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2016/02/16

言葉で表現しようとすると毒になる

人間って、自分の話は聞いてもらいたいけれど、他人の話は毒だと思っていたりするのかな?心の奥深くで。

若い時は、何も考えずに、人の愚痴も聞いたし、自分の愚痴も言ったりしていたけれど、この年になってくると、愚痴って毒かもしれないと思うようになってきました。

愚痴だけではなくて、話をする、そのこと自体が毒なのではないかと思えるのですよね。

テレパシーで、心の中をそのまま伝えられたら、毒にはならないのだと思います。「言葉の制約」の中で、思っていることを表現しようとすると、何とは無しに毒が混じるような気がする、今日この頃です。

そんなことを思うのは、ダンナや息子は、私に話を聞いてもらいたがりますが、「それでは次、私の番だから。」と思って話し出すと、ダンナは右の耳から左の耳で、息子は「アカン、毒入ってくるからやめて。」みたいなことになるので、言いたいことが伝わらず、たまに「今日は聞いてくれるなぁー。」と思っていたら、何か買って欲しいものがあったり、私の機嫌を取らないといけない事情のある時なんですよね。

色んな場面で、他の人たちとも、間を取り持とうとして気を使って話をする時もあるけれど、それが毒になるのであれば、そんなことはしないほうがいいなぁ…

うちの家族たちは特別デリケートで、少しの毒も感知するから、 私も毒を感知するようになって、「あ、今、毒が出たかも。」と止めるようになりました。

こんな風にして、だんだんと人はものを言わなくなり、年老いて仏さんに近づくのだろうか?そういえば、祖母が死ぬ前も、母が死ぬ前も、無口になってたよねぇ。疲れたり、病気のせいかと思っていたけど?

みんな自分のことを他の人にわかってもらいたいと思っている。
わかってもらいたいけれど、意見されるのは嫌だと思っている。
ただ聞いてくれる相手がいい。

ただ、聞いてくれる相手とは、つまりカウンセラーのような相手を、人は求めているのかもしれない。

それで人々は、ものを言わない仏像や十字架のイエス様に話しかけるのでしょうか?

「会話って、めんどくさいなぁ。テレパシーがあったら、どんなに楽かな。」と、最近そんなことを考えています。

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