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2017年5月

2017/05/26

ミポリンとチュンリー

ミポリンは、生命力が強いというか、「生き力」があるというか、要領も良くて素早くて頭が良い猫です。

仔猫時代はさぞかし可愛らしかったと思われるキジ白ハチワレで、パッチリとした深い森の奥の湖のような緑色の目をしていて、その瞳でじっと見つめてくるのです。

猫様のトイレの掃除をしていると、側に来て、「ファンファーン」というような声で呼びます。

チュンリーは、三毛美という三毛猫から生まれたキジ白ハチワレで、お父さんがヨモギちゃんというチンチラゴールデンです。

ヨモギちゃんはペットショップの種猫で、元は「ダンナ」と呼ばれていたらしいけれど、引退して里親さんにもらわれていくことになり、去勢するまで一晩うちで預かった時に、まだ5ヶ月だった三毛美に素早く種を植えていったのでした。(さすがはダンナと呼ばれるだけあって素早かったなぁ)

三毛美は、自分が育てられたように、何故だか仔猫たちを押入れのスノコの隅に一直線に並べて隠していて、ユニークな育て方に笑ったことでした。きっと野良猫のお母さんが、三毛美たち仔猫を土管とか側溝に並べて隠していたのでしょう。

チュンリーはお父さんに似て、少し毛がフワフワで、目もパッチリ、声は可愛らしいおっとりした猫なのです。

ミポリンとチュンリーはどちらも1999年生まれで、今18歳。

うちは、缶詰タイムがあって、猫缶を小皿に取り分けて、年寄り組に配るのだけど、ミポリンの素早いことといったらこの上なくて、自分の分は残したまま、チュンリーの分を横取りするのです。

ミポリンのお皿を素早くチュンリーの前に置き換えて、「早くパクパクッと食べなさい。」と見張るのが私の役目になっています。

この可愛らしい2匹の猫が後どれくらい生きられるのかわかりませんが、自分の年を考えて、若い猫は家に入れないと決めているから、1日でも一緒に暮らせますようにと、思っています。

母が亡くなってから、自分の年と母の亡くなった年を勘案したら、あと23年しかありません。

毎日、生きるために忙しく働いているうちに、あっという間にその日が来そうで、残された日々を大切に、猫たちを慈しんで生きたいと思っています。





2017/05/23

音信不通になったボランティアさんのこと

今から14年くらい前になるでしょうか、うちに来ていた犬のボランティアさんが、事故にあって意識不明になったという話を人伝に聞きました。

その方は神戸の震災の時に犬のボランティアに目覚めて、その後、あるボランティア団体に手伝いに行き始め、そこで里親がつかなかった犬を自宅に連れて帰るということをやっていました。

私が知っている頭数で、25匹。

マンションで犬25匹は、とてつもない数に思えました。

そうこうするうちに、マンションの住民から苦情が出て、田舎の方に引っ越すことになったようでした。

遠いのに、時々、ノミの薬を買いに来たりしていたので、「今は何匹ですか?」と聞き、その度に増えていて、「一人でお世話できないでしょう?」と、とても心配していたのでした。

最後にこられた時は、服もボロボロで、自分の身の回りのこともできていない様子で、本当に心配でした。

まもなく事故の知らせを聞いて、真っ先に「犬はどうなってしまうのだろう?」と思ったことでした。

当時、私は建坪12坪の家に猫にまみれて住んでいたので、引き取りを申し出ることもできないし、ただ指をくわえているだけでした。

案の定、犬は10匹ほどが助かって、残りはほぼ安楽死となりました。(全部で60匹はいたかもしれない。)

何が言いたいかというと、需要と供給のバランスが取れていない現状で、ただ引き取って助けて命だけ助かってもダメだということが一つです。

ペットショップやブリーダーがどんどん増やして売る。それを買いに行く人がいる。買った犬を避妊去勢しない人がいて、また増える。飼えなくなったら保健所に出す。それが可哀想だからと引き取る人がいても、それには限度があるのです。

原因となっている、供給過剰をやめさせない限り続くイタチごっこに人生を捧げるのは、無謀すぎると思うのです。

そもそも、なんでペットショップは無くならないのでしょう。それは買う人がいるからです。けれど、テレビでは、純血腫の可愛い犬の映像が流れていて、それを何十万円も出して買うのがステータスでオシャレ。

オシャレのために買うのだから、洋服と同じ感覚で飽きてしまう人もいるし、可愛がっていても、飼い主が病気になったりすることもあって、行き場のない犬や猫の話は後を絶たないのです。

そんな行き場のない犬猫を助けるのに、お金で解決しようとする人がいますけど、良心的なところで安楽死、下手をすると里親探しもしないで闇から闇に売られていく可能性が、年々増えていっている気がします。

音信不通になった、その方は、京都の伝統的なものを作る職人というかデザイナーだったようです。
そんな肩書きを捨ててまで、どうして犬まみれになってしまったのだろうと、この世の理不尽に胸が痛みます。

あの人は今、この世にいるだろうか?生きていたら70歳くらいになっているかもしれない。意識不明のまま、亡くなったのだろうか?安楽死になった犬たちと一緒に天国で遊んでいるのだろうか?
消息不明の音信不通なので、わかりません。

たまに思い出して、胸がキュッとなります。

新聞記事を載せてくれていたHP(いやしのつえ)をみつけました。参考までに。



2017/05/19

「グレたろか!」と思ったら

前にも書いたかもしれないけど、トシのせいで忘れてまた書きます。

子供でも冷静に判断できたら非行に走らない

親が不甲斐なくて、頼りない、もしくは自分勝手で、ちっとも子供の心を察してくれない。

そう感じた時、「グレたろかー!」と、中学生くらいだったら思うかもしれません。

私も一瞬思ったことがありました。

「自分をわかってもらいたくてグレる。」というのは、成功率が低いので、やめておいた方が良い、というのが私の結論です。

身勝手な大人に、何をやったところでわかってもらえないし、反省もしてくれないし、自分が傷だらけになる確率大です。

私は異様に冷めた中学生だったようで、感情に任せてグレても損だから、とりあえず勉強したり本を読んで、「自分を磨いとこ。」と思ったのでした。

一度イジメられかけたことがあり、グレるとなると、自分をいじめようとしたグループに入らないといけなくなるというのも、グレるのをやめた理由だなと思います。

イジメられそうになって良かった。

当時は恐くて悲しい経験も、40年経ったら、良かったと思うなんて、人生って面白いものだなと思います。

グレるより、猫と遊ぶ方が楽しかったし、やはり猫は私の守護神かもしれないな、とかなんとか。(そこまで言うか!)

まぁ、とにかく、グレるよりも、本を読んで、猫と遊んどいて良かったなと、私は思います。

逆に親の立場で、子供がグレだして心配な時は、自分の在り方を少し反省することもあるのです。

もしも心当たりがあるのなら、直す努力をして背中を見せるのも大切かと思います。毒親という言葉もあるようですし、子供が変だ変だと思っていたら、原因は自分だった…みたいなことも多々あるようです。

これからグレようか迷ってる人がいたら、このブログを先に読んでからにしてほしい、私です。

2017/05/17

前世が西太后だと思って得すること

気に入らない政治家などがいた場合に、「西太后が前世」だと思えば許せる気持ちになるのが不思議です。

西太后は、負ければ賊軍で、後世では悪い悪い女支配者ということになってますが、本当は動物好きの私みたいな人だったと思っています。

西太后だって、やりたくて部下のお仕置きなんかしていたわけではなくて、そうしないと統制が取れなかったからだと思うのです。

今、人を騙すようなアコギな商売をやっている人も、美しい国とか言いながら戦勝国の言いなりになっている政治家も、何となく波に乗っていたらそうなってしまって、自分ではどうすることもできないと考えたら、「まぁ、可哀想に。前世の私みたいやわ。」と許せてしまうから不思議です。

「猫の世話が大変やわ、しんどいしんどい。」と嘆いてみますが、もしかして前世では、「動物の世話を人任せにしないで全部自分でやりますから、今度生まれ変わる時はフツーの一般ピープルに生まれ変わらせてください。」と祈っていたかもしれません。というか、祈っていたような気がします。

まぁ、こんな空想をすることで、許せない人も許せてしまうのであれば、それもアリかなと思います。

2017/05/15

お金って悪魔の発明だと思います

何度か、ブログで嘆いたこともあると思いますが…

この世の中で、どんな美しい心根から発した行いも、継続するためにお金が必要で、それを得るために、「美しい心根」から「輝き」は消えていき、だんだんと白からグレーになって、しまいには真っ黒になってしまう…

お金だけが原因ではなくて、そこに、「もっと〜したい。」という欲が入り込むと、そうなる確率が高いのです。

「もっと〜したい」と思ったら、それがどんなに良いことであってもお金が必要で、お金がないと回らない世の中なので、お金を得るために、嘘をついたりするようになってしまう。

まわりを見渡して当てはめてみると、全部と言っていいほど、そういう仕組みにガッチリはまっているのです。

人道的な活動も、手を広げるとお金がたくさん必要になっていく。お金を得るために、募金を集めるようになって、助けたいという気持ちが強いほど、集めるための嘘が大きくなっていく。

心根が美しい人たちが始めたことに、善意のお金が集まるのをみて、貧困ビジネスやら動物愛護ビジネスやら、何でもかんでもビジネスになってしまう仕組みなんです。

つい最近では、宗教法人を隠れ蓑にして、建築で出てくる残土を、河内長野市の山の中に捨てていたというのをニュース番組でみました。

法人格における「寄付」とか「お布施」は徴税の対象にならないから、濡れ手で粟のウハウハだとかなんとか。

動物愛護の世界にもそんな悪い人が出てきたみたいで、困っている人を助けているふりをして寄付を募り、濡れ手で粟のウハウハをやっているらしいとかいう噂も聞きました。

まとめると、欲を出すとお金が必要になるシステムが発動して、心根が美しいものだとしても、汚れていく。

自分にできることは、欲を出さないで、できる範囲でコツコツとやっていくことであり、私に関して言えば、動物病院を大きくしない、猫の数を増やさない、家の前の植木鉢も増やさない、そして、限りなく白に近いシルバーグレーを目指すといったところじゃないかと思います。

白から黒に至るグラデーションのどの辺りに自分がいるか自問しながら、大人しく生きていきたいです。


2017/05/03

始まりは風邪

猫の慢性的な病気の多くが、風邪か細菌の感染症の後で起こっている気がします。

特に慢性腎不全、糖尿病、甲状腺機能障害(亢進症、低下症)。

この三つは、三大細菌感染後発症病と名付けても良いくらいだと私は思っています。

「風邪は万病の元」と昔の人は言ったらしいですが、これ、本当だなと、猫を見ていて思います。

猫はストレスに滅法弱くて、環境の変化が一番大変そうです。「猫は家につく」と祖母が言ってましたが、それは、環境の変化を嫌うからだと思います。

ストレスと、風邪またはケガによる細菌感染をダブルで受けると、猫は上記の自己免疫が関わっていそうな三大疾病や、自己免疫の不調からくる口内炎を発症しやすいと、私の猫歴史が語っています。

メス猫は喧嘩をしないので風邪が多く、オス猫は喧嘩をするのでケガから免疫の異常が起こってくる確率が高いようです。

人間も、風邪引いた後にリウマチになったとか、エリテマトーデスになったとか聞きますが、私の、「乾癬じゃないか」と思っている案件は、やはり高熱を出した後に起こったような気がします。

2011年の5月に高熱が出て、背中に赤い皮疹が出てました。近所の町医者は「りんご病かなー。」というくらいで、抗生剤も効かない上に下痢をしてしまうので、使えなくて、諦めて寝ていた、あの高熱。

今思えば、子供の頃に罹った川崎病と似ていたかもしれません。
熱と共に、皮疹、後頭部の顔面神経の出てくる辺りの激痛、それが終わると全身の関節が痛んで歩けない、などなど。

こんな時にも猫たちの世話と犬の散歩をしていた私は、偉かったなぁ…自分にご褒美をあげないと。

今、たまに乾癬かもしれないと思う症状はあっても、怒りを鎮めると引っ込んでくれているので、このままそっと死ぬまで寛解状態でありますように。

とにかく、細菌感染からくる高熱には気をつけないといけないということ。

けれど、やみくもに熱冷ましの薬を使うと、ウイルスが跋扈して、ウイルス性の髄膜炎になったりするので、そこが難しいところです。

人間も猫も、「風邪=万病の元」という気持ちで、普段から不摂生をしないように気をつければ良いという話でした。

(ちなみに今の私は不摂生の権化みたいな生活…)

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