちが、無事に成長できることを祈っています。

今日、裸足の子の二つ上のお兄ちゃんに年を聞くと、5才と答えました。5才とは!外見は三歳児くらいの身長しかないけれど、優しい子で、よちよち歩きの弟を心配そうに見守りながら歩いていたりします。

彼は、頭の良い子で、自分の置かれた状況が分かりかけています。どうか、荒れたりせずに、このサバイバルゲームに勝ち残り、出世してもらいたいと思います。

初めは、親に対して腹を立てていた私でしたが、被害者である子供たちのことを考えてあげようと思うようになりました。親にしても、そうなるには事情があったのだと思います。

このことがきっかけで、家族全員で小さい弟妹を守ろうとしていることが見て取れて、ホッとしました。

思考は現実を創造する

精神世界では当たり前になっている、

「思考は現実を創造する」

思考が現実を創造することは、私は間違いないと感じています。

「リアルにイメージする」とか、色んな本に、色んなコツが書かれていたりします。

けれど、そのイメージの動機が、自分の心にも、大宇宙の心(神様?)にも叶っている場合に、本当の意味で現実化するのだと思うのです。

ここで大宇宙の心と言ったのは、良いことだと思っていても、独りよがりの判断である場合があるからです。

例えば、イメージ通りに大金持ちになっても、家族の仲が悪かったり、色んな理由で心から望んでいた現実ではないときは、それは自分の力でねじ伏せるようにして手に入れたものではないかと、考えたほうがよいと思うのです。

私の例でいうと、

「たくさんの猫を保護できる、大きな保護場所がほしい」

というのは、エゴから来ている願いです。そんな狭いところに閉じこめられる猫の気持ちというものを考えていないからです。

では、どういう風にしていけばよいかというと、たぶんこうではないでしょうか。

「猫も人間も安心して暮らせる場所になれるように、自分が手本として活動し、いつも平和な心で暮らす。なぜか夢が次々と叶い、周りの人も一目置くようになる。」

心に不穏な動きがあると、思考の現実化にブレが生じ、それ相当の揺れ戻しがあると感じます。上記の「平和な心で暮らす」というところが抜けて、もしも、人を批判ばかりしていたら、きっと自分も人から批判されると思うのです。

この世界は、そういう仕組みになっていると、私は感じています。

まったく、直感めいた話で、「証拠を見せろ」と言われたら、今の私はお見せできるほど進歩していないのですが、ちょっと仕組みが分かってきたので、これから少し、遊んでみて、結果を出してみたいと思います。

いつか、一目置かれるようになっていたら御慰み。(笑)

そしたら、これを読んで下さった猫好きの皆さん、どうぞ、私の後に続いてくださいね。(^_^)

2006/11/06

結局祈りに帰結する?

私も、人のことは言えないのだけれど、猫を可哀想に思って、次々に家に連れて帰ってきてしまう人がいます。

他人のことはよく見えるのです。

その人は、猫が捨てられていたら、まず自分が拾って帰ります。家にはたくさん猫がいて、これ以上猫を増やすことは家の猫にも、拾った猫にも迷惑がかかるとは考えないようです。

猫がたくさんいるにもかかわらず、どうして拾ってしまうかというと、その人は人間不信で、自分以外の人が猫を助けてくれるとは考えられないのです。

里親探しもしますが、人間不信故に、もらっていただくことは希で、結局、家の猫になってしまいます。

動物病院にお金をつぎ込むことも、年齢が高くなるにつれて出来なくなっていきます。そして、拾った猫には避妊手術だけはしてあげますが、ワクチンや、その他病気になったとしても、手当をしなくなります。

「自分に拾われたのが運命」とか言って・・・

最後には、「自分が死ぬとわかる病気になったら、猫を安楽死してもらう。」と言ったりします。

私は、そういう話を聞くと、本当にその人に拉致された猫たちが可哀想だと思えるのです。私の家に猫がたくさんいて、いつも寂しがっているから、余計にそう思います。

うちは動物病院ですから、まだ元気な猫たちを安楽死してくれと頼まれたら、ダンナはどんなに辛い思いをすることか・・・とか考えてしまいます。かといって、うちの猫たちに迷惑がかかりますから、引き取りも出来ないのです。

「自分には、どうすることもできないことがある。」

猫様にかかわっていると、そういうことを思うことがしばしばです。

そんなとき、どうするかというと、やはり祈るしかないのではないかと思います。出来ることはみんなやったけど、これ以上はもう、無理!というときは、祈るしかないのです。

猫に関わっていても、祈ることの大切さがわかるので、普段から、心静かに祈るということをした方が良いのかしらと思います。私は祈る時間がないので、猫様の部屋の掃除の時に、心静かに猫様を可愛がるようにしています。

良い里親さんが見つかりますように・・・とか、あの子の病気の原因が分かりますように・・・とか。

でも、祈りが通じる人と通じない人がいるのです。どうしてなんだろうと思って、よく観察していると、通じる人というのは、子供のように心が澄んでいることが多いのです。ドロドロしていないのです。

だから、猫様や犬様にかかわる人は、自分の心をきれいにしておくという心がけが大切なのではないかと思います。

2006/11/04

裸足で歩く女の子 その後(2)

ここ五日間ほど、姿がありません。

他の兄弟はいるのに・・・

見かけなくなる前々日に、彼女は公園で私を見つけ、手を振りました。あいかわらず裸足でしたので、「靴は持っていないの?」と聞きました。「うん」とうなずきますので、「そう、変なものを踏んで怪我をしないように、気をつけてね。」と言いますと、「うん」と元気よくうなずきました。

見かけなくなる前日には、公園で、なんと!長靴をはいて遊んでいる彼女を見かけました。

私は、「心配している心が通じたのかなあ」と、うれしかったのです。ただ、もう秋も深いのに、ノースリーブの木綿のワンピースを、下着も着けずに来ているのが気になっていたので、今度、チャンスがあったら、長袖を着ようねと言ってあげようと思っていました。

そうしたら、翌日から彼女だけがいません。他の兄弟はいるのです。(9人兄弟だそうです)

風邪を引いたのかなあ・・・と心配しています。

児童相談所が預かってくれていたりしてたらいいのになあ・・・と思ったりもします。

まさか、虐待でどうにかなっていませんように。

「迷子の猫を心配するように、幸せそうでない子供を心配する私は、病気なのかしら。」と思う今日この頃です。

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