愚痴っている時が花かしら
愚痴をつい、言ってしまうが、そんなことを言っているうちが花なのかもしれない。
他人のことをとやかく思ったり、息子に偉そうにされて、腹が立ったり。
誰かが自分のことを相手にしてくれているからこそなのかもしれない・・・などと、ふっと思った。
誰も相手にしてくれなかったら、そして、誰にも関心が無くなってしまったら、生きていてもしょうがないというか、もう、学び終わったかなあという感じになってしまう。
そうしたら、あの世からお迎えが来るのかしらん?
息子に偉そうにされて怒っているけど、実は同じ年頃に、私は祖母に偉そうにしていた。家政婦扱いをしていた。まあ、その報いを受けているのに間違いない。
人に愚痴を言わせてしまった人は、あとで必ず、同じ愚痴を自分の口から発するように出来ているのかもしれない。
そして、人は、罰が当たったとか、巡る因果の糸車などと、思うのかなあ。
それもこれも、いろんなことをあきらめきれず、つかんで放さない自分がいるからで、それでこそ、生きているということなのかもしれない。
今日は、こんなことを考えながら、家のお掃除をした。
そうすると、「いらんことを考えながら掃除をすると、アカン」ということがわかった。気が散って疲れが倍増する。
もう、禅の修行みたいやなあ。


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