動物たちの話

2017/07/31

猫が異常に鳴くとき、どうすればいいか

甘えん坊な猫様は、分離不安という状態になる子がいるのです。

飼い主を呼んで鳴き続けたりするような状態です。

それが高じると、わざとトイレに入らずに、少しずらして粗相をしていたりするんですよね。

それができる子は、まだ体の病気にはならないですが、それができないお行儀の良い子は、病気になっていきます。

猫が、何かを訴えて鳴いている時、何をすれば良いのか?私の経験を書き残しておこうと思います。

プラちゃんは、脊椎を怪我したあと、半身不随から生還した猫です。

オシッコが座ってできなかったり、ウンコが出にくくて便秘になったり、排泄に一苦労しているのですが、このプラちゃんが、いつもドラ声で鳴きわめきながら家の中を歩き回ってたんです。

どうしたものかと思いながら観察していたら、オシッコを床に飛ばして汚れた時や、ウンコが床に転がってしまった時、または、モモ犬に取られないように猫のフード皿をテーブルの上に置いていて、テーブルに登れないプラちゃんが、お腹が空いたと訴えていたというのがわかってきました。

それと、そのようにして、私がじっと見て観察することに、プラちゃんは幸せを感じているようで、要求が通って心が通じたと思うことが増えていくにつれ、ドラ声で鳴きわめく回数がグンと減ったのでした。

もう1匹、いつも鳴いている、夏子という猫がいます。

夏子は、モモ犬が来てから、怖くてリビングの床に降りてこなくなった猫で、モモ犬のケージの上に置いた猫用のケージから、いつも私を呼ぶんです。

私がボケーっと韓流ドラマを観ている至福の時間を邪魔するので、正直ウザいと思ってたんですが、プラちゃんと心が通じた経験から、きっと夏子も何かを訴えているんじゃないかと思い、鳴いて呼ばれる度に、夏子のところに行って、「何が言いたいのん?夏子は?」と聞くようにしていったのです。

思いつくままに、毛を梳いてあげたり、体を触ってあげたりしているうちに、やはり何を要求しているのかわかってきました。

夏子は、「他の猫がウンコをしてあって臭いから掃除をしてくれ。」とか、「チョコタンがケージに上がり込んでアタチのご飯を横取りした上に食べ散らかしてて、こんなの食べられません。」とか、「モッサモサの毛の手入れをしてほしいんですけど。」などと言っていたのです。

そのことを私がわかるようになってくると、夏子のイライラした様子は、とても減っていき、穏やかでいることが多くなりました。

ポイントを押さえておくと、

1、猫が鳴いたら、「何かを訴えている。」とまず思うこと。

2、周りの環境や、猫の様子をよく観察して、何が言いたいのか試行錯誤すること。

3、心で思っていないのに、ただ撫でるだけとか、声をかけるだけというのは、猫にはバレているので心を込めること。

以上3点を、猫のことで悩んでいる人は、試してみれば良いと思います。



2017/07/27

仮の愛の空間

大都会の大阪で、アナスタシアの言う「愛の空間」なんか作れないと思って、「無い物ねだりの子守唄〜」などと歌っていた私ですが、ふと、家にいる猫たちが、私に「自然のバリアー」を作ってくれて、外からの災いを受けて守ってくれていたのだと、思い至りました。

木を植える土も無くて、仕方なく植木鉢に植えて、仮の自然を具現化しようとしている私なのですが。

あくせくと忙しい人間を尻目に、大アクビをしながら、「ようそんな毎日働くなぁ〜。」と言わんばかりに昼寝をしている猫さんたち。

猫たちがいたお陰で、自分たちの生活が、どんなに自然から離れているのか痛感できました。

地球さんだったら、難なくやってのける猫のトイレの世話も、完全室内飼いの我が家では、砂代や掃除の手間にお金と時間を吸い取られていく。トイレ掃除だけではなくて、家中の壁で爪を研がれて、新築の家が10年でボロボロ。床拭き掃除をしょっ中しないと、ベタベタになってしまう。これが、自然の中だったら、気にすることも何もないのに。

アナスタシアが言うところの、地球人類を支配している神官の陰謀の話だって、本を読んだ途端に合点がいくのだから。

本当に、猫は、私にとって数少ない自然の教師であり、守護神であるよなぁ…と、しみじみ思い至った次第でございます。

でもこれは、あくまでも「仮」。維持するのに時間とお金がかかるものは、仮。

それでも、私たち家族に自然の息吹を吹き込んで、悪いものから守ってくれる猫たちが、有り難いなと思います。



2017/07/09

「気持ち」の話

アナスタシアの6巻(一族の書)に、宇宙の叡智は「気持ち」の中に含まれていて、「自分の気持ち」を感じることで、その中に全ての答えが含まれているというような下りがありました。

「気持ちって何よ?」と、最初はハテナマークがいっぱい飛んでいた私ですが、ふと、いつも猫や犬たちと心を通わせる時に私がやっていることを思い出しました。

それは、「テレパシーで動物と話をしたいとき、気持ちを込めると伝わりやすい」ということなのです。

猫に何かしてほしい時などは、気持ちを込めるとすぐに思い通りに動いてくれたりするんですよね。

たとえば、遊びの時間が終わって、自分たちの決まった部屋に帰ってほしい時、口だけで命令しても猫は絶対に言うことを聞いてくれません。

そんな時は、猫たちを愛おしく思う気持ちになってから、「はい、終わり〜!」と言うと、みんな走って帰って来てくれます。

猫は喋らないから、何かを訴えたい時は、ボディランゲージや目で伝えてくれますが、その時に、猫の気持ちを感じるように努力していると、ふと、してほしいことや言いたいことが頭に浮かんで、実際その通りだったということがよくあります。「これって、テレパシーよねー。」みたいなことが。

気持ちって、平凡だけど重要なことだったんだと、猫のテレパシーのお陰で、すぐに納得がいったのでした。

雨の日に犬の散歩をする時も、ドアを開けた途端に止むことがよくあって、「チェリーは晴れ男やなぁ〜。」と言っていたのですが、それも、もしかすると、「気持ち」を使って雨を止ませていたのだったりして。

「気持ち」は、この宇宙を創造した神の意識とつながるツール。

いつでも「気持ち」を感じている動物たちは、「気持ち」を感じることを忘れてしまった人間たちに、教えてくれる教師なんだなと思います。

(じゃ、食べたりしたらダメですね…^_^;)

2017/06/30

スペースコロニー

近所の地域猫活動をしている猫おばさんが、猫嫌いな人からえらいいじめられて、警察まで呼ばれて憔悴していると聞いて、「動物嫌いはスペースコロニーで住んだらいいのにねー。」と言って慰めたことがありました。

動物嫌いなもの同士、人しかいないスペースコロニーで、オシッコを濾過して飲んで暮らしたらいいのにな…みたいな。

そしたら、猫おばさんが笑って、少し気が晴れたみたいでした。(猫おばさんは避妊去勢も掃除もキチンとしている方)

そんなことがあった後、ふと、「霊界は私が考えたスペースコロニーに似てるなぁ。」と思ったのです。

死んだら霊界に行くけれど、そこは波長の似たものが集まるところで、そういう波長の違う世界がいくつもあって、地上に生まれるということは、そこから抜け出て、色んな波長の人がいるごった煮の世界で魂の修行をしているのだとかいう話を、昔、霊能者の本か何かで読んだことがあります。本当かどうかは死んでみないとわからないから、まぁそれが本当だとしたら、嫌なものを避けてスペースコロニーで生きるということは、わざとごった煮の世界に生きている意味がないかも知れない。

私がスペースコロニーに行けと思ったら、相手もスペースコロニーに行けと思っているし、それは即ち死ねということなのかも知れない。

現実にスペースコロニーが出来たとしたら、そこはやはり、ごった煮の世界なんだろうな。そうでないと人間として生きる意味がなくなるわけだから。(霊界の話が本当だと仮定して)

私や猫おばさんのベースにあるのは、地球は人間だけのものではないと、みんな気がついて、地球を大切に、生き物と共生してほしいということなんだけど、その気持ちを踏みにじられると、「スペースコロニーでオシッコを濾過して暮らせばいい。」となるところが、まだまだ修行が足りない私なのでした。

2017/06/17

急に食べ物が無くなったりしたら

急に何かの事情で、日本で食料が手に入らないことになったら。

ペットフードが無くなって、人間の食べ物も底をついたら、大型犬のモモ犬は、猫を食べてしまいそうだから外に繋ぐことになり、そうしたら、モモ犬が他の人に食べられてしまいそうで嫌だな。

と、たまに変な想像をしてしまう私。

平和だからいいけど。これがずっと続いたらいいけど。

ある日、食料自給率の低いこの国で、食料の輸入が止まってしまったら。

都会では、備蓄してある分が無くなり次第に、奪い合いになるのだろうか?

その時、お金を持っている人が少ない食料を優先的に手に入れることができたとしても、核シェルターみたいなところに隠れていないと、食料が手に入らない人たちが掠奪しに襲いかかって来そう。

アホみたいな妄想かもしれないけど、0%ではないのだから。

私は30代の頃から、そんな事を考えていて、ずっと田舎で自給自足したいしたいと言い続けていたのだけど、猫まみれになっているうちに、すっかり気力体力も衰えて、今となっては諦めの境地…

でも、お願いだから、モモ犬が生きているうちに、そんなことにはなりませんようにと、時々考えてしまうのです。

日本政府にお願いします。

どうか、食料自給率を上げるような政策に舵を切ってください。
農家に転職したい人がいたら、気軽に土地と家を貸してくれるような、制度を作ってください。

お金がいくらあっても、世界的に天候異変が起こったら、食料の輸出国は、自国優先になるのに決まっているのだから…

どうか、よろしくお願いします。

2017/06/14

人しか救えない

人に食べられるために生まれて来る動物がいる。

俗に言う家畜。

殺されるために生まれて、文句の1つも言わない家畜たちを、「神々しい」とダンナが言いました。

揚げ足をとるようだけど、私は疑問に思いました。

救えるのは、そのことに気がついている人間だけなのに、「神々しい」とただ感心して、見ているだけで良いのかと。

自分は食べないから良いとしても、食べない人を増やすようにしていかないとダメなんではないかと。

人間が、食べるのをやめたなら、殺されなくて済むのだから。

家畜の道を選んだからこそ、爆発的な数を増やすことができたのだから、ある意味、種を増やすために人間と取引したようなものだと、息子などは言います。

数が増えさえしたら、狭い檻に閉じ込められて、親は子と引き剥がされて、人間に食べられるために短い一生を終える、それで良いのだろうか?

豚も牛も鶏も土を踏んで草を食べたりしたいだろうに?と私は思います。

「自然は神が人に与えたもの」と、考えるキリスト教的な考え方が、私は嫌いです。

猫おばさん考

猫おばさんにも色々いて、餌だけの人、餌とTNRセットの人、TNR専門の人など様々だ。

その人それぞれの考えがあるし、私も色々と揺れながら、最終的に導き出した答えを残しておこうと思う。

私は猫の避妊去勢手術を手伝う運命になり、たくさんの「猫の種」とも言える卵巣と精巣を取り出し続けているうちに、罪悪感を持っていた。

自然に元から備わっているものを取り出し続けることに。

でも、よく考えたら、猫の住む環境に自然はほとんど残されていなくて、特に都会の猫は、猫おばさんの配ってくれるフードや、情け深い人たちのくれる食べ物頼みになっていたりする。

このことに罪はないと、私は思う。猫が嫌いな人は怒るかもしれないけど、食べ物がなくてやせ細った可哀想な生き物に情けをかける人の方と、猫に餌をやるなと言って目を釣り上げる人の方の、どちらが神仏の加護がありそうかといえば、絶対に情け深い方だと思う。

けれど、食べ物に不自由しないと、仔猫がどんどん増えるから、避妊去勢しないといけなくなる。

ここで、避妊去勢せずに餌を配り続けるのは、「わがまま」だと私は結論づけたい。

もうすでに、猫が狩をして食べていけないし、自由に糞尿する場所もほとんどないような都会で、やみくもに猫の数を増やしてしまうと、嫌がる人も出てくるだろうから、TNRをして数を抑制することは、ほぼ義務であると今は考えている。

だから、神様から授かった猫の種を、申し訳ないと思いつつも取り去って、その猫の余生が安穏であるように祈りつつ、毎日手伝っている。

可哀想な生き物を見て、何も感じない人よりも、涙を流してなんとかしてあげたいと願う人の方が、私は好きだ。

猫が嫌いで目を釣り上げている人も、自分が困ったことになって窮地に追い込まれたら、同じように目を釣り上げる人に助けを求めないで、生き物に優しい人を探すはずだと思うから。

猫おばさんは、偉いと思う。

雨が降っても風が吹いても、待っている猫たちに配って歩く。
TNRもする人はもっと偉い。

私には、その情の深さは真似ができない。だから、せめて力になれるように、手術を頑張っている。

いつか、猫が狩をして生きられるような自然環境が、回復したらいいのになと、願う。

2017/05/26

ミポリンとチュンリー

ミポリンは、生命力が強いというか、「生き力」があるというか、要領も良くて素早くて頭が良い猫です。

仔猫時代はさぞかし可愛らしかったと思われるキジ白ハチワレで、パッチリとした深い森の奥の湖のような緑色の目をしていて、その瞳でじっと見つめてくるのです。

猫様のトイレの掃除をしていると、側に来て、「ファンファーン」というような声で呼びます。

チュンリーは、三毛美という三毛猫から生まれたキジ白ハチワレで、お父さんがヨモギちゃんというチンチラゴールデンです。

ヨモギちゃんはペットショップの種猫で、元は「ダンナ」と呼ばれていたらしいけれど、引退して里親さんにもらわれていくことになり、去勢するまで一晩うちで預かった時に、まだ5ヶ月だった三毛美に素早く種を植えていったのでした。(さすがはダンナと呼ばれるだけあって素早かったなぁ)

三毛美は、自分が育てられたように、何故だか仔猫たちを押入れのスノコの隅に一直線に並べて隠していて、ユニークな育て方に笑ったことでした。きっと野良猫のお母さんが、三毛美たち仔猫を土管とか側溝に並べて隠していたのでしょう。

チュンリーはお父さんに似て、少し毛がフワフワで、目もパッチリ、声は可愛らしいおっとりした猫なのです。

ミポリンとチュンリーはどちらも1999年生まれで、今18歳。

うちは、缶詰タイムがあって、猫缶を小皿に取り分けて、年寄り組に配るのだけど、ミポリンの素早いことといったらこの上なくて、自分の分は残したまま、チュンリーの分を横取りするのです。

ミポリンのお皿を素早くチュンリーの前に置き換えて、「早くパクパクッと食べなさい。」と見張るのが私の役目になっています。

この可愛らしい2匹の猫が後どれくらい生きられるのかわかりませんが、自分の年を考えて、若い猫は家に入れないと決めているから、1日でも一緒に暮らせますようにと、思っています。

母が亡くなってから、自分の年と母の亡くなった年を勘案したら、あと23年しかありません。

毎日、生きるために忙しく働いているうちに、あっという間にその日が来そうで、残された日々を大切に、猫たちを慈しんで生きたいと思っています。





2017/05/23

音信不通になったボランティアさんのこと

今から14年くらい前になるでしょうか、うちに来ていた犬のボランティアさんが、事故にあって意識不明になったという話を人伝に聞きました。

その方は神戸の震災の時に犬のボランティアに目覚めて、その後、あるボランティア団体に手伝いに行き始め、そこで里親がつかなかった犬を自宅に連れて帰るということをやっていました。

私が知っている頭数で、25匹。

マンションで犬25匹は、とてつもない数に思えました。

そうこうするうちに、マンションの住民から苦情が出て、田舎の方に引っ越すことになったようでした。

遠いのに、時々、ノミの薬を買いに来たりしていたので、「今は何匹ですか?」と聞き、その度に増えていて、「一人でお世話できないでしょう?」と、とても心配していたのでした。

最後にこられた時は、服もボロボロで、自分の身の回りのこともできていない様子で、本当に心配でした。

まもなく事故の知らせを聞いて、真っ先に「犬はどうなってしまうのだろう?」と思ったことでした。

当時、私は建坪12坪の家に猫にまみれて住んでいたので、引き取りを申し出ることもできないし、ただ指をくわえているだけでした。

案の定、犬は10匹ほどが助かって、残りはほぼ安楽死となりました。(全部で60匹はいたかもしれない。)

何が言いたいかというと、需要と供給のバランスが取れていない現状で、ただ引き取って助けて命だけ助かってもダメだということが一つです。

ペットショップやブリーダーがどんどん増やして売る。それを買いに行く人がいる。買った犬を避妊去勢しない人がいて、また増える。飼えなくなったら保健所に出す。それが可哀想だからと引き取る人がいても、それには限度があるのです。

原因となっている、供給過剰をやめさせない限り続くイタチごっこに人生を捧げるのは、無謀すぎると思うのです。

そもそも、なんでペットショップは無くならないのでしょう。それは買う人がいるからです。けれど、テレビでは、純血腫の可愛い犬の映像が流れていて、それを何十万円も出して買うのがステータスでオシャレ。

オシャレのために買うのだから、洋服と同じ感覚で飽きてしまう人もいるし、可愛がっていても、飼い主が病気になったりすることもあって、行き場のない犬や猫の話は後を絶たないのです。

そんな行き場のない犬猫を助けるのに、お金で解決しようとする人がいますけど、良心的なところで安楽死、下手をすると里親探しもしないで闇から闇に売られていく可能性が、年々増えていっている気がします。

音信不通になった、その方は、京都の伝統的なものを作る職人というかデザイナーだったようです。
そんな肩書きを捨ててまで、どうして犬まみれになってしまったのだろうと、この世の理不尽に胸が痛みます。

あの人は今、この世にいるだろうか?生きていたら70歳くらいになっているかもしれない。意識不明のまま、亡くなったのだろうか?安楽死になった犬たちと一緒に天国で遊んでいるのだろうか?
消息不明の音信不通なので、わかりません。

たまに思い出して、胸がキュッとなります。

新聞記事を載せてくれていたHP(いやしのつえ)をみつけました。参考までに。



2017/05/15

お金って悪魔の発明だと思います

何度か、ブログで嘆いたこともあると思いますが…

この世の中で、どんな美しい心根から発した行いも、継続するためにお金が必要で、それを得るために、「美しい心根」から「輝き」は消えていき、だんだんと白からグレーになって、しまいには真っ黒になってしまう…

お金だけが原因ではなくて、そこに、「もっと〜したい。」という欲が入り込むと、そうなる確率が高いのです。

「もっと〜したい」と思ったら、それがどんなに良いことであってもお金が必要で、お金がないと回らない世の中なので、お金を得るために、嘘をついたりするようになってしまう。

まわりを見渡して当てはめてみると、全部と言っていいほど、そういう仕組みにガッチリはまっているのです。

人道的な活動も、手を広げるとお金がたくさん必要になっていく。お金を得るために、募金を集めるようになって、助けたいという気持ちが強いほど、集めるための嘘が大きくなっていく。

心根が美しい人たちが始めたことに、善意のお金が集まるのをみて、貧困ビジネスやら動物愛護ビジネスやら、何でもかんでもビジネスになってしまう仕組みなんです。

つい最近では、宗教法人を隠れ蓑にして、建築で出てくる残土を、河内長野市の山の中に捨てていたというのをニュース番組でみました。

法人格における「寄付」とか「お布施」は徴税の対象にならないから、濡れ手で粟のウハウハだとかなんとか。

動物愛護の世界にもそんな悪い人が出てきたみたいで、困っている人を助けているふりをして寄付を募り、濡れ手で粟のウハウハをやっているらしいとかいう噂も聞きました。

まとめると、欲を出すとお金が必要になるシステムが発動して、心根が美しいものだとしても、汚れていく。

自分にできることは、欲を出さないで、できる範囲でコツコツとやっていくことであり、私に関して言えば、動物病院を大きくしない、猫の数を増やさない、家の前の植木鉢も増やさない、そして、限りなく白に近いシルバーグレーを目指すといったところじゃないかと思います。

白から黒に至るグラデーションのどの辺りに自分がいるか自問しながら、大人しく生きていきたいです。


より以前の記事一覧

他のアカウント