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2006/03/09

冤罪事件

幼稚園の時、私の家は、貧しかったと思います。

父が、結核を患って、やっと退院してきたところで、お給料もそんなに無かったはずです。

幼稚園では、クリスマスにお遊戯会があり、各自、木琴を持参して練習することになっていました。

私の家は木琴がすぐに買えず、みんなより遅れてやっと買ってもらったのでした。

みんなと一緒に練習する時、私だけ、紙の木琴でした。

父のお給料日に、やっと木琴を買ってきてもらい、私は父と一緒に、木琴に名前を書きました。家には黒のマジックがなかったので、お隣さんから青のマジックを借りてきて、ひらがなで名前を書いてもらいました。

その木琴を持って、喜び勇んで幼稚園に登園したのですが、練習が終わったあと、先生に呼び出されました。

先生:「Y子ちゃん、その木琴、Y子ちゃんの?」

私:「うん!きのう、買ってきてもらったの。」

先生は、園長先生となにやら話し込み、そしてまた戻ってきました。

先生:「M子ちゃんがね、自分の木琴をY子ちゃんが持っているっていうのだけど、その木琴、本当にY子ちゃんの?」

私:「きのう、パパが買ってきてくれたんやから。嘘やと思うんやったら、おばあちゃんに聞いて。名前も書いてあるし。」

先生:「でもね、M子ちゃんがその木琴、自分のだって言うのよ。Y子ちゃん、昨日まで木琴持ってなかったでしょ。」

私は、自分が木琴泥棒にされているのだと理解し、オシッコを漏らしながら怒って抗議しました。

そして、M子ちゃんが、練習のあと、他の組の木琴置き場に木琴を置きに行っていたことを思いだし、そのことを先生に言いました。

「M子ちゃん、さっき、モモ組さんの所に木琴置きに行ってたよ。私、見たもん。」と言いました。

先生たちは、顔を見合わせ、半笑いしながら何か内緒話をし、園長先生が、「あんなに言うてるのやから、一回見て来たり。」と、言いました。

完全に犯人は私だと思っている顔をしていました。

けれど、私が言ったとおり、M子ちゃんの木琴は、モモ組の部屋から出てきました。

先生は、「あったわ、あったわ、Y子ちゃん、もおええわ。」と言い、私は、その場に取り残されました。

私は、何故、そのように犯人扱いされたのか分かりませんでしたが、今なら分かります。

家が貧しかったことで、疑われたことは間違いありません。

夜、父はその話を聞いて、「殺したる!」と言って、怒りました。母と祖母が父にしがみついて、父の怒りを抑えました。

私は、父が怒るのを見て気が静まり、自分のために怒ってくれている父を有り難いと思いました。

その後、父は、貧乏から脱出するために、不動産業を興し、自社ビルまで建てました。けれど、バブル崩壊のあおりを受けて、随分、頑張りましたが、ビルは先日人手に渡りました。

一時はロールスロイスに乗っていた父。

貧乏だった頃の色々な屈辱を晴らしたかったのではないかと思います。

私は、今度、父の会社が建てた家に引っ越します。猫のために色々と設計を考えました。ローンの返済が大変ですが、父が生きている間に家を買ってあげることができて、良かったなと思います。これは、ダンナのお陰です。


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コメント

あくび猫さんと私ってそんなに年齢離れていないから判るんだけれど、
あの当時、心ない先生って沢山いたと思います。
平気で子供を傷つけたり、嘲笑したり、八つ当たりしたり。
あからさまに贔屓したり、思いこみが激しかったり・・・。
いや、ほんと多かったですよ^^。

今の先生や保育士の方達って、昔に比べてとてもソフトで細やかに見えます。
昔とは別世界なんだな・・って姪の話などを聞いていて思います。

お父様の気持ち、「殺したる」、
どんなにか口惜しかっただろうと、察します。
結局はそうしたこともお父様のバネになったとしても
いつまでも忘れられないものだったのでは・・・。

良かったですね。あくび猫さん。^^
お父様の元で家を建てられて・・・
お父様にとっても格別の思いでしょうね。

お引っ越し頑張って下さい~ヽ(^。^)丿


ほっほう~
確かにうちは子沢山で、田舎だったので貧乏やったわ
その日の金も困って、千円とか借りに行かされてたし
一軒だけある雑貨屋でパン買うのも「つけといて」って
給料払い、今は飲み屋では当たり前やけど(^^ゞ

ふむ、それで一念発起でロールスとはスゴイ!!
何故うちはそうならなかったのかは??
まあそういう星の元なのでしょう。
母は80を手前にして未だに困ってます
5人の子供を育て上げたのに・・・って
少し切ない

そう、昔はよく先生に殴られた
小学から中学とずっと日記を書いて毎日見せるってシキタリで
忘れた日にはビンタ!!
それもものすごい、飛ばされるくらい
すごすぎて痛いのが分からないくらいやったわ
今やったら警察沙汰やわ
別に当たり前やったので
恨みは全く無いけどね。。

あ!それと小学校の5と6年は毎週劇を作らされた
その創作能力は何も生かされて無い(ー"ー;)

引越しおめでとう。。
あれ?田舎暮らしは??(^-^)V
まあそのうちにね、猫五郎パークを作る??

僕もそんなえこひいきする先生に小学校4年の時に出会いました。

その先生は結局悪ガキ連中にいじめられて泣かされたりしてました。そんなことしたので途中からこわーい先生が代わりにきて締め上げられましたが・・・

>真世さん

コメント、ありがとうございました。父も、娘が家を建てるというので、幸せ至極という顔をしておりました。

それも、自分と話もしてくれなくて心配の種の、妹の隣になるので、安心できると思います。妹も、将来天涯孤独は可哀想ですしね。(^_^)

>タコさん

田舎暮らし、今でも目指しています。行ける時になったら、その家を売り払って行きます。∈^0^∋

私は、ダンナが行きたがらないので諦めて家を建てようと決心したのですが、建て始めた途端に、ダンナが鼻アレルギーになり、「田舎で暮らしたいよう~」と泣いています。

早よ言わんかい!って思いましたけど、後の祭りですわ。(笑)

>ぽんたさん

学校の先生も、人格的になっていない人、多々ありますよね。

だって、考えたら、先生ほど世間知らずな人種はいてないですよね。(過去の自分も含めて)

あー。書き込めるようになってる!

私も、小学校のころ、先生に嫌われてました。
4年から6年まで3年も担任持たれて、苦労しましたよ。
嫌われた理由が『本ばっかり読んで、子供らしくない』でした。

でも、うちの母親とは仲が良くて(母親ってのが、またPTAとかが大好きで、何かっつーとしゃしゃり出るおばはんなんです)
『お母さんはあんなに明るいのに、なんで子供はこんなに暗いんだ。全然似てない』とも言われました。
似てなくて結構なんですが。(^_^;)

厳しい先生や、怖い先生や、いろんな先生がいましたが
やっぱり、その先生のことを、一番思い出します。
これも一種のトラウマなんでしょうね。
同じ大人として、話をしてみたらどうなるのかなぁ、誤解とか解けるのかなぁ、なんて思ったりします。

>キリさん

そうですね、色んな先生がいましたね。

小学校では、一年生の時の担任の女先生が、男子が悪さをしても怒らないのに、私が同じことを試しにしてみると、「廊下に出て行け!」と腕を引っ張られたことがありました。

その後、私はその先生が担任だった小学二年の終わりまで、教室で、笑わないと決心し、声も出せないカンモク児というのになってましたです。

小学三年生では、やはり男の担任に泥棒扱いされて、悔しい思いをしました。この話は、またいつか物語にするかもしれません。

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