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2016/04/08

みどりばあちゃんの思い出

富山に住んでいた時に、80歳のおばあちゃんと同居していました。

「みどりばあちゃん」と、ひ孫たちから呼ばれていました。

彼女は若くして夫を亡くしました。家を守るために、夫の弟と再婚するという、今では考えられないような経験をしてきた人です。

弟であった、おじいちゃんも、私は少し一緒に過ごしたことがあって、過去を振り返りながら、話をしてくれたことがあります。
当時住んでいた北海道に好きな人がいて、結婚を申し込もうとしていたところに、急に実家に戻って兄の嫁と結婚するように言われて、仕方なく諦めて帰ってきたというようなことを言っていました。

そんな経過だから、最初から恋人気分で打ち解ける事もなかったかもしれないと、想像します。

みどりばあちゃんは、その後、商売に情熱を注ぎ、使用人の女の子に嫁入り道具をもたせて店を卒業させてあげたりして、情のある生き方をしたらしいです。

そのみどりばあちゃんが言っていたのですが、商売のコツを私に、たまに教えてくれることがありました。

曰く、「苦手だと思う相手には、さらに親切丁寧にすること。こちらが苦手だと思う相手は、向こうも苦手だと思っている。」
「商売をしていて値引きをせがまれることがあるけれど、ある一線を決めておいて、それ以下には絶対にしないこと。取引が決別したとしても、それは仕方がない。自分を投げ打って相手のいいなりになる事は、商売人が一番してはいけないこと。後で禍根を残すから。」
「相手に喜んでもらって自分も生かしてもらうのが、商売。」

そんなことを教えてくれました。

今、みどりばあちゃんの商売を、私が引き継いでいないことは心苦しいのですが、みどりばあちゃんの心は引き継いでいこうと思って頑張っています。

私は、明治大正のおばあちゃん二人に、色んなことを教わって、生き方もみられて幸せです。

昭和の最後の年に生まれた息子にも、折に触れて彼女たちの思い出話をしています。
少しでも、受け継がれていくように…

みどりばあちゃんは、マロンという老犬をとても可愛がっていました。
毎日マロンのごはんを手作りするのが生き甲斐でした。
旅行の時に、私が作り方を習って代理で作りました。
鍋に水を少しとキャベツの千切りを入れて、その上にごはんをのせて、その上に赤身の牛肉をのせて、フタをして弱火で鍋底がパチパチ音がするまで火にかける…
若かったから、今でも覚えています。

縁側で庭をみながら、何となく寂しそうにマロンと並んで座っている後ろ姿が、今でも思い出されます。

みどりばあちゃんが亡くなった時、マロンはお通夜の間、ずっとそばにいたようでした。
そして、しばらくしてマロンも亡くなりました。

今頃、天国で、みどりばあちゃんとマロンは、仲良く下界を見守っているのかな?

子孫たちが頑張って、心意気を継いでいけますように。

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コメント

私の母は明治生まれだったので、けっこう昔の事を教えられていたので、良く「私の年齢はごまかしている」って言われてましたわ。母はけっこうなんでも物知りだったんですよ。
でも、考え方はモダンガールでした。料理をしていても、縫物をしていても教えて貰った事がちょくちょく浮かんできて役に立っています。時代劇は生き字引でしたから一緒にTVを見て居たら良く解説して貰ってました。今では聞けなくなって寂しいですわ。
昔の方は自然に生きる・・・・って事を会得していたように思います。

めいぴーさん

そうですね、明治大正の人たちは、おばあちゃんの知恵みたいな知識がたくさんありました。

私自身の祖母も、道端で、食べられる野草を教えてくれたりしました。
特に、あの時代の人たちは情に厚かったですね。
本当に明治大正の人たちと触れ合えて、良かったと思います。

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