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2015/10/18

私の宗教観

私の宗教観ってどんなだろう?
はっきり言って、宗教を信じていないんじゃないかな?
子供の頃から今までに、自分が住んだ家には4つの宗派の仏壇がありました。
何となく、言われた通りに手を合わせたりしましたが、あまり意味がわからなかったのです。

例えば、直系の家族たちは供えたりしないお水やご飯を、先祖の顔も知らない嫁が供えたりしますが、私もそうでした。

手を合わせながら、無理にご先祖様のことを想像しようとしても、ご先祖様が成仏できていないようでもあるし、「何だかなぁ〜」の気分が否めないという、複雑な感じがつきまとうのでした。
離婚して再婚したら、宗派が変わってるし、母の葬儀の時なんて、母の実家の宗派のお坊さんに来てもらったし、その他いろいろ、「宗教ってなんなんやろな?」と思う私。

そうそう、幼稚園はキリスト教だった。在園中は、木琴泥棒にされそうになったり、小学生になってから、その幼稚園でやっていたピアノ教室で、先生が私の作った曲を友達に教えて、それがNHKで流れて、子供の作ったものを盗作するとか、まあ、宗教に関してロクな思い出がないのです。

私はスピ系な人に思われていそうだけど、この地球上で、もしも神と言える存在があるとすれば、太陽くらいしか思いつかないです。

だから、自分が死ぬまでに、家にある仏壇を片付けたくて仕方がないのです。

なんて罰当たりな人なんだろうと思われるかもしれないけれど、私が死んだ後に、「毎日お供えをしないと母親が成仏できない」と、死んでから息子を縛りつけたくないのです。

それこそ千の風になって、散歩の時などに息子の頬に爽やかに感じてもらいたいのです。

お墓もいらないと思います。山肌を削ってお墓を作ったりしていますが、山は山のままで残してあげてほしいです。

よく韓流ドラマで、景色のいいところで、お骨を撒いてますが、日本でもあれをやらせてくれたらいいのになと思います。
最近ではあちらでもロッカーみたいなお骨置き場?そんな感じの納骨ビルみたいなのがあるようですが…
私は撒く方が好きです。
お金儲けが基本の世の中だと、死んでからでも遺族からお金を集めるシステムとしか思えない私。

人間の宗教の神様の存在を強く感じることができないけれど、神的な存在は感じます。グレイトスピリットという感じの何かです。
東洋医学で言う「気」と関係ある何か?

太陽と地球の大自然が神様。
そう思うと、少し楽になるし、一番近い気がします。

以上の考察から、とりあえず、私は人間の作った宗教において、無神論者だと言わざるをえないという結論に至りました。

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コメント

私も神様と言われたら、太陽と思います。宗教に関してはいい加減なのに、座禅は好きで20代後半広島の禅寺に座りにいき、夕方の座禅。ゆっくり沈んでいく太陽、精一杯な蝉の声、呼吸を整えひとーつ、ふたーつと数えていると、自分はこの世界の一部であり全部であると思えて、すーっと自分が透明になりとけ込んでいくような感覚を覚えました。そのときの太陽のオレンジの光がもう、うれしくてありがたくて。
私の父方実家は神社で、父は神官でもありました。でも父は、お酒が好きで、ギャンブル(競馬、パチンコ)も好きで大阪での仕事は金融業でした。
また、神官の叔父達も、とても、人間的?であまり神格化とか、ありがたいとか、思えなかったのです。
宗教って、すごく乱暴に言うと人間が滅亡しないための知恵だと思うんです。
狩猟民族で荒い気性のゲルマン系に、許したり、愛したり、奉仕したりするキリスト教、
激しく、粘着質なイスラームに愛が基本で沢山の戒律や禁戒のあるイスラム教。
もう、すごくアバウトですが宗教は地球上多彩な民族性や、気質、気候、風土によって
滅ばないためのブレーキの一面、そして神とされるのはその象徴なのかと思うんです。
すみません!ぺらぺらと。
こんな私ですが、堺の出雲大社大阪分院、奈良の橿原神宮は大好きです。
堺の出雲大社の社殿の上には何か異空間があり、エネルギーを感じます。
また、橿原神宮の後ろの山からもすごく「何か」、気持ちが平らかになる「気」を
貰えるように思います。
また、話が飛ぶんですが、コミックエッセイで「スピ☆散歩」という伊藤三巳華
さんの著書があるんですが、見えたり感じたりする人は、神社等でこんな風に見えてるんだって興味深い本でした。
とりとめなくってごめんなさい。
神様が太陽ってあくび猫さんも感じてるんだって、ついつい。
失礼しました。

すみません、上の投稿はさおりんママでした。

そのコミックエッセイ、面白そうですね!
宗教は人類滅亡予防という話興味深いです。
そうですね、今日もテレビでミャンマーの寺院建立の話をみていたんですが、功徳のためにお金持ちは寺院を建てて、貧乏な人は給料をもらうシステムが、10世紀くらいの時にあったらしいというような?
食べながらなのでうろ覚えですが…
そのお陰で、貧富の差は拡大せずに、王も民も幸せに暮らしたとか。
私は敬虔な仏教徒をみながら、どうしたらあんな風になれるんだろうと思っていました。
太陽が神様と思っている人が、こんなに近くにいたなんて、嬉しいです。
毎日「お日様ありがとう〜!」と心の中で話しかけます。
「地球さんもありがとう〜!」と思います。
ワガママな人間達を許して見守ってくれて、ありがたいと思います。

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