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2019年3月

2019/03/22

殺し屋ミッチョン

昔、人から預かったミポリンが生んだ子でミッチョンという猫がいました。

職場に毎年15匹くらいずつ仔猫が捨てられて、里親に出せなかった猫が家に溢れかえる環境で、神経質なミッチョンは、だんだんと下痢の症状が出てきて、食べても食べても治らないということになりました。

検査をしても原因がわからなくて、当時は良いフードも無くて、ミッチョンはだんだんとやせ細っていってました。

そんなある日、腎不全で明日をもしれぬビーナスという猫が、大きなうめき声を出すので見に行くと、ミッチョンがビーナスの喉元に噛みついていて、ビーナスは息も絶え絶えになっていたのでした。

ビーナスはそのまま死んでしまいました。

事を終えたミッチョンが、何やら目をギラギラさせて息も荒く、大興奮の様子でしたが、その後3日間くらい、下痢が治ったのです。

フードを食べても栄養が吸収されて楽になった様子でした。

興奮して交感神経が刺激され、副腎皮質ホルモンが出ると症状が緩和されることから、ミッチョンは自己免疫が腸を攻撃して起こる腸炎なのだと思うようになりましたが、ステロイドを投与しても症状は治りませんでした。

そのうちミッチョンは、高齢だったり病気で寝ている猫の口の匂いを嗅いで回るようになりました。まるで、次の獲物を探しているみたいでした。

その様子から、ミッチョンは「殺し屋ミッチョン」というあだ名がついてしまいました。

話変わりますが、先日、狩ガール議員がフェイスブックで狩った熊を逆さ吊りにした横で白目をむいて、「オイニー大興奮!」とかいうハッシュタグとともに掲載していたということで、炎上していました。

オイニーとは、美味しい匂いということらしいのですが、彼女をみてミッチョンを思い出しました。

命を育むはずの女性が、オイニー大興奮するのは、もしかしてミッチョンのように大興奮した後に何か病気が一時治って楽になるからではないかと

ミッチョンは、結局、何をしても何を食べてもダメで、やせ細って死んでいきました。まだ若かったから、自分がなぜこんなに動けないのかわからないという顔で死んでいきました。

生まれ変わったら、こんな病気にならないで、健康に幸せに生きていってほしいです。

2019/03/15

父とジジ

ジジは、まだ若い真っ黒なパグ犬で、父と暮らす義妹の知り合いが、犬を飼うのが初めてで慣れることができず、ギブアップになったのを引き取った子です。

「犬のことなら任しとけ」とばかりに夫婦で引き取って世話をしているのですが、来てすぐに懐いて、躾も行き届き、父は溺愛しているのです。

80歳にもなって、やっと「犬は裏切らない」ということに気がついて、内心私は「遅!」と心の中で思ってたんですが…

毎朝、まだ暗いうちから起きて、ジジの散歩のついでにラジオ体操をしていました。

少し前に心筋梗塞になり、ステントで生きながらえて退院してから、肉好きだったのが急に食べるのをやめたようで、お正月に会ったらベジタリアンみたいになっていて、ビックリしました。

ジジのために長生きしたいというのです。

それが、最近、呼吸に変な音が混じるようになり、ヒューヒュー苦しくなってきたので大学病院で検査入院したんですよね。

それでお見舞いに行ったら、ジジと会えないのをとても残念がっていて、代わりに散歩に行ってくれている義母から、「散歩中にジジがお父さんを探してるねん。」などという話を聞いて、「ジジに会いたい会いたい」と言ってました。

父はまだ幸せです。
高齢でも後見人が何人もいて、ジジの里親になることもできました。

独り暮らしで、最後のペットを見送った高齢者は、どんなに寂しいことかと思います。

そんな高齢者たちが、ボランティアに参加できる保護施設があちこちにあればいいなと思います。

父は、とりあえず息ができるように処置してもらったので、退院したらまたジジと散歩するのかな?できたらいいな。

御射鹿池の話

癒し画像を求めてYouTubeを彷徨っていたら、ステキな八ヶ岳山嶺の景色がたくさん入っているチャンネルを見つけました。

ボケーっとみていると、頭の中に悟りめいたヒラメキがですね、パーっと出てきたんです。

初秋〜錦秋の御射鹿池

冬 御射鹿池 霧氷&けあらし&ダイヤモンドダスト

それは何かと言うと、心って深い森の奥の池みたいだなということなんです。

私たち人間の心は、森自身ではなくて、森を写す鏡のような池で、この池を、さざ波を立てずにあるがままの森を写すか、さざ波を立てて見えなくするか、私たち自身の心の持ち方によるんじゃないかと。

昔から「明鏡止水の如し」とか言いますけど、正に、それを教えてくれる画像が、この御射鹿池の映像なんですよね。

何かに惑わされたり、緊張してパニックになって、心の池にさざ波が立ったら、八ヶ岳の森の奥の池を思い出して、心を鎮めたらいいなと思います。

だけど、なんで御射鹿池っていう字なんでしょう。猟師がつけたのかな?御釈迦っていう字がわからなくて?

と、早速、私の心はさざ波のようになってます。

「こんな綺麗な池のほとりで鹿を殺さないでね…」と千々に乱れてしまいますわ。

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