精神世界

2017/07/09

「気持ち」の話

アナスタシアの6巻(一族の書)に、宇宙の叡智は「気持ち」の中に含まれていて、「自分の気持ち」を感じることで、その中に全ての答えが含まれているというような下りがありました。

「気持ちって何よ?」と、最初はハテナマークがいっぱい飛んでいた私ですが、ふと、いつも猫や犬たちと心を通わせる時に私がやっていることを思い出しました。

それは、「テレパシーで動物と話をしたいとき、気持ちを込めると伝わりやすい」ということなのです。

猫に何かしてほしい時などは、気持ちを込めるとすぐに思い通りに動いてくれたりするんですよね。

たとえば、遊びの時間が終わって、自分たちの決まった部屋に帰ってほしい時、口だけで命令しても猫は絶対に言うことを聞いてくれません。

そんな時は、猫たちを愛おしく思う気持ちになってから、「はい、終わり〜!」と言うと、みんな走って帰って来てくれます。

猫は喋らないから、何かを訴えたい時は、ボディランゲージや目で伝えてくれますが、その時に、猫の気持ちを感じるように努力していると、ふと、してほしいことや言いたいことが頭に浮かんで、実際その通りだったということがよくあります。「これって、テレパシーよねー。」みたいなことが。

気持ちって、平凡だけど重要なことだったんだと、猫のテレパシーのお陰で、すぐに納得がいったのでした。

雨の日に犬の散歩をする時も、ドアを開けた途端に止むことがよくあって、「チェリーは晴れ男やなぁ〜。」と言っていたのですが、それも、もしかすると、「気持ち」を使って雨を止ませていたのだったりして。

「気持ち」は、この宇宙を創造した神の意識とつながるツール。

いつでも「気持ち」を感じている動物たちは、「気持ち」を感じることを忘れてしまった人間たちに、教えてくれる教師なんだなと思います。

(じゃ、食べたりしたらダメですね…^_^;)

2017/06/30

スペースコロニー

近所の地域猫活動をしている猫おばさんが、猫嫌いな人からえらいいじめられて、警察まで呼ばれて憔悴していると聞いて、「動物嫌いはスペースコロニーで住んだらいいのにねー。」と言って慰めたことがありました。

動物嫌いなもの同士、人しかいないスペースコロニーで、オシッコを濾過して飲んで暮らしたらいいのにな…みたいな。

そしたら、猫おばさんが笑って、少し気が晴れたみたいでした。(猫おばさんは避妊去勢も掃除もキチンとしている方)

そんなことがあった後、ふと、「霊界は私が考えたスペースコロニーに似てるなぁ。」と思ったのです。

死んだら霊界に行くけれど、そこは波長の似たものが集まるところで、そういう波長の違う世界がいくつもあって、地上に生まれるということは、そこから抜け出て、色んな波長の人がいるごった煮の世界で魂の修行をしているのだとかいう話を、昔、霊能者の本か何かで読んだことがあります。本当かどうかは死んでみないとわからないから、まぁそれが本当だとしたら、嫌なものを避けてスペースコロニーで生きるということは、わざとごった煮の世界に生きている意味がないかも知れない。

私がスペースコロニーに行けと思ったら、相手もスペースコロニーに行けと思っているし、それは即ち死ねということなのかも知れない。

現実にスペースコロニーが出来たとしたら、そこはやはり、ごった煮の世界なんだろうな。そうでないと人間として生きる意味がなくなるわけだから。(霊界の話が本当だと仮定して)

私や猫おばさんのベースにあるのは、地球は人間だけのものではないと、みんな気がついて、地球を大切に、生き物と共生してほしいということなんだけど、その気持ちを踏みにじられると、「スペースコロニーでオシッコを濾過して暮らせばいい。」となるところが、まだまだ修行が足りない私なのでした。

2017/06/28

共同の創造〜アナスタシア6巻より〜

本当の子作りは、「セックス」ではなくて、「共同の創造」。

快楽を求めたセックスの成れの果てに妊娠はするけれど、それは、ただ動物が発情して交尾するのと同じことだという。

「共同の創造」は、一般の「セックス」というものが、欲情からの交尾に近いものだということから、一線を画すために名付けられた子作りの方法のことだ。

「共同の創造」を経験したら、もう「欲情の交尾」などする気が失せて、浮気をしたいとか思わないらしい。

地球の上で、共同の創造から生まれた子供はいるのだろうか?たくさんいたら、地球はこんなことになっていないと私は思う。

私自身も、おそらくは欲情の挙句に生まれてきたのだろうと思うと切ないが、このような知識を持つ若者が増えていき、一人また一人と、「共同の創造の子供達」が増えていってほしいなと希望する。

そのためには、まず女性が目覚めないとダメで、欲情で近づいてくる男を相手にしない大前提があり、男性が心から「この女性との子供がほしい。」と思っている場合に、共同の創造は始まるらしい。

すっかり子供を産めなくなった私なので、欲情もなにもあったものではないけれど、息子の代で共同の創造をしてくれないかなーと、微かに期待。




2017/06/16

感じ方の違いで幸せにも不幸せにもなる

猫さんの何気ない仕草を、「かわいいー」と思うか、「ウザっ」と思うかで、同じ一つのことが原因でも、心の風景は全然違う。

子供の頃、猫好きの私は、猫が何をしてもかわいいと思うのに、そんなに猫好きでもなかった祖母は、「また散らかして!」とか言っていた。

掃除や片付けをさせられるから、そう思ったのかもしれない。私は猫を可愛がるばかりで、面倒な世話は、全て祖母任せだったのだから。

私も、大人になってから嫌というほど猫のことで掃除をしたから、今となっては祖母の気持ちもわかる。

まぁ、祖母は猫1匹でそんなことを言ってて、私は50匹で言ってた違いはあるけど。

猫部屋の掃除をしながら、「あー、おばぁちゃんの呪いかなー。」とか思ったことが何度あったことか。

今は21匹になって、50匹以上の頃に比べたら、体も貧血が治って元気になっているし、とても心の余裕があるのであった。お金はないけどね。(猫のせいで)

2017/05/17

前世が西太后だと思って得すること

気に入らない政治家などがいた場合に、「西太后が前世」だと思えば許せる気持ちになるのが不思議です。

西太后は、負ければ賊軍で、後世では悪い悪い女支配者ということになってますが、本当は動物好きの私みたいな人だったと思っています。

西太后だって、やりたくて部下のお仕置きなんかしていたわけではなくて、そうしないと統制が取れなかったからだと思うのです。

今、人を騙すようなアコギな商売をやっている人も、美しい国とか言いながら戦勝国の言いなりになっている政治家も、何となく波に乗っていたらそうなってしまって、自分ではどうすることもできないと考えたら、「まぁ、可哀想に。前世の私みたいやわ。」と許せてしまうから不思議です。

「猫の世話が大変やわ、しんどいしんどい。」と嘆いてみますが、もしかして前世では、「動物の世話を人任せにしないで全部自分でやりますから、今度生まれ変わる時はフツーの一般ピープルに生まれ変わらせてください。」と祈っていたかもしれません。というか、祈っていたような気がします。

まぁ、こんな空想をすることで、許せない人も許せてしまうのであれば、それもアリかなと思います。

2017/04/01

鳥頭という考え方

三歩歩いたら忘れてしまう「鳥頭」というのを最近観たドラマで知りました。

嫌なことがあっても、三歩歩いたら忘れるって、楽なのかもしれない。

母は、昔、自分が受けた仕打ちをずっと覚えていて、長い間、腹を立てては血圧が上がったり首肩が凝ったりしていましたが、認知症になってからは、徐々にキレイさっぱり忘れていき、最後には何も覚えていませんでした。そして、「肩凝れへんわー。」と言ってました。

認知症なんていう、そんな大変な思いをして忘れるよりも、日頃から三歩歩いたら忘れてしまう鳥頭でいた方が得なのではないかと思う今日この頃。

自分が三歩歩いたら忘れるおバカさんのお人好しだから、そういうことを言って正当化しているだけとも言えますが。

生きものたちは、今その時を生きていて、昔のことを思い出して苦しむのは人間だけ。

だから、その辺を楽しそうに飛んでいる雀や、日向ぼっこをしている野良猫や、おやつに目を輝かせている犬の爪の垢でも煎じて飲むくらいの気持ちで、「鳥頭」になって、今を生きればいいのではないかと、私は思います。

2017/03/29

神様の端末

猫さんを愛でていて、「今感じている猫の可愛さや柔らかさを、私を通して神様は感じているのだろう。猫の感覚もきっとそうなんだろう。」と、ふと思いました。

生きものの中には神様の小さな光の粒が入っていて、そこから全ての感覚が神様に伝わるとしたら、感覚を持つ全ての生きものは、神様の端末なのかもしれない。

けれど人は最近、スマホを持ち歩いて、神様以外の何かに繋がろうとしている。

すでに神様の端末なのだとしたら、今持っているスマホもチップを入れてサイボーグ化する未来の話なんかも、とてもバカみたいなことだったりするよなぁ。

そんなことを思ったのは、貧血がぶり返して体が弱って、また霊感のようなものが出て来たからなのかもしれません。

でも、神様の光の粒という考えは、私はとても気に入りました。

2017/03/27

死ぬ時は、やっと寝れる時と気分が似ている気がする

こどもの頃の、覚えていたのだか夢なのか定かではないあの世の記憶。

まゆ玉の中にいるような白く優しい光の中に私は眠っていた。
まだ眠いし、まだまだ寝ていたいのに、誰かに起こされて、渋々生まれ変わってきた、そんな記憶。

忙しい毎日を過ごしているから、眠れないことは皆無。「やっと寝れるー!」とバタンキュー。
体を横たえて、今日の全てを手放して、「最高の幸せって眠る時だ。」と思える瞬間。

もしかして、死ぬ時もこんな感じ?だったら、死ぬってそんなに怖くないかもしれない。

母が死んでから、「次は自分の番だ。」と思うと、ちょっと怖かった…

ある意味、「毎日死んで生まれ変わっている気がする。」と、この歳になって思うようになりました。

2017/03/11

宗教とか信条って、わだちのようなもの

昨日、自転車に乗っていたら、道路の端っこのところが少し段になっていたのか、ハンドルが効きませんでした。
わだちにはまったみたいに、行きたい方向に進めなかったのです。

それで、その時ハッとして、「宗教とか信条って、わだちみたいなもんなんやな。」と思いました。

わだちに沿って進んで行く先は、自分が行きたいところなのだろうか?

先人たちや、頭の良い人たちが考えてくれた思想や信条や宗教の言う通りにするのは、私にはとても息苦しいのです。

わだちって、自分の足を上げてまたげばすぐに上がれるものなのだから、わだちから出て、自分の歩きたいところを歩けばいいのだろうな、そんなことを思いました。

2017/03/10

太陽が神様なんじゃないかなぁ。

宇宙に広い意味での神様はいるとして、この太陽系に関しては、太陽が神様なんじゃないかなぁと、いくら考えても思えてくるわけなんです。

太陽を作った存在=宇宙の神様で、地球を作った存在=太陽だよね…みたいな。

だから、地球の人間たちが色んな神様を発明していますけど、太陽に感謝して暮らすのが正解なのではないかと、いくら考えても、そういう結論に至ります。(私の中で)

LEDの電球が発明されて、明るい光が夜に満ちていますが、太陽の光の気持ち良さからは、かけ離れています。

どうして太陽の光は気持ちがいいのに、LEDの光だと見たくもないのだろう。太陽の光は暖かく感じるけど、LEDは無機的というかなんというか。その暖かさの中に愛が含まれているような気さえして、私は太陽が好きです。

日本の神話では、太陽は女性の「天照大神」なんですけど、私には太陽は、お父さん的な感じがします。地球がお母さん的な感じ。少し離れて見守るイメージが太陽で、つきっきりで世話をしてくれるのが地球という感じ。

その、どちらにも感謝して生きることが、本当に大切だと思います。

今の人類の文明は、感謝の心を無くして、地球の生き物の仲間を絶滅させて我欲を満たしてばかりなので、終いに怒られそうで怖いです。

太陽が怒ったら、きっと太陽風を地球に向けて吹かせるのだろうな、でもそれをしたら、罪のない他の生き物や地球や他の惑星にも大ダメージだから、怒れないんだろうなと、勝手に思っています。

人類よ!空気読もうね。

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