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2025/04/30

化学調味料恐怖症

最初は息子が言いだしたのです。

化学調味料の入っている料理を食べると、そのあと心臓がバクバクして眠れなくなると。

また、ニンニクが入っていると同じようになるとも言っていました。

そのうち、唐辛子や生姜までダメになり、当家のメニューには、それらのものが使えなくなりました。

一番先に作らなくなったのはカレーでした。それらのオンパレードなのですから。

私は不便になったなと思っていました。

日曜日にカレーを作って三日くらい温め直して食べて家計を節約するのが常だったからです。

メニューは和食中心となり、化学調味料を使わずに天然塩を使うようになりました。

それで分かったことは、99%の食塩はただ塩っ辛いだけで、美味しくないのです。それで化学調味料の出番となるわけですが、それを使うと心臓バクバク。

天然塩を使うと味に丸みが出て、化学調味料なしで全然大丈夫だというのがわかってきたのです。

そうして天然塩で食べるようになったら、次に私が外食などで化学調味料の入ったものを口にすると心臓がバクバクして眠れなくなってきたのです。

実は夕食に、外食でお好み焼きを食べたのですが、おそらくソースなどに入っていたのでしょう。心臓バクバクして眠れなくて、このブログを書いています。

以前ウィキペディアで調べてみたら、「中華料理店症候群」(チャイニーズシンドローム)というのが出てきて、まさにこの症状が起こっていることがわかりました。

でも、ウィキペディアの内容は、まるで症状の出る人がヒステリーの発作でも起こしたかのような書かれ方をされていて、科学的には証明されていないようなことになっていました。

おそらく、作って売っている会社などが手を回してあるのかなと思いました。

他にも検索したら、少し好意的な記述のあるサイトもありましたが、今のところ不定愁訴扱いになっています。

最近は一般的なレトルトとか外食はほとんど化学調味料入りなので、仕事で料理をする時間がない私は、それを使っていない弁当屋さんや食堂を探しています。

幸い、デイリーデリというお弁当のお店と、ロッカというレストランを見つけました。行きつけの中華料理店双琉には、事情を説明して味を薄めにと頼んで作ってもらっています。

食費の嵩むことこの上なしです。

家では週に一回か二回、簡単な和食を作って食べています。

本当は田舎暮らしをして、自分で作った野菜を自分で毎日料理して食べたいのです。

ただ、犬猫を可愛がってくれている人たちを見捨てるわけにはいかなくて、こんなことになっています。

眠れないのは辛いですね。

母が、眠れなくて眠剤を飲んだ挙句に早々とボケてしまったのを見ていますから、私は薬に頼らず生きていきたいです。猫のために。

母もコレだったのではないかと今更ながらに思える今日この頃です。

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2025/04/12

赤ちゃんに気持ちが通じました

昨日、ヘアーカットの帰り道、公園に一本だけ植っている桜に誘われて、寄り道をしました。

すると姪っ子が赤ちゃんを乳母車に乗せて、妹と一緒に桜の木の下で花見をしているのに出くわしました。

赤ちゃんはそろそろ6ヶ月になる頃です。

私には笑いかけるのに、祖母である妹が抱っこをすると泣きだす赤ちゃんです。

犬や猫で培ったテレパシー能力が高い(笑)私は、再度、「赤ちゃんは大人の話してることはみんな理解してるのよ。自分の口がうまく動かないからイライラして泣いてるんよ。」と言いました。

すると、赤ちゃんが、私の顔をシゲシゲとみて、またニコッと笑いました。

「ほら、笑ったやろ?そうやでって言うてるんやわ。」と言ってたら、赤ちゃんの口が「そう」と言っているみたいに動きました。

3人とも目撃して、「そうって言うてる!」とみんなでおどろきました。

赤ちゃんは、私と妹の顔をかわりばんこに見ているので、「顔似てるやろ?おばちゃんと姉妹やで、わかる?」と話しかけると、足をバタつかせて「わかった!」と言うリアクションをしました。

すると、今日姪っ子からメッセージが来て、赤ちゃんが覚醒したとのこと。

なんと、妹が抱いても泣かなくなり、一生懸命「ママ」と言おうとしているらしいのです。

「おばちゃん、すごいな。」と言ってもらえて、ちょっとホクホクしている私です。

いやもう、生まれる前から体内記憶の絵本を買って渡してあるので、話せるようになったら楽しみです。

姪っ子も、「生まれる前のこと忘れんと覚えといてやって話しかけてるねん。」と言ってます。

私が話し出したのは生後6ヶ月と母が言ってたので、そろそろ話し出しても良い頃ですが、あと2年くらいはかかるかもしれません。

楽しみが一つできました。

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2025/04/04

母の言い分

2008年ごろ、母が70歳くらいの時に、「マンションの人たちから仲間はずれにされて虐められている。」と電話がかかってきました。

何が起こっているのかよく聞くと、古い分譲マンションは、階ごとにお掃除班があり、廊下の掃除をすることになっていたそうですが、班の人たちで日程を決めて、母に日程を教えてくれず、掃除に来なかった人は罰金3000円を支払う決まりになっていて、毎回母が3000円を払っているということでした。

廊下で近所の人たちの話し声がして、ドアに耳をつけてよく聞くと、「〇〇さんのお陰でみんなで喫茶店に行けてラッキーやなぁ。」と言っていたと言うのです。

今思うと母がそのころから認知症になっていて、掃除の日を忘れていただけかもしれませんが、当時は母をかわいそうに思い、私の家の近くのマンションに引っ越しをさせることになりました。

母の気に入るマンションは安い家賃のところは無くて、月8万円の3DKのマンションに決まりました。

家賃は妹は出すわけがなく、私の方から毎月支払いました。

2009年に引っ越しをして、2013年に癌になって私の家に連れてくるまで毎月8万円はキツかったです。

本当は同居をしてほしかったし、そのための和室も一つ空けてあったのですが、長年一人暮らしをしてきたので我慢できなさそうでした。

母はお医者さんが大好きで、高血圧の薬やら、睡眠薬やら、精神安定剤をもらっていました。薬の影響と、一人気ままに生きる暮らし方が認知症を早めたのではないかと思っています。

母の人生を考えると、家族の反対を押し切って家出同然の結婚、5歳で長男を交通事故で亡くす、15年後には夫に浮気をされる、などの精神的なストレスが続いたから、今のようにSNSで情報を集めたり慰めあったりできない時代だったので、薬に依存してしまったのは仕方がなかったかもしれません。


ここから急に不思議な話に変わります。

その母が、2024年の10月に、姪っ子の赤ちゃんとして生まれ変わって来たのではないかと思うのです。

なぜかというと、妹は仕事大好き人間で、家の掃除をほとんどしないため、邪気が溜まりまくってたのです。

その邪気は、なぜだかうちにも波及してきて、家の中に謎の長い髪の毛が何本も見つかったりしていたのです。

家には長い髪の毛の人がいなくて、何だろう何だろうと言っていたら、甥っ子が交通事故に遭い、死にかかりました。

私の家は、ベランダに大きなヒマラヤの岩塩を置いたら、髪の毛は家の中ではみなくなりましたが、根本的に妹の家が汚いと邪気は無くならないので、掃除をするように何度も言いましたが、誰もしなかったのです。

ところが、姪っ子のお腹の中に赤ちゃんが宿り、安定期に入ったころから、姪っ子が実家に来て家中の掃除を始めました。18年間洗ったことのない網戸も全部外して。不用品もみんな捨て去って。

姪っ子の赤ちゃんに首が座った頃に会いに行った時、私が、「赤ちゃんは大人の話、全部わかってるんやで。自分の口が動けへんから腹が立って泣くんやで。」と赤ん坊の前で言うと、赤ん坊はじっと私の顔を見て「うんうん、そうやねん!」というような顔をしてました。

私が家路に着こうと挨拶をすると、赤ん坊は私の方を振り返って「ニコッ」と笑いました。抱っこもさせてくれました。妹が抱っこをすると泣くらしいのに。

もしかして妹たちを守るために、母がたった10年しか休憩せずに生まれ変わったのではないかと、うっすら思ってしまいました。

母は掃除が大好きで、いつも家の中は綺麗にしていて、妹の家の惨状をいつも嘆いていました。動ける時は掃除に来ていました。断捨離をしないので、完全に綺麗にならないから文句を言ってましたが。

姪っ子のお腹に入って姪っ子を操って念願を果たしたのではないかと、そんな妄想をしている今日この頃です。



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2024/12/06

母との行き当たりばったり旅行

先日ふと、母と行った行き当たりばったりの旅行のことを鮮明に思い出しました。

母は行き当たりばったりが好きで、電車の時間も旅館の予約も何もせずに、小さいカバンだけ持って旅行がしたいと私に持ちかけてきました。

当時私は大学1年生くらいだったと思います。

母に言われるがまま、私も荷物は肌着とウォークマンくらいだけ持って一緒に地下鉄に飛び乗ったのです。

当時は母は父と別居中で、私は母と駅で待ち合わせて行ったのです。別居のことで暗くなりがちな私を励まそうと、母はそんな企画を思いついたのかもしれません。

地下鉄に乗ってどこへ行こうかと相談して、上高地に行こうということになりました。

上高地に行くにはまず名古屋に行かなければと考え、新幹線で名古屋へ向かい、在来線に乗り換えて上高地方面へ向かったように思います。

なにしろ今のようにスマホの地図アプリで経路が一発でわかる時代ではなかったから、名古屋に着いてから駅で「上高地に行きたいんですけど…」と駅の人に聞いて切符を買ってという、のんびりした有様でした。

上高地の手前の松本に着いたらもう午後5時頃で、上高地行きのバスがなくなっていました。仕方なくタクシーに乗ることにして、「上高地」と告げると、「ホテルは予約されてますか?」と運転手さんに聞かれました。もしかすると行き当たりばったりの旅行者が多かったから聞いてくれたのかもしれません。予約していないことを伝えると、大慌てで知り合いのホテルに公衆電話から掛け合ってくれて、狭い和室に泊まれることになったのでした。

翌朝、大正池に散歩をして、チェックアウトしてバスで乗鞍岳に向かいました。母が行きたいと言ったからですが、行ってみたら乗鞍岳は冬みたいに寒かったのです。ジージャンとブラウスとスカートというような出立ちでは寒すぎてバスの待合室のストーブから動けず、そのまま飛騨高山へ向かうことになりました。

飛騨高山に着いて町を少し散策して五平餅を食べたことを覚えています。

結局、その日は行き当たりばったりの貧乏旅行なので、うらびれたビジネスホテルのようなところに泊まることになりました。

母と布団を並べて寝ながら、私は家のステレオで録音しておいた「ジェットストリーム」をウォークマンで聞いていました。

母が「何聞いてるの?」と言うので片方のイヤホンを貸して聞かせてあげました。

城達也さんの深い声と鳴り響くリチャードクレイダーマンのピアノ。

一つのイヤホンを片方ずつ耳に入れて聞く親子。

当時は恥ずかしかったけど、今となっては良い思い出です。


母が亡くなったあと、遺品の中から当時私が使っていたウォークマンが出てきました。子供も生まれて聞くこともないからと母にあげたのだと思います。母はあのウォークマンをみて、あの行き当たりばったり旅行を懐かしんでいたのかもしれません。

私もあの旅行は瑞々しいカラーの記憶で残っています。

楽しかったな、お母ちゃん、旅行誘ってくれてありがとうね。

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2024/10/01

ボンちゃんの話

今の家を新築してすぐに、自転車に乗っている私の足にしがみついて助けを求めた黒猫ボンちゃん。

鼻垂れで、里子に出せなかった。

優しい子で、オス猫なのに仔猫たちの世話を甲斐甲斐しくしてくれて、少し年上のたこ焼き屋の裏で保護したオス猫のタコさんと2匹で、猫同士の付き合い方やトイレの躾までしてくれました。

目の開いていなかったモモ犬が来た時は、下の世話もしてくれて、私たちはボンちゃんのお陰でいつも楽ができました。

17歳になった頃から関節が弱ってきて、歩きにくそうになりました。

18歳になってから腎不全が顕著になり、毎日皮下点滴をしていましたが、猛暑のためにエアコンを入れっぱなしだったのがいけなかったのか、風邪をひいてしまい、寝たきりになりました。

2週間ほど瞳孔が開いたまま寝たきりで、まるで植物人間のようでした。

ボンちゃんのことを大好きなカワちゃんが、天井の方を向いて鳴いたりしていました。

ある日、ボンちゃんの瞳孔が閉まってきて、名前を呼んだら反応できるようになりました。不思議なことに風邪は治っていました。

それで私は喜んで、「臨死体験から戻った猫」のボンちゃんに、エレンタールやエネルギーちゅーるを与えていきました。

1週間ほど続けた2024年9月19日の夜、私が与えていた流動食を誤嚥して呼吸ができなくなり、あっという間に死んでしまいました。

命というものが、なんとデリケートで儚いものかと思いました。ボンちゃんを生かそうとあれこれしたことは、ボンちゃんに苦しみを与えていただけかもしれないと思いました。

でも人間は何かをせずにはいられない。

他の猫がいるので落ち込んだり泣いている暇はなく、いつも通りに明るく生きることが、残された猫のためなので、そのようにしています。

「ボンちゃんありがとう。ほんまに助かったよ。ボンちゃんは最高レベルの猫のボスやったで…」と心の中で話しかけてます。

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2024/07/18

この世界はシャボン玉 ミラーモードとクリアモード

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以前にもシャボン玉の考察をブログに書いていた。

http://nekoota.tea-nifty.com/akubineko/2017/11/post-25a6.html

 

一人一人はシャボン玉の泡のような存在。シャボン玉の中で見たいものを見て生きている。それを「ミラーモード」と私は名付けた。

我の強い人は、他人に自分と同じ映像を共有したがるかもしれない。

 

1900年代に発明されたラジオやテレビは、まさにそれができてしまうツールになった。

その機器によって送られたものの考え方や見方を、それを見た人たちは自分の考えや見方として受け入れるようになった。

SNSもできるようになって、いつのまにか人々は、自分でシャボン玉のミラーモードに他人の映像を映すようになってしまった。もしくは、自分のミラーモードに映る映像を簡単に他人と共有できるようになった。

以前にもそういうことはあった。

宗教がそうだった。それがいつしか拝金教に変わったのは、何をするにもお金が必要なシステムを採用しているから。その拝金教が、テレビのCMなどを使って人々の欲望を煽り、ついには地球上を自分たちが住めないような環境にしていっている。

増えすぎた人口を減らす手立てが早急に必要になってきている。

欲望を制御できれば削減しなくても済むのだが。

 

なぜこんなことになったのか。

シャボン玉のミラーモードしか知らない人が多いのではないか?

「心を静かにしていると見えてくる真実」のクリアモードになるにはどうしたら良いのか。

 

SNSは便利なツールで、世の中にはクリアモードになれた人がかなりいることもわかった。

けれど、その人たちはクリアモードで悟っている分、自分の考えを人々のミラーモードに移植することはほとんどしない。

つまり、クリアモードになれない我欲の強い人が自分のミラーモードの色を移植し放題なのが現実とも言える。

 

私は諸悪の根源は、お金のシステムつまり拝金教なのではないかと思っている。

丸め込んだ者勝ちの世の中になってしまい、人々は欲望を掻き立てられて、クリアモードがあったことをますます忘れてしまう。

そして自分の世界「ミラーモード」に閉じこもってしまっている。

 

クリアモードになって、高い空から色とりどりのシャボン玉が浮かんでいるのを思い描こう。

みんなシャボン玉の内側だけをみて、他のシャボン玉に気が付かず、自分の悩みや楽しみや推しのことを写して生きている。そうこうしている間にシャボン玉を受け入れて生かしてくれているこの惑星が毒まみれになって死にかけているのに気がつかない。

これも私のミラーモードが映しているだけであれば良いのだけど。

2024/03/10

異常者の心理

昔飼っていた猫で、「殺し屋みっちょん」と呼ばれてた子がいました。

みっちょんは、またの名を「下痢下痢みっちょん」と呼ばれていました。


食べたものが体に吸収されないので、だんだんと痩せ細っていってました。

それがある日、病気で横たわり、死にかかっていた年寄りの猫の口のあたりの匂いを嗅ぎに行くやいなや、ガブっと喉元に噛みついたのです。

すると、みっちょんは異常なほどに興奮して、「ふうふう」と激しい呼吸をして、目を爛々とさせていました。

その後、一週間ほど、みっちょんの下痢が治ってしまったのでした。


それ以来、みっちょんは、弱っている猫を探し始めました。自分が楽になるために。

それは阻止せざるを得なかったので、みっちょんの命は尽きました。

若かったのに可哀想でした。


もしかしてそれの人間バージョンではないかと思う出来事が起こりました。


猫の里親になっては猫を殺していた人が近所に現れたのです。


時系列にまとめます。


 針金に巻かれたように首を怪我して帰ってきた放し飼いの猫の話を聞きました。数年前だったとのことです。その頃、針金を使って猫を捕まえて殺している人がいるという噂があったらしい。→噂レベルだが参考程度に。


 猫の里親詐欺が発覚した直後、本人のSNSには野良猫を懐かせようとする写真が上がっていた。(2022年11月)

その写真には2023年の2月にボロボロの状態で助けを求めてうちに来たタビスケと思しき写真があった。(現在は削除されています)


 2023年の春から夏にかけて、近所の放し飼いの猫が3匹立て続けにいなくなり、1匹はかなり離れた場所から見つかり、もう1匹は3ヶ月ほどしてボロボロの姿で家に帰り着いたものの、人を怖がるようになってしまったらしい。もう1匹は未だに見つかっておらず、その猫の特徴が、2022年の11月に犯人のSNSに載っていた写真に出ていたサビ猫と似ている。(こちらも現在は削除、ボランティアさんのスクリーンショットで知りました)


 2023年の秋にボランティアから仔猫をもらうようになっていた。ところが様子伺いのために電話をかけたところ、11月に逃げて、もういないと言われ、2匹もらっていたために心配になり、もう1匹に会わせてほしいと訪ねたところ、15分前に逃げたと言われたらしい。


 毎日探し回るものの見つからず、調べているうちに、その後も他の猫カフェやボランティアから次々と4匹ももらっており、全てすぐにいなくなっていることが発覚。


以上のようなことがここ3ヶ月ほどでわかってきたのです。

犯人に問い詰めたところ、噛まれたら腹を立てて壁に投げつけたり首を絞めて殺し、大和川に流したと白状したとのことです。


ボランティアたちが持ち寄ったフードは封を開けることなく家に残されていたのでした。


仔猫たちは食べ物を与えられることなく餓死したり、反抗すると暴力で殺されていたことがわかったのでした。


想像でしかありませんが、犯人は猫が死ぬと興奮して脳内麻薬が出て、自分の苦しみが軽減していたのではないかと、みっちょんの経験から私は思いました。


最初は野良猫を

次に放し飼いの人馴れした外猫を

最後に手っ取り早く里親になり仔猫を


このような順番でエスカレートしていったのではないかと思うのです。


あまりにも早いペースで猫を死なせたために今回のように発覚してしまったのではないかと思いました。


全て私の想像上の考察でしかありませんが、これがもしも本当だとしたら、そのうち猫では満足せず、もっと大きな生き物を狙うようになるのではないかと思います。


そうでないことを祈るしかありません。

ただの妄想でありますように。

「写真はタビスケ)


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2024/02/02

キャッシュカードも使えない高齢者はどうして生きていくのか

隣のマンションのおばあちゃんが、1月22日にお風呂で亡くなっているのが見つかってから、おばあちゃんのことについて色々考えてしまいました。

おばあちゃんが鍵をなくして家に入れないという騒動の中で、おばあちゃんは、銀行のお金も簡単に引き出せないことが判明しました。

銀行のキャッシュカードが使えないのです。

パスワードを忘れて使えなくなったのか、必要性を感じなかったから作ってなかったのかわかりませんが、お金を銀行からおろすタイミングは、銀行が開いている月曜日から金曜日までしかなくて、土日・祝日にお金がなかったら月曜日まで我慢するしかなかったようなのです。


私は時代に取り残されたおばあちゃんが、おそらくそう長くは生きていられないだろうなと、その話を聞いた時に心の中で思いました。

もうその時点で施設に入所させてあげないといけないタイミングだったと思います。

けれど後で知ったのは、鍵だけ開けて、そのまま放置だったようなのです。

デイサービス的な担当の方が来てたかもわかりませんが、いつもおばあちゃんは鍵をなくして外を彷徨いていたから、ドアホンを押しても出てこなかったらそのまま帰るの繰り返しで、年末ごろもその習慣で、おばあちゃんがいないと思って帰ってしまっていたのかもしれません。

それに、通帳と印鑑では代理でお金を下ろすことはできないような気もします。

たまにキャッシュカードを預けて下ろしてきてもらっている方は知っていますが…後でお金が減りすぎてると騒いでたから、基本そういうのはやっていないのではないかと思います。


おばあちゃんの姿を見て、もう長くないと思ってからわずか1ヶ月で、おばあちゃんは亡くなってしまいました。

寝たきりで長患いするよりもマシだったと思えなくもありません。

最後まで一人で頑張ったのでしょう。

そういうお年寄りが世の中にはたくさんいるのだと思いました。


私もいつか時代に追いつけなくなる日が来るのでしょうか。

その時はみんな体にチップを埋めていて、買い物もカードやスマホ決済も無しでゲートを通り抜けるだけになるのでしょうか。

私はチップが嫌なので、そうなったら時代から取り残されそうです。

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2024/01/26

KM原さんのこと

2023年の冬の始まりの頃、隣のマンションに住んでいて、以前犬を飼っていたので顔見知りのおばあちゃんが、ノックをして立っていたんです。

その時は院内にダンナ一人しかおらず、「どうしたんですか?」と尋ねると、「電気が3日間つかへんねん。」とのこと。

よくよく話を聞くと、鹿児島に2ヶ月間遊びに行ってて帰って来たら電気が止まってたということでした。電気代を携帯電話会社の電話代とセットにしていて、毎月コンビニで支払いをして銀行引き落としにしていなかったので、2ヶ月留守をしていた間に電話代を支払わなかったため、電気も電話も止まったのが判明しました。

電話は相手からかかって来た時だけ出られますが、自分からはかけられないため電話会社に連絡も取れないし、帰宅して気がついて電話代を支払ったのに電気が3日間つかないとのことでした。

ダンナが関西電力に連絡して直接契約にしてもらったところ、一瞬で電気がついたと言って「ワシええことしたやろ〜。」とダンナが自慢してました。


冬に電気が3日間つかないなんて、可哀想なおばあちゃん。

そう思ってたら今度は、家に帰って来たら鍵がなくて入れないと言い出しました。

これもよくよく聞くと、鍵を閉めてから横の窓から鍵を投げて家に入れていることがわかりました。

「こりゃ、おばあちゃん認知症になってるな。」と母のことを思い出しました。

とにかく家に入れないと夜中に凍えてしまうかもしれない。おばあちゃんはカラオケ友達がたくさんいたので、鍵がなくて家に入れない時は友達の家を泊まり歩いていたらしい。

その時は自分でなんとかすると言うので一旦帰宅しましたが、夜になって雨が降り出し、心配になって110番して「迷子のおばあちゃんがいたら知ってる人かもしれないです。」と伝えたところ、おばあちゃんは無事にパトカーに乗って帰宅し、不動産屋も呼ばれて鍵を開けてもらえたみたいでした。


110番に出た方は、心配なことがあったら遠慮せんと110番してくださいねと言ってくれました。


ある夕方に、またマンションの前におばあちゃんが佇んでいて、「友達の家から帰ったら鍵がないねん。」と言うのです。友達も鍵がないと知ってて車で乗せて来たみたいでした。

2日も家に泊まられたら迷惑だったのでしょう。

仕方なく今度は私がマンションの管理をしている不動産屋に連絡を取りました。

おばあちゃんが連絡しても鍵を持って来てくれないと言うからです。

すると不動産屋は、「もう風呂入って酒飲んだから持って行かれへんわ!」と言って断ってくるのです。

「タクシーで来て開けてもらえませんか?」と聞くと、「もう何回もそのばあさんには迷惑を被ってるねん!そのままほっといたらどっか行くやろ!」と言って電話を切られてしまいました。

仕方なく住吉警察に電話をかけたところ、警察も深入りしたくなさそうで、「僕らが警察や言うて不動産屋にプレッシャーかけるのも後々何か言われたらあかん時代ですねん。」と言って断られました。


おばあちゃんは、「また別の友達の家に行ってみる。」と言って歩いて行ってしまいました。

心配で、夜の9時頃に110番の方に電話をして、「もしも徘徊して迷子になってるおばあちゃんがいたら、隣のマンションのおばあちゃんかもしれないので、連絡だけしておきます。」と伝えたところ、やはり保護されて夜中に無事に帰れたみたいでした。


私は一人暮らしのおばあちゃんが、このままでは野垂れ死するかもしれないと思い、地域包括支援センターに連絡を取りました。

担当の方が私に話を聞きに来たちょうどその時に、またおばあちゃんが友達に送られて帰宅しており、その騒動を見てもらうことができました。

友達の方も疲れ切った顔をしていました。

とにかく不動産屋に連絡をして鍵を開けてもらってくださいと言われたので不動産屋に電話をしたら、案の定断られました。「私が取りに行くから鍵を貸してください。」と言うと、「ほなお前が今日からあのばあさんの鍵係やからな!」と言われました。

その通り地域包括支援センターの方に伝えると、私の代わりに担当の方が行ってくれることになりました。


それから私の出る幕はなくなりました。隣のマンションの部屋から何か工事している音が鳴っていて、窓を開けられないようにしている感じでした。


それ以来、ぱったりとおばあちゃんの姿を見なくなりました。てっきり施設に入ったのかなと思っていた矢先、隣のマンションにお巡りさんや救急車や消防車がやって来ました。

翌日、地域包括支援センターの方から電話があり、おばあちゃんがお風呂で亡くなっていたと報告されました。

死後3〜4日経っていたらしいです。

第一発見者は、おばあちゃんの息子さんから連絡が取れないから見に行ってほしいと言われた不動産屋のようでした。

こんなに早く死んでしまうなんて。

私は最後まで親切にしたから後悔はないけど、第一発見者になってしまった不動産屋のジジイは夢におばあちゃんが毎晩出て来そうやなと思ってしまいました。

眠れなくて眠剤飲んで自分も認知症になるのでしょう。


めぐる因果の糸車。


おばあちゃんは今頃天国でカラオケを歌いまくっていることでしょう。

明るくて歌の好きなおばあちゃんでした。

重い肉体を脱いで、自由に歌っていてね、KM原のおばあちゃん。



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2023/12/30

甥っ子の臨死体験

今から1週間前に、甥っ子は午前中の予約の仕事を終えて、帰宅の途にありました。

90ccのバイクで帰宅途中、左折の車に巻き込まれて転倒し、そのまま出血が止まらず意識不明となりました。

出血部位は胸郭内部からで、結論から言うと肋骨が折れて肺に刺さっていたことが原因だったようです。

出血部位を見つけることができず、大出血のため一度心臓が5分間止まってたそうです。

運良く胸郭部専門の先生がいる病院に運ばれて、手際よく手術してもらえなければ今頃お葬式になってた年末です。


ここからは姪っ子から聞いた甥っ子の臨死体験談です。

甥っ子は事故当時の記憶が全くなく、バイクが転倒した途端に、意識は家に帰っていたそうです。

帰宅して普通にくつろいでテレビを観ていたのですが、いつまで経っても家族が帰宅しないことに気がつき、「あれ?」と思ってたらICUで意識が戻ったそうです。

夕方には家には義弟(父親)が帰宅していて、テレビをつけていたそうですが、もちろん甥っ子の姿は見えません。

ところが、甥っ子からも父親の姿は見えなかったそうです。

一般によく聞く臨死体験では、本人からは家族が見えているのに、家族は本人に気がつかないという話をよく見受けますが、甥っ子からも家族が見えないという不思議なものでした。


まるでお互いの次元が違うために同じ空間にいても見えない感じらしいです。


さらに詳しく姪っ子に聞くと、甥っ子が意識不明だった夜中の2時に、義弟はベッドで眠っていたら急にゾクゾクと寒気がしてきて、寝ぼけなからも「来るな来るな!」と言ってたそうですが、甥っ子は義弟の部屋のある2階を家族を探してウロウロしてて、急に光に吸い込まれて、気がついたらICUだったそうです。


現在、医師が驚くくらい早く回復をしているらしいので、退院したらまた話を聞きたいところです。

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