日記・コラム・つぶやき

2018/07/21

ありのままでいいよ

すぐに壊れて涙をこぼす弱い心だったから
私は人間がこわかった

今思えば
誰もが傷つきたくなくて
自分を守ろうとして人を傷つけていたんだとわかるけど
若いから泣いてばかりだった日々

自分が弱かったから
人には優しくしてあげるけど

こんどは優しさに甘える人が
私の心を傷つける

強くならないと
強くならないと
そればかり考えていたけど

ありのままの自分でいた方が
楽に生きられるから

どうしたら
ありのままでいられるか

ありのままで
いさせてくれる人を探していたけど

自分がありのままでいたら
ありのままで生きている人たちに
気がついたら囲まれてた

2018/07/19

結論から言ってくださいよ

よく韓流ドラマなんか観ていると、「結論から申し上げますと…」で始まるセリフがあるのです。

まず結論を言って、次にそう考える理由、最後にその理由によりこれからしなければならないことを述べるのですよね。

そういうのに慣らさせてきている昨今ですね、ダンナの回りくどい話し方がイラついてですね、「結論から言うてくれ!」みたいなことになるんです。

ダンナの話し方は、自分の希望を一番最後にというか、私が忖度して希望通りになるように言ってくれるのを待っているというか、とにかく回りくどい。

まず言い訳めいた話を延々とする。途中で私が「ほな、こうしたら?」と言っても自分の意図と違っていれば、また言い訳めいた話が続くというね、私の貴重な残された人生の時間を浪費させんといてくれー!」みたいな。

最初に自分がどうしたいのか明確にしてくれないと、建設的な今後のことも考えられませんがな。

結論を相手に言わせるのは、最終的に失敗した時に、相手に責任を負わせる罠なんじゃないかとか、思ってしまいますわ。

日本人って、こういうの多いんですか?私は韓流ドラマのせいで日本人的じゃなくなってしまったのでしょうか?

これが日本の全体的な特徴だとしたら、日本は斜陽の国になるしかない気がしますけど?

ダンナだけですよね?

とにかく、言いたいことはハッキリ言ってほしいと、私は思います。

(言わな分かれへんがな)

2018/07/16

反面教師

子供の頃に、父から「反面教師」という言葉を習いました。

気に入らない人がいたとして、その人が嫌いだと憎む心は自分にとって得にならない。「あの人みたいにはならないようにしよう」と思って自分への戒めにすれば、少なくとも自分は嫌いな人はよりは一段上の人になれるはずだ云々。

その父が、その後まさかの反面教師になったりすることがあろうとは、その時は露とも知らず。

まぁ、そうなった時は、過去を思い出して、「フッ」と笑ってしまった私です。

若い頃を思い出して、詩を書きました。
恥ずかしい詩なのですが、恋愛で心が折れている人に励ましになるかと思って、ちょっと載せときます。


悲しいスキー旅行

あなたに誘われて
喜んでついて行ったスキー旅行

でもグループの中にあなたとお揃いのウェアの子がいたわ

グループのみんなは
その子があなたの彼女だと思っているみたい。

とても孤独なスキー旅行

私のウェアは流行遅れのスタイルで
お化粧を頑張っても勝てない気がした

どうして私を誘ったの?
彼女をみせて諦めさせるためだったの?

悲しいほどに
白い山肌と青い空
涙をこらえて過ごした遠いあの日

ひとりぼっちで滑るスキーは悲しくて
なんで生きているんだろうと思ったあの日

涙に暮れていたあの頃

ラブソングは長い間聴けなかった。
全て彼と彼女の歌に聴こえて。

粉々に砕け散った心を拾い集めて
希望を胸に抱けるようになるまで

二人の幸せを祈ることなんて
できるはずもないと思っていたのに

今は祈れるようになったのよ
時が優しく過ぎ去って

気がついたら私の心は元に戻っていたの



あー恥ずかし。
まぁ、そんなこんなで、自分を傷つけた人を反面教師として、自分は人に優しく生きればいいのです。

あの時、父から反面教師の話を聞いておいて、良かったなと思います。



2018/07/06

メモしないとダメダメ

用事をしていると、ブログに書きたいことを思い付く。

「あ、この話書きたい。」と思いつつ用事をしているうちに忘れてしまう。

また別の日に、「そうそう、あの話を書きたかったんだった。」と思いつつ、また後回しにしているうちに忘れてしまう。

ヤバイ。
メモが無いと何も書けないなんて。

本当は、違うことを思いついて書きたかったのに、メモをしなかったので忘れてしまい、これを書いている始末。

思いつきというものは、風のようなもので、ス〜っと通り抜けて行ってしまう。

若いうちは記憶の網が細かくて、後回しでも良かったのに、歳をとると網が荒いこと荒いこと。

とりあえず戒めを込めて、ここに記しておこうと思います。

2018/06/28

完全室内飼いの猫と同じなんです

この前、生まれて初めて私は、自分で買ったチケットで、 JBJのケンタとサンギュン のファンミーティングに行ってきました。

地下鉄は天王寺で谷町線に乗り換えて行くのですが、その連絡通路が長い…

若い頃、へっちゃらで何度も歩いたことのある連絡通路が、まるで望遠鏡を逆にのぞいたみたいに遠いんです。

階段も、空恐ろしく高く遠く感じて、無事に到着できるのか不安に思いつつ、何とかたどり着いた次第です。

普段、自転車で5分の家と職場を往復する毎日、チェリー犬が亡くなってからは散歩も行かなくなり、猫とテレビばかり観ている私。外出するときは、すぐ車に乗って行ってしまう。

そうしたら、道中、「私って完全室内飼いの猫とおんなじやわ。」と思い至る次第。

猫よりもゆるい枠ではありますが、見えない枠の中で、枠から出ないように生きていたんですよね。

完全室内飼いの猫が迷子になって野良猫として生きるのは、とてつもない苦労なのだなぁと、思いながら帰宅しました。

もしもダンナがいなくなったら、私は迷子になった猫と同じことになるんだろうな、そう思いました。

それで、翌日、買い物ついでに、柄にもなくダンナに夏用のシャツを買って帰りました。

いや、有難や有難や。
JBJのケンタケンタ言うてられるのも、ダンナのお陰です。

もしも、迷子の猫をみつけたら保護してくれる優しい人が増えますように。もしも困っている人をみつけたら、助けてくれる優しい人が増えますように。

2018/06/13

物語性とインパクト

人間が関連する、この世の全ての物事は、「物語性とインパクト」が揃うと爆発的に広がっていくんだなと、この歳になって気がつきました。

宗教も、芸能界も、企業も、何もかも全て、「物語性とインパクト」が揃うと、人々に受け入れられてヒットする。

作り手側は、そういうことを知っていて、それを狙うために、最近は「炎上商法」というものもあるとか。

でもただの炎上商法は、「話題性」はあるのですが、「物語性」はないので、小さいヒットしかしないのです。

例えばキリスト教だと、聖書という物語と、宗祖が磔で処刑というインパクトが揃っています。

そんなことを思いついたのも、JBJのお陰なんです。

韓国の期間限定アイドルグループのJBJは、プロデュース101という番組で上位に入れなかった子達についたファンの、仮想アイドルグループとしてSNS上でできてきたグループでした。

その中の髙田健太君は、嫌韓反日がひどい時期に単身韓国に渡っていったという逸話だけでも日本のKpopファンには物語性がありました。

そして、想像上のグループを現実化させた大人達がいました。ここで話題性も付いてきました。

そして、メンバー達の普段の姿とステージに立った時の姿にギャップが大きくて、これはインパクトがありました。

「物語性とインパクト」これが揃って初めて、人間の世界で広がっていく。

話題性とインパクトではダメ。

まぁ、お金儲けが絡んだら、全てのことはショボいですし、嘘物語はバレるので、本当の物語とインパクトが偶然に合致した時に、人々に伝播するスピードが爆発的になるんです。

知って何になるかと言われてもアレなんですが、偽物に惑わされないようになったりするかもしれません。

金儲けのための作り話の嘘物語は、「命軽視」であることを、世界一のクリスマスツリーの騒ぎで知ったので、そういうところに気をつけたら良いのかなと思います。

2018/06/04

新しい気づき

最近は解散したはずのJBJにすっかりうつつを抜かしている私です。

以前は、「そういうことにうつつを抜かす暇なんかないよ!人類の文明が崩壊しそうなのに!」と、思っていた私です。

色々と、芸能界のことなどを知りつつあるうちに、結局は「お金のシステム」に雁字搦め(がんじがらめ)
になっていることがわかって、「あーやっぱりなー。」と、感慨深い今日この頃です。

アイドル歌手としてデビューするには初期費用がかかり、途中でやめたくても初期費用の返還を求められたりして、簡単に足抜けできなかったり、売れたら売れたで、初期費用を口実に安月給で働かせられたり、何かと苦労が多いということもわかりました。

そして、ファンは好きなアイドルに苦労をさせまいとして、色々と散財することもわかりました。

なるほど、ここにも集金システムが出来上がってたんですね。

それでも、歌や踊りや創作物で人を楽しませるのだから、生き方としては「すごくマシ」だと、私は思います。

ファンが、好きなアイドルに依存するあまり、破産するとか、そういうことはファンの自己責任だと思うので、節度を持って楽しめばいいんだなと思います。

芸術が好きで、それで生きていくのに、「売れるか売れないか」を考えないといけないことは、残念な世界です。

好きなことを思い切りやって生きるアイドルを、お金の心配をしないで思い切り愛でる、そんな世界になればいいなと思います。

さて、私のKポ沼はいつまで続くのやら。




2018/05/31

豚小屋に住んで働くのがイヤ

私は猫をたくさん飼っているから、家の中を掃除するのがライフワークになってしまっているんです。

猫がいるだけで劣化が早いのに、掃除をサボると、まだまだローンが残っている家が、廃屋になりそうなんです。

それで、多分普通の人の10倍くらい、家のために動き回っていると思うのですが、猫23匹を飼うということは、餌代もバカにならないので、私もダンナの仕事の手伝いを半日くらい手伝ってます。(半分は猫助け)

ただ、猫の世話があるので午後からしか手伝えず、「午前の診察に出向く=猫を放ったらかしにする」の図式になるし、また前みたいにストレスから色んな不定愁訴が始まるのが怖くて、二の足を踏んでます。

猫の毛を梳いてあげられなくて、カチカチの毛玉をつけていることにも気がつかなかった、10年前には戻りたくないんです。

飼い主様方、人手不足でお待たせして、申し訳ありません。🙇‍♂️

とまぁ、自分の事情はさておき、最近、家庭を持つ女性が働きに出ることが多いですよね。

家の中、どうなってるんだろうかと思います。

お金が無いと何も買えないので、家の中は散らからないのですが、なまじっかお金があると、ストレス発散で買ってしまうし、時間があればできることも、仕事に行っていると時間がなくてできないので、お金で解決してしまうようになる。その結果は、物がギュウギュウに詰まった家の出来上がり…

豚小屋なんて言ったら豚さんが可哀想なんですが、だいたいジャンクフードを食べてたりするから、住人もスタイル良くはないですし。

韓流ドラマなんか観ていると、お金持ちの家は片付いていて、ゴチャゴチャしたものもなくスッキリしているのに、貧乏人の家は物でいっぱい、散らかり放題の描写になっていることが多いんです。

貧乏人は共働きで、家事をまともにやっていないから散らかっていて、ストレス発散のために、すぐに無駄遣いをするというイメージがあるのでしょうか。

家事が嫌いで、外に出るのが好きな人にはウーマンリブ運動って言うんですか、それは打って付けだと思うんですが、家を綺麗にして猫とまったりするのが人生の至上命題である私にはですね、外で働くの嫌なんですよね、実は。

私は割と何をさせられても75点の女なので、ダンナは助かっていると思うし、もっと利用してやろうと思っているかもしれないですが、ドラキュラよ、これ以上は血を吸わせられませんよ、無理ですわ。

と、こっそり言っとこ…

まぁ、横道にそれてしまいましたが、専業主婦って、昔は普通にいたのに今はいなくなりましたね。子供の教育も人任せになって、日本は何処へ向かっているのでしょう。



2018/05/19

人々を楽しませて生きる

お金のために、惑星をも破壊しつつあるこの世界において、せめてマシな生き方は無いものかと考えるのですけど、漫画家とか歌手とか、自分の特技で人々を笑わせたり癒したりして生きるのが、マシかなぁと思っています。

それも突き詰めると、結局はお金のために突き進む道しか用意されていないのが現状なんですが…

自分は楽しい歌やダンスや創造物(作品など)を提供するので、直接手は汚れませんが、その作品を買うために、ファンはお金を稼がないといけないわけで、そのためには多少の環境破壊や大量消費は仕方ないことになるのですよね。

お金のために、どうしてこんなに雁字搦めになって惑星を破壊し続けないといけないのか、私には理解できないです。アホですか?(宇宙人の魂発動)

人間って地球にとったらガン細胞ですね。でも、これは、お金の縛りのない世界になれば、地球にとってなくてはならない免疫細胞にもなり得るのではないかと、私は思います。

好きなことを思いっきり楽しんで楽しませて、そんな生き方が普通になる日は来るのでしょうか。来てほしいです。

2018/04/30

誰にでもある若かりし頃

この前、押入れをゴソゴソしていたら、若い時の写真が出てきました。

キラキラとしたオーラを放って、「青春!」って感じ。

そういえば、母の遺品を整理していたら、母の水着写真が出てきて、「昔、私はモテモテやった。」と言っていたのが真実だったかもと思ったりしました。

若い頃は、自分が年老いていくなんて想像がつかなかったけど、母が老いていくのを目の当たりにしたし、自分も近所の子から「おばあちゃん」呼ばわりされるようになって、老いというものを嫌でも感じていて、「死ぬまでには猫がいないようにしておかなくては。」などと、思うようになりました。

その辺を歩いているヨボヨボのおじいさんやおばあさんにも、若くて輝いていた時があり、ヨボヨボの体の中には、実は、若い時のままの柔らかい心が息づいているんだと、今の私は思えるようになりました。(だってJBJとかTWICEとか言ってる私)

それは、猫のお陰でもあります。

猫が、どんなに歳を取っても撫でてほしいと思っている、そんな様子をみていると、人間も、強がってはいても、実は、頑張っていること、耐えていること、病気で苦しいことなど、褒めたり慰めたりしてほしいものなのだなと、思うのです。

それで、宗教があるのかもしれません。誰にも言えないことや褒めてもらえないこと、慰めてもらえないことを、神様や仏様に話しかけたりするために。

年老いた猫に優しくするみたいに、年老いた人にも優しくしてあげたいと思うようになった最近の私です。

若い頃、小さなことにクヨクヨしたりして、損したなと思います。もっとやりたいことを思いっきりやれば良かった。私は大人達の忠告に従順だったので、ちょっと後悔しています。

学校の先生になんかならずに、歌手になればよかった。

だから、息子がみる夢を応援してしまうのかもしれません。





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