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2014/07/26

執着を手放す修行の上級者編

私の家には猫がたくさんいて、犬がいて、モルモットもいて、この子達が死ぬまでは私は死ねないなぁと思う今日この頃です。
私と同じように動物に関わっている人たちにも、同じ悩みが付きまとっているのです。
人はいつかは年をとって死んでしまうのですから、ある時を境に執着を手放さないといけない。それは仏教でいうところの修行なのではないだろうか?
執着を手放す修行ですから、今流行りの断捨離をすればよさそうですが、命がかかっているので簡単に捨てるわけにはいかず、里親探しに失敗すれば、抱え込んで飼うことになるのが現状です。
家が狭ければ、保護場所を作りたいと願うでしょうし、保護場所ができればもっと助けたいと思います。
良いことだと思いますが、これもある意味「執着」の一つの種類であり、「欲」の形態なのではないかと思います。
こんなことを思うようになったのは、私も一通りのことを経験してきて、だんだんと歳を重ねましたら、「この先、同じことを続けていたら、自分が死んだ後はどうなるのだろう?」と思うようになってきたからです。
残された家族に迷惑をかけないためにも、今後はもう、猫や犬を自宅に入れることはできないと感じます。
これからは、「助けたい」と思うことも、欲であり執着であると心に刻み込んで生きていかないとなぁ・・・と思うのです。
たくさん飼っているのに急死した方の訃報なども耳にするようになり、その後の犬猫の行方を聞いて安堵したり悲しんだり、そういうことが増えてきました。
団体を立ち上げて、自分の猫だけは誰かに引き継いでもらうことも思いつくことではありますが、みんながそういう意図を持って集まることが可能性としては高く、順調に跡継ぎができればいいですが、できなかった時には、最後に残った人が貧乏くじを引かなければならないし、結局、犬猫たちは殺処分になってしまいそうだと思い至ります。
多くの人が、保護された犬猫の里親になろうというようになれば良いのですが、まだまだそこまで意識は高くなく、すぐにペットショップで購入してしまうのが現状です。
そうなると、保護場所がすぐにパンク状態になり、病気の子や年老いた子は見捨てざるをえなくなり、安楽死をするのが当たり前になってしまいそうです。
私は思います。
自分の執着や欲を捨てるのと同時に、人々の意識を高めていかなければならないと。
そうしないと、いつまでたっても無責任な人たちの尻拭いから逃れることができません。
希望が少しあります。
Twitterなどをしていると、若い世代の人たちが、どんどん意識を高めるようとがんばってくれています。
動物をファッション感覚で飼ったり、毛皮を着たり、簡単に捨てたりしないように、広めていってくれています。
兎にも角にも、生きるということ自体、欲のかたまりのようなこの世界ですが、もしかすると、欲を手放す練習をするために、人は生まれてくるのではないだろうかと思ったりします。
そして、動物のことに関して欲を手放すことは、修行の上級者編だと思えてくるのです。
この世界はなんのためにあるのでしょう?
ただ偶然に生まれて死ぬまで暇をつぶすだけの世界なのでしょうか?
でも、可哀想な動物たちをみると、手を差し向けたくなる心は誰がくれたのでしょう?
助けようと思うのに思うようにいかない設定は、どうしてなのでしょう?
そんなことを毎日考えています。

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