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2016/08/28

うなぎの呪い

子供の頃、私は目玉のついているものが食べられませんでした。

だから、うなぎの蒲焼なんかは、とても気持ちの悪い食べ物でした。

それでも食べないと大きくなれないということで、身をタレにタップリとつけてベタベタにして濃い味にして、少しずつ、ご飯と一緒に食べていました。ほとんどタレで食べる感じです。

もちろんうなぎの皮は、蛇の皮みたいで食べられるわけもなく、残していたのです。(箸をつけずに最初に取り除いて分けていた)

それをもったいないと思った祖母が、食いしん坊の妹に、その残った皮を食べるかと聞いたら、食べると言うので、私のうなぎの皮は妹が食べることが恒例になっていたのです。

うなぎは、頭と胴体が妹で、尻尾が私の食べるところでした。

量的に私の分が少なすぎると思ったのか、一度、祖母が妹の胴体部分の身を、一つ私に分けてあげるようにと、妹に言ったことがあり、妹は渋々私に身をくれたことがありましたが、妹の記憶では、ずっと自分は皮しか食べさせてもらえず、身は私が全部取って行ってたということになっているのです。

当時の映像が残っていれば良いのですが、残っているわけもなく、私がいくら否定しても、妹は自分の言い分を通すのです。

私の友人たちに、言いふらしたりして、私は無実の罪で捉えられた人みたいな気分です。

でも、つい最近、妹の記憶は捏造だと思う事件がありました。

2年前に亡くなった母の命日を、記憶があやふやな妹から私に確認のメッセージが来たのです。(だいたい親の命日を忘れるか?ということは置いといて)

私は正しい日にちを返信したのですが、妹は間違えたまま、お寺で塔婆を立てて帰ったという恥ずかしいことがあって、その原因が私のせいになっているような不思議なメッセージが後日届きました。

私が間違った日を教えたせいで、塔婆の命日を間違えたという内容でした。

「おかしいなぁ、確か、訂正してあげたはずなのに…」と思って、メッセージの内容を過去に遡ると、私の無実が証明されました。

今回は、証拠が残っていて助かりました。

今後は妹とやりとりするときは、電話とかではなくて、証拠が残るものにしとかないと、いつまた罪人に仕立て上げられるかわからないな、そんなことを思う今日この頃です。

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