精神世界

2017/06/16

感じ方の違いで幸せにも不幸せにもなる

猫さんの何気ない仕草を、「かわいいー」と思うか、「ウザっ」と思うかで、同じ一つのことが原因でも、心の風景は全然違う。

子供の頃、猫好きの私は、猫が何をしてもかわいいと思うのに、そんなに猫好きでもなかった祖母は、「また散らかして!」とか言っていた。

掃除や片付けをさせられるから、そう思ったのかもしれない。私は猫を可愛がるばかりで、面倒な世話は、全て祖母任せだったのだから。

私も、大人になってから嫌というほど猫のことで掃除をしたから、今となっては祖母の気持ちもわかる。

まぁ、祖母は猫1匹でそんなことを言ってて、私は50匹で言ってた違いはあるけど。

猫部屋の掃除をしながら、「あー、おばぁちゃんの呪いかなー。」とか思ったことが何度あったことか。

今は21匹になって、50匹以上の頃に比べたら、体も貧血が治って元気になっているし、とても心の余裕があるのであった。お金はないけどね。(猫のせいで)

2017/05/17

前世が西太后だと思って得すること

気に入らない政治家などがいた場合に、「西太后が前世」だと思えば許せる気持ちになるのが不思議です。

西太后は、負ければ賊軍で、後世では悪い悪い女支配者ということになってますが、本当は動物好きの私みたいな人だったと思っています。

西太后だって、やりたくて部下のお仕置きなんかしていたわけではなくて、そうしないと統制が取れなかったからだと思うのです。

今、人を騙すようなアコギな商売をやっている人も、美しい国とか言いながら戦勝国の言いなりになっている政治家も、何となく波に乗っていたらそうなってしまって、自分ではどうすることもできないと考えたら、「まぁ、可哀想に。前世の私みたいやわ。」と許せてしまうから不思議です。

「猫の世話が大変やわ、しんどいしんどい。」と嘆いてみますが、もしかして前世では、「動物の世話を人任せにしないで全部自分でやりますから、今度生まれ変わる時はフツーの一般ピープルに生まれ変わらせてください。」と祈っていたかもしれません。というか、祈っていたような気がします。

まぁ、こんな空想をすることで、許せない人も許せてしまうのであれば、それもアリかなと思います。

2017/04/01

鳥頭という考え方

三歩歩いたら忘れてしまう「鳥頭」というのを最近観たドラマで知りました。

嫌なことがあっても、三歩歩いたら忘れるって、楽なのかもしれない。

母は、昔、自分が受けた仕打ちをずっと覚えていて、長い間、腹を立てては血圧が上がったり首肩が凝ったりしていましたが、認知症になってからは、徐々にキレイさっぱり忘れていき、最後には何も覚えていませんでした。そして、「肩凝れへんわー。」と言ってました。

認知症なんていう、そんな大変な思いをして忘れるよりも、日頃から三歩歩いたら忘れてしまう鳥頭でいた方が得なのではないかと思う今日この頃。

自分が三歩歩いたら忘れるおバカさんのお人好しだから、そういうことを言って正当化しているだけとも言えますが。

生きものたちは、今その時を生きていて、昔のことを思い出して苦しむのは人間だけ。

だから、その辺を楽しそうに飛んでいる雀や、日向ぼっこをしている野良猫や、おやつに目を輝かせている犬の爪の垢でも煎じて飲むくらいの気持ちで、「鳥頭」になって、今を生きればいいのではないかと、私は思います。

2017/03/29

神様の端末

猫さんを愛でていて、「今感じている猫の可愛さや柔らかさを、私を通して神様は感じているのだろう。猫の感覚もきっとそうなんだろう。」と、ふと思いました。

生きものの中には神様の小さな光の粒が入っていて、そこから全ての感覚が神様に伝わるとしたら、感覚を持つ全ての生きものは、神様の端末なのかもしれない。

けれど人は最近、スマホを持ち歩いて、神様以外の何かに繋がろうとしている。

すでに神様の端末なのだとしたら、今持っているスマホもチップを入れてサイボーグ化する未来の話なんかも、とてもバカみたいなことだったりするよなぁ。

そんなことを思ったのは、貧血がぶり返して体が弱って、また霊感のようなものが出て来たからなのかもしれません。

でも、神様の光の粒という考えは、私はとても気に入りました。

2017/03/27

死ぬ時は、やっと寝れる時と気分が似ている気がする

こどもの頃の、覚えていたのだか夢なのか定かではないあの世の記憶。

まゆ玉の中にいるような白く優しい光の中に私は眠っていた。
まだ眠いし、まだまだ寝ていたいのに、誰かに起こされて、渋々生まれ変わってきた、そんな記憶。

忙しい毎日を過ごしているから、眠れないことは皆無。「やっと寝れるー!」とバタンキュー。
体を横たえて、今日の全てを手放して、「最高の幸せって眠る時だ。」と思える瞬間。

もしかして、死ぬ時もこんな感じ?だったら、死ぬってそんなに怖くないかもしれない。

母が死んでから、「次は自分の番だ。」と思うと、ちょっと怖かった…

ある意味、「毎日死んで生まれ変わっている気がする。」と、この歳になって思うようになりました。

2017/03/11

宗教とか信条って、わだちのようなもの

昨日、自転車に乗っていたら、道路の端っこのところが少し段になっていたのか、ハンドルが効きませんでした。
わだちにはまったみたいに、行きたい方向に進めなかったのです。

それで、その時ハッとして、「宗教とか信条って、わだちみたいなもんなんやな。」と思いました。

わだちに沿って進んで行く先は、自分が行きたいところなのだろうか?

先人たちや、頭の良い人たちが考えてくれた思想や信条や宗教の言う通りにするのは、私にはとても息苦しいのです。

わだちって、自分の足を上げてまたげばすぐに上がれるものなのだから、わだちから出て、自分の歩きたいところを歩けばいいのだろうな、そんなことを思いました。

2017/03/10

太陽が神様なんじゃないかなぁ。

宇宙に広い意味での神様はいるとして、この太陽系に関しては、太陽が神様なんじゃないかなぁと、いくら考えても思えてくるわけなんです。

太陽を作った存在=宇宙の神様で、地球を作った存在=太陽だよね…みたいな。

だから、地球の人間たちが色んな神様を発明していますけど、太陽に感謝して暮らすのが正解なのではないかと、いくら考えても、そういう結論に至ります。(私の中で)

LEDの電球が発明されて、明るい光が夜に満ちていますが、太陽の光の気持ち良さからは、かけ離れています。

どうして太陽の光は気持ちがいいのに、LEDの光だと見たくもないのだろう。太陽の光は暖かく感じるけど、LEDは無機的というかなんというか。その暖かさの中に愛が含まれているような気さえして、私は太陽が好きです。

日本の神話では、太陽は女性の「天照大神」なんですけど、私には太陽は、お父さん的な感じがします。地球がお母さん的な感じ。少し離れて見守るイメージが太陽で、つきっきりで世話をしてくれるのが地球という感じ。

その、どちらにも感謝して生きることが、本当に大切だと思います。

今の人類の文明は、感謝の心を無くして、地球の生き物の仲間を絶滅させて我欲を満たしてばかりなので、終いに怒られそうで怖いです。

太陽が怒ったら、きっと太陽風を地球に向けて吹かせるのだろうな、でもそれをしたら、罪のない他の生き物や地球や他の惑星にも大ダメージだから、怒れないんだろうなと、勝手に思っています。

人類よ!空気読もうね。

2017/01/20

猫が母親みたいな存在だったと思う話

高校生の時に両親が別居してしまって、父は仕事と遊び(付き合いでということになってる)に忙しかったから、私にとって、身近にいる大人のモデルは祖母くらいしかいませんでした。

他にモデルになる人をみつけたくても、付き合いが希薄で、コレだ!という人物がいなかったのです。
それで、ドラマの登場人物だとか、小説の主人公とか、「誰かおらんのかい!」と、探し回ってましたが、みつかりませんでした。
なぜって、現実に生きていないし、本物ではないからです。

その頃、フラウボウという名の猫を飼っていて、その猫がとても賢くて、その猫を観察することによって、私は生き方の手本とした部分が多々ありました。

フラウボウは現実に生きていて、日々獲物をとったり、泣いている私を慰めたり、仔猫を産んで育てて見せたりしたからでした。

フラウボウは、いつも動じることがありませんでした。
「よく観察する」をモットーにしているみたいでした。
それから、「君子危うきに近寄らず」もモットーにしているようでした。

落ち着いて観察するために、そーっと人目につかない場所に隠れたり、高いところに素早く逃げたりするのが上手でした。無駄な喧嘩はしませんでした。けれど、いざとなれば、ハッキリ「否」と意思表示ができるのでした。

毎日獲物を獲るので、人間を頼らずとも生きていける猫でした。

ハエが家に入ったら、もう命はありませんでした。壁にとまったところを、バシッと両前脚で捕まえてしまうのでした。ゴキブリもそうでした。

フラウボウの自由を尊重するために、私は嫁に行く時にフラウボウを連れて行きませんでした。
婚家にはシェルティーを室内飼いしていたし、猫を連れて行く嫁も変かなと思ったからでした。
婚家は北陸の地方都市にありましたが、街中にあり、大阪の私の実家の方が当時は自然が残っており、フラウボウにとっては住みやすそうでした。

でも、新婚旅行から新居に着いた途端に、「もうフラウボウと暮らせないのだ」ということがヒシヒシと感じられて、新婚早々、落ち込みました。その日は曇り空の日で、車で家の前に着いた時のドヨーンとした気持ちは今でも忘れられません。(笑い話ですけどね)

もちろん、周りに生き方のモデルにしたいと思う人もいませんでした。

「自分は、新郎よりも猫の方を愛していたのだろうか?それなのに特急で3時間もかかるところに嫁に来てしまったのだろうか?」そんな疑問が心に渦巻いたりした、20代でした。

思えばアホな20代だったなぁと思います。

でも、私はフラウボウが生き方の先生で良かったなと思っています。今となっては化粧もしない少し変わったおばさんですが、それは、半分猫が入ってるからなんです。

2016/12/25

暗闇で光を探してるモヤシのようなもの

ふと、「なんか私、モヤシと一緒やなぁ〜。」と、猫のトイレ掃除をしていて思いました。

モヤシは、暗闇の中で発芽して、わずかな光を探して伸びていった結果、あのような姿になっているのだけど、実はこの世界は暗闇で、人間も、わずかな光を探してる存在なのではないだろうか?

アナスタシアの本を読んでると、元々は、この世界は暗闇ではなかったんだけど、人間がこんな風にしていってしまったと。

お金を持っているもの勝ちみたいな世の中。

不憫な野良猫につぎ込んで、猫貧乏な人をみると、「お金に縛られて、真っ暗闇じゃあござんせんか。」と思うし、経営をしていると、借入金の返済に追われていて、「まるでお金という鎖に繋がれているみたいだ。」という光景が繰り広げられているのですよね。

そういう意味で、太陽は空で明るく輝いているにも関わらず、心象世界は暗闇の人が多くて、救いを求めて宗教にハマったり、お金集めに忙しかったりして、その先に光があると思って必死になっている、みたいな。

お金が関わると、どんな善行も悪行に変わっていくのを目の当たりにするし、自分が得をするように他人をコントロールするようになって、嘘ばかりつくようになっている人もいるし、それって、お金が光では無いことの証左のように思えます。

だから、本当の光って何だろう?と日々、自問することは大切だなぁと思います。

2016/11/13

ノイズ

日々の生活が忙しくて、子供の頃にみていたビジョンが、全然思い出せない。

子供だから意味がわからなくても、忘れても、いつか日本に住んでいたら、本で再び知ることができると言われていたのに。

青い地球をみおろしながら、恐ろしい光景を見せられたような気はしているのだけど。

覚えているのは、それがただのビジョンで、けれども未来には起こるビジョン。それを阻止しないといけないこと。

私が大人になる頃には、電話ではない新しい通信方法ができて、世界中と瞬時につながることだけは覚えていたのに、肝心のことが思い出せない。

エリックパールという名前は、思い出して、それはアメリカにいるヒーラーの名前だから、彼を助けているエネルギー的な存在が関係しているのかもしれない。

それと、アナスタシアを読んで、「これだ!」と思ったのに、その後が続かない。

それで、3日くらい前、寝る前に感謝の言葉を天に捧げた後で、アナスタシアに尋ねてみたのです。

「ねぇねぇ、アナスタシアさん。もしも本当に実在しているなら、どうして私が、あの記憶にたどり着けないのか、教えてくださいな。」

あまり期待はしていなかったのですが。

そのあと、何気なくフォローさせてもらったサイキックな方から、「あなたにノイズを感じるから、一旦フォロー外しました。」という内容の連絡が来たのです。

普通だったら、「ノイズて何よ。」と憤慨するかもしれませんが、この、ノイズこそ、アナスタシアの答えであり、サイキックな方を通じて私に返ってきた答えだと思ったのです。

そう、私にはノイズが多すぎる。

まるで、チューニングの合っていないラジオのように、ノイズや雑音が大きくて、ホンモノの情報が入って来ないのだ…

反省と感動。

もっと心を静かに生きるようにしようと、決意を新たにしたところです。

それにしても、サイキックの方スゴイですね。
私もそんな風になりたいな、ノイズが無くなれば、なれるかな。でも地下鉄とかに乗れなくなるかな。

そんなことを考えています。

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