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2006年7月

2006/07/30

守護霊になる練習

ダンナは疲れ切っているせいか、話しかけても、すぐに返事が返ってきません。

本人は、考えて吟味しているつもりらしいのですが、話しかけて5分くらい経ってから返事をくれても、その時には、自分で答えを見いだして解決済みだったり、何を話しかけたのか忘れてしまっていたりして、とてもイライラすることがあります。だいたい、5分も待たされると、無視されたのではないかと内心腹が立つときさえありました、慣れるまで・・・

「うんうん」と言っているから、私の話を理解してくれていると思いきや、理解しておらず、私の話し方が悪いと文句を言います。

分からないと思った時点で、「ちょっと待って、それどういう意味?」とか言ってくれたらいいのに。

全部話し終わって、「ああ、やっと分かってくれたか。」と思ったら、「最初の滑り出しの話に感動して、そのことを考えていたら、次々違う話を言うから、混乱して分からなくなった。」と言うではないですか。

すっかり分かってくれていると思ったのに。

「うんうん」と返事をするから、ついつい発展系の話を言いたくなって、話をしてしまいます。

どんなことを話していたかというと、ダンナが仕事に疲れて、仕事を辛い辛いと言いますので、

「苦しみは、自分の心が作り出しているもので、ほんまは、そんなもんはないんやて。本に書いてあった。」と私。

「ふ~ん。」とダンナが返事をしたので、

「お釈迦様が、色即是空と言ったのは、もともと色が付いていないものに、自分が色を付けてみているということらしいで。」と私。

「ふ~ん。」とダンナ。

「昔、私が色眼鏡の話言うとったやろう、あれと同じやと思うねん。【辛い色】の眼鏡で見てたら辛いねん。」と私。

「もう、次々言うから、わけ分かれへんわ。一つの話だけしてくれや。」とダンナ。

「一つの話やんか。」と私。

「最初の、苦しみの話はどこ行ったんや。」とダンナ。

「そやから、今話してるやん。」と私。

「違う違う、ぜったい違う話になってる。」とダンナ。

「あー、もう、オトーさんと喋ってたらイライラするわ。オトーさんの守護霊さんも苦労するで、もうみはなされてるんちゃう!」と私は、ぶち切れる始末。

どうも、コミュニケーションが上手く行きません。

私も口下手なのだと思います。

いつも私は、ダンナの「生きた守護霊」だと思うのですが、守護霊が見放す瞬間の気持ちって、こんなんかしらと思ったりします。

今度、死んだあと、誰かの守護霊になる練習をしているのかなと、思います。

結局は、苦しい苦しいと言っている人を、たとえ「アドバイス」であろうとも差し向けたところで、その人は心ゆくまで苦しみを経験しないと、納得することはないのだと思います。

自分自身もそうでした。

回りを見渡せば、母も、妹も、息子もそうです。

私がお節介な助言をしても、聞き入れてはもらえません。せっかく悟ったことがあるけれど、それは、ここにこっそり発表して、聞く耳を持った人が、聞くべきタイミングで見つけるのだろうと思います。


2006/07/26

認知症にだまされるな

まあ、またまたこわい題名をつけてしまいましたが、これは、私の身近に起こった出来事です。

母は、65才を過ぎていて、90才近い祖母はまだ健在です。

話は祖父が7年前に他界したことから始まったようです。

祖父は死ぬ前に、通いで世話をした母に、「おまえも相続をちゃんとしてもらえよ」と言い残したそうです。

けれどふたを開けてみると、祖母が財布を握っていて、相続なんていう言葉を出すことさえできないまま、月日は過ぎていったのです。兄弟はたくさんいますが、祖母の性格を知っているので誰も相続の話はしなかったのです。

最近になって、祖母は母と二人でいるときに、涙ながらに「○○ちゃん(母の弟)が、毎週、生前贈与してくれと金の無心に来て困っている。」と言ったそうです。

それを聞いた母は、にわかに焦り始め、今まで疑ったこともなかったのに、兄弟たちを疑い始め、遺産が無くなる前に自分の分をもらっておきたいと考えるようになったようです。

真偽の程を確かめたくても、ことがことだけに確かめようがないままに、月日は過ぎていっていたのですが、ついに、母は、行動をおこしてしまったのです。

いきなり、申し立てを起こそうとしたのです。

叔母や、叔父に確かめることもせず、ただ祖母の言うことだけを信じていた母は、私が、「確かめてからにせよ」と言っても聞き入れませんでした。

私は、母が認知症になったのかも知れないと思いました。

頑固で、聞き入れず、疑り深くなっていて、変だったのです。

問題が発覚したので、私は晴れて一番下の叔母と話し合うことが出来ました。

叔母の話には嘘が感じられず、母の方が変なことを言っていると思えました。猫の里親探しで、私は人の嘘を見抜くのが上手いのです。

もう一人の叔母に聞くと、たしかに一度、祖母が、「財産を○○ちゃんにとられる」と騒いでいたということもわかりました。

いつも相手が一人の時に言っているので、客観的に判断できる材料が無く、もう一人の叔母も、疑問符を付けながらも、多少の疑いの念を持っていたようでした。

可哀想なのは、一番下の叔母で、おそらくは認知症である祖母の世話を、嫁にも行かずにしてきているのに、叔父と同罪であるように母に思われているのです。

叔父も、生前贈与を無心したことなど無いことが判明しました。

ボケかかった祖母の話を鵜呑みにして、妄想を抱き、行動をおこしてしまった母は、ピエロみたいです。回りからは、「ボケてきたんと違う?」と言われて。

おっちょこちょいにも程があるというものです。今年のお盆は遊びに行けないこと確定です。

母は、今でもまだ一番下の叔母のことを悪く思っているようです。どうして直接話し合えないのか不思議です。

人の遺産を当てにする生き方というのも、私とは180度違います。

けれど、この話、母と仲の悪い妹は、母の意見を支持するのです。叔母を疑います。

考え方がよく似ているのに、仲が悪い母と妹。

まったく考え方が違うのに、私はその二人を助けようとしている。これまた変な話ですが・・・前世からの因縁というのでしょうか。

昨日は、母のボケや祖母のボケのことばかり考えていたら、ガスをつけっぱなしにすることが二回もあり、「うわ~、バチ当たった~。」と焦った私です。


2006/07/21

正しいバチの当て方 Part2

先日、「正しいバチの当て方」という、主題の話を書きましたが、ちょっと言葉足りない面があったので、補足しておきたいと思ます。

日常で、「言いたいことが言えない状況」というのは、たくさんあるのですが、少しでも言いたいことを言う努力は怠ってはいけないと思うのです。

一度、言いたいことが言えなくて、「失敗したな~」と思ったら、次に備えて、言い方を考えます。チャンスがあったら、それを言う努力をしてみます。

失敗したことについては、くよくよしないこと。ここで「手放す」ことが大切です。

そのあと、次の手を考えたら、そのことにこだわり続けないで、自分が今することに集中して忘れてしまいます。

次のチャンスが来たら、言いたいことを言うのです。

決して遠回しに言わないこと。カウンセリングの先生によると、遠回し表現は、相手の付け入る隙を与えてしまい、結局、言いたいことを言いかけたけど、相手の思い通りにされてしまう・・・という図式が成り立ってしまい、よけいにストレスがたまるそうです。

簡潔に、「NO」と言います。

たとえば、無理な用事を頼まれたときは、「それは私には出来ません。」といいます。決して、「明日は病院にお見舞いに行く約束になっていて、時間がないから出来ません。」などと言ってはなりません。そんなことを言おうものなら、「そんなん、朝から晩までお見舞いに行ってへんねんやろう~?」と付け入られてしまいます。

私の場合などは、「猫を引き取ってほしい。」と頼まれたら、なかなか嫌とは言えなかったのです。

本当に切羽詰まるまで、「NO」と言えなかった私。ただ一言、「うちでは無理です。」と言えば良いだけなのに。相手は命をテーマに攻めてきますから、断るのがとても難しかったです。「たくさん猫がいるから、怖い伝染病になって死なせる可能性が大きいんです。」と言ってみたら、「外でのたれ死によりマシやんか。」「それは運命やから仕方ないわ。」などと言ってきます。

あげくに引き取ることになると、猫には罪がないと思うので、押しつけた人に恨みを持ったまま、猫を愛さないといけなくなってしまい、苦しむことになりました。義務感で結婚したような気分ですね。

今では、「うちでは無理です。」の一言で終わりです。

相手が勘違いして攻めてきたときも、冷静に受け止めて、心を乱してはいけません。冷静に対応することが大切です。

相手のすることが一々癪に障るという場合は、自分にも、相手のような一面はないか探してみます。意外と、自分とよく似た相手だったりするのです。

そうして、自分の心を騒がす出来事に、心乱さず、冷静に今できることを一生懸命にしていると、かならず光が見えてくるものなのです。

嫌な出来事にこだわり続けて、相手に返ってバチが当たるはずの邪気を自分が手に持ったままでは、相手を庇っているようなものだということです。

どんどん手放しましょう。

そして、自分がまぶしい鏡になったイメージを想像していればいいのです。

2006/07/19

流れる川に出ている杭

「流れる川に出ている杭」という表現を、一日に二回見ました。

これは何かのシンクロです。

1度目は、ねこおたぶろぐからリンクしている「霊能力体験記」の中に。

二度目は、「宇宙を味方にする方程式」という本の中に。

川の流れているところに杭がたくさん出ていて、引っかかってよく流れないということを書いてあるのです。

別々の方が同じ悟りを持っていて、表現しておられることに初めは驚き、「きっと同じ魂の木の人なんだな」と思ったりしていましたが、一日のうちで二回も同じ表現を見るなんて、これは、きっと守護霊様が私にメッセージを送っているのではないだろうか・・・と思ったのです。

私の心の川の流れをせき止めている杭は何なのだろうか。

自分では、上手く生きていると思っていたけれど、まだまだ杭が残っているというのだろうか。

そんなことを考えました。

杭を引っこ抜いて、心の川の流れをスムーズにしたいものです。

亀が道を渡っていた

大和川という川の縁を車で走っていると、真ん中に黒くて丸いものがありました。

何かな~と思って近づくと、亀でした。大きな亀で、直径20センチはあったと思います。たぶんミドリガメです。

ウワ~ッと思ったけど、間に合わず、またいで通り過ぎました。後の車もまたいでいました。

気になったので、Uターンして戻り、道の端に置き直しましたら、ダンナが、

「そんな中途半端なことして、また道に戻ってきたらどないすんのん。ちゃんと川のとこまで持って行ってあげな!」

仕方なく、またUターンし、雨がそぼ降る中を川の土手に降り、亀を置いて帰りました。

けれど、夜中に集中豪雨が・・・

亀は避難しようとしていたのでしょうか・・・

ああ、助かっていますように。

2006/07/14

肉体のこと

去年の秋から、手術をしたりヘルニアになったりして、いろいろ考えることがたくさんありました。

個人的には、病気のことが多かったですが、あとは猫の里親探しで、心の状態が良いと、良い里親さんを呼び込むという発見もしました。

ちょっとした病気をいくつも同じ時期に経験したときに、私は、「ああ、もう人生の折り返し地点は過ぎて、あとは斜陽の人生なんだ・・・」と思いました。

今までのように、無理をすることはできなくなりました。

一切、お酒を飲まなくなりました。

「飲酒は人生の無駄遣い」だと、ようやく心から思えるようになったからです。

お酒を飲むと、鼻が詰まる・・・これくらいでは私はやめられませんでした。

お酒を飲むと、ヘルニアの痛みが増し、しびれて立てなくなる・・・やっとここでやめることができました。

これからは、今、私の魂が入っている肉体を大切にし、最大限、表現をして生きたいと思うようになりました。

肉体は、魂の入れ物だとか、よく言われます。

頭で分かっていても、本当にはなかなか分かりませんでした。

手術の時に、呼吸が出来なくて気絶したとき、猫のことも家族のことも、呼吸が止まってまだ意識がある一分くらいの間に、諦めました。「まだまだやり残したことがあるのに、手放すしかないのか・・・」と思って残念でした。

その後、意識を取り戻したときに、「ああ、生きている!」と思い、残された人生を大切に生きないといけないと思いました。

そして、肉体があってこそ、人は魂の発露を表現できるんだということが、この年になってやっとわかったのです。

一日も無駄に生きてはいけないと、思うのです。

といっても、私の一日は、猫の世話ばっかりなんですが。(^_^;

いつも猫の死を見てきて、猫は偉いなと思います。

私は死ぬのがまだ怖いです。魂の受像器官としての脳が停止したとき、本当に、肉体から離れて、自分を見下ろしているのかどうか、わからないです。だって、もう脳が停止しているのに。

けれど、私は、中間生(生まれ変わりと生まれ変わりの間の魂の時)の記憶があったり、死んだ猫がそばにいるのを感じるのです。

これは、つまり、私が今生きているから、魂の記憶を再生させることが出来るのかしら・・・と思ったりするわけです。

要するに、肉体あっての物種ということになるでしょうか。

どんなことも、肉体がないと、経験することも表現することも、三次元の世界ではできないのだから、自分の体は自分でしっかり守って、生き抜きたいものです。

2006/07/06

グーグルアース

グーグルアースというのを教えてもらったので、色々と遊んでいましたが、大阪近郊の山の方に、何だかひっかき傷のようなものがたくさんあるのです。

よく見てみると、それは、ゴルフ場でした。

形がいびつで、私は、それを見て、寒くなってしまいました。

「ゴルフ、きらい。」

と、思ってしまいました。

正しいバチの当て方

「正しいバチの当て方」という、ちょっとこわいような主題ですが、これは、平和主義の人が、言いたいことが言えずに子の刻参りなどをしなくて済むように、書いてみようと思った話です。

自分が思いもよらず不当な扱いを受け、仕返しをしたくても出来ない状況になったとき、どうすればよいかということをお話ししたくなりました。

私は、ついつい人を呪い、「ええい、バチを当ててやる。」とか、「バチが当たればいいのに。」などとよく思う質ですが、一番、効果的にバチが当たる方法があるのです。

それは何かというと、「嫌なことを考えないようにして、忘れ、自分の人生を生きるようにすること。」なのです。

嫌なことにとらわれて、自分を見失っていると、自分の体の調子が狂ってきたりします。

それで、ある時、実験をしてみたのです。

呪ったり、実験をしたり、私の実験は、亀のような歩みなので、確信するまでに10年くらいはかかってしまいましたが、これは、きっと正しいと思います。

先日も、ある人にヒステリックに言われて傷ついた私は、ついつい呪ってしまいましたが、やはり、そのあと体調がすぐれませんでした。

本当は、その時に、さらっと受け流して、自分のことだけ考えていれば良かったのです。

家族とか、周りの人で、試してみると良いと思います。いきなり大物で試すと自信喪失になってはいけないので、少しずつ積み立てていけばよいと思います。

さらっと受け流して自分を守るとどうなるかというと、邪気が鏡のように相手に返っていくのです。

受け流さずにこだわり続けるとどうなるかというと、相手の邪気を自分に引き寄せてしまうのです。

太極拳や、合気道では相手の力を受け流し、自分の力に変えていくことを学びますが、まさに、そういうことを心理的に行なうのです。

カチンとなることを言う相手がいたりします。

受け流してみて下さい。そして、自分の道だけを見て生きていて下さい。

ある日、その人は、全然違う相手に自分が言ったことと同じ事を言われ、カチンとしています。その人が、「ああ、昔、自分もあの人にこんなことを言っていたなあ、今度から、言わないでおこう。」と思えば、その人は一つ成長しますが、気づかずに、同じことをやり続けていると、どんどん、あちらこちらで同じことをされ続ける羽目になります。

嘘をつく人がいたとします。正直になれと言ってもなかなかなってはもらえません。

その人の嘘を受け流してみて下さい。そして自分の道を生きていて下さい。

すると、その人は、自分がついた嘘の後始末をする羽目に陥ります。

一度試してみて下さい。

絶対に、「バチを当てよう。」と思わないこと。

ただひたすらに、自分のなすべきことに集中して、惑わされないように心を静かにしておくのです。

私も、偉そうなことを言える人間ではなく、惑いながら生きているのですが、みんながこういうことを知り、分かるようになって来れば、世の中もっと平和になるのではないかと思う次第です。

ただ、国同士の話とかになると、同じ法則が成り立つかどうか、現状では分かりません。

北朝鮮のミサイル問題などがありますが、そのことも、「キーッ」とならずに、理性的に対処した方が、本当に悪いことをしていたらバチが当たるように出来ているのであれば、時が解決するようにも思えます。

とりあえず、興味のある方、お試し下さい。

2006/07/01

逃げたらアカン

むかしむかし、私がまだ22才だった頃のお話しです。

新任で中学教師となった私は、世間知らずのくせに、精一杯大人ぶって生きている感じでした。いきなり、20時間の教科担当と、担任を持つことになってしまい、毎日、泣いて暮らしていました。

学校に着ていく洋服を持っていなくて、私はGパンを履いて通っていました。学校でトレパンなどに着替えたら良かったのですが、面倒くさがりやの私は、服の上から白衣を着て、授業をしていました。担当は国語だったのですが。実を言うと、着替えをする気にもならなかったのでした。毎日辛くて。

授業の準備は大変だし、生徒たちの手綱さばきに疲れ果てていたのです。

そのようないい加減さが教頭先生の目には気に入らなかったようでした。

ある日、帰りに呼び止められ、「喫茶店に行かないか」と言うのです。

私はセクハラを意識しつつも、行かないわけにはいかず、最寄り駅の喫茶店に行きました。

そこで待ち受けていたのは、セクハラではなくて説教でした。

曰く、「しんどいしんどい言うけど、どうせ家で上げ膳据え膳してもろてるくせに。」と言うのです。けっこう細かい性格で、重箱の隅をつつくようなことをたくさん言われてしまいました。

当時、私は祖母と二人暮らしでしたので、その辺の娘よりは家事を手伝っている方だと思っていたので、教頭先生のその発言が嫌で嫌でたまりませんでした。

ある日、職員室で、教頭先生に口答えをして、あとで謝ったこともありました。

そんなだったから、結婚が決まって教職を辞めることになったときは、内心うれしかったものです。

自分では認めていなかったけれど、あれは、れっきとした「逃げ」だったのです。

どうしてそれがわかったかというと、地方に嫁として暮らした家に、教頭先生をマックスにしたみたいな舅がいたのです。おまけに妙に私にだけ厳しい大姑や、お嫁に行ったことがない姑(イコールわがまま)、嫁に行っていない小姑、毎週実家に帰ってくる小姑がいたのです。

その現実を目の当たりにした私は、毎日毎日、教師を辞めてしまったことに対する後悔と、「逃げたら十倍返しなん?」という疑問を抱えつつ、お寺の鐘の音を聞きながら六人家族の食事を作ったり、小姑が弾くピアノの音を聞きながら、お茶碗六人分を洗っていたのです。

もちろん、私は大好きなピアノを弾かせてもらえないし、夕方にお散歩に出掛けることも出来ません。

家族全員が私に違う指示を出し、自分が教えたことと違っていると、叱られます。私はどうして良いか分からなくなってしまい、ついには実家に帰ったときに腰痛と皮膚病を発症、一年間帰ることが出来ませんでした。

私が辛そうにしていると、「カラオケ行ってストレス発散してきたら」と、ストレスの発散の仕方まで指示されました。「自由がない」・・・これが私の心の病の原因だったかも知れません。(だから、雅子様の気持ちが分かるような気がします。)

実家に帰っているあいだ、祖母や母は、何年も別居していたにもかかわらず和解して、私をサポートしてくれました。

けれど、ある日、孫の子守をしていた祖母が、乳母車が倒れそうになったのを支えようとして手の指の骨を折ってしまいました。

その時に、私は「家族に甘えてばかりいてはダメだ」と思い、一大決心をして、婚家へ帰ることにしました。別居させてもらえるようにお願いしましたが。

その後、婚家でもいろいろと事件はありましたが、「逃げたらアカン」と思って頑張りました。商売のノウハウも覚えたし、もっと商売がしやすいように色々とファイリングしたりして、努力をしました。

元夫が浮気をして家庭が壊れてしまい、「卒業」するまで、7年間を地方で暮らしました。家庭が壊れても、仮面夫婦で頑張っていこうかと思っていたのですが、息子が不登校になってしまい、それがきっかけで、仮面夫婦をやめることにしました。

「ねこおた」のHPに書いたのですが、亡くなった祖母の不思議な夢に導かれたのです。

そのあとは、生まれ変わったような人生を、自由に生きて来れたのでした。

ですから、「逃げたらアカン」のです。


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