2017/10/17

みんな迷える子羊

若い頃、大人達が尊敬できませんでした。

歳を重ねてずる賢くなっただけに見えました。自己保身に長けるというか、そんな大人が結構いたのです。

心根の美しい学校の先生たちもいたから、全部の人が尊敬できないのではなかったのですが…

今となってはわかります。
みんな迷える子羊だったんだと。

歳を取っても、人は自分がされたことを若い世代にしてしまう。これは、まるで何かの法則のように、やってしまうみたいです。

本人はやっていることを正当化したり、考えないようにしたりしていますが、実態は、大人の仮面を被った子供だったのだなぁと、しみじみ思うようになりました。

当時は、尊敬できない、許せないと思った私も、「かわいそうに、そうするしかなかったし、抜け出せる道を知る術がなかったんだろう。」と思うのです。

今みたいに、インターネットですぐに探せる時代でもなく、目隠しをしたまま歩いて苦しんでいたのかもしれない。

それは、今の私が、その人たちと同じような年齢になってみて、外見とは裏腹に、中身が子供みたいな私がいるのを知ったから、そう思うのでしょう。

だから、外見が、ヨボヨボのおじいちゃん、おばあちゃんも、心の中には子供がいて、子供みたいに清らかな行いをしたり、寂しくて拗ねてみたり、それが当たり前なんだなぁ…

そう思うと、なんだか、心が暖かくなって、理解して許す気持ちになり、すでにこの世を去った人にはもっと優しくしてあげたかったと思うし、まだ生きている人には優しく接してあげようと思います。

2017/10/15

快適工房にハマってます

貧血で苦しんでいた頃は、「赤」を渇望していて、下着は全部、赤でした。

敬老のお祝いコーナーなんかに置いてある、赤いパンツ、シャツ、ズボン下。全て赤で揃えていた私ですが、最近、月経が無くなって、貧血も回復してきたら、急に白い下着が恋しくなりました。

それで、色々ネットで探していたのですが、敬老コーナーの赤い下着とほぼ同じ作りの下着はグンゼの快適工房かなという事になり、取り揃えました。

夏に痩せたから、自信満々にMサイズのパンツを買ってみたところ、お尻はちょうどなのにお腹のゴムがキツキツでした。
幸いゴムの取り換え口がついていたので、ゴムを引っ張り出して10cmくらい継ぎ足したら、ピッタリになりました。

「ゴムゆるめ」というのが売っていたらいいのになぁ。

次からは用心してLサイズを注文していますが、あと5センチくらいゴムを足してもイイかも…それにLサイズだとお尻はブカブカなんだもん。

まぁ、情けない体型になったもんですが、誰の目も気にすることなく、自分の快適さを求めることは、快感です。

今朝、Lサイズのパンツをはいた後でゴムを継ぎ足してやろうと思い立ち、横着をしてはいたままやりかけていたら、手に持っていたゴムの先っちょが、ピョンッと遠くに行ってしまいました。
ヒイヒイ言いながら、ゴムの取り換え口からやっとこさでゴムの先っちょを引っ張り出して、何をやっているんだか。

今日の教訓は、「パンツのゴムは、はいたまま継ぎ足したらダメ」でした。

因みに、敬老コーナーの赤い下着は、最初からゴムゆったり目で、Mサイズでもオーケーなのです。快適工房は、ゴムはキツイけどハイターで漂白可能なので、まぁ、甲乙つけがたしです。

その日の気分で下着の色を決めるのも面白そうです。赤と白だけだけど。

2017/10/13

自分がロボットみたいになっていると思う件

営業トークは滑らかなのに、友達と話をするのがすごく下手になっている。

営業トークとは、猫の避妊去勢に関することで、言う内容は決まりきっているから、立て板に水のごとく口から出てくるようになってます。

そのほかに話をする相手の数が、とても少ない私。

ダンナと、息子と、家の猫たち。

ダンナと息子はタメ口みたいだし、猫たちとは赤ちゃん言葉みたいだし。

昨日、猫友と会って話をしたけど、要領は得ないは、空気読めないわで、後で凹みました。

最近は、ほとんど家と職場を往復するだけと言って良いような私。
近所の商店街の変遷も知らなくて、浦島太郎みたいになっている。

ドラマは韓流ドラマを観ているから、「あり得ない」という時に、「バーイドアンデー」と思ってしまったりして…

こんなロボットみたいに生きていたくないなと思います。早く粟島に移住したいなぁ。

でも、ダンナが経済奴隷だから、借金返し終わるまで無理。そう思うとガックリですわ。

それにしても、人と話をしなくなると、自分に自信もなくなって、ますます引きこもるようになる図式。これは母もそうなっていたんだろうなと、すごく納得いきました。

一人暮らしのお年寄りは、ツライですね。

飼ってる猫まで全部いなくなった日には、本当にツライだろうなと、今から恐々としてしまいました。

2017/10/07

生きているうちに使い切る

母のタンスの中に、真っさらのバスタオルなどがたくさんありました。

もったいないからと、引き出物などで頂いたものを使わずにしまってあったのです。

普段着も、夏はいつも肌色のTシャツを着ていたのです。

それは、なんと、私が高校生の頃に、オレンジ色に染めようとして失敗して捨てた、綿ポリのTシャツだったのです。

Tシャツ代をケチって綿100%にせずに綿ポリの混紡にしたら、綺麗に染まらなくて肌色のムラムラになったTシャツで、気に入らなくて着ないから捨てたのを、母が拾って着ていたのでした。それも、捨ててから30年くらい経っているのに。

「まだ持ってたの?」と驚くと同時に、なぜたくさんあるオシャレな服を着ないでこれを着る?と、母のケチくさい行動にハテナマークが飛び交いました。

昭和13年生まれで、何もない時代を生きてきたから、ケチケチするのが身についてしまっていたのだと思いますが、なぜか私も同じように、上等のものをしまいこんで、安物を着てしまう癖がありました。

猫に穴をあけられるから、というのもありますが、9000円で買った作務衣はもったいなくて、1980円で買ったジャージを着て暮らす、みたいな。

母が生きているうちに使わずに取っておいたものや、着ずにしまいこんであったものは、ほとんど私には無意味なもので、不用物になり、亡くなった後は、大量の母の遺品が一部屋を占領してしまいました。

母を家に連れてくる時に、母の荷物は文化住宅を一軒借りて保管しましたが、それを全部処分してもまだ残った遺品が一部屋を占領。

これを見せられた時に、「ああー、生きているうちに何でも使い切ってしまおう、どうせゴミになってしまうんだから。」とシミジミ思った次第です。

2017/10/06

庭井公園の木々

大依羅神社の隣に公園があって、そこにはメタセコイアや、名前はわからないけど「ルルちゃんの根っこの木」と呼んでいる落葉広葉樹や、大きなシュロの木があったのです。

2017年10月4日の夜にはまだあって、「今日も元気な木さんたち。」と思って通り過ぎたのに、5日の昼に犬の散歩で通ったら、すっかり切り株になっていたのです。

いつの間に?

まだ高校生だった頃、家庭内がゴタゴタして、言い知れぬ孤独感に苛まれていた頃、雨に濡れて小さな雨粒が輝くメタセコイアの葉っぱが、自分を励ましてくれている気がしたものでした。

通っていた学校にもメタセコイアが植えられていて、楠もありましたので、家と学校の両方で、メタセコイアと楠が、私を応援してくれている気になって、なんとか自分を保つことができました。

あれから40年近く、ずっといつまでも、そこにあり続けてくれると思っていたのに、数時間の間に無くなってしまったのでした。

「一体誰が、50年以上生きている木を簡単に切ろうと思いつくのだろう。」と思って、「木霊 祟り」でググってみたりしました。

松谷みよ子さんの「異界からのサイン」という本にも、木霊のことが書いてあった気がしたし、大依羅神社の木を昔切ろうとして、何人も祟られたという話も知っていたから…

私にとって、周りが、「肉を喰らい、木の命を省みない鬼畜」ばかりのような気がして、今日は凹みました。

夜に再び、犬の散歩で通った時、周りの残された木々が、お通夜のように沈痛な気を発しているようでした。もしかしたら、明日には自分が切られるかもしれないと、恐れているかもしれない。でも、木には足が無いから逃げることもできないし。

明日、木を切ろうとしたら、作業員が次々ケガや病気になったら、あと50年は生き延びられるかもしれないなぁ。

もしかして、大阪市に入っている業者が、メタセコイアの木を材木にして売ろうとして、町内会の役員をそそのかしたんだろうか?まぁ、これは勘ぐり過ぎ。

とにかく、木の祟りを知っていた古老が亡くなってから、この辺りは罰当たり続出で、そのうち洪水にでも襲われるんじゃないかと、ちょっと怖くなってきてます。







2017/10/02

毒親=エネルギーバンパイア

誰かの病気が、毒親のせいかもな…と思ったとしても、自分から近い人であるほど救うことはできない。

近所とか、親戚とか。

中学校の新任教師だった時も、荒れている生徒の親をなんとかすることもできず、本人の自覚と覚醒を願うしか無かったことを、今日、若いのにシルバーカーを押して歩いている方に会って、突然思い出した。

それ無しでは歩けないという。

ステロイドの副作用で股関節でもやってしまったのだろうか?

忙しくて時間がなくて詳しい話もそこそこに別れた後に、「そうだ、自分から近い人ほど救えないんだな。」と思った次第。

毒親になっている人のそのまた親も、実は毒親にやられて自分も毒親になってしまった可哀想な人なのである。

怒りを出せなくて、心の中に溜め込んだら、色んな病気が起こってくる。
そんなことを、近所の人に到底アドバイスできそうにもない。

詳しく話を聞けなかったから、そんな考えが暴走してしまったけど、のちに事情を聞くと、骨折が原因で痛みをこじらせてしまったとのこと。

まぁ、近所向けに言っているだけかもしれないんだけれど。

自分から近いところに住む人ほど、助け舟も出しにくいし、本当のことを隠そうとするから、知っていることも教えてあげられない。

それに普段の私は、みんなから見ると、そこら辺のおばさんに見えているから、実は鍼灸師だとか、ヒーリングの知識はハンパないですよとか、そんなことも言えないし。

脱線してしまったけれど、世の中には気づかず毒親になっている人が多い。

自分の愚痴を、子供に垂れ流す毒親。
条件付きの愛しか与えない毒親。
見え透いた嘘ばかりついて保身を図る毒親。
約束を決して守らない毒親。などなど。

毒親にならないように生きることは、魂を磨く修行でもあるので、もしも自分が心の毒を子供に垂れ流しているなと思ったら、まず、自分の心の器の大きさを大きくして、すぐにこぼれないようにしていったり、器に蛇口をつけて、蛇口は自分が調節できるようにするとか、そういうことをイメージしていけば良いのではないかと、私は努力しました。

子供は親の背中を見て育つ。
自分が毒親だったら子供も毒親になる。
だから、毒を吐かない練習。

その延長線上に、年取って毒を吐かない可愛らしい年寄りになりたいと思います。

2017/09/27

出歩くと見てしまう悲しい現実

亀のことなんですけどね。

近所で何件か、亀を家の前の水槽で飼っているんですよ。

犬の散歩でうろつき回るうちに、その飼い方が、可哀想に思えて、そばを通るたびに心が痛んでしまいます。

今日も、2匹並んだら動けない大きさの水槽で、外に出たくて暴れている2匹の亀を見つけてしまいました。

だいたい、真夏でも直射日光が当たるところに置いてあります。

「仏教では、苦しみも自分の感じ方次第なんだって。」とか言って息子は教えてくれるけど、現実に、濁った狭い水槽で「出してくれ出してくれ。」と上に向かって暴れまくっている亀を見ると、それを「感じなーい感じなーい。」とか思えなくて、私の心はキューっと締め付けられてしまうんです。

だってあれ、人間だったらって、私はすぐに思ってしまうんです。

直射日光の当たる自分のオシッコやウンコが溶けたままの水槽で、その中に餌を撒かれて、その中の水を飲んで暮らせる?水も週一くらいしか替えてもらえない、そんなところで。それも、透明なのに向こうには逃げられない牢獄みたいなところで。

亀って何十年も生きるらしいのに、死ぬまであのままなの?

考えただけで、辛くて。

どうか、亀を安易に飼う人がいなくなりますようにと、祈る日々です。

2017/09/26

バレーボールの授業で笑う私

あれは何だったのだろう?

大学の体育の授業で、バレーボールをやってた頃、私は最初から終わりまで笑い続けてたんです。

何だか楽しくて面白くて仕方なかったんですよね。

あの頃は家庭的なことで悩んだりしていて、あまり笑うことがなかった反動で、体を動かした時に笑いが吹き出して来たのかしら?

もしかしたら、悩んでいて、眉間にシワがよってそのまま心の病気になりそうな人は、みんなで体を動かすスポーツをやってみたら、笑ったあとに病気が治るかもしれないなと、そんなことをふと思い出しました。

だんだんと感じる秋の気配

実際、秋の気配も感じますが…

人生の秋の気配が、そこはかとなく漂ってきております。

あれほど、猫の世話が大変だと嘆いていた私ですが、猫無しでは生きられないということに、つい最近気がついたのでした。

私はすごい寂しがり屋なのに、こんなに強気で生きているのは猫のおかげなんだと。子供の頃から猫がいたら寂しくない私だった…

「終活」ということを視野に入れて生きるとなると、猫をたくさん残して死ねないから、おばあさんになった頃には1匹もいないくらい、猫の数を減らしておかないといけない=これから仔猫を家に入れることは絶対にダメ=最後の老猫が死んでしまったら、独りぼっちで取り残された気分になること必至。(あー寂しい)

あぁ、そうだった。
飼い猫を実家に残して北陸に嫁に行ってたあの頃の孤独感。寂しかったよなぁー…

最後の方には松枝浜の海岸で拾ったチロルに孤独死から救ってもらったような私だった。

思い出した。

それでも、これでもかというほど、猫を前に捨てられて、忙しくて里親探しもできない地獄の中にいた頃は、猫がいなくなる日を指折り数えていた日もあったのに、いざ数が少なくなってくると、今度は「いなくなったら寂しいだろうな」と思い出すなんて、なんて人間の心は勝手なんだろうと、我ながら感心してしまってます。

おばあさんになってから、捨て猫をみつけてしまったら、心を鬼にしないといけないなとか、そんな事を考えただけで、早くどこかへ逃げてしまいたくなるのです。

いつかの夢でみた、おじいさんとおばあさんになったダンナと私が、海辺をのんびり散歩している姿、捨て猫の悩みから離れて、ゆったりして過ごす老後というものに、やはり憧れてしまいます。

もうそろそろ、私の人生は秋になってたんだと、夏が終わって気がついた次第です。

洗濯の仕方の伝統

伝統って、こんなつまらないことから発祥したものもあるのかという、本当につまらない話です。

私が初めて動物病院を手伝いだした頃、洗濯物の扱い方が、普通と違って、すごく手間がかかる感じだったのです。

洗濯機からタオルなどを出して干すわけなのですが、

1.一旦、丸椅子の上に洗濯物をたたんで積み重ねる。

2.たたんだ洗濯物を、裏の干し場で干す。

3.乾いたら、また丸椅子の上に洗濯物をたたんで積み重ねる。

4.たたんで積み重ねた洗濯物を、さらに仕分けして所定の置き場に分けて置く

「なにこのめんどくさくて回りくどい洗濯の仕方は」

そう思って疑問に思いながら、ずっと元からいたスタッフに言われた通りに従っていたのです。

ある日、堪忍袋の緒が切れて、院長であるダンナに問いただしました。

「洗濯物のやり方、なんであんなに時間がかかるやり方にせなあかんの?」と。

そしたらなんと、返ってきた答えが、「さぁー、最初の頃、洗濯物を入れたりするカゴが無かったから、ああなってしまったんやと思うわ。」

なにそれ。

真相は、ダンナが自分でやり出したやり方を、スタッフは忠実に守っていたという事だったのです。

早速、スタッフに楽をしてもらおうとカゴを用意したのですが、なんと、彼女たちは、古き伝統を守ろうと抵抗したのです。

カゴを使わずに、時間をかけてたたみ続けました。私は、姑扱いされたような嫌な気分がしました。

カゴはホコリをかぶったまま、ずっと棚に載っていました。

姑扱いでいじけた私は、あまり動物病院の手伝いをしなくなっていた数年後、それまでの伝統がいつの間にか変更されているのに気がつきました。

なんと、洗濯機から取り出した洗い立てのタオルなどを、椅子にたたんで置くのが邪魔くさいからと、洗濯機の前にドサっと置くようになりました。

「ちょっと待ったー!」

私の中で警告音が鳴り響いたのは言うまでもありません。

これはもう、看過できない事態なので、洗った洗濯物を地べたに出して踏んで歩くのは止めるように指示しました。塩素まで入れて洗ってるのにトイレに行った足で歩くバリアフリーの地べたに置く神経がわからない…

「最近の若い人はなに考えているのだろう?」(ついに私もそんなことを思う日が来たか…)

いぶかしく思いつつも、ホコリをかぶったカゴを取り出して、今後は洗った洗濯物はカゴに入れておくこと、そうしないと不潔であること、地べたに放り出しているのを飼い主さんがみたらどう思うか?など説明して、カゴを使うように言いました。

洗濯物をカゴに入れるという、そんなつまらない事に、10年もかかってしまったという、本当につまらない話ですが、こういうことが、世の中に結構あるかもしれないと、私は思っているのです。

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