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2015/07/01

動物愛護を色々考えていて思うこと

動物愛護を、小さな範囲でしているうちは良いのだけれど、手を広げていくうちに、資金や場所や人手が足りなくなり、だんだんと規模が大きくなって、大々的に募金を募ったりするようになるのは、会社経営と同じのような気がします。

世の中の資本主義は、どんどん大きくなるのが良いことで、いつまでも小さいままなのは甲斐性がないように思われがちです。

けれど、大きくなっても潰れてしまう企業もたくさんあるしなぁと、思うのですよね。

動物愛護も大きくすると収拾がつかなくなるような気がして、私は小さい方が好きと思ってしまいます。
会社の経営も、小さい方が好きです。

それは、母があっという間に亡くなったのをみて、人間の一生の儚さを思い、自分が死ぬまでには家の猫をゼロにしておかないといけないし、残された者が困らないように遺品も今のうちから片付けて、借金も残さず、いつ死んでも良いように身軽に生きていたいと思うようになったからです。

何事にもコストがかかるので、動物愛護の世界にも「嘘や丸め込み」をして募金を募ったり里親に出す人が現れたりして、それを見習って、今度は犬猫を売って商売する人たちが動物愛護ビジネスを始めたりしています。
このビジネス、仕入れは引き取り料を取れて、里親からも引き渡し料を取れて、一挙両得であります。
ただ、売り上げを意識して営業している以上、どうしても余った分はどうなるのか心配です。
また、真面目に殺処分から救い出している善意のボランティアが苦労しそうです。
それに、どうやら行政やマスコミは、ビジネスでやっている動物愛護には親切です。

お金が支配するシステムであるアメリカでは、(ネットの記事8歳の少年が新聞社に送った手紙でみたのですが、)保健所に連れて行かれた自分の猫を引き出すのに、お金がかかるようです。
今の日本ではそんなことにはなっておらず、保健所に連れて行くときに支払う制度ですが、そのうち、自分の猫が誰かに捕獲されて保健所に連れて行かれた時、お金の無い人は、自分のペットを殺されても仕方がない日が、日本にも来るのかもしれません。

話がそれましたが、規模が大きくなると、何をするにもコストがかかるようになり、しまいには、規模を維持するために必死にならないといけないのが、現在の日本のシステムだということです。

死ぬ時には何も持っていけないのですから、生きているうちも、あまり欲望を持たずに過ごしたいものです。

そして、どうしてそんなことになってしまうのか、元を正さないと、この循環の輪は終わらないのでした。

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