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精神世界

2017/11/17

来世で思い出すとしたら

もう地球には生まれたくないと言いつつも…

前世の記憶かどうかわからないけど、広い王宮のような場所の石畳の庭で、増え過ぎた犬たちのことを憂い、権勢の欲にまみれた世界を憂い、「次に生まれるときは平凡な人生がいい、生き物の世話も全部自分でするからそうなりたい。」と思ったと、思っている私。

今は平凡に生きながら、「来世では、自然に囲まれてきれいな空気を吸って生きたい。」などと思っているけど、これって来世で思い出すだろうか?

今生で願った通りになるのなら、次は人の入ってこない山奥の木がいいんだけど。星も綺麗だろうし。木に生まれ変わったら人間の前世とか思い出せるだろうか。思い出せたら面白いなぁ。

でも木に生まれたら、足がないから逃げたい時に逃げられない。きれいな空気の中で何十年か何百年か生きられるのだったら、その不便は仕方ないのかもしれない。

木に生まれるのなら、栗鼠を愛でたいし、胡桃がいいかもしれないな…

2017/11/06

シャボン玉のカプセルにいる私たち

11年前に書いた日記が出てきて、「なかなかいいこと言うてまんがな。」と思ったので載せておこうと思う。

あの頃は、副鼻腔の手術の後、オーラが景色に溶け込んでいる気がしていた。ある意味、自分の境界が無くなってたのかな。

2006/8/24

想像してみる。
私たちは丸いシャボン玉のようなカプセルの中にいると。

カプセルには「ミラーモード」と「クリアモード」というスイッチがついている。

自分がミラーモードのスイッチを入れると、カプセルの外は見えなくなり、かわりに自分が作り出す物語が始まるのだ…まるで、映画館かプラネタリウムのように。

ずっと見続けていると、その物語があたかも本当のことのように思えるけれど、実はミラーモードで映し出された世界。

ミラーモードは、私たちの心を映す映写機だ。

クリアモードは、心を静かにしていると表れてくる真実。

クリアモードから見えるのは、同じようなたくさんのカプセルがあることと、やさしい愛の光が差し込み、さわやかな風が吹いていること。

ミラーモードで恐ろしい映像を真実のように体験したとしても、大丈夫。本当はカプセルの中で見ているだけだから。

もう、こんな映像見たくない。
もっといいのが見たい。

そう思ったら、自分でチャンネルを切り替えれば良い。

人生ってそういうものだ。
自分の心がすべての鍵を握っている。

それも見るのに飽きてしまったら、時々クリアモードに切り替えて、エネルギーを補給できる。
そして、新しいことに挑んだっていいのだ。

「死」とは、この安全なカプセルのシャボン玉が割れること。
光と風に混じっていくことだ。

そんな感じかもしれない。

2017/10/29

裸足の女の子が仲間を増やしている

ずいぶん前に、家の近所に裸足で歩き回っている女の子がいて、足の裏にガラスが刺さったりしたら大変なのにと心配していたことがありました。

その子はすっかり大きくなって、今では小学校の高学年くらいになりました。

ここ数年は、ちゃんと靴をはいていたので安心していたのですが、この前、また裸足で走り回っていたのです。それも仲間を増やして。

10人くらい、裸足で走り回っているのを見て、思わず、「ガラス踏んだらあかんでー、気ィつけやー。」と声をかけたら、みんなで「はーい。」と言って駆け抜けて行きました。

裸足、気持ちいいよね、真夏と違って秋は特に足の裏からポカポカするし。

実は彼女が正しいような気もする今日この頃。
地球とつながってアーシング。
大人の私が裸足で犬の散歩とか、絶対無理よね、羨ましいなー。

若い頃、悲しんでばかりいた頃は、夢の中でよく裸足になっていたっけ。草原で裸足になっていたり、砂浜で裸足になっていたり。

今思うと、あの頃は地球と繋がっていなかったのだろうなぁ。今もだろうけど…

あぁ、裸足で歩きたいな。大阪で裸足で歩けないと思うのは思い込みだろうか?でも試したら精神病院に連れていかれそうな雰囲気がするからできずにいる私です。

田舎に住みたいな。
粟島か志々島に住んだら毎日砂浜を裸足で散歩できるのに。

あれ、また無い物ねだりの子守唄になってしまいました。

2017/10/17

みんな迷える子羊

若い頃、大人達が尊敬できませんでした。

歳を重ねてずる賢くなっただけに見えました。自己保身に長けるというか、そんな大人が結構いたのです。

心根の美しい学校の先生たちもいたから、全部の人が尊敬できないのではなかったのですが…

今となってはわかります。
みんな迷える子羊だったんだと。

歳を取っても、人は自分がされたことを若い世代にしてしまう。これは、まるで何かの法則のように、やってしまうみたいです。

本人はやっていることを正当化したり、考えないようにしたりしていますが、実態は、大人の仮面を被った子供だったのだなぁと、しみじみ思うようになりました。

当時は、尊敬できない、許せないと思った私も、「かわいそうに、そうするしかなかったし、抜け出せる道を知る術がなかったんだろう。」と思うのです。

今みたいに、インターネットですぐに探せる時代でもなく、目隠しをしたまま歩いて苦しんでいたのかもしれない。

それは、今の私が、その人たちと同じような年齢になってみて、外見とは裏腹に、中身が子供みたいな私がいるのを知ったから、そう思うのでしょう。

だから、外見が、ヨボヨボのおじいちゃん、おばあちゃんも、心の中には子供がいて、子供みたいに清らかな行いをしたり、寂しくて拗ねてみたり、それが当たり前なんだなぁ…

そう思うと、なんだか、心が暖かくなって、理解して許す気持ちになり、すでにこの世を去った人にはもっと優しくしてあげたかったと思うし、まだ生きている人には優しく接してあげようと思います。

2017/09/17

神社の木の枝が切られて思うこと

大依羅(おおよさみ)神社の鳥居の横の木が、ある日スッパリと切られてしまったのです。

すぐ隣には阪南高校のプールがあって、そこに落ち葉が落ちるからだとは思うのですが。

何年か前には、裏側にある桜並木の枝が、阪南高校のテニスコートに入った部分をバッサリ切られて、切られることを嫌うらしい桜並木は、元々弱っていたのが更に弱り、衰弱の一途をたどっています。

大依羅神社の木を切ろうとしたら、バチが当たって関わった人が次から次へと災厄に見舞われる言い伝えを知っていた古老が、去年亡くなった途端の出来事でした。あのおじいちゃんは、木を守っている存在だったのだなと思います。

そして、私は、この場所を離れて、もっと自然の残っているところに移住したい気持ちがドーンと出てきてしまいました。「きっと神様たちも思っているはず…」そう思い始めました。

「大昔の龍神伝説は、もはや泡となって消えたかもしれない。この地はもう守られない。」そんなことが心をよぎるのです。

そんなある日、室外機の温風が余計に気温を上げる都会の夏の暑さにも疲れて、「これ以上暑さが続くのだったら本気で移住を考えて準備しよう。」と思った夜に、通り雨が降って、急に涼しくなりました。

その降り方が、まるで何かの合図のように、急に降ったと思ったら、急に止むの繰り返しでした。

それで、「きっと私に行ってほしくないんやわ。」と勝手に思って、少し思い止まっています。「私が居なくなったら、途端にこの地に災難が降りかかったりするのかな?」などという妄想とともに。

龍神さんや木霊さんたちに残された自然は、ほんとうにごく僅かです。この残された自然を大切にしないことが続いたら、龍神さんや木霊さんとともに引っ越したいと思います。

ちなみに、先日、犬の散歩の時に立ち寄った時、50〜60代の女の人が、切られた木の幹に手を当てて、何かを念じていました。「木に謝っている人がもう1人いるのかな?」と思うと同時に、「どうか、切られて弱っている木の気を吸い取ってませんように。」と心の中で祈りました。





2017/08/28

75%の女

私は、中学生の頃から、自分のことを75%の女だなぁと思っていました。

テストでも何でも、大体、75点くらいだけど、100点にはなれない子でした。

でも、授業でのバスケットボールのシュートや、水泳の競争で、心が無になった時に、何だか素晴らしい結果を出せたことがあるんです。

小学生の時は、心が無になった時に、ピアノがたいそう上手く弾けたこともありました。

でも、「あれっ?今、どうしてこんなに上手くできるんだ?」と、意識した途端に、下手になる…

中学生の時は、特に目立つ子でもなかったから、運動神経ゼロだとみんなから思われていたのに、トントントーンとシュートできたことがあって、一瞬、目立ちそうになり、「ヤバイヤバイ、目立ったら虐められるのに。」と用心したことでした。

水泳で、シュポッと飛び込んで、クロールで一位になった時も、無意識で泳いで気がついたらゴールしてたみたいな。

私の場合、意識してできるのは、75%まで。無意識でできた時は100%上手くできる。

わかっていても、ほとんど無意識になれない私は、器用貧乏の75%の女なのでした。

ところで、これってもしかして、アナスタシアが言うところの「共同の創造」につながる感覚なのではないかと、こんなオバさんになってから気がつく始末。いや、そろそろおばあさんだ。

この話を読んで心当たりのある若い方、ぜひとも心を無にして、神様と共同の創造をしてくださいね。よろしくお願いします。

2017/07/09

「気持ち」の話

アナスタシアの6巻(一族の書)に、宇宙の叡智は「気持ち」の中に含まれていて、「自分の気持ち」を感じることで、その中に全ての答えが含まれているというような下りがありました。

「気持ちって何よ?」と、最初はハテナマークがいっぱい飛んでいた私ですが、ふと、いつも猫や犬たちと心を通わせる時に私がやっていることを思い出しました。

それは、「テレパシーで動物と話をしたいとき、気持ちを込めると伝わりやすい」ということなのです。

猫に何かしてほしい時などは、気持ちを込めるとすぐに思い通りに動いてくれたりするんですよね。

たとえば、遊びの時間が終わって、自分たちの決まった部屋に帰ってほしい時、口だけで命令しても猫は絶対に言うことを聞いてくれません。

そんな時は、猫たちを愛おしく思う気持ちになってから、「はい、終わり〜!」と言うと、みんな走って帰って来てくれます。

猫は喋らないから、何かを訴えたい時は、ボディランゲージや目で伝えてくれますが、その時に、猫の気持ちを感じるように努力していると、ふと、してほしいことや言いたいことが頭に浮かんで、実際その通りだったということがよくあります。「これって、テレパシーよねー。」みたいなことが。

気持ちって、平凡だけど重要なことだったんだと、猫のテレパシーのお陰で、すぐに納得がいったのでした。

雨の日に犬の散歩をする時も、ドアを開けた途端に止むことがよくあって、「チェリーは晴れ男やなぁ〜。」と言っていたのですが、それも、もしかすると、「気持ち」を使って雨を止ませていたのだったりして。

「気持ち」は、この宇宙を創造した神の意識とつながるツール。

いつでも「気持ち」を感じている動物たちは、「気持ち」を感じることを忘れてしまった人間たちに、教えてくれる教師なんだなと思います。

(じゃ、食べたりしたらダメですね…^_^;)

2017/06/30

スペースコロニー

近所の地域猫活動をしている猫おばさんが、猫嫌いな人からえらいいじめられて、警察まで呼ばれて憔悴していると聞いて、「動物嫌いはスペースコロニーで住んだらいいのにねー。」と言って慰めたことがありました。

動物嫌いなもの同士、人しかいないスペースコロニーで、オシッコを濾過して飲んで暮らしたらいいのにな…みたいな。

そしたら、猫おばさんが笑って、少し気が晴れたみたいでした。(猫おばさんは避妊去勢も掃除もキチンとしている方)

そんなことがあった後、ふと、「霊界は私が考えたスペースコロニーに似てるなぁ。」と思ったのです。

死んだら霊界に行くけれど、そこは波長の似たものが集まるところで、そういう波長の違う世界がいくつもあって、地上に生まれるということは、そこから抜け出て、色んな波長の人がいるごった煮の世界で魂の修行をしているのだとかいう話を、昔、霊能者の本か何かで読んだことがあります。本当かどうかは死んでみないとわからないから、まぁそれが本当だとしたら、嫌なものを避けてスペースコロニーで生きるということは、わざとごった煮の世界に生きている意味がないかも知れない。

私がスペースコロニーに行けと思ったら、相手もスペースコロニーに行けと思っているし、それは即ち死ねということなのかも知れない。

現実にスペースコロニーが出来たとしたら、そこはやはり、ごった煮の世界なんだろうな。そうでないと人間として生きる意味がなくなるわけだから。(霊界の話が本当だと仮定して)

私や猫おばさんのベースにあるのは、地球は人間だけのものではないと、みんな気がついて、地球を大切に、生き物と共生してほしいということなんだけど、その気持ちを踏みにじられると、「スペースコロニーでオシッコを濾過して暮らせばいい。」となるところが、まだまだ修行が足りない私なのでした。

2017/06/28

共同の創造〜アナスタシア6巻より〜

本当の子作りは、「セックス」ではなくて、「共同の創造」。

快楽を求めたセックスの成れの果てに妊娠はするけれど、それは、ただ動物が発情して交尾するのと同じことだという。

「共同の創造」は、一般の「セックス」というものが、欲情からの交尾に近いものだということから、一線を画すために名付けられた子作りの方法のことだ。

「共同の創造」を経験したら、もう「欲情の交尾」などする気が失せて、浮気をしたいとか思わないらしい。

地球の上で、共同の創造から生まれた子供はいるのだろうか?たくさんいたら、地球はこんなことになっていないと私は思う。

私自身も、おそらくは欲情の挙句に生まれてきたのだろうと思うと切ないが、このような知識を持つ若者が増えていき、一人また一人と、「共同の創造の子供達」が増えていってほしいなと希望する。

そのためには、まず女性が目覚めないとダメで、欲情で近づいてくる男を相手にしない大前提があり、男性が心から「この女性との子供がほしい。」と思っている場合に、共同の創造は始まるらしい。

すっかり子供を産めなくなった私なので、欲情もなにもあったものではないけれど、息子の代で共同の創造をしてくれないかなーと、微かに期待。




2017/06/16

感じ方の違いで幸せにも不幸せにもなる

猫さんの何気ない仕草を、「かわいいー」と思うか、「ウザっ」と思うかで、同じ一つのことが原因でも、心の風景は全然違う。

子供の頃、猫好きの私は、猫が何をしてもかわいいと思うのに、そんなに猫好きでもなかった祖母は、「また散らかして!」とか言っていた。

掃除や片付けをさせられるから、そう思ったのかもしれない。私は猫を可愛がるばかりで、面倒な世話は、全て祖母任せだったのだから。

私も、大人になってから嫌というほど猫のことで掃除をしたから、今となっては祖母の気持ちもわかる。

まぁ、祖母は猫1匹でそんなことを言ってて、私は50匹で言ってた違いはあるけど。

猫部屋の掃除をしながら、「あー、おばぁちゃんの呪いかなー。」とか思ったことが何度あったことか。

今は21匹になって、50匹以上の頃に比べたら、体も貧血が治って元気になっているし、とても心の余裕があるのであった。お金はないけどね。(猫のせいで)

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