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2006年2月

2006/02/28

御霊水の夢

これも20年近く前の話。

私がまだ嫁に行って間もない頃、元夫のお母さんは、ある霊能者のところにお参りに行っていました。

たぶん、御霊水と呼んでいたと思うのですが、自宅の床の間に、水の入った日本酒の瓶を置いておいてから、お参りに行った時にその霊能者が念を込めると、病が治る御霊水に変わるということでした。

その日も、元夫のお母さんは、床の間にビンを置くようにとお手伝いさんに指示をして、霊能者の元へ赴きました。

ちょうどその頃、私は自分の部屋で昼寝をしていました。

運の悪いことに、また北枕で寝ていたのです。私は北枕で寝ると、やたらと霊感が冴えてしまうタイプでした。

うたた寝の最中に夢を見ました。

お風呂屋さんのようにたくさん靴を入れるフタ付きの小さなロッカーがある広い玄関がありました。玄関の上がりかまちは畳でした。

「変わった玄関やな~」と思っていると、一見、普通のおばさん風の小太りの女性が、巫女さんのような格好をしてその玄関にやってきました。お供のおばあさんがいて、そのおばあさんは、金茶色の着物を着ていて、髪は真っ白で丸髷を結っていました。

けれど、その玄関で、あちこち探すような感じでウロウロしたあと、何もせずに帰ってしまいました。

そこで目が覚めました。

その後、元夫のお母さんが帰宅し、「霊能者が、あんたとこのビンに、どうしても念が入らんから、よく調べて、もう一回出直しておいで」と言われたと言ってぼやいていました。そして、ビンをよく調べてみると、ビンに、きっちりとフタがしてあったそうです。

瓶にフタをしてはいけないことになっていたらしく、それを知らないお手伝いさんが、フタをして置いておいたので、こういう事になったということでした。

私が、夢の話をいうと、「どんな人だった?」と聞かれました。それで、夢で見たとおりのことを言うと、おかあさんは黙ってしまいました。

それっきり、忘れていたのですが、その後、自分の祖母を事故でなくし、意気消沈していた私は、藁にもすがる思いで、一度その霊能者の所へ行ってみたのです。

すると、玄関の上がりかまちは畳で、靴箱がお風呂屋さんの下駄箱のように並んでいて、夢で見たのとそっくりだったのです。

そして、霊能者の方も、夢で見たとおりの、一見普通のおばさん風の方でした。

その方は、私に、「悪い因縁が断ち切れるように、お祈りいたします。」と言いました。それだけでした。

その時は、拍子抜けしてしまいましたが、今では、その意味がよく分かります。因縁を断ち切るのは私自身であって、霊能者ではないのですから。そのように言葉を添えてもらって、なんとなく、人を当てにしたらダメなんだと思い、ここまで生きてきたように思います。

蛇足ですが、夢の中で、霊能者に付き添っていたおばあさんは、その後、また別の夢に登場し、私のお腹の中の赤ちゃんは、男の子であると宣言しました。もう一人、お腹が大きかった親戚の女性には、女の子であると宣言しました。

その後、一日違いで誕生した子供たちは、ズバリ、私が生んだのが男で、親戚が生んだのが女でした。

もうひとつ蛇足ですが、私の母方の曾祖母は、失せものや、お腹の中の赤ちゃんを当てるということで、家の前に人の列が出来ていたということです。それもボランティアで。その人なのかしらん?

2006/02/27

おいでおいで幽霊

かれこれ20年近く前のお話しです。

私は、元夫と婚約中で、元夫の実家に遊びに行った時の話です。

泊まる部屋が、蔵の前の離れで、離れの前には中庭がありました。

ポツンと、そんなすきま風のはいる離れで、それも北枕で寝たのがいけなかったのですが、眠りそうになると、夢の中に着物を着た女の人が、中庭の木からぶら下がったようにブランブランと、近づいたり遠ざかったりするのです。

着物も、普通の着物ではなくて、襦袢のような感じでした。髪の毛は腰の所までありました。

ブランブランしながら、「おいでおいで」をするのです。

当然、驚いて目が覚めます。ふと、見ると、TVの上に藤娘のような日本人形が置いてあって、「それがそういうふうに見えたのかも知れない」と決めて、また寝ます。

眠りかけたら、また「おいでおいで」が・・・

それが夜が白む頃まで続き、やっと夜が明けると、消えました。

そこからぐっすり寝た私は、いきなり、婚約者の実家で朝寝坊をするという大惨事になってしまいました。(..;)

この結婚、していいのだろうか・・・と、その時不安になりました。

その後、結婚し、その家で住んでいた時に、おばあちゃんが話していたのですが、家に偉いお坊さんがお参りに来て下さった時に、「この家のどこかから、女の人の悲しそうなすすり泣きの声がずっと聞こえる」と言っていたそうです。

それを聞いて、私は、「さもありなん、さすれば、あの女人は庭の木で首をつったのかも知れぬ」などと、思い浮かべたことでありました。

その家は、昔、その家族が住み着くまでは、旅館だったそうです。そして、昔のことでしたので、女の人がとらわれて、売春のようなことをさせられていたということです。

その後、元夫が彼女を作った時に、彼女の髪の毛が腰まであり、私は、因縁の深さに「これは勝たれへんわ・・・」と思っていたことでした。

私も負けずに髪を伸ばしましたが、背中までがやっとで、腰まで伸ばす根性はありませんでした。

当時は何もわからないまま、「光の方へ行って下さい、自分で光の方へいけますから」とお祈りしていました。

ちゃんと光の方へ行ってくれていたらいいのですが。今思えば、地縛霊だったのかもしれないですね。

2006/02/18

私がステロイド嫌いなわけ

ダンナのお母さんは、喘息持ちでした。

若い頃から、お医者さんにステロイドを多用されて、ステロイドに頼りきりになり、そのせいで、大腿骨骨頭壊死にもなりました。

年取って、動悸がすると言ったらニトログリセリンとかヘルベッサなどを処方され、眠れないと言ったら、安定剤を処方され・・・そんな調子で、毎日五種類以上は服薬していました。

ダンナのお母さんは、公害医療の手帳を持っていました。だから、診療費は全部、国などが負担します。病院にとってはおいしい患者だったのです。何日かに一回は点滴をしないといけないからと言って、仕事に行くみたいに病院に通っていました。

ちょっと想像してみるに、化学的に合成されたとおぼしき薬品を、毎日毎日とりつづけていて、それを解毒するために身体は一生懸命になると思うのです。

そのうちに、肝臓も腎臓も疲れ果ててくると排毒出来なくなると思います。

漢方の考え方では、何とかして排毒しようとして、皮膚や肺などから出そうとするということだから、ステロイドや色んな薬の使用は、悪循環の連鎖をおこしていると思うのです。

ダンナのお母さんの症状は、自分の身体にたまった毒を出そうとしているのに、それを、苦しいからと言ってまたステロイドで押さえ込んでしまう・・・するともっと毒を出そうとして咳が出る・・・

様子を見ているとこんな感じでした。精神的にストレスがあったりすると、増悪しました。

軽い症状の時に、すっぱりと薬に頼ることをやめ、自分の身体の異常を人任せにせずに、原因などの因果関係を見極めることが出来たら、もっと長生きできていたはずです。

その原因は、前世や子供時代にあるかも知れないのです。また、部屋の掃除をしたら治るかも知れないのです。

けれど、ダンナのお母さんは、そんな方法があるなんて露ほども知らないまま、身体が辛くて部屋の掃除もしてみたことがないまま、ある日喘息の大発作を起こし、トイレにも行けなくなって入院してしまいました。

入院して、酸素吸入、ステロイドの大量投与を受けましたが、きれいな歯がポロッと抜けた二日後くらいに、天国へ旅立ちました。入院して一週間くらいでした。69歳でした。

そのあと私は、「現代医療っておかしいんちゃうん?」と思い始め、自分の不調で考えさせられたこともあり、もっと全体的な医療のあり方が必要だと思うようになりました。

けれど、TVで、小学生の何人かにインタビューするとかならず一人か二人は、「将来は医者になってリッチになる」というのを聞くと、がっかりしますし、保健医療制度を悪用しているとしか思えない現状の医療では、とても全体的(ホリスティック)な医療は出来まいと思います。

医者になる時は大志を抱いていても、長い物に巻かれて点数の取れる治療をせざるを得ず、しているうちに心が麻痺している人もたくさんいそうです。

でも、私は宣言します。

「ステロイドを使って、治したフリが出来る時代は終わりました」と。

ちょっと辛口でしたね。(^^ゞ

2006/02/16

アカシックレコード・リーディング

新聞広告が出ていた「アカシックレコード・リーディング」という本を、購入しました。

今、読み始めたところなのですが、著者の如月マヤさんという方は、前世を夢で見たり、自分や他人の魂の記憶にアクセスする能力があるらしいです。くわしいことは本に書いてあるので、省きますが、冒頭、著者の前世体験の夢の内容がものすごいのです。(..;)

それを読んだら、私の、「石に押しつぶされて死んだ記憶」とか、「飼っている犬を食料にされて心がズタズタになって死んだ記憶」などというものは、天草四郎(天知茂でもイイか)だなどと思えるのであります。

もう、そのお話しだけで、興味津々で、また一つ楽しみが増えたとワクワクします。

この頃、レイキを覚えて、それだけでもワクワクしているのに、この上、アカシックレコードとアクセスできるようになったら、「どうしよう~、あ~うれしいな~」ってなもんです。

私は、アカシックレコードにアクセスしたら、犬や猫の皮膚病のことを知りたいなと思います。

人間では、乾癬の直し方がエドガーケイシーによってアクセスされていて、それを、アメリカのお医者様が発展させて本になっていますが、犬や猫に関して、まだ誰もアクセスしたことはありません。

ちなみに、あれほど痛みで泣いていた日々は、遠くなりつつあります。真向法の柔軟体操とみんなに遠隔レイキをして上げていたら、自分まで元気になって、痛みも無くなってきました。あと、たまにしびれるのが残っているだけです。

一月に入ってからは整形外科に行くのをキッパリとやめました。何故かというと、先生はすぐに、「注射をして上げましょうか?」と聞くからです。

私は、それを聞くと、「さては、このまま医者だよりの身体にさせてしまう気だな・・・」と勘ぐり、自分で治そうと決心したのです。

あのとき、注射しないで本当に良かった。椎間板ヘルニアは治ります。硬くなってしまった自分の身体を柔らかくしてあげると治るのです。ましてや、手術なんかしなくて本当に良かった。麻酔アレルギーがあるし、そんなことしていたら、命に関わりますから。

これもついでに、アカシックレコード・リーディングがもしも出来たら、確認しておきたいところですね。(^_^)

本当に出来るかな?出来たらいいな。

2006/02/08

病は学びの第一歩

長い間苦しめられてきた、アレルギーから、私はもうすぐ解放されるかも知れないと思うと、ちょっとうれしいです。

三月になったら、また花粉症が勃発しているかも知れないけれど。

自分の花粉症を治すために、私はこの5年くらい、たくさん試してきました。

甜茶を飲んだり、イラクサのお茶を飲んだり、ウコンを飲んだり、ヨーグルトを食べたり、それこそ、色々です。

先日、「花粉症の季節を迎えるに当たって」という文を書きましたが、あれは、その集大成でした。

その後、私の花粉症は症状が軽減していく中で、なんと、ダンナが急に重いアレルギー性鼻炎を発症しました。

夏頃にいったん収束していたかに見えましたが、年末に風邪を引いてから、またぶり返し、寝る時もマスクを離せません。

ダンナには、色々と自分の経験からアドバイスをしましたが、なかなか聞き入れてもらえませんでした。彼を見ていて思うのは、病は気づきの第一歩だということです。

ダンナはダンナなりに、自分で調べて、色々と試しているようです。まるで、5年前の自分を見ている気がします。

結論から言うと、症状を抑えるために、自分以外の何かに頼っている間は、治ることはないということです。

もちろん、私も、現代の食事からは補う事が出来ない栄養素を補給するために、アロエベラジュースなどは飲んでいますが、あくまでも、自分の身体を正常に保つためにです。症状を軽減させようと思って飲んでいるのではありません。

私の場合は、ストレスから毎晩ビールを飲んだり、肉食をする事が大きな原因だと分かってきたので、それをやめるのに、大変な苦労をしました。

家族と焼き肉屋さんに行くと、誘惑に負けて、ついつい肉を食べ、ビールを飲んでしまいました。すると、翌日からはもう、鼻が詰まってしまうのでした。

自分のストレスを増やさない努力をしました。ストレスからビールを飲むのですから、原因を取り除かないうちはダメだと思っていました。

けれど、仕事の量も減らし、花粉症も治ってきたと思った途端、今度は椎間板ヘルニアです。

実は、花粉症も治ってきた事だし・・・と、気を抜いて、ちょこちょこお酒を飲んだりしていたのです。けれど、ヘルニアになってしまってからは、一滴も飲めなくなりました。

飲むと、身体がだるくなり、ますます腰痛は増し、猫のお世話が苦痛なのです。

花粉症と椎間板ヘルニアが私に知らせてくれたメッセージは、「飲酒をしないこと」でした。

ここからのお話しは、夢物語だと思っていただいても良いのですが、私は、前世で、お酒で身を崩しています。ですから、今生ではお酒を飲まずに、人生を醒めていなくてはいけないのだと思うのです。

そのことを忘れて、お酒を飲み続けた結果、アレルギー体質という負を背負ったのでした。

もしも、お薬に頼っていたらどうなるでしょうか。症状だけを見えなくしてしまうお薬は、楽ですが、自分の免疫を低下させてしまうあまり、ガン細胞も増殖させてしまう可能性もあります。

結局、楽をして治せる病気はないと思いました。何かのメッセージを感じ取り、自分の身体を自分でコントロールする方法を学ぶまで、病は次から次へと現れるのだと思います。

ダンナもそれに早く気づいて、アレルギーが治りますように・・・と祈りを込めて、レイキを送っておこうと思います。

2006/02/06

江原さんの夢を見ました

江原啓之さんが夢に出てきました。

うれしかったです。

江原さんは、夢の中でも、たくさんの人たちに囲まれていて、私は近づきたいのに近づけないでいたら、江原さんから声をかけてくださり、少しお話しする夢です。

うれしかったなあ。

江原さんも、ヒーラー初心者の私に、もう少し話をしたそうにしてくれたのに、たくさんの人が待っているから、私は遠慮し、また、江原さんもそちらへ戻られました。

さびしかったなあ。

お話しの中で、私が、「この部屋に男の人の霊がいませんか?」と聞いています。すると、江原さんが、「いることはいるけど、地縛霊なので、相手にしない方が良いですよ。」なんて答えてくれた。
(オーラの泉をみたせい?同じようなこと言ってたし)

なんとなく、霊能者の仲間入りが出来たような夢で、嬉しかったです。(^_^)

2006/02/04

レイキ、セカンド伝授

この三日間、私は午後三時になると、しずかに横たわったり、合掌していました。

最初の二日間はレイキの遠隔、最後の一日は、セカンドの伝授だったのです。

最近、上顎洞囊胞の手術をしたあと、なぜか椎間板ヘルニアになってしまい、精神的にも肉体的にも落ち込んでいました。

いつになく元気がない私を心配して、メールを下さった方がいました。

アロマソフィアさんは、私のHPを何年も前から読んで下さっていたとのことでしたが、メールやブログ、掲示板でのやりとりはしたことがありませんでした。

そこから始まったメールのやりとりで、私がセカンドを伝授してもらいたいのに、色々な事情で受けることが出来ないことなどを話しましたら、遠隔でのセカンド伝授を申し出て下さいました。

私は、早く遠隔が出来るようになりたくて仕方がありませんでした。遠方に住む持病を持っておられる方や、猫たちに、遠隔レイキをしてあげたかったのです。

それで、渡りに船とばかりにお受けすることにしました。

けれど、いざとなると、疑いの心も生じました。本当に、その時間に遠隔をしてくれているのだろうかという疑念が生じたのです。

これは、私にとって一つの試練でした。というのは、これから、自分も遠隔をするに当たって、「信じ切ること」ということがとても重要なのに、大切な時間を割いて遠いところに住む私に遠隔をして下さるアロマソフィアさんを疑っているのです。

疑いの心を持つということ自体、レイキヒーラー失格だと思い、私は信じ切ることを心に誓いました。

そして受けた遠隔レイキと遠隔伝授でした。

レイキを受けた二日間は、やはり元気になりました。受ける前は鬱病一歩手前の気分だったのが、「さあ、柔軟体操、始めましょう!」とかいいながらやっているのです。

最終日、初めの10分間は合掌して座っていました。5分くらい、雑念が生じていましたが、これではいけないと思い、無念無想を心がけました。しばらくすると、心の中に、「私はヒーラーになりたいです。私はヒーラーになることを意図します。」という言葉が浮かびました。

ちょうどその時、曇っていた空が急に晴れて、太陽の眩しい光が部屋に入ってきました。

そういえば、昔、今の家に引っ越しをした時も、こんなことがありました。あられが降る中、「私は晴天の中引っ越しをすることを意図します。」と強く思った途端、嘘のように晴れたことがありました。

あれと同じ事が今回も起こりました。

部屋に入ってきた光を見て、私は、自分のしたことが「正解」だと、天から言われた気がしました。

アロマソフィアさんによると、私をイメージした時、あたり一面が光の海だったそうです。それは、部屋に差し込んできた光のことだったのか、私の後ろに付いている猫の神様(猫の味方の霊団)だったのかはわかりません。

最後に「大いなる宇宙の無限なる愛の光」につながった時に、私の今生のテーマは、「惜しみなく、惜しみなく、惜しみなく」ということだったそうで、妙に納得されたということです。

私も妙に納得です。確かに、お猫様には惜しみないです。(笑)

これからは、人間にも惜しみなく行きたいところですが、この頃出し惜しみをしていたかもしれないです。それでヘルニアになっていたのでしょうか。

これからどんどん、みんなにレイキをしてあげるようになったら、案外私のヘルニアは治ってしまうのかもしれません。

また、紅地に大輪の菊の花模様の着物の柄のようなイメージも見えたとのこと。よくよく考えてみると、私は子供のころ、自分を色にたとえると、紅色だと思っていました。

「緋色や、朱よりも、地味だけど、でも赤なのよ」というイメージです。

それと、若いころ、私はマーガレットの花が大好きでした。ちょん切られても、花瓶の中で根を生やし、土に植えるとどんどん根を出し、茂って、一年後にはたくさんの花を咲かせるマーガレットの花が大好きでした。

そういうのがイメージに現れたのかもしれないです。

これからは、内緒ででも、あちこちに遠隔をしまくろうと思います。

アロマソフィアさんとは、好きなヒーラーがベティシャインという方だったりして、同じなのです。先日、オーラソーマの話にも書きましたが、冬にベティシャインに縁のある水仙の花が、近所の荒れた土地に咲いていたことも、不思議なご縁としか言いようがありません。

アロマソフィアさんに興味のある方は、

http://members.optusnet.com.au/aromasophia/

をご覧になって下さい。


2006/02/02

アロエとの出会い

私と、アロエとの出会いは、二度ありました。

一度目は、まだ息子がお腹の中にいた時に、祖母が飲んでいて、私にも勧めてくれたのです。

二度目は、祖母の夢と、ネットで知り合った方が勧めてくれたのと、これまたネットで知り合った方のお母様が、キダチアロエを混ぜた猫ごはんで、獣医から見放された猫エイズの猫さんを元気にしたということを聞いたという、三つ巴同時攻撃があったのです。

猫にアロエが使えそうだということはわかりました。

エイズで、獣医師から安楽死を勧められた猫さんが復活を遂げることが出来るということは、色々と免疫系に使えそうでした。

ただ、キダチアロエで試した結果、量や成分が安定していないのと、緑色の部分が混ざると下痢をするので、動物病院で広く一般的にお勧めできるわけではありませんでした。

あくまで、個人が自己責任において、藁にもすがる思いで試してみるもの・・・そういうのがアロエだったのです。

けれど、せっかく、猫大好きなお母様が、発見して下さったこの大発見を、みすみす埋もれさせるのは惜しいと思いました。

それで、ちょうど飲み始めた自分のアロエベラジュースを猫に与え始めたのでした。

その頃、亡くなった祖母が夢に出てきて、何か伝えたそうでしたので、私に飲めと言っているのか、他に何かあるのかしら・・・その程度の気持ちで始めました。

50匹猫がいると、口内炎のひどい子が10匹はいます。その子たちに与えて、副作用や適量を調べました。

健康な子たちにも与えて、副作用がないか調べました。

結果は、副作用はなく、食欲が増し、口内炎がおさまり、白血病の子が陰転し、オシッコ詰まりがいなくなる、便通がよくなる・・・というものでした。

他のメーカーのものは、切り替えた途端に口内炎が悪化したので中止しました。

現在、口内炎の治療には、ほとんどのところでステロイドが使われています。これを、アロエベラジュースという、サプリメントで押さえることが出来るとすれば、猫にとっては、福音であるにちがいないと思いました。

私の使命は、全国の獣医さんに、このことを知っていただいて、脱ステロイドを計っていっていただくということだと思いました。

そんなわけで、ただでさえ猫の里親探しで忙しいのに、アロエベラジュースを送る用事が増えて、睡眠不足です。

アロエベラジュースを送っていて、ちょっと感じているのですが、ワクチンをしたあと、二ヶ月くらいの間に、口内炎が悪化してきたという飼い主さんが多いのです。

ですから、ワクチンをする時は、猫ちゃんの体調をよく考えてしてあげた方が良いのではないかと思います。

そんな、猫様にとってはうれしいヒントも、アロエベラジュースを送ることによって、知ることが出来ました。

猫様だけではなしに、それを出す獣医さんも一緒に飲んで、健康に暮らしていただきたいと思っています。

猫大好きなお母様に是非、お礼が言いたいのですが、PCをリカバリした時に、メールアドレスを無くしてしまいました。残念で仕方がありません。

どこかでこのブログを読んで、私の心が伝わってくれたらいいなと思います。

2006/02/01

品性

昼間に、下半身が動かなくなった野良猫が、時間外で連れてこられました。

その人は犬を飼っていて、うちへは来たことがあるのです。

でも、今日は野良猫です。

自分の家の駐車場で、自分の車のタイヤが野良猫を、家との隙間に挟んだような形になって、何時間も経っていたらしいのです。

他の手術をしている間に、待ってもらっていたところ、「あーあ、ついでに犬の○○ちゃんも連れてきたら良かったわ。皮膚にブツブツが出来てたのに。」などと言っています。

私は、「時間外に来て、厚かましい人。」と思っていました。

診察できることになって、診察室に入った途端、獣医であるダンナに、「野良猫やから保健所に持って行ったらいいでしょうか・・・」などと言っていました。

一応、年頃の娘の手前、病院へ連れて行くふりだけして、治療はする気はなく、あわよくば、保健所を持ち出して私たちの猫への哀れみを誘い、こちらに引き取らせようとしているのでした。

私も、余程助けて上げたかったです。

けれど、家に50匹、病院に9匹、椎間板ヘルニアを抱えながら世話をしている私は、これ以上、下半身不随の猫ちゃんを引き取る余力はありませんでした。

その猫ちゃんは、脱腸も起こしていて、早く手術をしてあげないと、危険な状態です。

結局、その人は、警察に持って行くといって、連れて帰りました。

私は、そのことで気分が落ち込み、自分の無力も感じ、情けなくて、涙が出ました。

せめて、今日のことを間近で見ていた娘さんが、将来、可哀想な猫を見た時に、母親と同じような非情なことをせずに、助けて上げられる人に育ってほしいと思いました。

品性がないというのはこういうことだと、ちょっと呪いモードが発動しそうになりました。でも、発動しませんでした。ああ、よかった。

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