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2006年9月

2006/09/26

絵を描いてみましょうの続き

先日、「絵を描いてみましょう」で、私が描いた絵の答えです。

私が描いた絵は、とてもシンボリックなシンプルな絵で、一本の木を画用紙の真ん中に描きました。

根っこはあるけれど、土に隠れているような感じで、まるで指をパッと広げたようなものが下に飛び出ているような感じです。根っこのつもりのものはあっても、土は描きませんでした。

幹は太く、枝も太く、葉っぱは描かず、葉っぱの概要だけを幹の回りにクルクルとほどこしました。リンゴのような実がたくさん成っています。

カウンセラーの方が、その絵を分析して曰く、

「根っこが土に埋まっているところが想像できない。まるで木が空中に浮いているようである。そして、そのような貧弱な根っこであるにもかかわらず、幹は太く、枝も太く、実がたくさん成っている。これは、理想ばかり高いけれども、地に足が着いておらず、考えに行動が伴っていない典型のように感じられる。他の木は見あたらず、孤独感を感じられる。」ということでした。

息子は、絵を描けなかったのではないかと思います。

どうして絵が描けないかと聞かれると、なかなか答えません。

カウンセラーがよくよく聞くと、息子はそっと私の方を振り返り、気まずそうにモジモジしていました。

どうやら、私の顔色をうかがっていたようです。

いつも私のことを頼って慕っている7才の息子は、当時、私の顔色をうかがって、絵も描けなくなっていたのでした。

それは、親の勝手で離婚し、大切にしていた家族と引き離された、小さい魂の叫びのようでした。日頃しっかりしている様でいて、実は、心に大変な傷手を受けているのだということに、気づかされた瞬間でした。

私は、離婚までの二年間ほどは、かなり無理をして「良いお嫁さん」を演じてきましたから、そのストレスを、知らず知らず、息子にぶつけていたようです。

カウンセリングで絵を描く三ヶ月前に、息子が不登校になり相談に行った精神科では、私自身が受ける他の家族からのストレスは、得てして自分より弱いものに対して支配的になったりして発散することが多いので、それを、自分にとどめ、息子にはむけないように言われました。それが出来ない場合は、離婚するなどして、物理的に離れることも考えた方が良いということでした。

息子の不登校は、私のストレスを息子が受けているからだと思いました。弱かった自分は、自分のストレスをどうしても自分だけにとどめておくことが出来ず、ついつい、息子に、「ああしなさい、こうしなさい」と小うるさくしてしまうのです。

それで、決心した離婚でしたが、離婚自体が、息子に多大なストレスをかけていたのです。

その後、精神科から紹介された、大阪府立精神保健センターで、カウンセリングを受け、私の状態が良くなるに連れて、息子も元気になっていきました。

転校先の小学校では、私が見学している間は、元気なさそうにしているのに、二時間目に入って私が帰宅し、給食の時間になると、お代わりをしているということで、担任の先生からは、「お宅の息子さん、心配入りませんわ。すごい食欲ありますもん。」と言われました。

結局、私が不安定で、弱々しかったので、息子は心配でオチオチ学校に行っていられなかったということが、あとで分かってきました。

その後、私が元気になりましたら、息子も友達をいっぱい作って、親分みたいになってました。(^_^;

小学校では成績はトップクラスでした。

その後、中学でまたまた不登校になった時は、「大どんでんがえ~し!」という声が頭の中で響きましたけど。

2006/09/24

太陽になる

昔、心身症になって実家に戻っていたときに、祖母からいわれた言葉がありました。

それは、「太陽になりなさい」ということでした。

誰かから光をもらって生きているうちは太陽になれない。自分から輝き、人に光を分けてあげられる人になりなさい、ということでした。

言われてみると、私はその頃、ちっとも輝いていませんでした。

心身症になり、自信喪失しているし、若いといえども母親なのに、子供に光を与えることが出来なかったです。

いつも、他に原因を探し求め、自分に原因があるとは露ほどにも考えませんでした。

その後、祖母が亡くなり、私の中で大激震がありました。

真っ暗闇の中に放り込まれて、光が全く見えませんでした。そんな中、悲しくて悲しくて、目を固く瞑って泣いていたときに、目を開けていないのに、小さな光が見えました。

それを、私は「心のシリウス」と名付けていましたが、今思えば、あれこそが、誰にもある心の太陽の種だったのだと思います。

太陽の種は心に必ずあるのです。それをどうやったら大きく輝かせることが出来るか・・・

それは、「自己責任において生きる」ということが大前提になるのだと思います。

私自身も、色んな災いを人のせいにすることをやめて、自分の足で一歩一歩、歩こうと決心した頃から、小さなシリウスのようだった光が、だんだんと体を突き抜けて、外にまで光が出てくるようになってきたと思えるのです。

そこからの10年は、とても目まぐるしかったです。

そして、今は、コツコツと生きることを目標に、毎日コツコツと、お掃除と、犬猫の里親探しと、猫の口内炎の相談に乗っています。

一つもお金儲けができる仕事ではないですが、そういうことを、させていただけるということは、喜ばしいことだと思います。

昔のように、人を恨んだり、泣いたりしなくて済む環境。人様にささやかながらも喜んでいただけることを出来る環境。

有り難いと思います。

太陽になれないまでも、ちょっとは光ってきたかなと思える今日この頃です。

2006/09/22

不吉な夢

8月に、飛行機が落ちる夢を見て、騒いでいたんです。

家族に飛行機に乗るなと言って・・・

そうしたら、イランとロシアとアメリカで飛行機が落ちて、ゲゲッと思っているところに、息子が飛行機でオフ会に行くと言うので、嫌だな~と思いつつ、「三回も落ちたし、4回目はないと思う」と自分を慰め、何とか、無事に帰ってきてくれたので、ホッとしていました。

でも、今度は、子供たちが遊んでいる大きめの公園に、ヘリコプターから四角いスーツケースのようなものが落ちてくる夢を見て、またまた、心配しています。目が覚めて、「あれはスーツケース爆弾というものではないか?」と思ったのです。

飛行機の時もそうでしたが、場所は大阪なんです。

大阪が危ない気がします。

テロか何かが大阪を狙っていたりして・・・まあ、ただの夢なんですけど、たまに当たることがあるので、しばらくは子供連れで大きめの公園などには行かない方が良いかも知れません。

無事に過ぎ去ってくれますように。

日本の総理が安倍さんになることが決まってしまったのですが、私は、どうも、彼が木で出来た操り人形に見えて仕方がないのです。

戦争が好きそうだし、そうなると、18才の息子が兵隊に取られるのかしらと不安です。

兵隊に行ってもつかいものにはならないと思いますけれども、息子が戦争という大義名分の上で人殺しをするようなことにはなってもらいたくありません。

2007年の参院選では、自民党以外の党にしようと思います。それしか、私に出来る抵抗はありません。

あ、ありました。イメージ力を使って、安倍さんが平和主義に変わったり、日本が世界の平和を主導していくイメージを築きあげていこうと思います。

2006/09/18

元舅の名誉のために

この前、私は、「逃げたらアカン」で、元舅のことを、前に勤めていた中学校の教頭先生に、「マックス」という接頭語をつけたような人だと書いたと思います。

けれども、それは、未熟だった私が感じたことであって、実際の元舅は、そんなに嫌な面ばかり持っていた人ではありませんでした。教頭先生も、きっとそうだったのだと思います。

未熟故に、年配者の助言などを素直に聞けなかった私というものが大前提のお話しです。

元舅は、確かに、掃除機をかけていると近づいてきて、「○子さん、○子さん、部屋の隅を掃除するときは、掃除機の先をはずして、壁に当てんようにしてね。」とか、義妹の送り迎えは仕事を放り出してでもすぐに行くのに、私が健診で病院に行くときは、「運動運動、歩いて行きなさい。」といって真夏の炎天下に、30分も歩いていかなければいけない病院へ送ってくれなかったりしました。

それが、若い私には悲しくて、元舅を全否定するようなイメージを、持っていました。

その後、私も生活に慣れていくにしたがって、良いところも見つけるようになりました。

ムクの木であつらえた机に穴が空き、そこからカミキリムシが出てきたときは、工房に文句を言うことなどせず、カミキリムシを山に逃がしに行っていました。

毎週、日曜日には、里山にドライブに行き、芋の蔓などを取ってきて、クルクルと巻いて、リースを作っていました。そのリースに、ほおずきやサンキライなどの赤い実の枝をあしらって、飾るのが好きでした。

そういう、優しいところがあったのです。

老舗に養子に入って、言いたいことも言えず、だんだんと細かい性格になっていったのかも知れません。

それに、相手の気に入らない部分は、かならず、自分がおなじものを持っているからだということも、今の私には分かっています。

経営ということに携わり、経理などをしていると、どうしても細かくなってくるものです。そういう人が誰かいないと、お店は成り立ちません。

元舅の苦労も知らず、一方的に恨んでいたことがあったことを、私はここに懺悔しないといけません。

若い頃というのは、本当に、思い出すと「穴があったら入りたい」と思うことばかりです。実際、今でも、そういうことをしでかしながら、生きているのが実情です。

それでも、「成長は螺旋を描く」ということですから、同じようなことをしながらも、少しずつ、三歩進んで二歩下がりつつも、上昇していっているのだと思います。

2006/09/16

インスピレーション

まだ大学生だった頃、近所に住んでいた、中学時代の同級生に頼まれて、コンパをしたことがありました。

当時は、私には付き合っている人がいて、コンパしても意味がないので気が進みませんでしたが、同級生があまりにも頼むので、仕方なく仲間を集めてコンパを計画しました。

コンパの待ち合わせは、阪急梅田の玄関前にあった「イスズ前」でした。当時、イスズのピアッツァがショールームに飾られていました。

そこで、時間に行ってみると、一人遅刻している人がいるので待つことになりました。

その人が、バイトを終えて待ち合わせ場所に駆け込んできたときに、私は何故か、「私は将来この人の子供を産むだろう。」と思ったのです。

大江千里を太らせたみたいな雰囲気で、タイプとはほど遠い印象だったのに、不思議でした。

第一、当時は彼氏がいて、別にこのコンパで彼氏を見つけようなどとは思ってもいないときだったのに、どうしてそんなことを思ったのか、今でもわかりません。

結局は、その1年後に、私は付き合っていた彼氏とは別れ、なんと、そのコンパの大江千里風から付き合ってほしいと申し込まれました。

大江千里風は、同級生に私の家の電話番号を聞こうとしたときに、「アイツ彼氏おるで。」と言われたにもかかわらず、「友達になってください。」と言って私に電話をしてきましたから、その強引さがまっすぐにも見え、「地方出身の子は純情だな~」と思って、お友達になることにしたのです。

あくまで友達でしたから、私は自分の恋愛問題を相談したりしていたのに、彼氏と別れると、お付き合いを申し込まれたのでした。

申し込まれてみて思ったのですが、大江千里風と付き合って、もしも別れることになったら、大切な友達を失うことになるし、私は、迷いました。迷いましたが、そこで断ると、その場で友達ではなくなってしまいそうなので、付き合うことにしたのです。

その二年後に、結婚して息子が生まれたのですが、生まれたときに「イスズ前」で思ったことを思い出し、何か、使命のある子かもしれないと考え、名前を、「天からの助け」の意味がある字に決めました。

子供の頃は、教えてもいないのに、「宇宙に時間がないと仮定すると、全ての人はもとはひとつということになるんや。」などと小学三年生の時に話し出したりして、「おお!これは!」と思いましたが、中学生になる頃に不登校になってしまいました。

けれども、ある意味、学校で揉まれていない分、純粋で古風です。

ただ、あまりにも精神世界の話が好きな私のそばで育ったせいか、観念的な話には耳を貸そうとせず、万人が納得できる話の仕方をせよと私に言うくらい、唯物論者のようになってしまいました。

家では、どちらかというと、母と息子が逆転して、父と娘のようになっているときがあります。情けない話ですが・・・

絵を描いていますから、それなら私のようにインスピレーションとか、直感とか、そういう方面を鍛えたらいいのになと思うんですけどね。

心配なのは、お嫁さんのことです。

こんな古風な息子のところに嫁に来てくれる今時の娘さんがいるだろうかと思います。

条件としては、

市販のシャンプーを使って変な匂いをさせている子はNG

インスタント食品を好む子はNG

というのが最低条件としてつくかも知れません。年齢は18才ですが、中身はオッサンですから、それなりに中身がオバサンになっている若い子でないといけないかもしれません。(笑)

まあ、私としては、自分の直感が間違っていなくて、将来、地球を救うことの手伝いとかをしてくれるといいなと思っているのです。

親ばかです。

ちなみに、ダンナは、私の夢の中では息子の弟になっています。どうなっているんでしょう?(笑)

2006/09/15

絵を描いてみましょう

いきなり、絵を描けと言われても困りますが、私は以前、カウンセリングを受けたときに、息子と一緒に絵を描くように言われました。

どんな絵を描くかというと、「木」の絵を描けと言われました。

自分の心の中にある木を、画用紙に書いてみてください・・・と。

私と息子が描いた絵の答えや解説は、次回に書こうと思います。

もしも、興味がおありの方は、「木」の絵を描いてみてくださいね。(^_^)

2006/09/12

過去生の浄化

「首が、首が~~~~」

と、この頃思うんです。

肩をすくめて首を隠したい気分なんです。

この発作は、実は中学生の頃からありました。怖いものとか、気持ち悪いものを見ると、そうなるんです。体中の力が抜けて、鉛筆も握れなくなります。中学校の理科の教科書の写真で赤血球とか白血球をみるとそうなりました。

とっくに忘れていたんです。

それなのに、少し前にイラクで日本人の若者が首を切られて亡くなった映像を見てしまったのがいけなかったのか、最近、とみにぶり返します。

そんなときに、ダンナが言いました。

朝、私がまだ寝ているときです。

「なあなあ、歯ァ食いしばってる?」と聞きますので、「食いしばってへんで。」と言いますと、まだ寝ている私をジロジロと見ているんです。

そして、「頸静脈拍動してんのやけど。」というのです。

「それがどないしたん?」といいますと、「犬で頸静脈が拍動しているときは、フィラリアで心不全になって末期の時やねんで。」と言うのを聞いてから、私の病気が始まってしまいました。(..;)

「ケッ頸静脈??」

それからというもの、あの映像がフラッシュバックするし、肩が妙に凝るのです。

肩こりは、生姜湯を飲んだら治りました。昼間にアイスコーヒーを飲んだので、身体が冷えていたようです。

でも、首の気持ち悪さは無くなりません。

それで、もしかすると、これもまた同時並行的に存在する私の前世の誰かが、首を切られて死んだのではないかと思ったりします。

以前、麻酔をしたときに経験した、窒息死の恐怖を乗り越えたばかりだというのに、今度は首切りの恐怖ですか・・・と思えなくもありません。

けれど、涅槃へ行くには、自分の過去生がみんな癒されないとダメらしいので、ちょっと取り組んでみるつもりです。

首を切られて死ぬってどんなだろうか。一瞬だろうか。残念だっただろうか・・・そういうのを考えてあげると良いのでしょうか。

江原さんに質問したいけど、痛快エブリデイに応募するには内容が電波入りすぎなので、江原さんに届く前にボツにされそうです。

江原さん、もしこれを読んでいたら、それとな~く、番組のどこかで答えてはいただけないでしょうか・・・?

と、荒唐無稽なことを考え出す始末の私です。

江原さんだったら、きっと「今、自分が幸せを実感して生きていれば、大丈夫!」とか言ってくれそうですけど。

2006/09/05

感謝が足りない

まだ、私が20代だった頃、嫁ぎ先のおばあちゃんに、よく説教されました。

それは、「感謝の心が足りない」という内容のことなのですが、若い私は、人から「感謝が足りない」とか「もっと感謝の心を持て」とか言われると、納得がいかず、反抗心を持っていました。

嫁ぎ先のおばあちゃんからしてみると、色々な苦労を積み重ねてきていますから、今の時代に、のうのうとおいしいものを食べて生きていられるだけでも、有り難いことでした。

それなのに、私は、自分の境遇に満足できず、不平不満の固まりでしたから、経験を積んだおばあちゃんから見ると、ヒヤヒヤするものだったのだと今では思います。

あの頃に、反抗心を持ったりして申し訳なかったと、今では反省していますが、おばあちゃんはすでに他界していますから、心の中で手を合わせることしかできないことになってしまいました。

当時は、三世代同居で、私は生まれたばかりの息子をおんぶして、女中のように扱われていましたから、それはそれは不平不満の固まりでした。元夫は、一人で独身の女友達たちとテニスに行ったりして、赤ん坊と留守番をさせられた私は、それこそ、「キイ~~~~ッ」となっていました。

それでも、おばあちゃんから見ると私の境遇は、自分の時よりも恵まれていると見えていたのだと思います。

おばあちゃんも、大変苦労した人でしたから・・・

苦労した分、途中で、私の苦しみにも理解を示してくれて、最後は和解に至りました。おばあちゃんから引き継いだ商売の極意や、生き方の知恵を、嫁ぎ先の家で実践できなかったことが心苦しいですが、せめて、ずっと引き継いで、真面目に生きていきたいと思っています。

今では、私が息子など若い人を見ていて、「あ~あ~、感謝の心が足らへんわ~。」とヒヤヒヤする立場になってしまいました。

でも、自分自身の経験から、あまりお説教はせずに、自分で頭を打つのを待つことにしています。

けっこうすぐにバチが当たっていたりして、笑ってしまいます。

お薦めの本(葉室頼昭さんの本)

本屋さんで、普段は精神世界の本しか見ないのですが、最近、ふと、となりの宗教コーナーにある本に目がとまりました。

葉室頼昭さんという方の本で、奈良の春日大社の宮司さんをしておられるという事です。

今まで、たくさんの精神世界の本を読みましたが、この方のお話が、一番わかりやすいと感じました。

もともとお医者さんをしておられたというキャリアの持ち主ですから、お話し内容はバランスが取れています。

文化的にも、しっくりと納得がいく感じがします。

外国の方が書いた本などもたくさんありますが、文化的背景が違っていたり、一神教を背景にしていたりしますから、どうも、私にはしっくり来なかったのです。

そして、その本には、私がさんざん紆余曲折を経て、最近思い至っている「感謝して生きることの大切さ」が大変わかりやすく書かれています。

読みながら、「な~んや、早よ読んどいたら良かったわ~。」と思った次第です。

2006/09/03

お伊勢参り

小学校の修学旅行で中途半端にしてしまっていたお伊勢参りを、やっと終えて帰ってきました。

自然が、太古の昔のままのように残されていて、太い太いクスノキや杉などがそびえ立っていました。

大きなクスノキさんには、「いつも、よさみ神社のクスノキさんにお世話になっているんですう・・・」とお礼を言いました。

神宮の中には、鶏や鹿が放し飼いになっていて、捨て猫はいませんでした。(^_^;

たぶん、野良猫が入ったら、処分されそうでした。鶏を殺しそうだから・・・

鳥居をくぐる前に、ダンナに、確認を取りました。

「まさか、いっぱい願い事言おうと思ってる?」と聞くと、「うん、いっぱい考えてきた。」と言いますので、「アカンねんで~、お願い事ばっかりしたら~!伊勢神宮は、感謝しに来るところやねんで~。」と教えてあげました。

ダンナは、「ええ~!そうやったん?知らんと今までいっぱい願い事言うとったわ~」と言いました。

「ちなみに今までお賽銭、どれくらい入れてたん?」と聞きますと、「本殿に100円、他のところは10円やった。」と言いますから、「うわ~、年に一回しか来られへんお伊勢さんに、そんなケチくさいことしたらアカンがな~。新札で1000円入れるのが良いらしいで。」と言いますと、「そんなん、気持ちやがな~。」と言います。

「だって、上本町までタクシーで行こうって言うて、2500円も払える人が、お賽銭100円って、少なすぎるで~。おまけに願い事もいっぱいしてたら、神様も、なんと厚かましいケチンボが来たって思うやんか~。」と言ってやりましたら、「うわ~、そうやったんか~、お参りする前に聞いといて良かったわ~。」

と、まあ、そういうやりとりがあった後、私たちは、つつがなくお参りを済ませ、おかげ横町というおみやげ屋さんがたくさん並んでいる通りにやってきました。

その中の一軒のお店の前に、美しい三毛猫が昼寝をしているお店があり、私たちは猫に釣られてそこのお店でトコロテンを食べました。本物のトコロテンに舌鼓をうちつつ辺りを見回すと、お店の中には、みけちゃんの写真が飾ってあり、とても大切に可愛がられている猫様だということがわかりました。まごうかたなき、招き猫様でありました。

時間がないので、招き猫ばかり置いてあるお店で、陶器の招き猫とおみやげを購入し、急ぎ、帰途につきました。

帰ってから、犬様を散歩させながら、近所のよさみ神社のクスノキさんに、「今日、伊勢神宮のクスノキさんに会ってきましたよ・・・」と心の中で話しかけました。

イヤシロチに行ってきたせいか、元気です。

何となく、イヤシロチ

夜が明けると私はお伊勢参りに行く予定です。

それで、寝る前の猫様のお掃除をしていて思うことがあったので、早起きしないといけないのですが書き記しておこうと思います。

早起きと言っても七時に起きて猫様のお掃除を三時間してから出発です。遠出は5年ぶりくらいなので楽しみです。六時間で帰る予定ですが・・・(笑)

最近、近所の大よさみ神社に関連するご縁で助けられたと思うことが何度かあり、今まで神社の神様なんて信じていなかったけれど、神様というか、神木のネットワークのようなものが関連しながらあるかもしれないと、少し思っていました。

そんなときに、ダンナからお伊勢参りに誘われたので、意を決して行くことに決めました。外を出歩くと、猫を拾いそうなので、なるべくオタクを決め込んでいるのですが、一生に一回くらいは行っても良いかなと思ったのです。

神社は聖なるエネルギーが満ちていると、言われます。私はくわしいことはしらないのですが、確かに、神社に行くと、何か、そよそよと降り注ぐ目に見えない光のようなそよ風のようなものを感じます。高気圧のような感じです。

それで、ここからは神社とはあまり関係ないお話しですが、よく流行っているお店は、そういう何か、上から降り注ぐ感じがします。

反対に、流行っていないお店は、降り注ぐのではなくて、何かが吹き上がっていく感じがします。低気圧のような感じです。

私は、自意識過剰かも知れませんが、自分が店にはいると、その店が急に忙しくなることをひそかに自負しています。

それで、流行っていないお店を助けてあげようと思い、お店に入っても、下から吹き上がる何かが強すぎるときは、それに勝つことが出来ません。

上から降りてくるエネルギーが多いところをイヤシロチというのだとすると、下から吹き上がるところはケガレチなのでしょうか。よくわかりません。

何故、流行らないお店のエネルギーが下から吹き上がっているのか、それがわかれば、流行るお店に変わることが出来ると思います。

だいたいにおいてというか、案の定、そういうお店の主人は、顔色が悪いです。たとえ資金繰りや生活に苦しくとも、もっと笑顔で心から笑えるように、日々を過ごすと良いと思います。

そういうところには、きっと、そよそよとやさしい風のような光のようなものが、降り注いでくると思うのです。

明日(あ、今日ですね)、私は、生まれて初めて日本でも有数のイヤシロチに行きます。

うれしいです。

神様に、ありがとうと伝えてこようと思います。

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