2017/06/26

あぁ、恥ずかしい

毎夜毎夜、朝になるまでずっと、どこかからテレビの音がするんですよ。

バラエティみたいのだったり、ニュースみたいのだったり、ドラマみたいのだったりと、番組は様々なんですが。

てっきり、裏のマンションの住人が、窓を開けてテレビをつけたまま寝ているんだなと思っていました。マンションの方向から聞こえるから。

それで、マンションの管理会社に苦情を言ったりしてたんですよ、2回も。

でも、マンションではなくて、その向かい側にある文化住宅が怪しいということが最近判明して、マンションの管理会社に電話なんかしなけりゃ良かったと、穴があったら入りたい気分なのです。

私の家は、猫がたくさんいるから、朝起きてきた近所の人が、「臭っ」と思わないように、夜中に猫部屋の掃除をしていて、寝るのは最近午前4時くらいになっているのです。病気の子や年寄りの子のケアに時間がかかるようになって、寝る時間が延びに延びて、ヤバイのです。

今はちょうど夏至の頃なので、寝入り端に、裏からテレビの音がずっと聞こえると、気になってしまって、深い眠りにつく前に、カラスが鳴き出してしまうといった体たらくなのです。カァカァカァカァ鳴くわ鳴くわ…「おはよう〜」って挨拶しまくるカラスたち。

私がテレビの音を気にするのとは裏腹に、ダンナは「ワシ全然気にならへんわー、長屋に住んでたから隣の音はオナラの音まで聞こえてたからかなー。」とか言うし。

息子は息子で、「その音、お母さんにしか聞こえてへんのとちゃう?」とか言って脅かすし。

「文化住宅は、うちの真裏で、猫で迷惑かけてるかもしれないしなー」と思ったら、苦情なんて言いに行って「オタクの猫のせいで迷惑してるんや!」と言い返されたりしたら大変だし、もう諦めようかと思ったら、なぜだか気分が軽くなってきました。

文化住宅=年寄りが住んでいる=耳が遠くて寂しい人=テレビつけたまま寝てしまう

そういう図式だったら、可哀想だしなぁ。
でも、睡眠が浅いと、こちらの寿命が縮みそうで、早く窓を閉めて寝る冬にならないかなと願わずにはいられませんわ。(夏の冷房も期待)

2017/06/17

急に食べ物が無くなったりしたら

急に何かの事情で、日本で食料が手に入らないことになったら。

ペットフードが無くなって、人間の食べ物も底をついたら、大型犬のモモ犬は、猫を食べてしまいそうだから外に繋ぐことになり、そうしたら、モモ犬が他の人に食べられてしまいそうで嫌だな。

と、たまに変な想像をしてしまう私。

平和だからいいけど。これがずっと続いたらいいけど。

ある日、食料自給率の低いこの国で、食料の輸入が止まってしまったら。

都会では、備蓄してある分が無くなり次第に、奪い合いになるのだろうか?

その時、お金を持っている人が少ない食料を優先的に手に入れることができたとしても、核シェルターみたいなところに隠れていないと、食料が手に入らない人たちが掠奪しに襲いかかって来そう。

アホみたいな妄想かもしれないけど、0%ではないのだから。

私は30代の頃から、そんな事を考えていて、ずっと田舎で自給自足したいしたいと言い続けていたのだけど、猫まみれになっているうちに、すっかり気力体力も衰えて、今となっては諦めの境地…

でも、お願いだから、モモ犬が生きているうちに、そんなことにはなりませんようにと、時々考えてしまうのです。

日本政府にお願いします。

どうか、食料自給率を上げるような政策に舵を切ってください。
農家に転職したい人がいたら、気軽に土地と家を貸してくれるような、制度を作ってください。

お金がいくらあっても、世界的に天候異変が起こったら、食料の輸出国は、自国優先になるのに決まっているのだから…

どうか、よろしくお願いします。

2017/06/16

家畜と人間は同じなのかも

少し前の文章の中に、「家畜の道を選んだからこそ、爆発的な数を増やすことができたのだから、ある意味、種を増やすために人間と取引したようなものだと、息子などは言います。

数が増えさえしたら、狭い檻に閉じ込められて、親は子と引き剥がされて、人間に食べられるために短い一生を終える、それで良いのだろうか?」

という部分があって、ぼーっと読み返していたら、「あれ?これってお金で支配されている人間と同じやわ。」と思いました。

お金で支配されて、世界経済の中に紛れて生きることが、寝る場所と食べるものを保証されて、爆発的に人口を増やすことができたのだとしたら、一体、お金というツールを操って、人間を家畜にしているのは誰なのかな?」と思いました。

人々が「月」と呼んでいる、一見岩石の塊に見える宇宙船でやってきた宇宙人かしら?とか。ぶっ飛んだことを思ったりして。

(あぁ、それで、引力でホルモンを撹乱させて、精神的肉体的に負担をかけて今以上の進化ができなくなっていたんだな、とか、地殻に引力で負担をかけて、しょっ中地震を起こさせたりしているんじゃ?とか。)

宇宙人でなくとも、宇宙空間から地球を見下ろすような俯瞰ができる人なら、人間を家畜として操ることは容易い(たやすい)感じがします。

あぁ、そうだったのか、やっぱり家畜だったのか…と、ちょっとドヨーンとしてしまいました。

Simple is beautiful

老いてから家の中を片づけるのは、たぶん億劫になるだろうから、今から断捨離をしていこうと、夫婦で話し合っている。

子供の頃は、余計な家具なんか一つもなくて、すっきりした和室で畳の上に寝転んでいた。あの頃が懐かしい。

年老いてからお金なんか持ってても、オレオレ詐欺で持っていかれたりする世の中だしね。

Simple is beautiful とはよく言ったものだ。このままシンプルに美しく老いていくのだ。そう思えば、特に金持ちでもないのもまぁいいかと思える。

死ぬ時には、残された者へ後片付けの宿題を置いて行ったりせずに、すーっと天に昇っていきたい。

感じ方の違いで幸せにも不幸せにもなる

猫さんの何気ない仕草を、「かわいいー」と思うか、「ウザっ」と思うかで、同じ一つのことが原因でも、心の風景は全然違う。

子供の頃、猫好きの私は、猫が何をしてもかわいいと思うのに、そんなに猫好きでもなかった祖母は、「また散らかして!」とか言っていた。

掃除や片付けをさせられるから、そう思ったのかもしれない。私は猫を可愛がるばかりで、面倒な世話は、全て祖母任せだったのだから。

私も、大人になってから嫌というほど猫のことで掃除をしたから、今となっては祖母の気持ちもわかる。

まぁ、祖母は猫1匹でそんなことを言ってて、私は50匹で言ってた違いはあるけど。

猫部屋の掃除をしながら、「あー、おばぁちゃんの呪いかなー。」とか思ったことが何度あったことか。

今は21匹になって、50匹以上の頃に比べたら、体も貧血が治って元気になっているし、とても心の余裕があるのであった。お金はないけどね。(猫のせいで)

2017/06/14

人しか救えない

人に食べられるために生まれて来る動物がいる。

俗に言う家畜。

殺されるために生まれて、文句の1つも言わない家畜たちを、「神々しい」とダンナが言いました。

揚げ足をとるようだけど、私は疑問に思いました。

救えるのは、そのことに気がついている人間だけなのに、「神々しい」とただ感心して、見ているだけで良いのかと。

自分は食べないから良いとしても、食べない人を増やすようにしていかないとダメなんではないかと。

人間が、食べるのをやめたなら、殺されなくて済むのだから。

家畜の道を選んだからこそ、爆発的な数を増やすことができたのだから、ある意味、種を増やすために人間と取引したようなものだと、息子などは言います。

数が増えさえしたら、狭い檻に閉じ込められて、親は子と引き剥がされて、人間に食べられるために短い一生を終える、それで良いのだろうか?

豚も牛も鶏も土を踏んで草を食べたりしたいだろうに?と私は思います。

「自然は神が人に与えたもの」と、考えるキリスト教的な考え方が、私は嫌いです。

猫おばさん考

猫おばさんにも色々いて、餌だけの人、餌とTNRセットの人、TNR専門の人など様々だ。

その人それぞれの考えがあるし、私も色々と揺れながら、最終的に導き出した答えを残しておこうと思う。

私は猫の避妊去勢手術を手伝う運命になり、たくさんの「猫の種」とも言える卵巣と精巣を取り出し続けているうちに、罪悪感を持っていた。

自然に元から備わっているものを取り出し続けることに。

でも、よく考えたら、猫の住む環境に自然はほとんど残されていなくて、特に都会の猫は、猫おばさんの配ってくれるフードや、情け深い人たちのくれる食べ物頼みになっていたりする。

このことに罪はないと、私は思う。猫が嫌いな人は怒るかもしれないけど、食べ物がなくてやせ細った可哀想な生き物に情けをかける人の方と、猫に餌をやるなと言って目を釣り上げる人の方の、どちらが神仏の加護がありそうかといえば、絶対に情け深い方だと思う。

けれど、食べ物に不自由しないと、仔猫がどんどん増えるから、避妊去勢しないといけなくなる。

ここで、避妊去勢せずに餌を配り続けるのは、「わがまま」だと私は結論づけたい。

もうすでに、猫が狩をして食べていけないし、自由に糞尿する場所もほとんどないような都会で、やみくもに猫の数を増やしてしまうと、嫌がる人も出てくるだろうから、TNRをして数を抑制することは、ほぼ義務であると今は考えている。

だから、神様から授かった猫の種を、申し訳ないと思いつつも取り去って、その猫の余生が安穏であるように祈りつつ、毎日手伝っている。

可哀想な生き物を見て、何も感じない人よりも、涙を流してなんとかしてあげたいと願う人の方が、私は好きだ。

猫が嫌いで目を釣り上げている人も、自分が困ったことになって窮地に追い込まれたら、同じように目を釣り上げる人に助けを求めないで、生き物に優しい人を探すはずだと思うから。

猫おばさんは、偉いと思う。

雨が降っても風が吹いても、待っている猫たちに配って歩く。
TNRもする人はもっと偉い。

私には、その情の深さは真似ができない。だから、せめて力になれるように、手術を頑張っている。

いつか、猫が狩をして生きられるような自然環境が、回復したらいいのになと、願う。

2017/06/07

人生ってあっけない

小さい頃の記憶の景色は曇り空。
ドブ川のにおい、近所の子がこわい、ドブに捨てられた仔猫、病気がち。

小学校高学年で少し生きるのが楽しくなっていたから、景色は晴れていた。
男子にモテたからというのもあるし、南阿蘇村の大自然の中で夏休みを過ごしたから。

中学校は1年の最初だけ楽しかったけど、あとは曇り空。
不良の子の天下だった。

高校の頃の景色は雨降り。
家庭が壊れて毎日泣きながら学校に通ってた。

大学の頃くらいから、景色を見ていなくて、人の顔色を見ていた気がする。

そのあと大人になって、生きるのに忙しかったけど、やっとこの頃になって、お日様と会話をするような気持ちで犬の散歩ができている。

この、生きるのに忙しい30〜40代に、今くらいの心のゆとりがあれば、もっと人生が充実すると思うのに、もうすぐしたら死に支度をしないといけない。

あっけなくて、残念。

どうしてこんなに心の景色が灰色なのかと思うに、自然がない都会で生きているからじゃないかと。

南阿蘇村で生きた1ヶ月の記憶はカラーなのだから。

ああ、なまじっか大自然を知っているだけに、都会の暮らしが辛くてたまらない。だけど、家族は大自然を知らないから、わかってはもらえない。辛いところなのであった。

でも、だからといって、今から田舎に自分だけ逃げ出すのも私は嫌だと思う。

都会で、猫のことで困っている人を助けてあげたい気持ちが、後ろ髪を引かせるから。

とりあえず、大阪で、生き物に優しい人たちを増やしたり、助けたり、そんなことをしながら私は老いていくのだと思う。

心は、小学校の運動会で、好きな子と踊る順番が来るのをドキドキしていた、あの頃のままなのに、本当に人生ってあっけないですわ。

2017/05/26

ミポリンとチュンリー

ミポリンは、生命力が強いというか、「生き力」があるというか、要領も良くて素早くて頭が良い猫です。

仔猫時代はさぞかし可愛らしかったと思われるキジ白ハチワレで、パッチリとした深い森の奥の湖のような緑色の目をしていて、その瞳でじっと見つめてくるのです。

猫様のトイレの掃除をしていると、側に来て、「ファンファーン」というような声で呼びます。

チュンリーは、三毛美という三毛猫から生まれたキジ白ハチワレで、お父さんがヨモギちゃんというチンチラゴールデンです。

ヨモギちゃんはペットショップの種猫で、元は「ダンナ」と呼ばれていたらしいけれど、引退して里親さんにもらわれていくことになり、去勢するまで一晩うちで預かった時に、まだ5ヶ月だった三毛美に素早く種を植えていったのでした。(さすがはダンナと呼ばれるだけあって素早かったなぁ)

三毛美は、自分が育てられたように、何故だか仔猫たちを押入れのスノコの隅に一直線に並べて隠していて、ユニークな育て方に笑ったことでした。きっと野良猫のお母さんが、三毛美たち仔猫を土管とか側溝に並べて隠していたのでしょう。

チュンリーはお父さんに似て、少し毛がフワフワで、目もパッチリ、声は可愛らしいおっとりした猫なのです。

ミポリンとチュンリーはどちらも1999年生まれで、今18歳。

うちは、缶詰タイムがあって、猫缶を小皿に取り分けて、年寄り組に配るのだけど、ミポリンの素早いことといったらこの上なくて、自分の分は残したまま、チュンリーの分を横取りするのです。

ミポリンのお皿を素早くチュンリーの前に置き換えて、「早くパクパクッと食べなさい。」と見張るのが私の役目になっています。

この可愛らしい2匹の猫が後どれくらい生きられるのかわかりませんが、自分の年を考えて、若い猫は家に入れないと決めているから、1日でも一緒に暮らせますようにと、思っています。

母が亡くなってから、自分の年と母の亡くなった年を勘案したら、あと23年しかありません。

毎日、生きるために忙しく働いているうちに、あっという間にその日が来そうで、残された日々を大切に、猫たちを慈しんで生きたいと思っています。





2017/05/23

音信不通になったボランティアさんのこと

今から14年くらい前になるでしょうか、うちに来ていた犬のボランティアさんが、事故にあって意識不明になったという話を人伝に聞きました。

その方は神戸の震災の時に犬のボランティアに目覚めて、その後、あるボランティア団体に手伝いに行き始め、そこで里親がつかなかった犬を自宅に連れて帰るということをやっていました。

私が知っている頭数で、25匹。

マンションで犬25匹は、とてつもない数に思えました。

そうこうするうちに、マンションの住民から苦情が出て、田舎の方に引っ越すことになったようでした。

遠いのに、時々、ノミの薬を買いに来たりしていたので、「今は何匹ですか?」と聞き、その度に増えていて、「一人でお世話できないでしょう?」と、とても心配していたのでした。

最後にこられた時は、服もボロボロで、自分の身の回りのこともできていない様子で、本当に心配でした。

まもなく事故の知らせを聞いて、真っ先に「犬はどうなってしまうのだろう?」と思ったことでした。

当時、私は建坪12坪の家に猫にまみれて住んでいたので、引き取りを申し出ることもできないし、ただ指をくわえているだけでした。

案の定、犬は10匹ほどが助かって、残りはほぼ安楽死となりました。(全部で60匹はいたかもしれない。)

何が言いたいかというと、需要と供給のバランスが取れていない現状で、ただ引き取って助けて命だけ助かってもダメだということが一つです。

ペットショップやブリーダーがどんどん増やして売る。それを買いに行く人がいる。買った犬を避妊去勢しない人がいて、また増える。飼えなくなったら保健所に出す。それが可哀想だからと引き取る人がいても、それには限度があるのです。

原因となっている、供給過剰をやめさせない限り続くイタチごっこに人生を捧げるのは、無謀すぎると思うのです。

そもそも、なんでペットショップは無くならないのでしょう。それは買う人がいるからです。けれど、テレビでは、純血腫の可愛い犬の映像が流れていて、それを何十万円も出して買うのがステータスでオシャレ。

オシャレのために買うのだから、洋服と同じ感覚で飽きてしまう人もいるし、可愛がっていても、飼い主が病気になったりすることもあって、行き場のない犬や猫の話は後を絶たないのです。

そんな行き場のない犬猫を助けるのに、お金で解決しようとする人がいますけど、良心的なところで安楽死、下手をすると里親探しもしないで闇から闇に売られていく可能性が、年々増えていっている気がします。

音信不通になった、その方は、京都の伝統的なものを作る職人というかデザイナーだったようです。
そんな肩書きを捨ててまで、どうして犬まみれになってしまったのだろうと、この世の理不尽に胸が痛みます。

あの人は今、この世にいるだろうか?生きていたら70歳くらいになっているかもしれない。意識不明のまま、亡くなったのだろうか?安楽死になった犬たちと一緒に天国で遊んでいるのだろうか?
消息不明の音信不通なので、わかりません。

たまに思い出して、胸がキュッとなります。

新聞記事を載せてくれていたHP(いやしのつえ)をみつけました。参考までに。



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