動物たちの話

2017/09/27

出歩くと見てしまう悲しい現実

亀のことなんですけどね。

近所で何件か、亀を家の前の水槽で飼っているんですよ。

犬の散歩でうろつき回るうちに、その飼い方が、可哀想に思えて、そばを通るたびに心が痛んでしまいます。

今日も、2匹並んだら動けない大きさの水槽で、外に出たくて暴れている2匹の亀を見つけてしまいました。

だいたい、真夏でも直射日光が当たるところに置いてあります。

「仏教では、苦しみも自分の感じ方次第なんだって。」とか言って息子は教えてくれるけど、現実に、濁った狭い水槽で「出してくれ出してくれ。」と上に向かって暴れまくっている亀を見ると、それを「感じなーい感じなーい。」とか思えなくて、私の心はキューっと締め付けられてしまうんです。

だってあれ、人間だったらって、私はすぐに思ってしまうんです。

直射日光の当たる自分のオシッコやウンコが溶けたままの水槽で、その中に餌を撒かれて、その中の水を飲んで暮らせる?水も週一くらいしか替えてもらえない、そんなところで。それも、透明なのに向こうには逃げられない牢獄みたいなところで。

亀って何十年も生きるらしいのに、死ぬまであのままなの?

考えただけで、辛くて。

どうか、亀を安易に飼う人がいなくなりますようにと、祈る日々です。

2017/09/26

だんだんと感じる秋の気配

実際、秋の気配も感じますが…

人生の秋の気配が、そこはかとなく漂ってきております。

あれほど、猫の世話が大変だと嘆いていた私ですが、猫無しでは生きられないということに、つい最近気がついたのでした。

私はすごい寂しがり屋なのに、こんなに強気で生きているのは猫のおかげなんだと。子供の頃から猫がいたら寂しくない私だった…

「終活」ということを視野に入れて生きるとなると、猫をたくさん残して死ねないから、おばあさんになった頃には1匹もいないくらい、猫の数を減らしておかないといけない=これから仔猫を家に入れることは絶対にダメ=最後の老猫が死んでしまったら、独りぼっちで取り残された気分になること必至。(あー寂しい)

あぁ、そうだった。
飼い猫を実家に残して北陸に嫁に行ってたあの頃の孤独感。寂しかったよなぁー…

最後の方には松枝浜の海岸で拾ったチロルに孤独死から救ってもらったような私だった。

思い出した。

それでも、これでもかというほど、猫を前に捨てられて、忙しくて里親探しもできない地獄の中にいた頃は、猫がいなくなる日を指折り数えていた日もあったのに、いざ数が少なくなってくると、今度は「いなくなったら寂しいだろうな」と思い出すなんて、なんて人間の心は勝手なんだろうと、我ながら感心してしまってます。

おばあさんになってから、捨て猫をみつけてしまったら、心を鬼にしないといけないなとか、そんな事を考えただけで、早くどこかへ逃げてしまいたくなるのです。

いつかの夢でみた、おじいさんとおばあさんになったダンナと私が、海辺をのんびり散歩している姿、捨て猫の悩みから離れて、ゆったりして過ごす老後というものに、やはり憧れてしまいます。

もうそろそろ、私の人生は秋になってたんだと、夏が終わって気がついた次第です。

2017/09/17

猫の「しつけ」の紆余曲折

子供の頃、初めて猫を飼った時は、トイレのしつけの仕方など、まわりの大人に教わりました。

その内容は結構スパルタで、褒めて育てるなんてことはなく、粗相をしたら厳しく叱って、頭も叩くと習いました。

けれど、そういう風にしていると、猫は凶暴になるし、ちっとも私のことを好きになってくれないので、そこから私の紆余曲折が始まったのです。

猫とどうやったら仲良くなれるかが、第一の命題で、子供時代はこのことが最大の関心事でした。(思えば変わった子でした)

それで、今となっては当たり前になっている「褒めて育てる」ということを、苦労して会得したのです。

今、猫ブームで、70歳くらいの人でも猫を飼い始めることが増えてきているように思えます。1つ良いことは、テレビや役所が、避妊去勢をすることを教えてくれるので、割とみんなキチンと手術して、むやみに増えないようにはなってきている気がします。今から10年くらい前だと、70歳くらいの人は、避妊去勢なんてあまりしに来なかったから。

ただ、しつけの面において、昔式の人が散見されて、猫を凶暴化させてしまう人がいるようなのです。

動物病院で、お話しする機会があれば、いつも「猫を叱りつけたり叩くのは、失敗の元」とお知らせしています。
「叱らなくて済むように人間が立ち回るようにしてください。」と、説明しています。

直接会った人だけではなくて、このブログをみた人が、上手く猫を育てられるように、ここにメモしておきたいと思いました。


2017/07/31

猫が異常に鳴くとき、どうすればいいか

甘えん坊な猫様は、分離不安という状態になる子がいるのです。

飼い主を呼んで鳴き続けたりするような状態です。

それが高じると、わざとトイレに入らずに、少しずらして粗相をしていたりするんですよね。

それができる子は、まだ体の病気にはならないですが、それができないお行儀の良い子は、病気になっていきます。

猫が、何かを訴えて鳴いている時、何をすれば良いのか?私の経験を書き残しておこうと思います。

プラちゃんは、脊椎を怪我したあと、半身不随から生還した猫です。

オシッコが座ってできなかったり、ウンコが出にくくて便秘になったり、排泄に一苦労しているのですが、このプラちゃんが、いつもドラ声で鳴きわめきながら家の中を歩き回ってたんです。

どうしたものかと思いながら観察していたら、オシッコを床に飛ばして汚れた時や、ウンコが床に転がってしまった時、または、モモ犬に取られないように猫のフード皿をテーブルの上に置いていて、テーブルに登れないプラちゃんが、お腹が空いたと訴えていたというのがわかってきました。

それと、そのようにして、私がじっと見て観察することに、プラちゃんは幸せを感じているようで、要求が通って心が通じたと思うことが増えていくにつれ、ドラ声で鳴きわめく回数がグンと減ったのでした。

もう1匹、いつも鳴いている、夏子という猫がいます。

夏子は、モモ犬が来てから、怖くてリビングの床に降りてこなくなった猫で、モモ犬のケージの上に置いた猫用のケージから、いつも私を呼ぶんです。

私がボケーっと韓流ドラマを観ている至福の時間を邪魔するので、正直ウザいと思ってたんですが、プラちゃんと心が通じた経験から、きっと夏子も何かを訴えているんじゃないかと思い、鳴いて呼ばれる度に、夏子のところに行って、「何が言いたいのん?夏子は?」と聞くようにしていったのです。

思いつくままに、毛を梳いてあげたり、体を触ってあげたりしているうちに、やはり何を要求しているのかわかってきました。

夏子は、「他の猫がウンコをしてあって臭いから掃除をしてくれ。」とか、「チョコタンがケージに上がり込んでアタチのご飯を横取りした上に食べ散らかしてて、こんなの食べられません。」とか、「モッサモサの毛の手入れをしてほしいんですけど。」などと言っていたのです。

そのことを私がわかるようになってくると、夏子のイライラした様子は、とても減っていき、穏やかでいることが多くなりました。

ポイントを押さえておくと、

1、猫が鳴いたら、「何かを訴えている。」とまず思うこと。

2、周りの環境や、猫の様子をよく観察して、何が言いたいのか試行錯誤すること。

3、心で思っていないのに、ただ撫でるだけとか、声をかけるだけというのは、猫にはバレているので心を込めること。

以上3点を、猫のことで悩んでいる人は、試してみれば良いと思います。



2017/07/27

仮の愛の空間

大都会の大阪で、アナスタシアの言う「愛の空間」なんか作れないと思って、「無い物ねだりの子守唄〜」などと歌っていた私ですが、ふと、家にいる猫たちが、私に「自然のバリアー」を作ってくれて、外からの災いを受けて守ってくれていたのだと、思い至りました。

木を植える土も無くて、仕方なく植木鉢に植えて、仮の自然を具現化しようとしている私なのですが。

あくせくと忙しい人間を尻目に、大アクビをしながら、「ようそんな毎日働くなぁ〜。」と言わんばかりに昼寝をしている猫さんたち。

猫たちがいたお陰で、自分たちの生活が、どんなに自然から離れているのか痛感できました。

地球さんだったら、難なくやってのける猫のトイレの世話も、完全室内飼いの我が家では、砂代や掃除の手間にお金と時間を吸い取られていく。トイレ掃除だけではなくて、家中の壁で爪を研がれて、新築の家が10年でボロボロ。床拭き掃除をしょっ中しないと、ベタベタになってしまう。これが、自然の中だったら、気にすることも何もないのに。

アナスタシアが言うところの、地球人類を支配している神官の陰謀の話だって、本を読んだ途端に合点がいくのだから。

本当に、猫は、私にとって数少ない自然の教師であり、守護神であるよなぁ…と、しみじみ思い至った次第でございます。

でもこれは、あくまでも「仮」。維持するのに時間とお金がかかるものは、仮。

それでも、私たち家族に自然の息吹を吹き込んで、悪いものから守ってくれる猫たちが、有り難いなと思います。



2017/07/09

「気持ち」の話

アナスタシアの6巻(一族の書)に、宇宙の叡智は「気持ち」の中に含まれていて、「自分の気持ち」を感じることで、その中に全ての答えが含まれているというような下りがありました。

「気持ちって何よ?」と、最初はハテナマークがいっぱい飛んでいた私ですが、ふと、いつも猫や犬たちと心を通わせる時に私がやっていることを思い出しました。

それは、「テレパシーで動物と話をしたいとき、気持ちを込めると伝わりやすい」ということなのです。

猫に何かしてほしい時などは、気持ちを込めるとすぐに思い通りに動いてくれたりするんですよね。

たとえば、遊びの時間が終わって、自分たちの決まった部屋に帰ってほしい時、口だけで命令しても猫は絶対に言うことを聞いてくれません。

そんな時は、猫たちを愛おしく思う気持ちになってから、「はい、終わり〜!」と言うと、みんな走って帰って来てくれます。

猫は喋らないから、何かを訴えたい時は、ボディランゲージや目で伝えてくれますが、その時に、猫の気持ちを感じるように努力していると、ふと、してほしいことや言いたいことが頭に浮かんで、実際その通りだったということがよくあります。「これって、テレパシーよねー。」みたいなことが。

気持ちって、平凡だけど重要なことだったんだと、猫のテレパシーのお陰で、すぐに納得がいったのでした。

雨の日に犬の散歩をする時も、ドアを開けた途端に止むことがよくあって、「チェリーは晴れ男やなぁ〜。」と言っていたのですが、それも、もしかすると、「気持ち」を使って雨を止ませていたのだったりして。

「気持ち」は、この宇宙を創造した神の意識とつながるツール。

いつでも「気持ち」を感じている動物たちは、「気持ち」を感じることを忘れてしまった人間たちに、教えてくれる教師なんだなと思います。

(じゃ、食べたりしたらダメですね…^_^;)

2017/06/30

スペースコロニー

近所の地域猫活動をしている猫おばさんが、猫嫌いな人からえらいいじめられて、警察まで呼ばれて憔悴していると聞いて、「動物嫌いはスペースコロニーで住んだらいいのにねー。」と言って慰めたことがありました。

動物嫌いなもの同士、人しかいないスペースコロニーで、オシッコを濾過して飲んで暮らしたらいいのにな…みたいな。

そしたら、猫おばさんが笑って、少し気が晴れたみたいでした。(猫おばさんは避妊去勢も掃除もキチンとしている方)

そんなことがあった後、ふと、「霊界は私が考えたスペースコロニーに似てるなぁ。」と思ったのです。

死んだら霊界に行くけれど、そこは波長の似たものが集まるところで、そういう波長の違う世界がいくつもあって、地上に生まれるということは、そこから抜け出て、色んな波長の人がいるごった煮の世界で魂の修行をしているのだとかいう話を、昔、霊能者の本か何かで読んだことがあります。本当かどうかは死んでみないとわからないから、まぁそれが本当だとしたら、嫌なものを避けてスペースコロニーで生きるということは、わざとごった煮の世界に生きている意味がないかも知れない。

私がスペースコロニーに行けと思ったら、相手もスペースコロニーに行けと思っているし、それは即ち死ねということなのかも知れない。

現実にスペースコロニーが出来たとしたら、そこはやはり、ごった煮の世界なんだろうな。そうでないと人間として生きる意味がなくなるわけだから。(霊界の話が本当だと仮定して)

私や猫おばさんのベースにあるのは、地球は人間だけのものではないと、みんな気がついて、地球を大切に、生き物と共生してほしいということなんだけど、その気持ちを踏みにじられると、「スペースコロニーでオシッコを濾過して暮らせばいい。」となるところが、まだまだ修行が足りない私なのでした。

2017/06/17

急に食べ物が無くなったりしたら

急に何かの事情で、日本で食料が手に入らないことになったら。

ペットフードが無くなって、人間の食べ物も底をついたら、大型犬のモモ犬は、猫を食べてしまいそうだから外に繋ぐことになり、そうしたら、モモ犬が他の人に食べられてしまいそうで嫌だな。

と、たまに変な想像をしてしまう私。

平和だからいいけど。これがずっと続いたらいいけど。

ある日、食料自給率の低いこの国で、食料の輸入が止まってしまったら。

都会では、備蓄してある分が無くなり次第に、奪い合いになるのだろうか?

その時、お金を持っている人が少ない食料を優先的に手に入れることができたとしても、核シェルターみたいなところに隠れていないと、食料が手に入らない人たちが掠奪しに襲いかかって来そう。

アホみたいな妄想かもしれないけど、0%ではないのだから。

私は30代の頃から、そんな事を考えていて、ずっと田舎で自給自足したいしたいと言い続けていたのだけど、猫まみれになっているうちに、すっかり気力体力も衰えて、今となっては諦めの境地…

でも、お願いだから、モモ犬が生きているうちに、そんなことにはなりませんようにと、時々考えてしまうのです。

日本政府にお願いします。

どうか、食料自給率を上げるような政策に舵を切ってください。
農家に転職したい人がいたら、気軽に土地と家を貸してくれるような、制度を作ってください。

お金がいくらあっても、世界的に天候異変が起こったら、食料の輸出国は、自国優先になるのに決まっているのだから…

どうか、よろしくお願いします。

2017/06/14

人しか救えない

人に食べられるために生まれて来る動物がいる。

俗に言う家畜。

殺されるために生まれて、文句の1つも言わない家畜たちを、「神々しい」とダンナが言いました。

揚げ足をとるようだけど、私は疑問に思いました。

救えるのは、そのことに気がついている人間だけなのに、「神々しい」とただ感心して、見ているだけで良いのかと。

自分は食べないから良いとしても、食べない人を増やすようにしていかないとダメなんではないかと。

人間が、食べるのをやめたなら、殺されなくて済むのだから。

家畜の道を選んだからこそ、爆発的な数を増やすことができたのだから、ある意味、種を増やすために人間と取引したようなものだと、息子などは言います。

数が増えさえしたら、狭い檻に閉じ込められて、親は子と引き剥がされて、人間に食べられるために短い一生を終える、それで良いのだろうか?

豚も牛も鶏も土を踏んで草を食べたりしたいだろうに?と私は思います。

「自然は神が人に与えたもの」と、考えるキリスト教的な考え方が、私は嫌いです。

猫おばさん考

猫おばさんにも色々いて、餌だけの人、餌とTNRセットの人、TNR専門の人など様々だ。

その人それぞれの考えがあるし、私も色々と揺れながら、最終的に導き出した答えを残しておこうと思う。

私は猫の避妊去勢手術を手伝う運命になり、たくさんの「猫の種」とも言える卵巣と精巣を取り出し続けているうちに、罪悪感を持っていた。

自然に元から備わっているものを取り出し続けることに。

でも、よく考えたら、猫の住む環境に自然はほとんど残されていなくて、特に都会の猫は、猫おばさんの配ってくれるフードや、情け深い人たちのくれる食べ物頼みになっていたりする。

このことに罪はないと、私は思う。猫が嫌いな人は怒るかもしれないけど、食べ物がなくてやせ細った可哀想な生き物に情けをかける人の方と、猫に餌をやるなと言って目を釣り上げる人の方の、どちらが神仏の加護がありそうかといえば、絶対に情け深い方だと思う。

けれど、食べ物に不自由しないと、仔猫がどんどん増えるから、避妊去勢しないといけなくなる。

ここで、避妊去勢せずに餌を配り続けるのは、「わがまま」だと私は結論づけたい。

もうすでに、猫が狩をして食べていけないし、自由に糞尿する場所もほとんどないような都会で、やみくもに猫の数を増やしてしまうと、嫌がる人も出てくるだろうから、TNRをして数を抑制することは、ほぼ義務であると今は考えている。

だから、神様から授かった猫の種を、申し訳ないと思いつつも取り去って、その猫の余生が安穏であるように祈りつつ、毎日手伝っている。

可哀想な生き物を見て、何も感じない人よりも、涙を流してなんとかしてあげたいと願う人の方が、私は好きだ。

猫が嫌いで目を釣り上げている人も、自分が困ったことになって窮地に追い込まれたら、同じように目を釣り上げる人に助けを求めないで、生き物に優しい人を探すはずだと思うから。

猫おばさんは、偉いと思う。

雨が降っても風が吹いても、待っている猫たちに配って歩く。
TNRもする人はもっと偉い。

私には、その情の深さは真似ができない。だから、せめて力になれるように、手術を頑張っている。

いつか、猫が狩をして生きられるような自然環境が、回復したらいいのになと、願う。

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