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2024/12/06

母との行き当たりばったり旅行

先日ふと、母と行った行き当たりばったりの旅行のことを鮮明に思い出しました。

母は行き当たりばったりが好きで、電車の時間も旅館の予約も何もせずに、小さいカバンだけ持って旅行がしたいと私に持ちかけてきました。

当時私は大学1年生くらいだったと思います。

母に言われるがまま、私も荷物は肌着とウォークマンくらいだけ持って一緒に地下鉄に飛び乗ったのです。

当時は母は父と別居中で、私は母と駅で待ち合わせて行ったのです。別居のことで暗くなりがちな私を励まそうと、母はそんな企画を思いついたのかもしれません。

地下鉄に乗ってどこへ行こうかと相談して、上高地に行こうということになりました。

上高地に行くにはまず名古屋に行かなければと考え、新幹線で名古屋へ向かい、在来線に乗り換えて上高地方面へ向かったように思います。

なにしろ今のようにスマホの地図アプリで経路が一発でわかる時代ではなかったから、名古屋に着いてから駅で「上高地に行きたいんですけど…」と駅の人に聞いて切符を買ってという、のんびりした有様でした。

上高地の手前の松本に着いたらもう午後5時頃で、上高地行きのバスがなくなっていました。仕方なくタクシーに乗ることにして、「上高地」と告げると、「ホテルは予約されてますか?」と運転手さんに聞かれました。もしかすると行き当たりばったりの旅行者が多かったから聞いてくれたのかもしれません。予約していないことを伝えると、大慌てで知り合いのホテルに公衆電話から掛け合ってくれて、狭い和室に泊まれることになったのでした。

翌朝、大正池に散歩をして、チェックアウトしてバスで乗鞍岳に向かいました。母が行きたいと言ったからですが、行ってみたら乗鞍岳は冬みたいに寒かったのです。ジージャンとブラウスとスカートというような出立ちでは寒すぎてバスの待合室のストーブから動けず、そのまま飛騨高山へ向かうことになりました。

飛騨高山に着いて町を少し散策して五平餅を食べたことを覚えています。

結局、その日は行き当たりばったりの貧乏旅行なので、うらびれたビジネスホテルのようなところに泊まることになりました。

母と布団を並べて寝ながら、私は家のステレオで録音しておいた「ジェットストリーム」をウォークマンで聞いていました。

母が「何聞いてるの?」と言うので片方のイヤホンを貸して聞かせてあげました。

城達也さんの深い声と鳴り響くリチャードクレイダーマンのピアノ。

一つのイヤホンを片方ずつ耳に入れて聞く親子。

当時は恥ずかしかったけど、今となっては良い思い出です。


母が亡くなったあと、遺品の中から当時私が使っていたウォークマンが出てきました。子供も生まれて聞くこともないからと母にあげたのだと思います。母はあのウォークマンをみて、あの行き当たりばったり旅行を懐かしんでいたのかもしれません。

私もあの旅行は瑞々しいカラーの記憶で残っています。

楽しかったな、お母ちゃん、旅行誘ってくれてありがとうね。

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2024/10/01

ボンちゃんの話

今の家を新築してすぐに、自転車に乗っている私の足にしがみついて助けを求めた黒猫ボンちゃん。

鼻垂れで、里子に出せなかった。

優しい子で、オス猫なのに仔猫たちの世話を甲斐甲斐しくしてくれて、少し年上のたこ焼き屋の裏で保護したオス猫のタコさんと2匹で、猫同士の付き合い方やトイレの躾までしてくれました。

目の開いていなかったモモ犬が来た時は、下の世話もしてくれて、私たちはボンちゃんのお陰でいつも楽ができました。

17歳になった頃から関節が弱ってきて、歩きにくそうになりました。

18歳になってから腎不全が顕著になり、毎日皮下点滴をしていましたが、猛暑のためにエアコンを入れっぱなしだったのがいけなかったのか、風邪をひいてしまい、寝たきりになりました。

2週間ほど瞳孔が開いたまま寝たきりで、まるで植物人間のようでした。

ボンちゃんのことを大好きなカワちゃんが、天井の方を向いて鳴いたりしていました。

ある日、ボンちゃんの瞳孔が閉まってきて、名前を呼んだら反応できるようになりました。不思議なことに風邪は治っていました。

それで私は喜んで、「臨死体験から戻った猫」のボンちゃんに、エレンタールやエネルギーちゅーるを与えていきました。

1週間ほど続けた2024年9月19日の夜、私が与えていた流動食を誤嚥して呼吸ができなくなり、あっという間に死んでしまいました。

命というものが、なんとデリケートで儚いものかと思いました。ボンちゃんを生かそうとあれこれしたことは、ボンちゃんに苦しみを与えていただけかもしれないと思いました。

でも人間は何かをせずにはいられない。

他の猫がいるので落ち込んだり泣いている暇はなく、いつも通りに明るく生きることが、残された猫のためなので、そのようにしています。

「ボンちゃんありがとう。ほんまに助かったよ。ボンちゃんは最高レベルの猫のボスやったで…」と心の中で話しかけてます。

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2024/07/18

この世界はシャボン玉 ミラーモードとクリアモード

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以前にもシャボン玉の考察をブログに書いていた。

http://nekoota.tea-nifty.com/akubineko/2017/11/post-25a6.html

 

一人一人はシャボン玉の泡のような存在。シャボン玉の中で見たいものを見て生きている。それを「ミラーモード」と私は名付けた。

我の強い人は、他人に自分と同じ映像を共有したがるかもしれない。

 

1900年代に発明されたラジオやテレビは、まさにそれができてしまうツールになった。

その機器によって送られたものの考え方や見方を、それを見た人たちは自分の考えや見方として受け入れるようになった。

SNSもできるようになって、いつのまにか人々は、自分でシャボン玉のミラーモードに他人の映像を映すようになってしまった。もしくは、自分のミラーモードに映る映像を簡単に他人と共有できるようになった。

以前にもそういうことはあった。

宗教がそうだった。それがいつしか拝金教に変わったのは、何をするにもお金が必要なシステムを採用しているから。その拝金教が、テレビのCMなどを使って人々の欲望を煽り、ついには地球上を自分たちが住めないような環境にしていっている。

増えすぎた人口を減らす手立てが早急に必要になってきている。

欲望を制御できれば削減しなくても済むのだが。

 

なぜこんなことになったのか。

シャボン玉のミラーモードしか知らない人が多いのではないか?

「心を静かにしていると見えてくる真実」のクリアモードになるにはどうしたら良いのか。

 

SNSは便利なツールで、世の中にはクリアモードになれた人がかなりいることもわかった。

けれど、その人たちはクリアモードで悟っている分、自分の考えを人々のミラーモードに移植することはほとんどしない。

つまり、クリアモードになれない我欲の強い人が自分のミラーモードの色を移植し放題なのが現実とも言える。

 

私は諸悪の根源は、お金のシステムつまり拝金教なのではないかと思っている。

丸め込んだ者勝ちの世の中になってしまい、人々は欲望を掻き立てられて、クリアモードがあったことをますます忘れてしまう。

そして自分の世界「ミラーモード」に閉じこもってしまっている。

 

クリアモードになって、高い空から色とりどりのシャボン玉が浮かんでいるのを思い描こう。

みんなシャボン玉の内側だけをみて、他のシャボン玉に気が付かず、自分の悩みや楽しみや推しのことを写して生きている。そうこうしている間にシャボン玉を受け入れて生かしてくれているこの惑星が毒まみれになって死にかけているのに気がつかない。

これも私のミラーモードが映しているだけであれば良いのだけど。

2024/03/10

異常者の心理

昔飼っていた猫で、「殺し屋みっちょん」と呼ばれてた子がいました。

みっちょんは、またの名を「下痢下痢みっちょん」と呼ばれていました。


食べたものが体に吸収されないので、だんだんと痩せ細っていってました。

それがある日、病気で横たわり、死にかかっていた年寄りの猫の口のあたりの匂いを嗅ぎに行くやいなや、ガブっと喉元に噛みついたのです。

すると、みっちょんは異常なほどに興奮して、「ふうふう」と激しい呼吸をして、目を爛々とさせていました。

その後、一週間ほど、みっちょんの下痢が治ってしまったのでした。


それ以来、みっちょんは、弱っている猫を探し始めました。自分が楽になるために。

それは阻止せざるを得なかったので、みっちょんの命は尽きました。

若かったのに可哀想でした。


もしかしてそれの人間バージョンではないかと思う出来事が起こりました。


猫の里親になっては猫を殺していた人が近所に現れたのです。


時系列にまとめます。


 針金に巻かれたように首を怪我して帰ってきた放し飼いの猫の話を聞きました。数年前だったとのことです。その頃、針金を使って猫を捕まえて殺している人がいるという噂があったらしい。→噂レベルだが参考程度に。


 猫の里親詐欺が発覚した直後、本人のSNSには野良猫を懐かせようとする写真が上がっていた。(2022年11月)

その写真には2023年の2月にボロボロの状態で助けを求めてうちに来たタビスケと思しき写真があった。(現在は削除されています)


 2023年の春から夏にかけて、近所の放し飼いの猫が3匹立て続けにいなくなり、1匹はかなり離れた場所から見つかり、もう1匹は3ヶ月ほどしてボロボロの姿で家に帰り着いたものの、人を怖がるようになってしまったらしい。もう1匹は未だに見つかっておらず、その猫の特徴が、2022年の11月に犯人のSNSに載っていた写真に出ていたサビ猫と似ている。(こちらも現在は削除、ボランティアさんのスクリーンショットで知りました)


 2023年の秋にボランティアから仔猫をもらうようになっていた。ところが様子伺いのために電話をかけたところ、11月に逃げて、もういないと言われ、2匹もらっていたために心配になり、もう1匹に会わせてほしいと訪ねたところ、15分前に逃げたと言われたらしい。


 毎日探し回るものの見つからず、調べているうちに、その後も他の猫カフェやボランティアから次々と4匹ももらっており、全てすぐにいなくなっていることが発覚。


以上のようなことがここ3ヶ月ほどでわかってきたのです。

犯人に問い詰めたところ、噛まれたら腹を立てて壁に投げつけたり首を絞めて殺し、大和川に流したと白状したとのことです。


ボランティアたちが持ち寄ったフードは封を開けることなく家に残されていたのでした。


仔猫たちは食べ物を与えられることなく餓死したり、反抗すると暴力で殺されていたことがわかったのでした。


想像でしかありませんが、犯人は猫が死ぬと興奮して脳内麻薬が出て、自分の苦しみが軽減していたのではないかと、みっちょんの経験から私は思いました。


最初は野良猫を

次に放し飼いの人馴れした外猫を

最後に手っ取り早く里親になり仔猫を


このような順番でエスカレートしていったのではないかと思うのです。


あまりにも早いペースで猫を死なせたために今回のように発覚してしまったのではないかと思いました。


全て私の想像上の考察でしかありませんが、これがもしも本当だとしたら、そのうち猫では満足せず、もっと大きな生き物を狙うようになるのではないかと思います。


そうでないことを祈るしかありません。

ただの妄想でありますように。

「写真はタビスケ)


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2024/02/02

キャッシュカードも使えない高齢者はどうして生きていくのか

隣のマンションのおばあちゃんが、1月22日にお風呂で亡くなっているのが見つかってから、おばあちゃんのことについて色々考えてしまいました。

おばあちゃんが鍵をなくして家に入れないという騒動の中で、おばあちゃんは、銀行のお金も簡単に引き出せないことが判明しました。

銀行のキャッシュカードが使えないのです。

パスワードを忘れて使えなくなったのか、必要性を感じなかったから作ってなかったのかわかりませんが、お金を銀行からおろすタイミングは、銀行が開いている月曜日から金曜日までしかなくて、土日・祝日にお金がなかったら月曜日まで我慢するしかなかったようなのです。


私は時代に取り残されたおばあちゃんが、おそらくそう長くは生きていられないだろうなと、その話を聞いた時に心の中で思いました。

もうその時点で施設に入所させてあげないといけないタイミングだったと思います。

けれど後で知ったのは、鍵だけ開けて、そのまま放置だったようなのです。

デイサービス的な担当の方が来てたかもわかりませんが、いつもおばあちゃんは鍵をなくして外を彷徨いていたから、ドアホンを押しても出てこなかったらそのまま帰るの繰り返しで、年末ごろもその習慣で、おばあちゃんがいないと思って帰ってしまっていたのかもしれません。

それに、通帳と印鑑では代理でお金を下ろすことはできないような気もします。

たまにキャッシュカードを預けて下ろしてきてもらっている方は知っていますが…後でお金が減りすぎてると騒いでたから、基本そういうのはやっていないのではないかと思います。


おばあちゃんの姿を見て、もう長くないと思ってからわずか1ヶ月で、おばあちゃんは亡くなってしまいました。

寝たきりで長患いするよりもマシだったと思えなくもありません。

最後まで一人で頑張ったのでしょう。

そういうお年寄りが世の中にはたくさんいるのだと思いました。


私もいつか時代に追いつけなくなる日が来るのでしょうか。

その時はみんな体にチップを埋めていて、買い物もカードやスマホ決済も無しでゲートを通り抜けるだけになるのでしょうか。

私はチップが嫌なので、そうなったら時代から取り残されそうです。

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2024/01/26

KM原さんのこと

2023年の冬の始まりの頃、隣のマンションに住んでいて、以前犬を飼っていたので顔見知りのおばあちゃんが、ノックをして立っていたんです。

その時は院内にダンナ一人しかおらず、「どうしたんですか?」と尋ねると、「電気が3日間つかへんねん。」とのこと。

よくよく話を聞くと、鹿児島に2ヶ月間遊びに行ってて帰って来たら電気が止まってたということでした。電気代を携帯電話会社の電話代とセットにしていて、毎月コンビニで支払いをして銀行引き落としにしていなかったので、2ヶ月留守をしていた間に電話代を支払わなかったため、電気も電話も止まったのが判明しました。

電話は相手からかかって来た時だけ出られますが、自分からはかけられないため電話会社に連絡も取れないし、帰宅して気がついて電話代を支払ったのに電気が3日間つかないとのことでした。

ダンナが関西電力に連絡して直接契約にしてもらったところ、一瞬で電気がついたと言って「ワシええことしたやろ〜。」とダンナが自慢してました。


冬に電気が3日間つかないなんて、可哀想なおばあちゃん。

そう思ってたら今度は、家に帰って来たら鍵がなくて入れないと言い出しました。

これもよくよく聞くと、鍵を閉めてから横の窓から鍵を投げて家に入れていることがわかりました。

「こりゃ、おばあちゃん認知症になってるな。」と母のことを思い出しました。

とにかく家に入れないと夜中に凍えてしまうかもしれない。おばあちゃんはカラオケ友達がたくさんいたので、鍵がなくて家に入れない時は友達の家を泊まり歩いていたらしい。

その時は自分でなんとかすると言うので一旦帰宅しましたが、夜になって雨が降り出し、心配になって110番して「迷子のおばあちゃんがいたら知ってる人かもしれないです。」と伝えたところ、おばあちゃんは無事にパトカーに乗って帰宅し、不動産屋も呼ばれて鍵を開けてもらえたみたいでした。


110番に出た方は、心配なことがあったら遠慮せんと110番してくださいねと言ってくれました。


ある夕方に、またマンションの前におばあちゃんが佇んでいて、「友達の家から帰ったら鍵がないねん。」と言うのです。友達も鍵がないと知ってて車で乗せて来たみたいでした。

2日も家に泊まられたら迷惑だったのでしょう。

仕方なく今度は私がマンションの管理をしている不動産屋に連絡を取りました。

おばあちゃんが連絡しても鍵を持って来てくれないと言うからです。

すると不動産屋は、「もう風呂入って酒飲んだから持って行かれへんわ!」と言って断ってくるのです。

「タクシーで来て開けてもらえませんか?」と聞くと、「もう何回もそのばあさんには迷惑を被ってるねん!そのままほっといたらどっか行くやろ!」と言って電話を切られてしまいました。

仕方なく住吉警察に電話をかけたところ、警察も深入りしたくなさそうで、「僕らが警察や言うて不動産屋にプレッシャーかけるのも後々何か言われたらあかん時代ですねん。」と言って断られました。


おばあちゃんは、「また別の友達の家に行ってみる。」と言って歩いて行ってしまいました。

心配で、夜の9時頃に110番の方に電話をして、「もしも徘徊して迷子になってるおばあちゃんがいたら、隣のマンションのおばあちゃんかもしれないので、連絡だけしておきます。」と伝えたところ、やはり保護されて夜中に無事に帰れたみたいでした。


私は一人暮らしのおばあちゃんが、このままでは野垂れ死するかもしれないと思い、地域包括支援センターに連絡を取りました。

担当の方が私に話を聞きに来たちょうどその時に、またおばあちゃんが友達に送られて帰宅しており、その騒動を見てもらうことができました。

友達の方も疲れ切った顔をしていました。

とにかく不動産屋に連絡をして鍵を開けてもらってくださいと言われたので不動産屋に電話をしたら、案の定断られました。「私が取りに行くから鍵を貸してください。」と言うと、「ほなお前が今日からあのばあさんの鍵係やからな!」と言われました。

その通り地域包括支援センターの方に伝えると、私の代わりに担当の方が行ってくれることになりました。


それから私の出る幕はなくなりました。隣のマンションの部屋から何か工事している音が鳴っていて、窓を開けられないようにしている感じでした。


それ以来、ぱったりとおばあちゃんの姿を見なくなりました。てっきり施設に入ったのかなと思っていた矢先、隣のマンションにお巡りさんや救急車や消防車がやって来ました。

翌日、地域包括支援センターの方から電話があり、おばあちゃんがお風呂で亡くなっていたと報告されました。

死後3〜4日経っていたらしいです。

第一発見者は、おばあちゃんの息子さんから連絡が取れないから見に行ってほしいと言われた不動産屋のようでした。

こんなに早く死んでしまうなんて。

私は最後まで親切にしたから後悔はないけど、第一発見者になってしまった不動産屋のジジイは夢におばあちゃんが毎晩出て来そうやなと思ってしまいました。

眠れなくて眠剤飲んで自分も認知症になるのでしょう。


めぐる因果の糸車。


おばあちゃんは今頃天国でカラオケを歌いまくっていることでしょう。

明るくて歌の好きなおばあちゃんでした。

重い肉体を脱いで、自由に歌っていてね、KM原のおばあちゃん。



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2023/12/30

甥っ子の臨死体験

今から1週間前に、甥っ子は午前中の予約の仕事を終えて、帰宅の途にありました。

90ccのバイクで帰宅途中、左折の車に巻き込まれて転倒し、そのまま出血が止まらず意識不明となりました。

出血部位は胸郭内部からで、結論から言うと肋骨が折れて肺に刺さっていたことが原因だったようです。

出血部位を見つけることができず、大出血のため一度心臓が5分間止まってたそうです。

運良く胸郭部専門の先生がいる病院に運ばれて、手際よく手術してもらえなければ今頃お葬式になってた年末です。


ここからは姪っ子から聞いた甥っ子の臨死体験談です。

甥っ子は事故当時の記憶が全くなく、バイクが転倒した途端に、意識は家に帰っていたそうです。

帰宅して普通にくつろいでテレビを観ていたのですが、いつまで経っても家族が帰宅しないことに気がつき、「あれ?」と思ってたらICUで意識が戻ったそうです。

夕方には家には義弟(父親)が帰宅していて、テレビをつけていたそうですが、もちろん甥っ子の姿は見えません。

ところが、甥っ子からも父親の姿は見えなかったそうです。

一般によく聞く臨死体験では、本人からは家族が見えているのに、家族は本人に気がつかないという話をよく見受けますが、甥っ子からも家族が見えないという不思議なものでした。


まるでお互いの次元が違うために同じ空間にいても見えない感じらしいです。


さらに詳しく姪っ子に聞くと、甥っ子が意識不明だった夜中の2時に、義弟はベッドで眠っていたら急にゾクゾクと寒気がしてきて、寝ぼけなからも「来るな来るな!」と言ってたそうですが、甥っ子は義弟の部屋のある2階を家族を探してウロウロしてて、急に光に吸い込まれて、気がついたらICUだったそうです。


現在、医師が驚くくらい早く回復をしているらしいので、退院したらまた話を聞きたいところです。

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2023/12/17

町内会やめました

今年の4月に町内会を辞めました。

年に一回2000円を支払って、あとは誰も見ない回覧板を回すだけ。

町内会費は昔からこの地域に住んでいた人たちが貸切バスで温泉旅行に使ったりしているのをうすうす知っていたし。


決定的になったのは、町内で女の子が行方不明になった時、犬の散歩で近所の子達と親しくしていたうちの息子を、前の町会長が容疑者として警察に申告していたことが去年発覚したからです。もしかしてとは思ってましたが、前の町会長が自分で笑いながら言ったことに私はブチ切れたのです。

息子も近所の子供達にせがまれて、ゲームをしたり遊んであげたのがいけなかった。現代風に近所の子供は見て見ぬふりをして通り過ぎていたら良かったのに、子供の純真さに心洗われて、親に放ったらかしにされている子もいたりして、少し深入りしていたから疑われたとは思います。

もう犬も亡くなって散歩にも出ないから、子供と会う機会もなくなってホッとしています。

今の時代、近所の子供に親しくすると変質者扱いをされてしまうのでした。


犯人扱いが発覚した経緯は、近所の文化住宅や駐車場が解体されることになり、ゴミ捨て場の場所に置いてあった町内会の掲示板を、突然家の向かい側に置かれてしまい、私は苦情を申し立てました。

ゴミ捨て場にあったものだから、通行人がゴミを投げ捨てて行ったりしますし、片付けるのは私なのです。

曰く、「向かいの家の奥さんからは了承をもらった」「新しいマンションが建った暁には地主のOKが出たら元に戻す」とのこと。

地主はOKするでしょうか?景観が悪くなるしゴミを捨てられるのに。

そういうやりとりを、今の町会長と前の町会長が来て自宅の前で話していた時に、前の町会長がヘラヘラしながら、「あれはワシが警察に言うたったんや。」と、まるでいい気味だと言わんばかりに言い出したのです。

あの時、女の子が自力で逃げ出して警察に駆け込んでくれなくて行方不明のままだったら、もしかして息子が犯人に仕立てられていたかもしれないと思うと、ちょっとやそっとでは怒らない私もブチ切れました。

一回容疑者として名前が上がったりしたら、もう人生詰んでしまうのに。


2年後には町内会の班長の役が回ってきます。その時に下っ端の私が偉そうにされるのは堪えられないし、古い役員の旅費や回覧板回すだけの町内会なんて意味無いしと思ってたので、この際きっぱりと辞めることを決意しました。

掲示板は、私が町内会の男二人に大声で責められてるのを聞きつけた息子が出てきて理論武装してやり返した結果、気がついたら無くなってました。

お向かいの奥さんによると、どこも置いてくれる場所がなくて処分されたそうです。

掲示板には葬儀屋の広告が付いていたから、わずかな広告費を稼ぐために、人の迷惑を顧みず移動して持ってきたのだと考えられます。


「ああもう、世知辛い世の中やな。」と、去年から今年の4月くらいまで、私は怒っていたのです。

まぁでも、不当なことには我慢せずに申し立てられたし、息子がしっかりしていて心強かったので、その後は平和に暮らした一年でした。

還暦を前にして体があちこち痛いけど(涙)


以上、読んでくれてありがとうございます。

良いお年をお迎えください。

(写真は元々掲示板のあった場所)

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2023/11/20

2031年の噂

最近YouTubeなどで2031年地球文明が終わるという噂があるのですよ。


日蓮宗の僧侶の高野誠鮮さんの話で、法華経に出てくる数字を全部足すと2031になり、2031年が末法の年なのではないかという説。

また地球温暖化は化学肥料の亜酸化窒素が二酸化炭素の40倍出ることは科学的には周知の事実だが、今は二酸化炭素しか問題にされていないと高野さんは話しています。


自然栽培の木村秋則さんがUFOにアブダクションされた時に見せられた地球カレンダーは2031年までだったという話。

また、2025年には緑色の小惑星が地球に最接近するということを宇宙人から教えられているそうです。


ホピ族の予言で、青い星のカチーナが地球に落ちたら、文明は崩壊して滅亡するという話。


ペンキ画家ショーゲンさんがタンザニアのブンジュ村の村長さんから聞いた話で日本は2025年に大変なことがあるけど、そこから素晴らしい国に生まれ変わるという話。村長さんのおじいさんはシャーマンで、縄文時代の日本の人から霊的にその教えを受けていたなどなど。


これらの情報を総合して考えてみたら、2025年に、地球に接近する小惑星は木星や土星が重力で捕まえてくれてたのが、捕まえきれなくなり、地球の方にやってきてしまう。

その小惑星は地球から見ると青色や緑色に見える。

月よりも近く寄ってきた場合、地球にかなり影響を及ぼす。地震や津波なども起きるかもしれない。


現在の地球の異常気象は、温暖化の影響があるが、その原因の化学肥料を問題視せずなぜか石油や天然ガスだけを目の敵にして対策していて、森林を切り開いて10年後には使い物にならない太陽光発電装置を設置したり、やっていることが支離滅裂です。

結論としては、地球を救うためには生きとし生けるものに愛情を育む縄文の心で自然栽培をするようにならないといけないということになりますね。

地震や津波でガタガタになった何もない日本の国で、自然にそのようになっていき、それが世界に広がるのかもしれないです。


私は、本当に2025年にそんな小惑星が飛んできて、大津波が来てしまい、死なずに万が一生き延びた時は、昔から思っていたように、人々にいろんな知識を伝えるオババ様になりたいです。

子供の頃から見せられた、「地球を救うために生まれてきた」という夢のような記憶。そのためにいろんな本を読んだりしてきました。それが役に立つかもしれません。

津波で死んだら元も子もないのですけど。

ちなみに住んでいる家の標高は「標高ワカール」というアプリで調べたら、たったの9mです。

津波よ、来るな!猫に縛られて引っ越しもできないのですよ。


そんな終末的なことは何も起こらず、ボケーッと猫を撫でて生きていくのが私的には一番良いと思います。(神様お願い)


最後にネイティブ・アメリカンのストーキングウルフという名のグランドファーザーは、世界中で昼間に空が赤くなると、もう修正は効かないという予言を残しています。

最近世界各地で赤いオーロラのニュースを見聞きしますが、もうダメなのでしょうか?


私の子供の頃の記憶では、今回が最後でリセットはありません。もしかして、地球を救う宇宙人のゲームに参加してるのかしら?と思う今日この頃です。

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2023/10/15

「君が代」に出てくる岩の話

君が代は千代に八千代に

さざれ石の巌となりて

苔のむすまで


今の人には「細かい石が岩になる?」と不思議な感覚になるのですよね。

でもそれは、アスファルトにするために岩を砕いて細かい石にしているのが当たり前になっているからで、昔の人は大きな岩を砕くなど、神をも恐れぬ仕業だと思っていたとしたら、どうでしょう。

細かい石が岩になるというのは、花崗岩みたいな石のことを言うのかなと思うわけなんですが、それはそれは長い時間かけて岩になることでしょう。その岩に更に苔がむすということは、とても長い時間のことを表しているのだと、最近腑に落ちたのです。


岩は昔の人が神と崇めていた時代がありました。


今では砕いて道路にしたり、風呂屋や旅館の敷石になったりオブジェにしたり。

私はスーパー銭湯の露天風呂に入る時、いつもどこかから連れて来られた岩に申し訳なく思い、心で「ありがとう、ごめんなさい」と言ってしまいます。

こんなことばかりやっているから、岩に憑いている霊が私に付いてきて、あちこち痛くなってるのではないかと思える今日この頃です。


先日、お気に入りだった温泉施設が廃業しました。

バブルの時代に豪勢に石を使って作られた、その建物は取り壊されてしまうでしょう。

岩はどうなってしまうのか心配になりましたが、私にはどうすることもできません。

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