動物たちの話

2017/06/17

急に食べ物が無くなったりしたら

急に何かの事情で、日本で食料が手に入らないことになったら。

ペットフードが無くなって、人間の食べ物も底をついたら、大型犬のモモ犬は、猫を食べてしまいそうだから外に繋ぐことになり、そうしたら、モモ犬が他の人に食べられてしまいそうで嫌だな。

と、たまに変な想像をしてしまう私。

平和だからいいけど。これがずっと続いたらいいけど。

ある日、食料自給率の低いこの国で、食料の輸入が止まってしまったら。

都会では、備蓄してある分が無くなり次第に、奪い合いになるのだろうか?

その時、お金を持っている人が少ない食料を優先的に手に入れることができたとしても、核シェルターみたいなところに隠れていないと、食料が手に入らない人たちが掠奪しに襲いかかって来そう。

アホみたいな妄想かもしれないけど、0%ではないのだから。

私は30代の頃から、そんな事を考えていて、ずっと田舎で自給自足したいしたいと言い続けていたのだけど、猫まみれになっているうちに、すっかり気力体力も衰えて、今となっては諦めの境地…

でも、お願いだから、モモ犬が生きているうちに、そんなことにはなりませんようにと、時々考えてしまうのです。

日本政府にお願いします。

どうか、食料自給率を上げるような政策に舵を切ってください。
農家に転職したい人がいたら、気軽に土地と家を貸してくれるような、制度を作ってください。

お金がいくらあっても、世界的に天候異変が起こったら、食料の輸出国は、自国優先になるのに決まっているのだから…

どうか、よろしくお願いします。

2017/06/14

人しか救えない

人に食べられるために生まれて来る動物がいる。

俗に言う家畜。

殺されるために生まれて、文句の1つも言わない家畜たちを、「神々しい」とダンナが言いました。

揚げ足をとるようだけど、私は疑問に思いました。

救えるのは、そのことに気がついている人間だけなのに、「神々しい」とただ感心して、見ているだけで良いのかと。

自分は食べないから良いとしても、食べない人を増やすようにしていかないとダメなんではないかと。

人間が、食べるのをやめたなら、殺されなくて済むのだから。

家畜の道を選んだからこそ、爆発的な数を増やすことができたのだから、ある意味、種を増やすために人間と取引したようなものだと、息子などは言います。

数が増えさえしたら、狭い檻に閉じ込められて、親は子と引き剥がされて、人間に食べられるために短い一生を終える、それで良いのだろうか?

豚も牛も鶏も土を踏んで草を食べたりしたいだろうに?と私は思います。

「自然は神が人に与えたもの」と、考えるキリスト教的な考え方が、私は嫌いです。

猫おばさん考

猫おばさんにも色々いて、餌だけの人、餌とTNRセットの人、TNR専門の人など様々だ。

その人それぞれの考えがあるし、私も色々と揺れながら、最終的に導き出した答えを残しておこうと思う。

私は猫の避妊去勢手術を手伝う運命になり、たくさんの「猫の種」とも言える卵巣と精巣を取り出し続けているうちに、罪悪感を持っていた。

自然に元から備わっているものを取り出し続けることに。

でも、よく考えたら、猫の住む環境に自然はほとんど残されていなくて、特に都会の猫は、猫おばさんの配ってくれるフードや、情け深い人たちのくれる食べ物頼みになっていたりする。

このことに罪はないと、私は思う。猫が嫌いな人は怒るかもしれないけど、食べ物がなくてやせ細った可哀想な生き物に情けをかける人の方と、猫に餌をやるなと言って目を釣り上げる人の方の、どちらが神仏の加護がありそうかといえば、絶対に情け深い方だと思う。

けれど、食べ物に不自由しないと、仔猫がどんどん増えるから、避妊去勢しないといけなくなる。

ここで、避妊去勢せずに餌を配り続けるのは、「わがまま」だと私は結論づけたい。

もうすでに、猫が狩をして食べていけないし、自由に糞尿する場所もほとんどないような都会で、やみくもに猫の数を増やしてしまうと、嫌がる人も出てくるだろうから、TNRをして数を抑制することは、ほぼ義務であると今は考えている。

だから、神様から授かった猫の種を、申し訳ないと思いつつも取り去って、その猫の余生が安穏であるように祈りつつ、毎日手伝っている。

可哀想な生き物を見て、何も感じない人よりも、涙を流してなんとかしてあげたいと願う人の方が、私は好きだ。

猫が嫌いで目を釣り上げている人も、自分が困ったことになって窮地に追い込まれたら、同じように目を釣り上げる人に助けを求めないで、生き物に優しい人を探すはずだと思うから。

猫おばさんは、偉いと思う。

雨が降っても風が吹いても、待っている猫たちに配って歩く。
TNRもする人はもっと偉い。

私には、その情の深さは真似ができない。だから、せめて力になれるように、手術を頑張っている。

いつか、猫が狩をして生きられるような自然環境が、回復したらいいのになと、願う。

2017/05/26

ミポリンとチュンリー

ミポリンは、生命力が強いというか、「生き力」があるというか、要領も良くて素早くて頭が良い猫です。

仔猫時代はさぞかし可愛らしかったと思われるキジ白ハチワレで、パッチリとした深い森の奥の湖のような緑色の目をしていて、その瞳でじっと見つめてくるのです。

猫様のトイレの掃除をしていると、側に来て、「ファンファーン」というような声で呼びます。

チュンリーは、三毛美という三毛猫から生まれたキジ白ハチワレで、お父さんがヨモギちゃんというチンチラゴールデンです。

ヨモギちゃんはペットショップの種猫で、元は「ダンナ」と呼ばれていたらしいけれど、引退して里親さんにもらわれていくことになり、去勢するまで一晩うちで預かった時に、まだ5ヶ月だった三毛美に素早く種を植えていったのでした。(さすがはダンナと呼ばれるだけあって素早かったなぁ)

三毛美は、自分が育てられたように、何故だか仔猫たちを押入れのスノコの隅に一直線に並べて隠していて、ユニークな育て方に笑ったことでした。きっと野良猫のお母さんが、三毛美たち仔猫を土管とか側溝に並べて隠していたのでしょう。

チュンリーはお父さんに似て、少し毛がフワフワで、目もパッチリ、声は可愛らしいおっとりした猫なのです。

ミポリンとチュンリーはどちらも1999年生まれで、今18歳。

うちは、缶詰タイムがあって、猫缶を小皿に取り分けて、年寄り組に配るのだけど、ミポリンの素早いことといったらこの上なくて、自分の分は残したまま、チュンリーの分を横取りするのです。

ミポリンのお皿を素早くチュンリーの前に置き換えて、「早くパクパクッと食べなさい。」と見張るのが私の役目になっています。

この可愛らしい2匹の猫が後どれくらい生きられるのかわかりませんが、自分の年を考えて、若い猫は家に入れないと決めているから、1日でも一緒に暮らせますようにと、思っています。

母が亡くなってから、自分の年と母の亡くなった年を勘案したら、あと23年しかありません。

毎日、生きるために忙しく働いているうちに、あっという間にその日が来そうで、残された日々を大切に、猫たちを慈しんで生きたいと思っています。





2017/05/23

音信不通になったボランティアさんのこと

今から14年くらい前になるでしょうか、うちに来ていた犬のボランティアさんが、事故にあって意識不明になったという話を人伝に聞きました。

その方は神戸の震災の時に犬のボランティアに目覚めて、その後、あるボランティア団体に手伝いに行き始め、そこで里親がつかなかった犬を自宅に連れて帰るということをやっていました。

私が知っている頭数で、25匹。

マンションで犬25匹は、とてつもない数に思えました。

そうこうするうちに、マンションの住民から苦情が出て、田舎の方に引っ越すことになったようでした。

遠いのに、時々、ノミの薬を買いに来たりしていたので、「今は何匹ですか?」と聞き、その度に増えていて、「一人でお世話できないでしょう?」と、とても心配していたのでした。

最後にこられた時は、服もボロボロで、自分の身の回りのこともできていない様子で、本当に心配でした。

まもなく事故の知らせを聞いて、真っ先に「犬はどうなってしまうのだろう?」と思ったことでした。

当時、私は建坪12坪の家に猫にまみれて住んでいたので、引き取りを申し出ることもできないし、ただ指をくわえているだけでした。

案の定、犬は10匹ほどが助かって、残りはほぼ安楽死となりました。(全部で60匹はいたかもしれない。)

何が言いたいかというと、需要と供給のバランスが取れていない現状で、ただ引き取って助けて命だけ助かってもダメだということが一つです。

ペットショップやブリーダーがどんどん増やして売る。それを買いに行く人がいる。買った犬を避妊去勢しない人がいて、また増える。飼えなくなったら保健所に出す。それが可哀想だからと引き取る人がいても、それには限度があるのです。

原因となっている、供給過剰をやめさせない限り続くイタチごっこに人生を捧げるのは、無謀すぎると思うのです。

そもそも、なんでペットショップは無くならないのでしょう。それは買う人がいるからです。けれど、テレビでは、純血腫の可愛い犬の映像が流れていて、それを何十万円も出して買うのがステータスでオシャレ。

オシャレのために買うのだから、洋服と同じ感覚で飽きてしまう人もいるし、可愛がっていても、飼い主が病気になったりすることもあって、行き場のない犬や猫の話は後を絶たないのです。

そんな行き場のない犬猫を助けるのに、お金で解決しようとする人がいますけど、良心的なところで安楽死、下手をすると里親探しもしないで闇から闇に売られていく可能性が、年々増えていっている気がします。

音信不通になった、その方は、京都の伝統的なものを作る職人というかデザイナーだったようです。
そんな肩書きを捨ててまで、どうして犬まみれになってしまったのだろうと、この世の理不尽に胸が痛みます。

あの人は今、この世にいるだろうか?生きていたら70歳くらいになっているかもしれない。意識不明のまま、亡くなったのだろうか?安楽死になった犬たちと一緒に天国で遊んでいるのだろうか?
消息不明の音信不通なので、わかりません。

たまに思い出して、胸がキュッとなります。

新聞記事を載せてくれていたHP(いやしのつえ)をみつけました。参考までに。



2017/05/15

お金って悪魔の発明だと思います

何度か、ブログで嘆いたこともあると思いますが…

この世の中で、どんな美しい心根から発した行いも、継続するためにお金が必要で、それを得るために、「美しい心根」から「輝き」は消えていき、だんだんと白からグレーになって、しまいには真っ黒になってしまう…

お金だけが原因ではなくて、そこに、「もっと〜したい。」という欲が入り込むと、そうなる確率が高いのです。

「もっと〜したい」と思ったら、それがどんなに良いことであってもお金が必要で、お金がないと回らない世の中なので、お金を得るために、嘘をついたりするようになってしまう。

まわりを見渡して当てはめてみると、全部と言っていいほど、そういう仕組みにガッチリはまっているのです。

人道的な活動も、手を広げるとお金がたくさん必要になっていく。お金を得るために、募金を集めるようになって、助けたいという気持ちが強いほど、集めるための嘘が大きくなっていく。

心根が美しい人たちが始めたことに、善意のお金が集まるのをみて、貧困ビジネスやら動物愛護ビジネスやら、何でもかんでもビジネスになってしまう仕組みなんです。

つい最近では、宗教法人を隠れ蓑にして、建築で出てくる残土を、河内長野市の山の中に捨てていたというのをニュース番組でみました。

法人格における「寄付」とか「お布施」は徴税の対象にならないから、濡れ手で粟のウハウハだとかなんとか。

動物愛護の世界にもそんな悪い人が出てきたみたいで、困っている人を助けているふりをして寄付を募り、濡れ手で粟のウハウハをやっているらしいとかいう噂も聞きました。

まとめると、欲を出すとお金が必要になるシステムが発動して、心根が美しいものだとしても、汚れていく。

自分にできることは、欲を出さないで、できる範囲でコツコツとやっていくことであり、私に関して言えば、動物病院を大きくしない、猫の数を増やさない、家の前の植木鉢も増やさない、そして、限りなく白に近いシルバーグレーを目指すといったところじゃないかと思います。

白から黒に至るグラデーションのどの辺りに自分がいるか自問しながら、大人しく生きていきたいです。


2017/04/25

東京都のディーゼル規制とカラスの話

花粉症について、実はディーゼル車から出る排気ガスがかなり悪さをしていて、手入れをされていない杉山の大量のスギ花粉に、ディーゼルの排気ガスの粉末が付着して、アレルギーを増幅させているらしいという新聞記事が昔、ありました。

確かに、私の場合、花粉の時期に、空気のきれいなところに旅行すると、周りに杉が生えていても、花粉症になるどころか、治っているのです。

ところが大阪に近付くにつれて花粉症が再発し、家に着く頃には元に戻って鼻で息が出来なくなっているのです。

石原都知事時代に、そのことを石原さんが知ったからかどうなのか、東京都からディーゼルエンジン車が締め出しになったと、これも新聞で読みました。

それはまぁ、良いことをしたなと思ったのですが、締め出されたトラックが足止めを食らった周りの県は大変だったようだと後で知りました。

石原さんはまた、カラスが増えて困ったからと、カラスの駆除を積極的に行ったと記憶しています。

「何だか後でバチが当たりそうだな。」と、思っていたのを覚えています。

自分は命令するだけだから、あまり心痛まないかもしれないですが、させられてた職員さんは、大変だったろうと思います。今でもやっているのだろうか?

私が住む大阪は、カラスはいるにはいるけれど、ゴミを荒らして困ることは少ないのです。何でかな?と思って考えてみたら、業務で出るゴミや、マンションのゴミは、民間のゴミ収集車が夜中に回っているので、カラスの飛んでいる昼には、レストランなどから出る食べられそうなゴミは無いのです。

あるのは家庭用のゴミで、こちらもネットをかけたり、袋の中に新聞紙を当ててゴミを見えにくくしたり、生ゴミの匂いがしないように工夫した出し方をすれば、あまり害は無いのです。

東京都は業務用のゴミの収集が、もしかして朝なのだろうか?

もしそうだったら、そこら辺を改善したらいいと思うけど、東京に住んだことがないのでわからないですが…

それと、ディーゼル規制の話に戻すと、杉山の手入れがされるように手を打った方が、効果は倍増しそうですね。

山が実のなる木で一杯になれば、熊もカラスも荒らしに来ないかもしれない…あと、ゴルフ場だらけなのも、何とかなればイイですね。

ま、私には関係ないんですけどね。

大阪もディーゼル規制、してくれたらなと、ちょっと思いました。

追記

大阪はどうなっているのだろうかと、ちょっとググってみたら、今年(2017年)の3月29日から、ディーゼル規制となったようです。
遅ればせながら、大阪の空気も綺麗になる日が来るのかと、ちょっと期待します。

2017/04/11

野良猫のカテゴリーはイエネコ

都会で、狩をせずに生きる野良猫のカテゴリーは、「イエネコ」だと、書かれたコラムをみつけました。狩をして生きる猫は「ノネコ」というカテゴリーになるというのです。

野良猫に餌をあげるのは違法? 法律や飼い方、地域猫活動を解説」

全く関係ない話かもしれないけど、人間も、「イエヒト」と「ノヒト」があるとすると、自然の中で生きることができない人たちは、完全に「イエヒト」カテゴリーで、アナスタシアみたいな自然の中で生きることができる人は、「ノヒト」だよねっていうことになります。

もしも、イエヒトが住む家もなくなり露天に放り出されたら、ホームレスということになり、それは即ち、野良猫と同じ立場っていうことですよね。

そうなったら、人の情けだけが頼りになるのでしょうか…

周りに自然がたくさん残っていたら、まだノヒトスキルを身につけておくことができそうだけど、大都会ではとても無理かも。

ノヒトになりたい…

野良猫もノネコとして生きることができたなら、野良猫問題も解決だったりして。

結局は、「人間が自然を壊したからこうなったよね」という結論に、また辿り着いてしまうのでした。

2017/04/01

鳥頭という考え方

三歩歩いたら忘れてしまう「鳥頭」というのを最近観たドラマで知りました。

嫌なことがあっても、三歩歩いたら忘れるって、楽なのかもしれない。

母は、昔、自分が受けた仕打ちをずっと覚えていて、長い間、腹を立てては血圧が上がったり首肩が凝ったりしていましたが、認知症になってからは、徐々にキレイさっぱり忘れていき、最後には何も覚えていませんでした。そして、「肩凝れへんわー。」と言ってました。

認知症なんていう、そんな大変な思いをして忘れるよりも、日頃から三歩歩いたら忘れてしまう鳥頭でいた方が得なのではないかと思う今日この頃。

自分が三歩歩いたら忘れるおバカさんのお人好しだから、そういうことを言って正当化しているだけとも言えますが。

生きものたちは、今その時を生きていて、昔のことを思い出して苦しむのは人間だけ。

だから、その辺を楽しそうに飛んでいる雀や、日向ぼっこをしている野良猫や、おやつに目を輝かせている犬の爪の垢でも煎じて飲むくらいの気持ちで、「鳥頭」になって、今を生きればいいのではないかと、私は思います。

2017/03/30

野良猫のルパ様

ルパ様は、11年前に今の家に引っ越しをして来た時から、たまに近所で見かける野良猫でした。

きっとどこかの誰かにご飯をもらえていたようで、当時はふっくらとしてうつくしい毛並みのオス猫でした。

5年くらい前に、急に痩せて、ふらふらと歩いているのを見かけて心配したり、また元気になっているのを見かけて安心したり、会えば挨拶をする仲になっていました。でも触らせてはもらえませんでした。

ご飯をくれる人が3人くらいいたから、私はご飯をあげることもなく、ただの挨拶する間柄でした。家の前に新鮮な水だけは置くようにして、ルパ様の喉が乾かないようにしていました。

2年くらい前に、また衰弱してきて心配になっていた頃、近所の家に、飼い主が亡くなって引き取られてきた柴犬のチビちゃんがやってきました。

そのチビちゃんが、なぜかルパ様を気に入り、自分の箱の中に招き入れて、一緒に寝たり舐めてあげたりするものだから、チビちゃんの保護主さんも、仕方なくルパ様の世話をするようになり、いつの間にかルパ様専用のベッドまで用意してもらって、野良猫から半野良に昇格したルパ様でした。








3日前に、チビちゃんのお母さんから、ルパ様がご飯を食べていないことを打ち明けられて、箱の中のルパ様をみたところ、極度に脱水をしていたのです。

応急的に皮下点滴をしてあげて、「明日、動物病院に行った方がいいですね。」と言い残して帰りました。

ここ2週間ほど、ルパ様が具合が悪そうなのに、私の家の前や、ご飯をくれる人の前に佇んでいるのを見ていたのですが、「あれはお別れの挨拶に来ていたのかな?」と、思えました。

2日前に、犬の散歩でルパ様の家に立ち寄った時、ルパ様がのっそりとベッドから出て来て、オシッコをしました。まるで、わざと見せるようでした。今までそんな姿を見せたことはなかったのに。

「ルパ様、ありがとうと言ってくれているんだな。」と、私はそう感じました。「男の子らしく義理堅い猫だったんだな、もっと深く関わってあげたらよかった。」少し後悔しました。

私のような、ちょっと声をかけるくらいの顔見知りに、そんなに感謝してくれるなんて、ルパ様、寂しかったのかなぁ。

これから会えないと思うと、私も寂しいです。

ちなみに、ルパ様の名前の由来は、うちにいる「ルルちゃんのパパ」の可能性大な体つきと柄だったからです。

チビちゃんのお母さんは、「鼻グロちゃん」と呼んでいたし、多分、知り合いの数だけ名前があったのかもしれません。

ルパ様、猫の義理堅さを教えてくれてありがとう。私も見習います。


より以前の記事一覧

他のアカウント